の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

コーン・ケン国立博物館 (2)

2014年03月21日 | 博物館
■コーン・ケン国立博物館は広い敷地の中にあって、発掘された結界石が屋外のあちらこちらにサークル状に立っています。砂岩で造られたものが大半で、摩耗が激しかったり、彫刻が施されていないものや壊れているものがほとんどですが、とりあえず全て写真で紹介します。

博物館の裏側には背の高い結界石が集められています。後方の赤い屋根が博物館の建屋です。

こちらは博物館の左側です。





博物館の右側になります。







木の根元に壊れた結界石が置かれています。

ここも割れた結界石です。





仏陀坐像が薄っすらと残っています。

右はラテライトで造られた大きな結界石です。

クメール神殿に祀られていたヨニもあります。

図面はカーラシンの「ムアン・ファー・デート・ソーン・ヤーン」の遺跡1、2の発掘時の結界石配置状態です。
左の遺跡1は11mX22m、右の遺跡2は6.7mX8mの聖域になっています。
(コーンケーン国立博物館のガイドブックより)

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博物館の右手には1m程の高さで囲った屋根付の建屋があって結界石が多数展示されています。




先細石柱という説明とジャータカの一場面という解説ですが、解説文が薄れてしまって読めませんでした。





















プロレスの「コブラ・ツイスト」という技を思い浮かべました。

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タイの仏陀像で半跏倚坐(はんかいざ)を初めて見ました。











未完成品でしょうか・・・。

苦行生活を終えた仏陀が村娘スジャーターから乳粥(にゅうひ)を受ける場面と解説されています。





「マハハムサ・ジャータカ」の一場面という解説があります。9世紀から10世紀の結界石でカーラシンで発掘されています。





















2世紀頃にはビルマを経由してタイ西部のカンチャナブリーに仏教国をモン族が成立させます。が、タイ中部には東から勢力を伸ばしていたクメール族のヒンドゥー国フーナンが支配しています。フーナンの力が衰える6世紀にモン族が東へ勢力を伸ばし寺院を建立していきます。仏塔の壁面には素焼き粘土や漆喰を用いたジャータカで装飾されます。そんな意匠が9世紀にイサーンまで伝わりました。ジャータカは500話以上の物語があるようですが、刻まれている絵柄はどれもよく似たモチーフになっています。ただ、相貌はモン族の特徴をよく表しているようです。

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コーン・ケン国立博物館 (1)

2014年03月19日 | 博物館
■バンコクから国道1号線、国道2号線で約470kmのコラート台地の中央部にコーン・ケンという都市があります。
西南のチャイヤプームの山岳地帯を源流とするチー川が蛇行しながらコーン・ケンを貫き、市街の手前で大きく方向変換して、イサーン中部の各都市を経由、ウボンラチャタニーでムーン川に合流しメコン川へと注いでいます。
コーン・ケンではペッチャブーンからルーイを経由し流れてきたチョエン川やポン川、ポーム川がチー川に合流して「ラム・チー・ヤイ」(偉大なチー川)と呼ばれています。これらの川沿いには前史時代から狩猟、農耕文明が栄え、石器、青銅器、鉄器、土器などの遺物がたくさんの土地で発掘されています。
6世紀になるとタイ南部(ナコーン・パトム)で興った交易国家、ドヴァラヴァティー文化のモン族がシー・テープ(ペッチャブン)を経由してバサック川を遡上し、チー川沿いのコーン・ケンをはじめ、チャイヤプーム、マハーサーラカーム、カーラシン、ローイ・エット、ヤソートーンと広がって行きました。9世紀に成立した環濠集落跡が主要河川沿いに30カ所以上確認され上座仏教の遺構や遺物が出土しています。
同時代コラート台地南部のムーン川沿いにはクメール族のヒンドゥー文化が栄え、数世紀後にモン族の文明をを飲み込んでしまいます。また、14世紀以降はメコン川を渡ってきたラーンサーン(ラオス)の文化的影響が拡大していきます。

コーン・ケン国立博物館へドヴァラヴァディー様式の遺物で、寺院などの聖域を示す結界石が蒐集、展示されているのを見に出かけました。

コーン・ケン国立博物館の玄関です。手前には恐竜が迎えてくれます。
コーン・ケンのプー・ウィアン、カーラシンでは恐竜の化石が発見されていて、どちらにも立派な恐竜博物館が建っています。



博物館へ入って左にドヴァラヴァティーの展示、右は前史時代の石器、青銅器、土器、装身具などが展示されています。

展示されている結界石です。展示品はカーラシンの南10km、コーン・ケンからだと東へ65kmにある環濠遺跡「ムアン・ファー・デート・スーン・ヤ-ン」からの出土で、9世紀から11世紀に造られたものです。
砂岩を彫刻して造った結界石には、仏陀の前世の物語「本生譚(ジャータカ)」や仏陀の伝記「仏伝図」が刻まれています。
展示品にはマハーサーラカーム大学監修の日本語解説が付いていましたので、全体像写真の下に添付しておきます。























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中庭に展示されている結界石です。カーラシンを中心に各地の遺跡で発掘された結界石が展示されています。

































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博物館の解説地図で、イサーンのドヴァラヴァティー遺構の所在地を示しています。
最も重要な遺跡がカーラシンの「ムアン・ファー・デート・スーン・ヤーン」ですが、まだ行ったことがないので、次回の訪問地候補とします。

チャチョェンサオのロイ・クラトン祭り (4)

2014年03月13日 | チャチョェンサオ
■チャチョェンサオのロイ・クラトンの最後です。
午後9時過ぎに川の中ほどからの打上げ花火が上がり、橋梁に設けられた仕掛け花火に点火されます。

「チャチョェンサオ」ですが地元の人は「ペートリュウ」と呼びます。





バーンパコン川に架かる橋です。2011年にアユタヤを始めタイ中、北部を襲った大洪水では溢れた水をこの川へ迂回させようと、ポンプで排水していましたが、中部と比べてバーンパコン川流域は1mから1.5m土地が高く、結局は徒労に終わっていました。その時、水を少しでも速く流そうと、この橋の下に舟を並べてスクリューを回していました。
ここから河口まで50kmほどしかなく、朝夕の満潮時には毎日流れが逆流します。結局チャチョェンサオ市内も深いところで膝辺りまで冠水してしまいました。
昨年は東部での降雨が激しく、東部一帯で洪水被害を出しました。工業団地は過去の教訓から少しは防水対策がされていたようですが、工業団地へ通じる道路や周辺住宅が冠水し、通勤や物流に支障をきたして生産ラインを止めた工場がたくさんあったようです。チャチョェンサオ市周辺も1か月以上にわたって冠水していました。



















花火が終わって、午後10時になりましたが、まだまだ人出は多いです。人込みを歩き回って疲れました。ホテルへ戻り休息です。
午前0時にワット・ソトーンの前で花火が揚がります。それを待つことにします。

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■午前0時前、カメラをセットして花火を待ちます。

寺院の塔より高く上がる花火です。
実はこの年は、三日前にワット・ソトーンの祭りがありました。前日のボートレース同様ロイ・クラトンの行事ではなく、ワット・ソトーンの行事と偶然に日が重なったのかもしれません。








チャチョェンサオのロイ・クラトン祭り (3)

2014年03月12日 | チャチョェンサオ
■ロイ・クラトンとの関係はあるのかどうか分かりませんが、前日に催されたボートレースです。バーンパコン川に架かる橋の上流で行われました。
4日前にワット・ソトーンでお祭りがありました。その一環行事の奉納ボートレースかも知れません。たまたま日にちが前後しているのかも・・・。

漕手12名の小型艇の競漕です。





競漕を終えた中型艇です。漕手は1列に腰掛けています。





大型艇の競漕です。舷側に上がる水しぶきに迫力があって、漕手の息遣いが伝わってきます。







力を出し切りました。

橋の上から競漕を見守る人たちです。

競技を終えた艇が帰路に就きます。



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川沿いには舞台も設置され、劇や歌謡ショーが催されています。

地元のちびっこによる寸劇です。

歌謡ショーです。前座でしょうか、観覧席には空席がたくさんあります。







こちらは有名な歌手でしょうか、舞台を取り巻く人が道路まであふれて鑑賞しています。



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「コーム・ロイ」という熱気球です。薄紙で造った紙袋の下に固形燃料があって、点火すると膨張した空気で浮き上がるという仕組みです。
チェンマイではロイ・クラトンの日に一斉に揚げるのが有名です。
一個20~50バーツで売られています。皆で協力しながら揚げるのに意義がありそうです。







電線に引っ掛ったコーム・ロイが電線を燃やしています。燃え上がっていても誰も気にしないのがタイです。

チャチョェンサオのロイ・クラトン祭り (2)

2014年03月11日 | チャチョェンサオ
■チャチョェンサオのロイ・クラトンです。

暗くなるにつれ人出がどんどん増えてきます。

街路樹には無数の電飾が灯されています。
タイの電力事情はあまりよくないのですが、街中では煌々と明かりが灯ります。

仏教行事です。川沿いの中間あたりにはワット・ソトーンの仏陀が安置され、手を合わせる人が絶えません。



川沿いの広場には屋台が並びます。夕食や飲み物を求める人で埋め尽くされます。



女性が焼いているのは「カオ・キァップ」と呼ぶ、もち米を搗いた「かき餅」です。上手に大きく薄く伸ばしながら焼き上げます。



「カオ・ワン」、竹筒にもち米、小豆、ココナッツの果肉を入れ蒸し焼きにしたもので、竹を割って食べます。
タイの道路を走ると道端で売っているのに必ず出会います。作り方は、地方によって差異があるようです。



こちらの女性が扱っているのはお菓子のようです。

着飾った二人の少女は飲み物を売っていました。

「カイ・ノック・カッター・トート」、「ノック・カッター」は鳥の名前ですが和名は「ウズラ」でしょうか?、25X33mm程の小さな卵を産みます。小さな目玉焼きです。
参考に親鳥の写真を下に添付します。


果物「カヌン」の実を取り出している所です。「カヌン」も和名はわかりませんが、大きな実は80kgになるものもあるようです。

「ムー・サテー」豚肉の串焼きをカレー風味の出汁をつけて食べます。

「プラー・ニン・ヤーン」「プラー・ニン」は「ティラピア」、「イズミダイ」とも呼ばれるタイにとっては外来魚で、天皇陛下が皇太子時代に食糧難のタイに贈ったアフリカ原産の淡水魚です。タイは池といえども塩分が多く、汽水域でも生息できるプラー・ニンが大繁殖しています。「ニン」は当時の明仁親王の「仁」を充てられたそうです。
腹部に香草を詰め、塩をまぶして焼きます。白身の淡白な味で、身をほぐしてそのまま食べてもよいですが、醤油を付ければさらに美味しくいただけます。
養殖が盛んで、稚魚から4か月もすれば成魚に成長します。

「プラー・ニン」を焼く女性ですが、炭火で汗だくになっています。

緑色が「ロー・チョン」、黒色が「チャオ・クワイ」でココナッツミルクを入れて食べる嗜好品です。特に女性がよく食べています。







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クラトンのコンテスト会場です。



ムエタイも行われています。



地元大学生の演奏会です。

地元をテーマにした写真コンテストの展示が行われています。



このおじさんはチャチョェンサオで催しがあるといつも現れます。催しがないときは「バン・マイ市場」でパフォーマンスしています。

記念撮影をすると顔が結構ゆるんできます。

OTOPの会場です。地元の色々な商品が並びます。

ミニチュアドールを製作販売しています。