スコータイ都城とシーサチャナライ副都城を結ぶ古道に中継地としてムアン バン クランがあります。南北をヨム川の支流、ラム ナム ファ クラダンと西側をヤング運河に挟まれ、幅25~30mの土塁が築かれた、一番長い東側城壁は1,165m、北側城壁625m、西側城壁600m、そして南側城壁300mの不等辺四角形の都市遺跡です。周辺には23ヶ所の遺構が残っていますが、殆どが城外で一番重要な寺院遺跡、ワット ヤイ チャイ モンコンは北城壁の北200mにあります。またワットボートは南城壁の南700mに位置します。ちなみに、2寺院は2.8km離れています。
日本人観光客が訪れるスコータイ遺跡、主要な遺跡を全て回ろうとすれば2、3日は必要です。北へ50km離れたシーサチャナライ遺跡でも最低2日は要するでしょう。両遺跡の中間地点にあるとは言え、ムアン バーン クラン遺跡を訪れる人は、まずいないと思います。
まず訪れたのはワット ヤイ チャイ モンコンです。9年ぶりの訪問となりますが、その時は基壇だけが残る寺院遺跡でした。
前日の日暮れに訪れたときは中央に仏塔が建っており、別寺院と思っていました(他にはこんな大きな遺跡はないはずですが)。
東北を向いた寺院で14世紀から15世紀に建立されています。礼拝堂は16世紀から17世紀のアユタヤ王朝時代に建築されたようです。中央のスコータイ様式の蓮の蕾型の仏塔は2013年の最後の訪問以降に再建されています。
次ぎに訪れたのがワットボートです。
東向きの寺院で、東と西に門にある26m四方の外周壁の中に、14m四方のモンドップ(仏堂)が建っています。
もとはクメール神殿が建っていたと言われていますが、14世紀から15世紀に仏教寺院として建立され、その後15世紀から16世紀に改築されています。
モンドップ内にはラテライトの大仏座像の膝が残るだけで、その前には新しいクメール様式のナーガに守られ瞑想する仏陀像が安置されています。また、南西北の壁龕には仏陀立像の基礎部が残るだけです。
外周壁、モンドップともに漆喰で仕上げられていましたが、モンドップの東南角に一部残るだけで、往時を偲びます。
東南角に漆喰が残っています。
南壁面です。
西門外から見ます。
北壁面です。
モンドップの真東に矩形の貯水池があります。クメール統治時代のバライでしょうか。池の周りには創建時の竈跡が数カ所残っています。
かって訪れたときは、池の横に僧坊があり、竈は寺院から出たゴミの焼却場になっていました。池もガマが茂り、ただの湿地だと思っていました。
現在は整備されて広大な寺院敷地となっていますが、9年前は遺跡以外は雑草と木々が茂り足の踏み入れようがない荒廃した場所でした。
池に東には15世紀から16世紀の補修時に建てられ礼拝堂基壇と仏塔があります。礼拝堂基壇の上には新たな布薩堂が建てられていますが、かなり老朽化しています。
新しい礼拝堂を建設中です。完成間近で堂内には立派な壁画が描かれています。
背面の仏陀立像です。
正面(東面)の入り口です。
入り口上の壁画です。
ワット ボートから西に2kmの山中にワット カオ ドゥア遺跡があります。未だ行ったことがなくグーグル マップに投稿された写真を借用しました。
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ムアン バン クランで発掘されたお宝です。6点の青銅製耳飾りです。精緻な模様が施されていますが、製作年代などの詳細は不明です。右下の1点は緑青が発生しておらず、金が含有されているのかと思います。