写真はスパンブリー国立博物館の展示室に再現されているバン バン プーン古窯の横焔式窖窯です。
ピチットのブン ワット パー古窯址を見学した翌週に類似性が指摘されていたスパンブリーのバン バン プーン古窯の陶片を採取に出かけてきました。
芸術局は約25年前にター チン川沿いの個人宅の庭10m四方から10基の窯を発掘、調査後埋め戻しています。
窯址はバン プーン村を中心にター チン川の東7kmに点在するようです。活動期間は12世紀から15世紀で日本でも輸出された壷が発掘されています。
本書は1998年発行の調査報告書です。10年ほど前にラチャブリー国立博物館の売店で35バーツで入手しました。
図版の陶片とプン ワット パー古窯の陶片の意匠が酷似しています。
ター チン川です。川沿いにはたくさんの寺院があり、かっては土手に陶片が散乱、川原には中国磁器やサワンカロークの古陶磁器の宝庫でした。しかし、今回の訪問ではどの寺院も川縁は護岸工事がしてあり、ター チン川は水かさも高くて陶片を探すことが出来ませんでした。
かって河原で拾って持ち帰った陶片ですが、今は処分をして手許にありません。
次に古窯址の発掘調査がされた個人宅を訪問しました。
彼女の立ってる所に窯の一部が露出しています。
庭は25年前に掘り返されて放置された陶片で埋め尽くされています。状態の良い陶片をもらって帰ります。
今回個人宅の庭から持ち帰った陶片です。砂粒混じりの青灰色の生地に肌理の細かい化粧土で覆い印花、印刻されています。一片だけ生地に鉄分を含んだ赤いのがありました。
スパンブリーは先史時代の土器からドヴァーラヴァティー王国(ムアン・タワーラーワディー・シー・スパンナプーム)、クメール様式、そしてスコータイの影響を受けたウートン様式、アユタヤ王朝時代の仏像や遺構がたくさん遺っています。個人的にはこの地に広大な窯業施設を築いたのは西漸したモン・クメール族ではないのかと思っているのですが、、、
ブン ワット パー古窯の操業時期がスコータイ王朝の初期ならば、ナコーン サワンがスコータイ王国の南方への要衝となり、港湾都市として重要性が高まりコンテナとしての陶器の供給地としてスパンブリーから陶工が移動してきたのか。
バン バン プーン古窯の特徴有る陶片が2点有りました。25年間地表にあって家人に踏みつけられ摩耗がかなり進んでいるのが惜しいです。一片は象と人物の印花文で陶片の曲率から直径50cmぐらいの大型壷の破片です。一般に見かける印の大きさより小さく正方形に近いです。ドヴァーラヴァティー土器の印と縦横比が近いようです。初めて見るサイズの印花です。
これもかなり大きな壷の破片です。葉文の中に八弁の花が意匠されています。これも初めて見ました。
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10年前に訪れたときの写真です。ターチン川沿いの土留の立木の根元が流水で洗われて、たくさんの陶片が根元に絡まっています。物原で成長した木のようですが、ここは発掘しなかったようです。
立木はまだ残っていましたが、見えるところには陶片は有りませんでした。
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この壷はタークのメソートで発掘された「焼締印花象文大壷」でマイコレクションです。バン バン プーン古窯の特徴をよく表しています。