の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ラーチャブリーにドヴァラヴァティーを訪ねる(6)

2014年08月04日 | ラーチャブリー

「遺跡番号18」は「ワット・クローン・スワンキーリ」の奥にあります。

お寺の敷地内にある「バン・クー・ブア博物館」です。
クー・ブアの住民組織が設立した博物館で、1階は「クー・ブア環濠遺跡」からの出土品、蝋人形による博物館設立の過程やタイ・ユアン族の生活様式を展示、2階はタイ・ユアン族の織物、パー・チョクを中心にラーチャブリーに居住する少数民の衣類が展示されています。
クー・ブアのタイ・ユアン族は1804年、タイ北部のチェン・セーンから奴隷として連行されてきた人々が始まりです。





階段を下りて行きます。

1階の展示室です。「クー・ブア遺跡」の出土品が展示されています。

ドヴァラヴァティー仏の複製品です。

こちらも複製品のようです。

発掘品です。

漆喰製の菩薩像です。











小品の漆喰製頭部です。




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地域の民具が展示されています。

「バン・クー・ブア博物館」建設の会議中です。



妊婦と産婆さん、お産です。






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再び2階へ上がってきました。

2階は「タイ・ユアン」族の織物を中心に展示されています。

織模様の見本帳です。

「ティーン・チョク」を用いた「パー・シン」(筒スカート)が展示されています。





「パー・シン」は基本3部位から成り、裾部分が「ティーン・シン」、真ん中で一番幅の広い「トア・シン」、そして上部の腰部分の「フア・シン」から成り立ち、写真の品は「フア・シン」が赤色の「パー・デーン」と白色の「パー・カオ」そして継ぎ部分の白色の小さな布「パーオ(テープ・パー・シー・カオ)」で構成された伝統的なものです。









引き出しの中にも古布が保管されています。

















「タイ・ユアン」の部族です。
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クー・ブアの織物を販売している区役所の敷地内にある「ラーチャブリー・タイ・ユアン協同組合」の運営するOTOPへ寄ってみました。



クー・ブア遊覧の記念に安いものがあれば買おうと思ったのですが、2人の美女が穿いている「パー・シン」で17,000バーツの値札が付いています。



「ティーン・チョク」だけなら安かろうと棚から出してもらったのですが、どれも15,000バーツです。
「パー・シン」が17,000バーツで「ティーン・チョク」がこの値段は高すぎるのでは・・・との申し入れに対して13,000バーツまで値下げると言うことでした。



全幅をチョク織りされた生地です。
すごく気に入ったのですが19,000バーツ。製作期間は8ヶ月ですが、高すぎます。
来客のタイ人の女性一行が価格交渉をしていましたが、一切値下げしないようです。

一般の店にも寄ってみました。
多少価格は安いようです。


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織物工場を覗いてみました。経糸を用意しています。

伝統工芸と呼んでいいのか分かりませんが、若い女性は従事していません。技法が伝承されず、いずれ消えていく運命にあるようです。



こちらの女性がチョクを織っています。「コン・メン」と呼ぶヤマアラシの毛で出来た針を使い、模様に合わせて経糸を拾い、色糸を通していきます。彼女の話では1日に4、5cmしか織れないそうです。



織物の上に載っているのが「コン・メン」です。

こちらでは水色の生地を織っています。





手間暇のかかる織物です。

模様として織り込む緯糸です。
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結局お土産に一品購入してしまいました。

それぞれ模様に名前が付いています。

「フア・シン」と「トア・シン」の縫い合わせを「コット・フア・メンダー」と呼びます。
「メンダー」(タガメ)です。

「トア・シン」の模様です。
一番上が「コー・リョウ・チョーン・カン」、次のナーガ模様のような大きなジグザグは「クー・ソン・シア」、その上下にあるある花を「ドーク・チャーン」。
中央部の菱形は「プラー・ノック」二羽の鳥が横向きで魚の形をしている所から命名されたようです。その間の小さな菱形は「ドーク・ケーオ」と呼びます。
「ドーク・ケーオ」の花です。



「ティン・チョク」です。



「コン・メン」です。
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■帰路は「メー・クローン」沿いの道路を「サムット・ソンクラーム」から国道35号線に出てバンコクへ戻ります。
ソム・オー(ザボン)を買うため「バン・ノイ水上マーケット」へ寄りました。

「陳森合博物館」があるので覗きます。以前は倍の広さで展示していたのですが、縮小して再開館したようです。



中国製の壺です。コンテナーとしてタイに入って来ました。

メー・クローン川沿いで焼かれた土器鍋です。

こちらはシンブリーの壺です。

国道沿いで「リンチー」を購入、粒の大きいが1kgで360円です。市場で買うよりは割高です。

ラーチャブリーにドヴァラヴァティーを訪ねる(5)

2014年08月01日 | ラーチャブリー
「クー・ブア環濠都市遺跡」はラーチャブリー市街からメー・クローン川の下流8kmにある7世紀から8世紀に栄えたドヴァラヴァティーの都市国家の一つで、10世紀から11世紀にメー・クローン川の流れが変化して衰退したと考えられています。
幅800m、長さ2kmで南北に長い環濠と土塁で囲まれています。環濠内外で60カ所の遺跡が登録されています。

今回は赤印の3カ所の遺跡を訪ねてみました。上から「遺跡番号3」、「遺跡番号8」、そして環濠の中心に位置する「遺跡番号18」です。
■「遺跡番号3」は環濠の外側、北西の角にあります。約7mの方形の基壇が残っています。
遺跡へ向かう途中の「バン・クー・ブア」の鉄道駅です。

遺構の横は環濠です。

北側から遺構を見ます。



二重基壇の頂上部は崩壊しています。



基壇の上に2段で漆喰の像が嵌められていた壁龕があります。
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■遺跡番号8、「ワット・クー・ブア」です。一辺が20.8mの方形で、高さ5・4mとなっています。










基壇に上は壁龕となっていて漆喰の装飾がされていました。





遺跡の上に登ってみました。

全面を蔓草が覆っています。

漆喰の塊が落ちていました。掘り返しましたが摩耗して像は消えています。
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■「遺跡番号18」、「ワット・クローン・スワンキーリ」です。クー・ブア環濠都市の中心にあって、幅22・2m、長さ43.5m、高さ5.5mの最大の遺跡です。

手前、18号遺跡の東北に12.8mの方形、高さ1.2mの基壇が残っています。

東側が正面です。遺跡に登れる緩やかな階段があります。

遺跡の上に登って行きます。

遺跡上部にはさらに、幅7・5m、奥行き12.5m、高さ1.5mの煉瓦積みがあります。
かってはこの上に法輪が祀られていたのでしょうか・・・。

北側壁面です。

基壇のラテライトの上に塗られた漆喰が一部残っています。



南側の壁面です。

基壇はラテライトで1.45mあります。その上に蓮華を模した基壇の煉瓦積み、上段は縦柱と龕が交互に並んでいます。柱の間は仏像で埋められていたのでしょう。







西側から見ます。



遺跡横の祠に安置さてている仏塔の尖塔部です。

■遺構の大きさの割には出土した、焼成粘土や漆喰の装飾、仏陀像が少ないようです。また、環濠周辺からの出土を明示した法輪や石仏像が博物館にも展示されておらず不思議です。
メー・クローン川の流れが位置を変え、人々は南の半島へ移住したと解説されていますが、仏像や法輪はナコーン・パトムへ移されたのでしょうか・・・。それとも侵攻したアユタヤのタイ人が持ち去ったのか・・・。ナコーン・パトム出土の法輪の数が異常に多いし、アユタヤで法輪やドヴァラヴァティー仏が出土しています。
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■バンコク国立博物館に展示されている「クー・ブア環濠遺跡」からの出土品です。
「遺跡番号10」の出土品で5名の女性楽士です。遺跡の壁面龕を装飾していた漆喰彫刻です。左から2人目の右手を腿に置いた女性は楽器を持っていないので歌い手です。8世紀から11世紀の制作です。

貴族の女性と解説されています。

こちらも貴族の像と解説されています。





ここまで「遺跡番号10」からの出土品です。

「遺跡番号40」から出土の焼成粘土の観音菩薩立像です。6世紀から7世紀の造形です。





「遺跡番号40」の観音菩薩像です。







遺跡の壁面に貼られていた仏陀立像です。

同じく仏陀立像です。



「遺跡番号40」出土の焼成粘土製獅子像です。

右は6世紀から9世紀、左上は9世紀から11世紀の表示で「クー・ブア」出土の焼成粘土製と表示されています。観音菩薩像でしょうか。

ドヴァラヴァティーの漆喰製の仏頭です。
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「ポン・トゥク」で発見された5世紀から7世紀のビザンチンランプです。

ラーチャブリーにドヴァラヴァティーを訪ねる(4)

2014年07月31日 | ラーチャブリー

■ラーチャブリー周辺の発掘品を蒐集、展示している「ラチャブリー国立博物館」を訪れてみます。
「メー・クローン川」沿いの道路から見た博物館です。

ラーマ5世統治時代の1922年、役所として建築されたものを1983年に博物館として改築されました。

入場券です。20バーツでした。
「ラーチャブリー国立博物館」のパンフです。
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紀元前から東南アジア圏内の交易を物語る、青銅鼓です。ラーチャブリー国立博物館には「クー・ブア遺跡」出土の3点が展示されています。
青銅鼓はベトナム北部で紀元前4世紀から紀元2世紀に栄えたドンソン文明が有名ですが、タイ国内の発掘は中部をはじめ、東北部、北部、南部と広範囲にわたり、紀元前5世紀から製作されていた中国、雲南からも持ち込まれています。
富と権力の象徴で宗教儀礼や雨乞い儀式、戦で兵に時刻を知らせるため等に用いられたようです。



前史時代の発掘品です。西部山岳地帯の出土品が多いようです。






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ドヴァラヴァティーの環濠都市跡(赤丸印)と同時代の海岸線です。水色部分が現在のタイ湾、臙脂部分が当時の海域です。青の四角印は現在の県庁所在地です。

交易ルートの描かれた地図です。

漢時代の陶器です。「メー・クローン」の川床から水揚げされています。



7世紀から9世紀の唐時代の青磁壺です。長く川中にあったため釉薬の剥離が進んでいます。

唐時代の青磁碗です。

手前の青磁碗は、10世紀から12世紀の宋時代の青磁碗です。

宋時代の青磁水差しです。

「ワット・マハータート・ウォラウィハン」出土の仏頭です。ドヴァラヴァティーの美術様式を良く表す、端正で繊細なお顔の仏様です。



「クー・ブア」発掘の仏塔基壇が移設展示されています。



仏塔の外壁を飾った漆喰装飾です。

この顔立ち、非常に好いです。













仏塔の外壁を飾った焼成粘土像です。

仏陀倚座像です。



頭巾をかぶったアラブの商人です。







奉納された磚仏です。





青銅製の装身具です。

ドヴァラヴァティー時代の銀貨です。

「徳の高いドヴァラヴァティーの王」と刻まれています。
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■ベンガル湾一帯からタイ全土、ラオス南部まで勢力を伸ばしたドヴァラヴァティー王国も11世紀にはクメール帝国の覇権下となります
ジャヤヴァルマン6世(在位:1080年~1113年)統治時代にメー・クローン川東岸の「コシナライ」に960m四方の都城が築かれます。「チョム・プラサート」と呼ばれ、カーンチャナブリーの「ムアン・シン」へ通じる街道筋にあたります。「チョム・プラサート」から出土した八臂の観音菩薩像です。よく似た観音菩薩像が「ムアン・シン」からも出土しており、バンコク国立博物館に展示されています。







クメール時代の漆喰製壁飾りです。モン族(ドヴァラヴァティー)の文化様式を継承しています。

クメール時代の磚仏です。

12世紀から14世紀の白磁合子です。メー・クローンの川上がり品です。

南宋時代の白磁合子です。

11世紀から13世紀の宋時代の四耳壷です。メー・クローンの川上がり品です。

14世紀から15世紀の元時代の青磁皿です。

■クメール統治時代、スコータイ時代を通じての中国との交易中心地であったことが良く分かる川上がり品です。ラーチャブリーで船から降ろされた荷は陸路、またはターチン川を利用して上流のスコータイ、タークへ運ばれたようです。ミャンマー国境の山岳地帯の墳墓跡からは、タイの陶器と一緒にこれらの中国製陶磁器が大量に発掘されています。
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■1804年、ラーン・ナーのビルマ軍を駆逐したバンコク王朝はチェーン・セーンに住む「タイ・ユアン」族をバンコク建設奴隷として連行、建設後は「クー・ブア」で農奴としてこき使います。しかし、「タイ・ユアン」族は民族のアイデンティティーを守るため生活様式を変えず、民族の織物を織り続けてきました。


右が「ティーン・チョック」と呼ぶ巻きスカートのすそ部分です。タイ・ユアン族の織物で模様が民族の特性を表しています。



巻きスカートです。手間と時間を惜しみなく灌いだ、気の遠くなるような織工程で作られています。

現在の生産品の龍文甕です。

ラーチャブリーにドヴァラヴァティーを訪ねる(3)

2014年07月30日 | ラーチャブリー

■ラーチャブリー市街の北部、メー・クローン川近くにある古刹、「ワット・マハータート・ウォラウィハン」を訪ねます。
地元では「ワット・ナー・プラタート」または「ワット・パー・シー・ラッタナ・マハータート」と呼ばれ、創建は10世紀から11世紀のドヴァラヴァティー時代で、13世紀には侵攻してきたクメールの統治下でクメール様式に改築、さらに15世紀から16世紀にはスコータイ様式に改造されています。

東門、東向き寺院です。

寺院の塀です。クメール時代にラテライトで築かれましたが、アユタヤ時代に煉瓦製に変更されました。(現在はラテライトで復元されています。)



現在の地表と発掘された創建時の基礎部です。





礼拝堂です。ラテライトの基壇の上に煉瓦積みで建築されたアユタヤ時代のものです。






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■仏塔です。東向きでポルコチ(突き出た玄関部)のある24mの主塔と同じ基壇上の南、北、西に小塔を持つ構成で、17世紀にクメール仏塔を覆い被せる方式で建造されています。






ドヴァラヴァティーの石の鐘です。

アユタヤ様式の座仏です。



ドヴァラヴァティー様式の立仏像です。



ナーガに座るクメール様式の仏陀です。

破風の漆喰彫刻は太子出家踰城の図です。

太子剃髪の図です。













仏陀の頭も鳩にとっては止まり木代わりです。
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■回廊に安置された仏陀です。
仏塔の東に祀られているアユタヤ時代の寝仏です。

ドヴァラヴァティーの仏三尊像です。











ナーガに乗るガルーダです。赤色砂岩ですが摩耗が歴史を感じさせます。







寺院の外周が掘削されていますが、1m以上の土砂が堆積しています。
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堆積した土砂の下層からほじくり出した陶片です。雑な削り出しの磁器片などに混じって気になる欠片がありました。

底に大きな穴、立ち上がり面に無造作に開けられた穴、裏面の重ね焼きの後、よく付着した自然釉などから「匣」だと判断したのですが、この一帯で古代の陶磁器窯址は報告されていません。
発掘れているのは寺院周辺だけですが、もっと掘り進めば新しい発見がありそうです。

メー・クローン川東岸の「バン・コック・モー」にアユタヤ時代の窯址がありますが、低温焼成の日常品を生産していたようで匣が用いられた痕跡はありません。

山門近くの雑貨店です。
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■「ワット・マハータート・ウォラウィハン」の西方2kmの「カオ・グー」へ向かう国道3291号線沿いにある「チェディ・ハック」です。(ちなみに「カオ・グー」へはさらに4km西方になります。)
11世紀から13世紀に建立されたアユタヤの勢力が及ぶ前の仏塔です。塔頂部は壊れています。


手前の道路は国道3291号線です。









ラーチャブリーにドヴァラヴァティーを訪ねる(2)

2014年07月29日 | ラーチャブリー
■カオ・グー山頂に仏足石(ポーイ・パー・プッタバー」が祀られています。
「ターム・ファー・トー」の登り口から100m離れたところに「カオ・グー」山頂への登り口があります。階段は「ターム・ファー・トー」より急です。山頂の高さは128mです。



山頂付近は鑿で刻んだような鋭利な角の石灰岩です。

山頂の祠です。

仏足石です。後方の壇上にはアユタヤ時代の仏像がたくさん祀られています。







背後の山です。同じぐらいの高さがあります。

山頂から東を見ます。

下りは楽だろうと思っていたが、とんでもないです。
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■さらに500m程東へ行くと「ターム・チン」「ターム・チャーン」の洞穴があります。
「ターム・チン」です。入口側には仏龕に倚坐仏、奥には仏龕に座仏が彫られています。7世紀から8世紀に彫られた仏像ですが、アユタヤ時代に手を加えられたそうです。

倚坐仏の下半身は損傷が激しいです。





やはりアユタヤ時代の仏像が転がっています。

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「ターム・チン」から同じ登山道を進むと「ターム・チャーン」があります。元々は洞穴内全面に漆喰彫刻が施されていたようです。






入口は聖木マンゴーの漆喰彫刻が施されています。

マンゴーに続いて数体の神像が彫刻されていますが、剥離が激し過ぎます。





タイで一番古いと言われる涅槃仏像です。



涅槃の上には沙羅双樹が彫刻されています。

涅槃仏の向かい(北面)にも数体の仏像が彫られています。マンゴーの木の下で瞑想する仏陀、「シュラーヴァスティーの奇跡」が表されています。