の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

プラサート サドック コック トム 4

2022年05月22日 | サケーオ

第8回目の訪問です。2009年9月20日の日曜日になります。日曜日は修復作業もお休みです。
カンボジア人の観光客がいました。彼らは初め写真撮影を警戒していましたが、慣れるに従い気軽に応じてくれました。
グーグルマップで確認すると近くにはタイとカンボジアを結ぶ道がたくさんあって往来は自由(?)なようです。




=回廊外壁の西偽扉=



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=回廊北門=


=北経蔵=






回廊門と経蔵の破風を修復中です。回廊内は石材がゴロゴロしています。

6ヶ月後の2010年3月14日です。外周壁、内濠の掘削と回廊門の仕上げ作業が行なわれています。










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回廊北門の破風の彫刻中です。2009年9月20日に組み上げた回廊北門と比較してください。
残念なのは主祠塔を始め大半のまぐさ石に新石材が使われ彫刻がないことです。

下は主祠塔西偽扉のまぐさ石で、残存する一部の複製をコンクリートで固定しています。
オリジナルはプラチンブリー国立博物館に展示されていますが、複製は彫が浅く繊細さがありません。





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2年間をおいて2012年1月25日そして10月23日の訪問です。
1月は濠越しの写真のみです。内濠は水をたたえ、乾期ですが地面は草が青々としています。



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参道の石柱を運び込み、余った石材の撤去中です。


そして12回目、2013年3月24日、春分の日から4日遅れの日の出撮影です。
日の出写真は1回目に投稿していますからそれ以外を掲載します。






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参道の石柱を制作中です。欠損する古い石を新しい石材で継いでいます。朝が早いので作業者はまだ集まっていません。
木の根元に放置された石材にはナーガの繊細な彫刻が施されています。

遺跡内には現代寺院が建っていますが、芸術局によって隣地に建直し中です。







彼らは芸術局の職員でここに寝泊まりして寺院建築の指揮をしています。
近隣の住民が掘り起こし、回収してきたた扶南時代の遺品を並べてくれました。

2014年3月16日の春分の日の訪問です。参道の石柱は完成していました。
白い石がいかにも新作と分る石柱です。



バライの掘削も終わり遺跡の修復はほぼ終わったようですが、やはり気になるのはデヴァダの足です。







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デヴァダの足の残欠がたくさんありましたが、結局どこにも組み込まれていません。本来どこにあったのかも分りません。
ここから東150kmにアンコール ワットがあります。アンコール ワットには2000体以上のデヴァダが彫られていると言われていますが、そのデヴァダを撮影したくて出かけた私にとっては、納得出来ない修復です。

下は古い石材に加工してあった、ズレ防止のチギリを挿すための溝だと思うのですが、修復にはこんな小細工はありません。昔の職人の知恵です。



その後8年間、足が途絶えました。以降はインフォメーションセンターや周辺の整備をしていたのか、たまたま訪れた今年5月8日の翌週に「サドック コック トム歴史公園」が正式にオープンしました。
20年に及ぶ修復工事でした。近々もう一度訪れインフォメーションセンターの展示品を観たいと思っています。今までは無料で入れましたが、入り口に立派なチケット売り場も建てられており、将来は入場料を徴収されそうです。

プラサート サドック コック トム 3

2022年05月20日 | サケーオ
元々は「プラサート ムアン プラオ」と呼ばれていましたが後に「プラサート サドック コック トム」と呼ばれるようになりました。クメール語で「葦(カヤツリグサ)の茂る大きな湿原」という意味で、かってはカオヤイ山系から流れくる豊富な水と肥沃な土地だったのでしょう。近くには7世紀のプレアンコール時代に建設されたプラサート カオ ノイなど87ヶ所の遺跡がある場所です。グーグルマップを見ると国境を隔てたカンボジア側にもたくさんのヒンドゥー寺院の表示があります。

前回は主祠塔の基壇造りでしたが、5ヶ月後の2005年12月11日訪問時の状態です。
基壇はほぼ完成し、併行して主祠塔の下部を組んでいました。




















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従事しているのはカンボジアの作業者のようです。

次の訪問は1年9ヶ月後の2007年9月1日です。
主祠塔はまだ半分ぐらいの高さまでしか積み上がっていません。回廊内の敷石整備や回廊壁の修復が分散して行なわれていました。














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この時期だと午後の気温は40℃近くまで上がっていますが、みんな元気に作業を進めています。
一番下の人物が回廊修復の責任者のようです。それぞれの部位に責任者がいるようで、いつも指示をしている人物が異なりますが、皆親切に修復の状態を説明してくれます。

回廊に外側にたくさんのデヴァダ(女神像)の足だけ残った石材が並べてあります。身体部は遺跡泥棒が持ち去ったようです。
回廊を飾った女神像でしょうか、結局この残欠は再組されることなく処理されています。

7回目の訪問、2008年11月15日です。
主祠塔はほぼ完成で、回廊の修復が行なわれていました。東塔門以外の楼門はまだ手つかずです。


















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最後が長らく参道脇に設置されていた「サドックコックトム遺跡の復活を記念して」の顕彰碑です。
当初は簡素なものが建っていましたが、いつの間にか写真のような大理石の立派なものになっていました。

-以下続きます。

プラサート サドック コック トム 2

2022年05月18日 | サケーオ
プラサート サドック コック トムを初めて訪れたのは2002年です。主祠塔は簡単な補強があるだけで半分崩れていました。回廊は倒れ、外壁は基礎部だけ、窪んだ地面で濠があったことすら分りませんでした。
東に塔門があり、参道の敷石が続いていましたが、敷石が途絶えたあたりからはロープが張られて黒地に白抜きのドクロマークで地雷有り、立ち入り禁止の立て札が処々に設置してありました。
とりあえず人の歩いた跡をたどってバライまでいったのですが、凹地に木が茂りただの荒れ地にしか見えませんでした。


これはシーサケットのカンボジア国境にあるクメール遺跡カオプラヴィーハン参道脇の地雷立ち入り禁止の立て札です。参考に添付します。

次ぎに訪れたのは2003年です。国境沿いの道路3085線から農道を約2km入れば遺跡ですが途中には軍の駐屯地があり検問所があります。検問所から少し進むと日章旗が揚げられ、地雷撤去に従事するNPO法人の仮設住宅がありました。この時は遺跡周辺のドクロマークはなくなっていました。

当時はフィルムカメラを使っていたので手許に写真がありません。デジタルカメラで撮影したのは2004年からです。
まず2004年2月29日(日曜日)の写真からです。




























上2枚は回廊の東南から撮影、右から回廊塔門、経蔵、主祠塔と並んでいます。
3枚目は外壁の北側から撮影です。

次は遺跡周辺で仮組みされている石材です。





















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2005年7月2日です。修復工事が始まっていました。主祠塔が撤去され基壇から造られています。
離れたところでは主祠塔の仮組みも行なわれていました。












以下、続きます。

プラサート サドック コック トム 1

2022年05月17日 | サケーオ

タイ東部、カンボジアに国境を接するサケーオがあります。
書籍「Ancient Khmer Sites in Eastern Thailand」 Asger Mollerup著にはタイ東部で著者が撮影したクメール遺跡と位置が紹介されており、サケーオでは87ヶ所が掲載されています。大半は崩壊し、点在する石材で遺跡であることが分る程度ですが、よく遺跡にたどり着き写真に収めたと感心する労作です。
さてそのサケーオには東部で最も大きく、重要な遺跡「プラサート サドック コック トム」があります。

シヴァ神を祀る主祠塔と2棟の経蔵を囲む東西42m、南北36mの回廊、そして回廊を囲むコの字形の内堀、さらに東西126m、南北120mの外壁で構成されたクメール神殿と外壁の東塔門から東200mに南北200m、東西370mのバライがあります。バライの東はカンボジアとの国境です。

プラサート サドック コック トムは937年にジャヤヴァルマン4世よって建立、その後崩壊し1057年ウダヤーディチャヴァルマン2世によって再建されたパブーオン様式のヒンドゥー寺院です。
遺跡からはジャヤヴァルマン2世によって937年に刻まれた建立の経緯が記された石碑とウタヤーディチャヴァルマン2世によって1053年に刻まれた2基の石碑が発見されています。
第二碑文は802年頃にクメール王朝を建国したジャヤヴァルマン2世から約250年にわたって支配した12人の王の功績や主要な出来事が刻まれているクメール王国の歴史を知る貴重な石碑です。








2013年3月24日春分の日から4日遅れで日の出を撮影に来ました。日の出は午前6時05分です。この場所だと東に山はなく太陽は地平線から昇るはずですが、朝靄と木立でなかなか太陽を見ることが出来ません。日が差して撮影できたのは午前6時21分でした。
ちなみに翌年は春分の日に訪れたのですが朝霞が濃くて塔門の上でやっと太陽がのぞきました。

遺跡一帯はカンボジア内戦で地雷が敷設され長らく危険地帯となっていましたが、日本のNPO法人、人道目的の地雷除去の会によって2002年から2004年にかけて整備されました。ちなみに48個の地雷と30個の不発弾が除去されたそうです。
その後遺跡の修復工事が行なわれていました。

5月7日(土曜日)今年初めて蝶々撮りにパンシダー国立公園まで出かけたのですが、公園職員は1月に大量発生して以来蝶々の発生はは非常に少ないとの説明です。
通年なら5月は足の踏み場もないくらいに集団吸水しているのですが、天候不順に起因するのか当日に見られた蝶々は数えるぐらいしかいませんでした。
そこで翌日は久し振りにプラサート サドック コック トムへ出かけました。
サケーオ市街から遺跡まで82km、途中驟雨に見舞われて午前10時に到着です。










入り口に旧知の芸術局職員いて15日(翌週)にシリントーン殿下の御臨席で「サドック コック トム歴史公園」の除幕式の準備中で忙しく動き回っていました。15日以降は入り口にあるインフォメーションセンターがオープンするそうです。
新しい石材が大量に使われ、かっては古い石材との違和感があったのですが10年の歳月と降雨のため目立たなくなっています。
主祠塔へ通じる石畳の参道は殿下の歩行のためパネルを設置作業中です。




まだ準備が終わっていないサドック コック トム歴史公園の銘板とインフォメーションセンターです。

残念だったのは長年参道脇にあった、地雷撤去に協賛した日系企業や個人が刻まれた顕彰碑「サドックコックトム遺跡の復活を記念して」が撤去されていたことです。


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5月15日にテレビ放映されたサドック コック トム歴史公園の除幕式の様子です。

次回は崩壊寸前の主祠塔と修復の様子を紹介します。

クメール陶器

2016年04月11日 | サケーオ

カンボジア国境ゲートに巨大な面積を有するロンクルア市場があります。かっては魚を塩漬けするための塩の集積地であったことから「ロン・クルア」と呼ばれていますが、市場が開かれるようになったのは、カンボジア内戦で難民が国境を越え、難民のための市場が開設されたのが始まりです。
売られているものは、カンボジアや中国製の安価な衣類や中国製の品質のよくない電化製品、工具類が大半を占めています。もちろんコピー製品もたくさんあります。



誰が着るのでしょうか・・・。

プラダのバッグは約3,000円です。

大量に運びこまれた衣類を分別しています。もちろん、一着ずつの小売りもしますが、基本は10着単位等の卸業的な商売です。



海外で人気のオニツカタイガーは1,800円です。バンコクへ運ばれると3,000円ほどになります。ちなみに正規品は15,000円します。


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ロンクルアへ来た目的はクメールや安南の陶器を探すためです。
このクメール褐釉象形壺は古色が感じられませんでした。

【の~んびり タイランド 2013年08月02日付「サドックコックトム周辺観光 (2)」でもロンクルアを紹介しています。】

褐釉刻花魚文水注は本歌のようです。胴回りに線刻で6匹の魚文をあしらった非常に珍しいブリラム窯の水注です。器体も魚形をしていますが、注ぎ口と尻びれの摘み部が破損、修復されています。
後日、タイ人に魚文の写真を見せると、誰もが入手しなかったことを惜しみます。補修が稚拙だったことを言うと、タイで再補修すれば良かったと一蹴されてしまいました。
今では自分も入手しなかったことを悔やんでいます。




クメールの陶器生産の始まりは、プノン・クレーン丘陵周辺で9世紀初頭に独自発生し、クメール帝国が衰退した13世紀に終焉を迎えたというのが今日の一般的な考えになっています。クメール陶器の発生に他地域の影響が全くないようです。
10世紀になると窯業は、コラート台地に伝播し、11世紀から12世紀に最盛期を迎えます。

青磁の象です。白化粧の上に施釉された壺の一部のようです。ブリラム周辺の遺跡から出土しました。
肖形壺は骨壺として生産されました。





青磁鳥形石灰壺です。蓋は別物を合わせてみました。
ロンクルア市場で入手しました。





褐釉石灰入れです。
口径:3.8cm、最大径:7.5cm、底径:4.1cm、高さ:6.6cm

青磁ウサギ形石灰壺です。破損した耳をよく似た青磁片を用いて補修されていたのですが、補修塗装をシンナー拭きしたら写真のようになりました。
全長:10.1cm、全幅:7.8cm、全高:8.3cm



灰釉象形石灰壺です。

チャンパの褐釉四耳壺です。
ロンクルア市場で店を出しているのは、カンボジア人が大半ですが、ベトナム人も多く安南やチャンパの陶磁器もたくさんあります。



参考にブリラム古窯の発掘報告書に掲載されている、興味のある写真を撮りました。

褐釉仏座像です。

ブリラム窯周辺から出土の瘤牛です。
ブリラム窯とサンカムペーン、カロンそしてラムプーンのハリプンチャイ窯との窯構造の共通性が指摘されていますが、この瘤牛はラムパーン窯出土の瘤牛とも酷似しています。