■コーン・ケン国立博物館は広い敷地の中にあって、発掘された結界石が屋外のあちらこちらにサークル状に立っています。砂岩で造られたものが大半で、摩耗が激しかったり、彫刻が施されていないものや壊れているものがほとんどですが、とりあえず全て写真で紹介します。
博物館の裏側には背の高い結界石が集められています。後方の赤い屋根が博物館の建屋です。
こちらは博物館の左側です。
博物館の右側になります。
木の根元に壊れた結界石が置かれています。
ここも割れた結界石です。
仏陀坐像が薄っすらと残っています。
右はラテライトで造られた大きな結界石です。
クメール神殿に祀られていたヨニもあります。
図面はカーラシンの「ムアン・ファー・デート・ソーン・ヤーン」の遺跡1、2の発掘時の結界石配置状態です。
左の遺跡1は11mX22m、右の遺跡2は6.7mX8mの聖域になっています。
(コーンケーン国立博物館のガイドブックより)
博物館の右手には1m程の高さで囲った屋根付の建屋があって結界石が多数展示されています。
先細石柱という説明とジャータカの一場面という解説ですが、解説文が薄れてしまって読めませんでした。
プロレスの「コブラ・ツイスト」という技を思い浮かべました。
タイの仏陀像で半跏倚坐(はんかいざ)を初めて見ました。
未完成品でしょうか・・・。
苦行生活を終えた仏陀が村娘スジャーターから乳粥(にゅうひ)を受ける場面と解説されています。
「マハハムサ・ジャータカ」の一場面という解説があります。9世紀から10世紀の結界石でカーラシンで発掘されています。
2世紀頃にはビルマを経由してタイ西部のカンチャナブリーに仏教国をモン族が成立させます。が、タイ中部には東から勢力を伸ばしていたクメール族のヒンドゥー国フーナンが支配しています。フーナンの力が衰える6世紀にモン族が東へ勢力を伸ばし寺院を建立していきます。仏塔の壁面には素焼き粘土や漆喰を用いたジャータカで装飾されます。そんな意匠が9世紀にイサーンまで伝わりました。ジャータカは500話以上の物語があるようですが、刻まれている絵柄はどれもよく似たモチーフになっています。ただ、相貌はモン族の特徴をよく表しているようです。
博物館の裏側には背の高い結界石が集められています。後方の赤い屋根が博物館の建屋です。
こちらは博物館の左側です。
博物館の右側になります。
木の根元に壊れた結界石が置かれています。
ここも割れた結界石です。
仏陀坐像が薄っすらと残っています。
右はラテライトで造られた大きな結界石です。
クメール神殿に祀られていたヨニもあります。
図面はカーラシンの「ムアン・ファー・デート・ソーン・ヤーン」の遺跡1、2の発掘時の結界石配置状態です。
左の遺跡1は11mX22m、右の遺跡2は6.7mX8mの聖域になっています。
(コーンケーン国立博物館のガイドブックより)
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博物館の右手には1m程の高さで囲った屋根付の建屋があって結界石が多数展示されています。
先細石柱という説明とジャータカの一場面という解説ですが、解説文が薄れてしまって読めませんでした。
プロレスの「コブラ・ツイスト」という技を思い浮かべました。
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タイの仏陀像で半跏倚坐(はんかいざ)を初めて見ました。
未完成品でしょうか・・・。
苦行生活を終えた仏陀が村娘スジャーターから乳粥(にゅうひ)を受ける場面と解説されています。
「マハハムサ・ジャータカ」の一場面という解説があります。9世紀から10世紀の結界石でカーラシンで発掘されています。
2世紀頃にはビルマを経由してタイ西部のカンチャナブリーに仏教国をモン族が成立させます。が、タイ中部には東から勢力を伸ばしていたクメール族のヒンドゥー国フーナンが支配しています。フーナンの力が衰える6世紀にモン族が東へ勢力を伸ばし寺院を建立していきます。仏塔の壁面には素焼き粘土や漆喰を用いたジャータカで装飾されます。そんな意匠が9世紀にイサーンまで伝わりました。ジャータカは500話以上の物語があるようですが、刻まれている絵柄はどれもよく似たモチーフになっています。ただ、相貌はモン族の特徴をよく表しているようです。
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