の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

クイッティオ「ホイ・カー」

2015年11月29日 | ピサヌローク
タイを代表する料理で、屋台の定番でもあるクイッティオという米粉麺があります。極細麺のセンミー、細麺で日本のそうめんよりやや太めのセンレック、ワンタンめんのようなセンヤイの3種類のめん太さから選んだものを湯がいて、鶏がらスープと、空芯菜、魚の練り物や、豚肉などの具を添えたもので、食するときには粉砕した唐辛子、ナンプラー、砂糖、酢で自分の好みに味付けをします。日本人には、あっさり味の鶏がらスープに粉砕した唐辛子を入れただけがあっているようにも思います。
そんなクイッティオ屋がナーン川沿いの道路に、ヨージヤ・ヘリテージ・ホテルを挟んで数軒かあります。みんな姉妹店のようです。





「クイッティオ・ホイ・カー」というクイッティオの専門店でピサヌロークノの名物になっています。昼時はワット・ヤイの参拝客やテレビで紹介されたらしく、店のうわさを聞き付けた客で満席です。
ワット・ヤイに一番近い店に来ましたが、お客がいっぱいで、さらに奥の店に移動します。

一番奥にある店です。小さな店ですが、混み合っています。



ホイ・カーの名前は写真のように足を垂らして座るところからきています。冒頭の写真の看板ではめん鉢に足を垂らして座っている絵がついていますが、ホイ・カーをイメージしたエムブレムです。

空いた処に相席で座ります。

厨房は写真の夫人が一人で切り盛りしているようです。

クイッティオです。

店横の屋台から揚げワンタンと揚げ豆腐を別注文しました。

タオ・ハイで拾った陶片(2)

2015年11月26日 | ピサヌローク
タオ・ハイ窯の特徴の一つが低温焼成の土器片が陶器片と一緒に出土することです。同じ窯で土器も焼かれていたようです。
叩き成形で叩き棒に彫られた模様を器面全体に叩きつけています。

実にたくさんの模様があり、並べてみました。














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拡大写真も添えます。











破片の大きさは縦横11cmほどあり、曲率の大きさから、相当大きな壺であったことがうかがえます。ほかの破片の曲率も同様に、かなり大きいです。


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土器壺には頚があります。



鍔縁の小皿です。

土器より焼成温度が高そうです。ロクロ成形で、全面に施された叩き模様が頚回りだけになっています。





ケンディ(水注)の口部です。

陶器にも掲載しましたが、焼成温度が低そうなので再掲載します。
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同じ地層に磁器破片もありました。

呉須の不純物が多く、時代が古そうです。







赤絵もありました。

サンカロークの青磁も混じっています。

タオ・ハイで拾った陶片(1)

2015年11月25日 | ピサヌローク

ナーン川淵で拾ったタオハイ窯の陶片を接着してみました。
焼締「ライ・ウー」文壺です。底周縁は大きくめくり返して張り出しています。
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この壺は14世紀のスパンブリーのバン・ブーン窯の焼締印花象文壺です。タークのミャンマーとの国境山岳地帯で出土しました。
●胴径:37cm、全高:47cm
タオ・ハイ窯の壺は口部が欠損していますが、この壺と非常によく似た形状をしています。

この瓶はバン・プーン窯に面したターチン川で拾ったものですが、やはり底部がおおきく張り出しています。クメールの瓶とも共通しますが、シー・サチャナライやスコータイでは見かけない形状です。


シーサケットのジャヤヴァルマン7世時代のクメール遺跡発掘現場に捨てられていたバラスター壺の底部分です。
ちなみに、この壺には底に角穴が開けてあります。
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シー・サチャナライのライ・ウー文の焼締壺です。底周縁が多少せり出していますが、タオ・ハイ窯ほど大きくはありません。

やはりシー・サチャナライの焼締ライ・ウー文壺ですが底の張り出しはさらに小さくなっています。2点とも底に孔が穿ってあり、骨壺として用いられたようです。
●口径:21cm、胴径:28cm、底径:13cm、全高:35cm
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タオ・ハイ窯の球形をした焼き締め瓶です。
残念ながら反対側はぱっくりと割れています。

焼き締め小壺です。


焼締鉢です。底は回転糸切跡が残り、白泥が塗られています。この形の破片はたくさん投棄されていました。

直径28cmの壺の底部です。内側には白化粧に灰釉掛け、底面には白泥が塗られています。底の大きさから推測するとかなり大きな壺だったようですが、その割には薄すぎる肉厚で、全体の重さに耐えられず焼成中に割れたようで、破断面には緋色がでています。

この陶片も鉢の底ですが、回転糸切で白泥が塗られています。



蓋のつまみです。
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●白化粧の施された壺の破片です。タオ・ハイ窯の名前の通り、壺の破片が大半を占めています。


タオ・ハイ窯の壺の特徴は、球状の器形で口部は頚がない、または極端に短く造られています。また、口部内側に引っ付き痕が残り、重ね焼きの方法が分かります。



かなり大きな壺の破片ですが、内外面ともに白化粧がされています。


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●黒釉壺の破片です。


壺の底面には黒釉が塗られています。







壺の肩に箆で施された波文です。クメールにも多い模様です。

外側は黒釉ですが、内側には白化粧に鉄釉が刷毛塗りされています。この技法は多用されたようで、たくさんの陶片を見かけました。






タオ・タ・パー・チャオ・ハイ(タオ・ハイ窯)

2015年11月22日 | ピサヌローク


「ワット・タ・パー・カオ・ハイ」の山門です。この寺院の裏手、ナーン川沿いに15世紀のタ・パー・チャオ・ハイ(タオ・ハイ)窯跡があります。

寺院の屋根飾りです。

寺院裏のナーン川です。
2012年4月16日、シー・サチャナライでソンクラーンを過ごした帰り道に寄りました。

2011年はタイ中部一帯が大洪水、アユタヤの工業団地が冠水して日本の工業生産にも影響を及ぼし、日本のニュースでも報道された年ですが、ピサヌロークでもまだ洪水の爪痕か残っています。



楕円形をした煉瓦製黄焔式地上窯ですが、窯内部にも洪水で持ち込まれた泥が堆積しており、焚口がどちらかよく分かりません。



ナーン川の下流方向です。

ナーン川上流を見ます。

青花の破片も落ちています。
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2012年6月2日、シー・サチャナライへ遊びに行く途中で寄ります。
窯を覆屋するための支柱が撃ち込まれています。





幅3.5m、長さ7.5mの楕円形をしています。
写真の下方向が焚口でしょうが、窯床に堆積した泥が全部取り除かれておらず、火床と製品置き場の段差がありません。



楕円窯の長手方向(煙道側)に接してもう一つ窯が築かれていたようです。窯壁に一部が露呈しています。



煉瓦の積み重ね部の拡大です。

よく見ると支柱を建てるために掘られた穴が窯壁を崩しているのが分かります。

積まれた煉瓦を拡大します。

中ほどにも重なった煉瓦を認めます。

写真では見分けにくいですが、ここでも窯跡を寸断しています。

ここにも窯の痕跡があります。

この一帯にはおよそ80基の窯が築かれていたようですが、1基だけを保存するという、実に乱暴な作業が行われているようです。
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窯近くの川淵の土手からたくさんの陶片が露出しています。









土手を削れば、投棄された陶片が出土します。




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2012年9月2日の訪問です。展示屋根がかなり出来上がっています。



保存建屋の図面です。

完成予想図です。


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川淵に下りて、めぼしい陶片を採取して帰ります。



















壺底部分の張り出しは、スパンブリーのバン・プーン窯の形状と共通点があります。シー・サチャナライではあまり見かけない形状です。
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そして完成したのが写真です。展示場の回りもきれいに整備され、物原も埋められています。








ワット・ラーチャブーラナ

2015年11月21日 | ピサヌローク
ワット・ヤイと国道12号線をはさんだ南側のナーン川畔にスコータイ時代に建立された「ワット・ラーチャブーラナ」があります。
リタイ王の治世に修復(ブーラナ)され現在に至ることから付けられた名前だと考えられています。



本堂のひさしは優美な三つ頭のナーガで装飾されているようですが、写真に写っていませんでした。

入り口のヤーク(日本では仁王さん)がなぜかサングラスをかけた兵士俑です。

帽子を被せてみました。

まずはご本尊に参拝です。

本堂の周囲には展示棚があります。本品はタイの将棋です。

前期アユタヤ王朝の滅亡と前後してタイの主要窯も生産が終わります。変わって中国からの磁器輸入が主流になります。ラッタナコーシン王朝時代の輸入磁器です。

黒釉小壺がタオ・ハイ窯でしょうか、サンカロークとは趣が違うようです。



様々な陶磁器が展示されています。

黒釉壺は近世の四川省の壺です。食品を入れてタイにもたらされました。


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アユタヤ時代の磚仏です。

陶製はスコータイ時代の磚仏です。

リラー・スコータイと呼ばれる遊歩仏の磚仏です。






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ラーマ4世時代の壁画です。ラーマヤナが描かれているそうですが、剥離が進んで全体像が分かりません。








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木の上に僧侶の座像が安置されています。



ヒンドゥーの神々が菩提樹の下に祀られています。





ナレースワン橋です。