の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

スパンブリーの寺院 (ワット サンパ シウ・3)

2022年03月20日 | スパンブリー
ドラえもん寺は簡単に終わらせて、ター チン川の下流にあるワット マナーオ博物館を紹介したかったのですが、ドラえもん寺がまだ終わりません。
ワット マナーオ博物館は二階建ての大きな博物館で、管理人の話では近隣の住民が持ち寄ったという前史時代の土器や装身具、アンコール近辺で作られたクメールの灰釉陶器、バンバンプーン壷、サンカローク陶器、そしてタイの窯業が終焉した後期アユタヤ時代以降の中国陶磁器が一階に、二階はドヴァラヴァティー、クメール、スコータイ、アユタヤ、ラッタナコシーンの仏像がたくさん展示されています。特にドヴァラヴァティー仏やクメール神像は秀逸で、紹介はまたの機会にしたいと思います。

ワットサンパシウの布薩堂外観です。






布薩堂へ入る門の彫刻です。ここにもドラえもんは隠れています。








ウルトラマンもいます。


この二人は西洋人のようですが、誰でしょう。

この聖域内にはアユタヤ時代の仏塔も数基残っています。
* * * * *

堂内の壁画に戻ります。右壁面です。






銃を持つ西洋人の軍勢が攻め寄せてくる画面です。岩を投げようとする男の服がドラえもん柄です。






ここには釜ゆでのドラえもんです。






どんな画面か知りませんが、画面上部の建物の中で拳をあげて怒るドラえもんです。




右壁面の上部の仏伝図です。池の中にドラえもんです。








一番下は当時の政治問題であった、黄シャツ、赤シャツ騒動へのプミポン国王のメッセージ「コンタイ ラック カン」です。


トイレの案内はのび太君としずかちゃんでした。

スパンブリーの寺院 (ワット サンパ シウ・2)

2022年03月19日 | スパンブリー
仏陀像の正面は修行中の釈迦と魔王マーラとその軍勢、下には釈迦を守るため髪の毛を振り絞り洪水を起こそうとする地母神(プラ・ダラニー)が描かれた降魔成道図です。








絵は上下2段に描かれ、天井側の上部は仏伝図、下が本生譚となっています。入り口や窓の扉には神々が描かれています。
咥えタバコで神を捧げる不埒者も居ます。
2枚目の壁画下に額装した写真が立てかけてありまが、写真には描かれたドラえもんが写っています。
これがドラえもんを探すヒントです。わずかに写り込む背景から場所を特定していきます。


左入り口扉の枠組みです。普段は扉が開いているので気付きません。


右側入り口です。絵師の手形が押してあり、その下に「この右手でワット サンパ シウの壁画を描いた(右手でご飯も食べる、蚊も叩く)」と書いてます。その横でドラえもんが右手を振っています。




枠模様の花の中にドラえもん、のび太君、ムーミンがいます。




右下でナーガを操る香具師(と言うのでしょうか)の服の柄がドラえもん、皆が触るので絵の具が剥がれていますが、、、




そして左壁面のジャータカを順に見ていきます。
これもなにか漫画の主人公かな、その陰にドラえもんです。









バラモンの後ろの扉に落書きされたタケコプターのドラえもん。






キリスト教、イスラム教、仏教折衷の寺院の棟飾り(チョー・ファー)に仮面ライダー、そして破風下の外壁に手垢で汚れた金色のドラえもんです。




パンダも隠れています。2003年にチェンマイ動物園に中国からパンダがやって来ました。忽ちタイ国内で大パンダブームが起こります。そんな世相を壁画に描き込んだのでしょう。他にも当時の政治問題であった黄シャツ、赤シャツ闘争が描かれています。






イサーンで大人気のヴェサンタラ・ジャータカです。チューチョックの若くて美しい妻、アミッダーが水汲み場でいじめられる場面です。




こちらも壁画制作当時に大ヒットしていたアングリーバードのキャラクターです。

スパンブリーの寺院 (ワット サンパ シウ・1)

2022年03月17日 | スパンブリー
「ワット サンパ シウ」、この古刹が一躍有名になったのは十数年前です。
当時、仕事場があったチャチョェンサオの寺院、ワット テーオ ターンの寺院壁画に「ドラえもん」が描かれていると知り、仕事を抜けだし見に行きました。この時、ワット テーオ ターンの壁画を描いた仏画師ラックキアット師がスパンブリーで手がけた寺院壁画にも「ドラえもん」が描き込まれていることを知りました。

下の写真は道路脇に立てかけられていたワット テーオ ターンへの道案内で、看板の中にはドラえもん壁画を報じる新聞の切り抜きがあります。








伝統的な中部タイの壁画様式で礼拝堂入り口から正面に仏陀像を安置し、その背後の壁画は須弥山、入り口は降魔成道図と釈迦を守る地母神です。釈迦の修行を妨害する魔王の軍勢の中にドラえもんが隠れています。
* * * * *

さて、話をスパンブリーに戻します。
ワット サンパ シウ では再建された布薩堂に2002年から仏画師ラックキアット師が壁画を8年がかりで制作します。上座部仏教の宇宙観や釈迦の生涯を描いた仏伝図、前世を描いた本生譚(ジャータカ)と近世中部タイの伝統的な仏画です。仏画師は大好きなドラえもんを隠し絵のようにあちこちに潜めました。














正面となる仏陀像の背面壁画からです。
須弥山を中心とする宇宙が描かれています。左右には月と太陽、左下にはヒマラヤの森とそこに住む半人半鳥のキンナラ、キンナリーさらにアノタッタ湖の人魚と怪魚が、右下には現世の業が描かれています。
さらにその下で仏陀像の後に地獄の情景が展開します。左には天界と地獄を自由に往来できるプラ・マライ長老、右は地獄の裁きを待つ亡者たちです。いました、その中にドラえもんとのび太君です。


釜ゆでのドラえもんもいます。
大きな壁面に小さなドラえもんです。みんな一生懸命探し、見つけ出すと指で押さえるのでしょう、ドラえもんが黒ずんでいたり、周りの絵の具が無残に剥がれています。写真は剥がれた部分を修正しています。


仏陀像の正面、右入り口側の壁画です。
この中には4ヶ所にドラえもんが隠れています。のび太君もいます。
種明かしは次回に………

スパンブリーの寺院 (1)

2022年03月12日 | スパンブリー


スパンブリーは県内に石器から青銅器へと続く先史時代の多数の遺構、その後にインドとの交易で繁栄したドヴァラヴァティー王国、12世紀から13世紀のクメール王朝、14世紀のスコータイ石碑に刻まれた”スワンナプーム王国”から15世紀に興るアユタヤ時代の重要な地域でした。
しかし、1760年にクラ地峡からアユタヤへ侵攻するビルマ軍に占領されます。この時の略奪と破壊によるものでしょうか、現在は歴史的遺構はほとんど残っていません。
ちなみに、アユタヤ王朝は再度南北から侵攻したビルマ軍によって1767年4月に陥落、426年続いた王朝は滅亡します。

地形図はスパンブリー国立博物館のアヤタヤ時代のパノラマ図です。写真左上が北、右下が南となり、中心を蛇行するのがターチン川です。川の両岸に幅1,900m、長さ3,600mの土塁と濠に囲まれた区域はアユタヤ王朝が興る前の14世紀のスワンナプームの都城、西岸の幅920m、長さ3,600mの区域は15世紀後半のアユタヤ時代に整備されています。

都城の中心にワット プラ シー ラッタナ マハタートがあります。そこを起点に川沿いの国道3507号線を北に5.5km行くと発掘調査されたバン・バンプーン古窯址が有ります。そこから1.7km戻るとワット プラ ノーンが有ります。その対岸辺りにワット サンパ シウがあります。


まず、ワット プラ ノーンに参拝です。
アユタヤ時代の1579年の建立と記されたものや、ラッタナコシーン時代とするものも有り、歴史は定かではありませんが、本堂に安置された涅槃仏が珍しい様式だというので参拝します。






タイで唯一の仰臥する2mの石造涅槃仏です。インドのクシナガラの涅槃仏を模刻したと言われています。
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次に参拝したのは、ワット プラ ノーンの対岸近くにあるワット サンパ シウです。
1314年アユタヤ王朝 (1351年~1767年)以前のスワンナプーム王国時代の建立です。
ビルマの属国となっていたアユタヤ王朝21代国王、ナレースワン大王 (1555年~1605年)は王位に就いた2年後の1592年にノーン サライで象による戦闘でビルマ軍を撃退、独立を果たします。その軍隊の調練をワット サンパ シウの協力でこの一帯で行なったそうです。




新しい寺門をくぐるとまずナレースワン大王の礼拝堂があります。入り口横の石版には、この寺院の古い名前「ワット サン バンチー」と記載してます。




広大な敷地にはたくさんの伽藍が並んでいます。カメラを持って歩いていると寺男が寄ってきて仏像を見たかと聞きます。返事に窮していると、こっちへ来いと足早に歩いて行きます。
礼拝堂まで来ると、参拝して少し待てと言いながら、背面の扉を開き、灯りを点灯しています。


木造で壁のない礼拝堂です。本尊の奥のガラスの中にはアユタヤ時代の青銅仏が並んでいます。




開帳してくれたのは、盗難防止の鉄柵とガラス張りの中に安置されたドヴァラヴァティー様式の青銅仏です。
1952年に寺の敷地内で発掘された1000年前の仏像です。横の棚には磚仏等が展示されています。

寺男は次に僧侶の写真を撮して行け、と別の部屋へ案内します。




僧侶はルワン ポー チャン師、93歳です。聖水を浴び、タンブンをしてお守りを戴きました。
金属製の表裏にそれぞれ十座仏、真ん中には異なるサンスクリット語が刻まれています。

ある情報で境内にバン・バンプーン古窯址が保存されているとありました。寺男に窯址を聞くと火葬場を指さしています。いや、いや、陶器を焼いた昔の窯だと説明、色々確認するとター チン川東岸には存在しないようです。
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実は、この寺院、日本人の間でも有名で、たくさんの人がブログで紹介しています。私が参拝しているときも日本人家族連れが来ていました。
その理由は次回で......

サム・チュック百年市場

2016年02月26日 | スパンブリー

ノイ川沿いのサンブリーから少し走行すると、国道340号線はター・チン川に沿って南下します。42kmでサム・チュックがあります。国道340号線のサム・チュック交差点を右折するとすぐにター・チン川を渡りロータリーに突き当たります。ロータリーを右へ行き、路上駐車でサム・チュック百年市場へ行きます。
ター・チン川を越えたところで右折していればサム・チュック百年市場に接してサム・チュック市役所があり、駐車場を利用できるようになっています。

各地の運河や川沿いに移住した華僑の古い木造長屋を利用して「百年市場(タラート・ローイ・ピー」として観光客を集めています。
その百年市場の草分けが「サム・チュック百年市場」です。2009年にはユネスコのアジア太平洋区域の文化遺産保護プロジェクトコンテストで優秀賞を受賞しています。



大半の百年市場は川(運河)に沿って、住居が連なり、長く突き出た川沿いの庇の下に歩道がついているのでが、サム・チュックは運河に向かって小路が伸び、碁盤目のおおきな集落が形成されています。



市役所駐車場側からの「サム・チュック百年市場」の入り口です。



先にあげた地図の右下に書かれた橋です。

橋上から集落を見ます。川沿いにはさほど民家が並んでいません。

脚橋の茶色い汚れは、増水時の水かさを示していますが、最高位になったときは溢れた水が確実に町を飲み込んでいます。
タイでは毎年、雨期の終盤に繰り返される洪水の痕跡です。

橋のたもとにある食堂で遅い昼食にします。

「カオ・ホー・バイ・ブア」、蓮葉で包んだ五目飯です。

店頭で蒸しているところです。

クイッテオです。

食後、市場を散策してみます。撮影した写真をランダムに載せておきます。

「出光」の看板です。





サトウキビのジュースです。




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華僑の徴税請負人の屋敷跡です。
蓄財に価値を置く華僑は未発達な流通、高利貸しを生業とし、各地の河川沿いに進出します。
商才に長けた華人は、貴族階級に取り入り独占的に税金の徴収を請け負います。
無知な農民から、あらゆる名目で搾取し私財を蓄えてきました。







それぞれの部屋で異なる輸入床タイルです。







主の寝室です。




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華人の祠です。









表札屋です。



























散髪屋さんです。

古き昭和の縁側将棋というやつでしょうか。

四人組の女性に記念撮影を頼まれました。当方のカメラにも納めさせていただきました。