の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

クメールの黒釉

2016年04月15日 | 陶磁器(クメール)
クメール・黒釉線刻鶴首瓶
口径:5.3cm、胴径:13.9cm、底径:7.6cm、高さ:19.8cm






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褐釉線刻波文蓋付壺
口径:8.7cm、胴径:13.5cm、底径:8.6cm、高さ:(本体)10・5cm、(蓋込み)15.1cm、蓋径:4.8cm






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黒釉線刻偏壺
口径:3.9cm、胴径:16.9cm、底径:10.5cm、高さ11.3cm






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バン・クルアットの「ナイ・チアン窯跡」です。保存されているのは焚き口から煙道まで12m、幅3mの大型の地上式横焔窯です。
黒、褐釉や青磁の合子、壺、瓶などが生産されていました。生産期間は10世紀から12世紀です。


クメール陶器

2016年04月11日 | サケーオ

カンボジア国境ゲートに巨大な面積を有するロンクルア市場があります。かっては魚を塩漬けするための塩の集積地であったことから「ロン・クルア」と呼ばれていますが、市場が開かれるようになったのは、カンボジア内戦で難民が国境を越え、難民のための市場が開設されたのが始まりです。
売られているものは、カンボジアや中国製の安価な衣類や中国製の品質のよくない電化製品、工具類が大半を占めています。もちろんコピー製品もたくさんあります。



誰が着るのでしょうか・・・。

プラダのバッグは約3,000円です。

大量に運びこまれた衣類を分別しています。もちろん、一着ずつの小売りもしますが、基本は10着単位等の卸業的な商売です。



海外で人気のオニツカタイガーは1,800円です。バンコクへ運ばれると3,000円ほどになります。ちなみに正規品は15,000円します。


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ロンクルアへ来た目的はクメールや安南の陶器を探すためです。
このクメール褐釉象形壺は古色が感じられませんでした。

【の~んびり タイランド 2013年08月02日付「サドックコックトム周辺観光 (2)」でもロンクルアを紹介しています。】

褐釉刻花魚文水注は本歌のようです。胴回りに線刻で6匹の魚文をあしらった非常に珍しいブリラム窯の水注です。器体も魚形をしていますが、注ぎ口と尻びれの摘み部が破損、修復されています。
後日、タイ人に魚文の写真を見せると、誰もが入手しなかったことを惜しみます。補修が稚拙だったことを言うと、タイで再補修すれば良かったと一蹴されてしまいました。
今では自分も入手しなかったことを悔やんでいます。




クメールの陶器生産の始まりは、プノン・クレーン丘陵周辺で9世紀初頭に独自発生し、クメール帝国が衰退した13世紀に終焉を迎えたというのが今日の一般的な考えになっています。クメール陶器の発生に他地域の影響が全くないようです。
10世紀になると窯業は、コラート台地に伝播し、11世紀から12世紀に最盛期を迎えます。

青磁の象です。白化粧の上に施釉された壺の一部のようです。ブリラム周辺の遺跡から出土しました。
肖形壺は骨壺として生産されました。





青磁鳥形石灰壺です。蓋は別物を合わせてみました。
ロンクルア市場で入手しました。





褐釉石灰入れです。
口径:3.8cm、最大径:7.5cm、底径:4.1cm、高さ:6.6cm

青磁ウサギ形石灰壺です。破損した耳をよく似た青磁片を用いて補修されていたのですが、補修塗装をシンナー拭きしたら写真のようになりました。
全長:10.1cm、全幅:7.8cm、全高:8.3cm



灰釉象形石灰壺です。

チャンパの褐釉四耳壺です。
ロンクルア市場で店を出しているのは、カンボジア人が大半ですが、ベトナム人も多く安南やチャンパの陶磁器もたくさんあります。



参考にブリラム古窯の発掘報告書に掲載されている、興味のある写真を撮りました。

褐釉仏座像です。

ブリラム窯周辺から出土の瘤牛です。
ブリラム窯とサンカムペーン、カロンそしてラムプーンのハリプンチャイ窯との窯構造の共通性が指摘されていますが、この瘤牛はラムパーン窯出土の瘤牛とも酷似しています。


プラサート・カオ・ノイ(シー・ションプー)

2016年04月04日 | サケーオ

アランヤプラテートの南12kmにプラサート・カオ・ノイがあります。
国境近くを走るカオ・ノイへ向かう道路には何ケ所かの検問所があります。

カオ・ノイの麓にワット・カオ・ノイがあり、寺院にはプラサート・カオ・ノイの建つ高さ130mの山頂までの石段があります。
山の裏側には中腹までの自動車道が整備されています。初めてここを訪れた時は、そのことを知らず、急階段を必死の思いで登ったのですが、中腹に車が停まってあるのを見て力尽きました。以降は、もちろん車で上がります。

中腹の駐車場所に祠があり、そこから山頂までの石段です。

写真はかっての参道で、中腹から山頂までの石段はありませんでした。

東向きのヒンドゥー神殿で3基が南北に並んでいますが、中央祠堂以外は崩壊しています。
7世紀に建立され、10世紀に修復されています。発掘品には西暦637年を示す最古の石碑「カオ・ノイ碑文」があります。

午後の訪問で、逆光撮影となってしまいました。

この写真も古い写真です。左右の祠堂は崩れたままで、煉瓦が散乱していたのを現在は下部だけですが、積みなおされています。



中央祠堂です。祠堂東入口のサンボール・プレイ・クック様式のリンテルはプラチンブリー国立博物館に展示されています。

祠堂の中です。

北側から眺めます。



偽扉の上、煉瓦積みの破風に彫刻が施されています。



北祠堂です。この祠堂から出土した4点のリンテルもプラチンブリー国立博物館に展示されています。

リンテルのレプリカが祠堂の周りに置かれていますが、オリジナルと比べると、かなり稚拙な彫刻です。





仏足石です。

遠くに見えるのは、国境にあるカンボジアのカジノです。
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カオ・ノイはヒョウタン山で高い頂にプラサート・カオ・ノイが建っていますが、低い頂には木造の現代寺院が建っています。

この日は法事が行われていたようです。

樹脂製の大仏頭です。

木造のお堂です。

仏足石もあります。たくさんの人が参拝に来られたようです。



木造寺院の横に新しい礼拝堂を建設中です。


プラサート・カオ・ロン(タ・プラヤー)

2016年04月02日 | サケーオ
カンボジアとの国境の町、アランヤプラテートへ通じる国道33号線をワッターナ・ナコーン交差点で左折、国道3395号線、国道3486号線を63km進むと右手に球形の小山が現れます。高さ30mのカオ・ロンです。

山頂にはシヴァ神を祀った煉瓦造りの上部が崩れた祠堂が建っています。

東向き祠堂の前には、新しい礼拝堂が築かれ、仏像が安置されています。



砂岩の基壇に建つ祠堂です。かっては前方に2期、後ろに1基の4基の祠堂が建っていました。



東以外の3方向は偽扉で、扉の上は煉瓦を削った彫刻が施されています。
また、その上にも小さな偽扉が施されています。

11世紀に建立されたプラサート・カオ・ノイの中央祠堂と同じ建築様式です。



山頂には煉瓦や砂岩のヨニなどが散乱しています。

麓へ降りてきました。麓の参道横には現代寺院があります。
カオ・ロンの北側には砂岩で囲まれた30mX30mと50mX150mのバライがあります。



プラサート・カオ・ロン出土品が保管されています。ミニ・ストゥーパです。



石碑です。かっては祠堂の入り口を砂岩の枠で構成、そこにはマレー半島出身でクメール帝国の王位を簒奪したスールヤヴァルマン1世(在位:1025年~1050年)に関する記載があったようです。
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プラサート・カオ・ロンの東南13kmにタ・プラヤーの町があります。さらに4kmでカンボジアとの国境のゲートです。

国道348号線を進みます。

タ・プラヤーの町の入り口に建つモニュメントです。





国道348号線にあるタ・プラヤーのゲートです。

ワット・タ・プラヤーです。
この寺院には先史時代からクメールまでのたくさんの遺物が集められています。

展示場所を探します。こちらでは、修行中の女性たちが午睡中です。



境内を歩いていた僧侶に尋ねると、展示室の鍵は管主が持っており、現在外出中でいつ帰ってくるかわからない、とのこと。以前は鍵もなく自由に鑑賞することができたそうですが、心無い人が展示物を持ち帰るようで、盗難防止で鍵をつけたそうです。

ということで、書籍「Ancient Khmer Sites in Eastern Thailand」のワット・タ・プラヤーのページを載せます。
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タ・プラヤーのある村で女性がビーズのネックレスを売っていました。
他に出土品はないかと尋ねると、村人がいくつもの土器を持って来てくれたのですが、どれも欠けたり、割れていたので写真の束ねたそろばん玉のような土器を譲り受けました。

写真は「ウ・トーン国立博物館」展示品です。装身具と思っていたそろばん玉でしたが、紡績のコマだったようです。

プラサート・サドック・コック・トムに寝泊まりしていた芸術局のナマ氏がタ・プラヤーで没収してきた、村人の掘りだした前史時代の遺物です。
ポリ袋に仕舞っていたのを並べてくれました。