の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ロッブリー カオ・サモ・コーンに寄道する

2014年04月26日 | ロッブリー
■「ワット・ライ」から6km離れたところに「カオ・サモ・コーン」という石灰岩の小高い山が連なっています。
博物館で行き方を尋ねて出発したのはいいが、どうも道を間違えたのか、教え方が違っていたのか予想以上に走行しています。引き返すかどうか迷いながら走っていると案内表示にでくわしました。結局は倍以上の遠回りをしてたどり着くことが出来ました。

「カオ・サモ・コーン」は古い歴史を持つ土地で、王立協会刊行の地誌辞典にはこの地の伝説として、「カオ・サモ・コーン」山系にはヨノック・チェイン・セーンのノーン・セー王朝以来から隠者「スッカタンタ・ルーシ」の居所があり、若き日のラームカムヘーン大王、パヤオのガーン・ムアン王、ロッブリー王が学ぶために滞在していた。と記載されているようです。

「カオ・サモ・コン」には古い四つの寺院があります。ワット・ライからの道順に「ワット・バンダイ・サムセーン」、「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」、「ワット・ターム・チャーン・プーアク」そして山頂近くまで登って「ワット・カオ・サモ・コーン」となります。
まず最初に出会う「ワット・バンダイ・サムセーン」は外壁を新しいラテライト積み上げた寺院で、寺門から内側を眺めると参道が山に向かって伸びています。寺の名前を直訳すれば「30万の階段寺」ですが、実際には30万段もの階段はないにしても、相当登らなければならそうで参拝を断念しました。寺院の建立は古く、境内には鍾乳洞があって、その前に礼拝堂とアユタヤ様式の古い布薩堂が建っているそうです。

「カオ・サモ・コーン」山系の一つでしょうが、道を間違えているためなかなか近づくことができませんでした。

石灰岩の山の上にはお堂が建っています。

■まず立寄ったのが「ワット・ターム・チャーン・プーアク」です。
「ワット・ターム・チャーン・プーアク」の寺門です。山頂の岩の上にお堂が見えます。

麓の岩に鍾乳洞が見えます。



扉がしてあり入って行くことができません。扉の隙間から見た洞窟内です。

山の上へ車で行こうとしたのですが、木陰で休んでいた地元の人が、階段を上った方が早い、と言うので歩くことにしました。山頂から見た麓の風景です。真ん中に見える池は、13世紀に造られた貯水池で、あたりには堤防も築かれているようです。同様の遺構は「タレー・チュップ・ソン」という所にも築かれているようです。
近くに川があって山があるこの地形はモン族が好む聖地と一致します。貯水池や堤防を築いたのはモン族のようです。

山頂の仏陀にお参りをしました。

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■「ワット・カオ・サモ・コーン」四寺院で一番奥の山の上にあります。
「ワット・カオ・サモ・コーン」へ向う山道の途中から全体を見ます。

山頂で巨大なハヌマーンが「カオ・サム・コーン」の山を担ぎあげています。

左手の岩山の上の堂内に仏塔が安置されています。

鍾乳洞があって、洞内に寝仏が安置されています。
門には「ターム・プラ・ノーン」(寝仏の洞窟)と書かれています。

鍾乳洞の入り口から、かなり降りて行きます。

安置されている寝仏です。

鍾乳洞の外でも破損した古い仏像を見かけましたが、洞窟内にも砂岩の古い仏像が数体安置されています。

鍾乳石のくぼみに壊れた石仏が置かれています。





こちらには隠者の祠があります。

鍾乳洞の内部は幾本にも枝分けれしています。







地上へ上がってきました。こちらは礼拝堂です。

ガイドブックには「釣鐘状の仏塔があって、12の壁龕を備えて、蓮の花が支えている。」と書かれていますが、この仏塔のことでしょうか、他には仏塔が見当たりません。



仏塔の建っているテラスから先に参拝した「ワット・ターム・チャーン・プーアン」を眺望します。

同じくハヌマーンを見ます。

寺院のお祭りがあったようです。麓に山車が置かれていました。

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■午後2時20分、まだ時間があるので戻り道に「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」に寄ります。



「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」」の境内の裏山に「パトゥー・ムアン・サン・カット・サ・ナコーン」と書かれた門があります。山頂にはモンドップや仏塔が見えます。
本堂は1914年に建立されビルマ様式の壁画が描かれているそうです。

山頂の仏塔です。寺名の由来の鍾乳洞も山の上にあるようです。ただ、40度近い暑さで登るのは見合わせました。

寺内の案内を見ると博物館があるようなので見学していきます。

入ってすぐに民具が展示されています。
日本でもかっては使っていた石製の粉引です。

1階は陶磁器で、近世の中国製磁器がほとんどです。

ベンジャロンです。

二階は仏像中心の展示になっています。

クメール時代からアユタヤ王朝時代の仏像が安置されています。

磚仏が展示されています。展示棚に鍵がかかっていますが、ガラスが割れたままです。写真を撮るには反射がなくていいです。





前史時代の装身具、もしくは紡錘です。

陰刻された黒色土器で前史時代のものです。その隣は赤色土器です。この一帯で出土したようです。



仏像の展示です。仏像の首にぶれ下げられているのは、仏像の説明書きです。
床も埃だらけで裸足で歩くのを臆する状態で、放置状態でした。





博物館を出てくるとシルエットになって、ネン(小坊主)が剣を振り回しているように見えたのですが、よく見ると乗用車のサイドモールでした。聞くところによると猿がサイドモールを剥がして逃げ去ったとのことで、1本は取り返したが、もう1本はどこへ持ち去ったかわからないという話です。

石灰岩の山を背後に控える広い境内をサイドモールを探して歩き回りました。
犯人を見つけました、サイドモールを盗んで山へ向かう猿です。
見つけた時は「おサルの籠屋」のように二匹の猿がサイドモールの前後を担いでいたのですが、途中で一匹が逃げ去り、写真のように一匹の猿が担ぎ直して立去ろうとしていました。



サイドモールを剥ぎ取られた乗用車です。

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■午後3時に「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」を後にし本日の宿泊地、ナコーン・サワンへ向かいます。
午後5時「マイ・ホム・リゾート・ホテル」にチェックイン、朝食付き800バーツです。このホテルはいつも団体の宿泊客が多いようで、今回もたくさんの男子学生がたむろしていました。

午後6時10分、部屋から見る落日です。

タイ・プアン族の出家を見にハー・シオ村へ行く (1)

2014年04月25日 | ロッブリー
■4月13,14,15日はタイの正月、ソンクラーンでした。「ソンクラーン」は別名「水掛け祭り」とも呼ばれ、年間を通じて猛暑の時期になりタイ全土が水の掛け合いに熱狂します。
その1週間前の4月7日にシーサチャナライのハー・シオ区域でタイ・プアン族の出家儀式が行われたので見物に行ってきました。
4月5日の土曜日に出発、途中の寄り道を含めて紹介します。

午前8時30分スタート、アウターリングロードから国道32号線でアユタヤを経由してシンブリーに入り、国道311号線を右折、さらに国道3028号線を左折して進むと「ワット・ライ」という古刹があります。
ひまわり畑で有名なロッブリー県の西に位置し、ロッブリー市街からは北西23kmの所にあります。
この寺院の礼拝堂の壁面にはアユタヤ王朝時代の漆喰レリーフが残っています。

「ワット・ライ」の寺門です。

地図内の星印が「ワット・ライ」の所在地です。

バンヤンの木陰に駐車します。

寺院内に博物館が併設されています。

まず博物館の見学からして行くことにします。訪れる人が少ないようで、入口には夏休み中の少年が寝転がっていましたが、玄関まで行くとあわてて館内の照明や扇風機を点けに走り去りました。

玄関を入った所に掲げれれている古い寺院写真です。かっては寺院裏には運河が通っていてラーマⅤ世がバンコクから船で訪れているそうです。

入口を入った所にテーブルがあって休息できるようになっているのですが、その横にさりげなく置かれていました。
この博物館の建設を発願した僧侶と僧侶が保持していた遺物のようです。
最近は仏陀の教えに反して僧侶の金ぴかの大きな像が安置されているのによく出会います。なかには仏陀像を凌ぐ大きな僧侶像もあります。是非はともかく、このような謙虚な展示にホッとします。

展示室に進み右手には陶磁器、古裂等が展示されています。
こちらはバンコク王朝初期に中国から輸入された五彩磁器ベンジャロンです。

このベンジャロンは2階に展示されていました。

サンカローク陶器です。

アユタヤ王朝時代にアユタヤ近郊で焼かれた低温焼成土器類です。

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二階へ上がってきました。まず正面には仏陀です。
「五仏」で「Kakusandha」(拘留孫仏・くるそんぶつ)、「Konagamana」(倶那含牟尼仏・くなごんむにぶつ)、「Kassapa」(迦葉仏・かしょうぶつ)、「Gautama」(釈迦牟尼仏)、「Maitreya」(弥勒菩薩)と解説されています。

中央は釈迦牟尼仏です。

左右の四尊はいずれが解説の仏像か分かりませんが、アユタヤ時代の等身大の青銅仏です。頭部、胴部、脚部と三分割して鋳込まれています。





五仏の右手に配置されているクメール様式の仏像です。砂岩で造形され黒漆が塗られています。本来はその上に金箔が貼られていたのでしょう。





五仏の左に配置された仏像です。

ウートン様式の金銅仏です。
凛々しいお顔立ちの仏様です。

中央にはアユタヤ時代に焼かれた壺が展示されています。アユタヤ近郊で焼成されたと思われますが窯址は特定されていません。
現在同様の焼き物はバンコク近くのクレット島でモン族が生産しています。

手稿本です。



手稿本の解説です。

23体の仏陀が浮押しされた磚仏です。
保存状態の良くないドヴァーラヴァティー王国時代の磚仏からアユタヤ王朝時代のものが展示されています。

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入口には来館者にふるまわれる「ミアン」が置かれています。

コーヒーや嗜好品もありますが、今回は暑いので冷水を頂きました。
勿論博物館は入場無料ですし、解説がタイ語、英語でしっかりとされているのに感動しました。


この方が色々と説明をしてくださいました。

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■博物館の次に礼拝堂の漆喰レリーフを見に行きます。
「ワット・ライ」の建立は、建築様式、美術様式から後期アユタヤ王朝の第30代国王、ナーラーイ大王(在位:1656年~1688年)統治時代と推定されています。
ナーラーイ大王は侵略を繰り返すビルマを撃破、逆にビルマへ侵攻、ペグーを支配下に置きインド洋側のメルギー等の港湾都市を活用し貿易国家として発展させました。またギリシャ人「フォールコン」を大臣に徴用し西洋諸国と外交関係を構築、とくにフランスへは数次に亘る使節団を派遣し西洋の新しい技術導入を図っています。ただフランスはナーラーイ大王が望む対等な関係ではなく、軍隊を派遣し貿易拠点としてバンコク、メルギーの割譲を要求してきました。
フランス勢力の台頭でアユタヤの独立を危惧した「ペートラーチャー」がクーデターを敢行、フォールコンを処刑、バンコクに駐留するフランス軍を兵糧攻めで撤退させます。こうしてアユタヤ王朝の第5番目の新王家が誕生します。
ナーラーイ大王はアユタヤの北50kmのクメール帝国の要衝であったロッブリーに副都市を建設しました。「ワット・ライ」はロッブリーから北西23kmの所に位置しています。
また、第34代国王ボーロマコート王(在位:1733年~1758年)統治時代に大補修が行われています。この時代は「平和なアユタヤ」と称され、仏教が繁栄しています。
しかし、ボーロマコート王のあと2代の1767年にビルマの総攻撃によってアユタヤは灰燼に帰することとなり、400年間続いたアユタヤ王朝は幕を閉じます。

現在残っているアユタヤ王朝時代の遺跡はビルマ軍によって破壊されつくしていますが、「ワット・ライ」はビルマ軍の進軍経路から外れていたのでしょうか、当時の装飾が美しく残っています。

礼拝堂正面です。

正面壁面の漆喰レリーフです。

博物館内に掲示されていた古い写真です。像の顔部が残っているのが分かります。管理人の説明では現在の彫像で顔部がオリジナルのものは2,3点しかなく他は夜間に盗難にあったようで、補修された顔がほとんどのようです。
あきらかに石膏の色調が異なっています。

壁面上部です。中心は天界で雨安居の三か月を過ごした仏陀が、聖地サーンカーシャに帰ってくる「従三十三天降下」を表し、周りの十の枠内にはタイの寺院壁画に好んで描かれるという「10ジャータカ」が施されています。

※10ジャータカについてはこちらのサイトに詳しく載っています。
「http://www.buddha-images.com/10jatakas.asp」(Thai Buddha images:The 10 Jatakas(Past Lives of the Buddha)

上部には18の天部が覗き込んでいます。







透かし窓の柱に施されている漆喰レリーフです。

礼拝堂に入る中壁の上部を飾る漆喰レリーフです。太子の出家が表されています。





柱装飾も精緻です。

高さ3.8mの本尊で、アユタヤ王朝時代の特徴を良く備えています。

礼拝堂の側面壁に安置されている仏像です。いづれも秀逸な顔立ちです。





礼拝堂後面を飾る漆喰レリーフです。











後方へさがって礼拝堂全体を見てみます。



境内には壊れた石仏もたくさん置かれています。

アユタヤ王朝時代のモンドップです。
「モンドップ」は寺院伽藍の一つで、尖塔をもつ四角い建物で、仏足石などが納められています。



上部には漆喰の装飾が残ります。

モンドップの内側です。隅に台座がおかれているだけです。

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一回りして博物館に戻ってきた時に、木造建築の彫刻を写真に撮ったか?という管理人の問いに「場所が分からない」と答えると、この場所まで来て説明をしてくれました。
1923年に建築された木造3階建の建造物で、当初は礼拝堂として建造されたようですが、現在は僧坊として使われているようですが、あちこちに補強が入り崩壊寸前のようです。

管理人が推していた四方の破風に飾られているガルーダに乗るヴィシュヌ神像です。

金ぴかに仕上げられた本堂です。



新しいモンドップです。
ガイドブックによるとラーマⅤ世の治世に礼拝堂が火災にあって、被害を受けた弥勒菩薩をラーマⅤ世はバンコクで補修、その後「ワット・ライ」へ戻しました。その弥勒菩薩を安置するために建築されたモンドップです。
扉は施錠されていて弥勒菩薩に参拝できませんでした。

四方の木製扉には精緻な彫刻が施されています。

池に浮かぶお堂です。ブラフマー(梵天)が祀られています。

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礼拝堂の外壁に立てかけてあった砂岩の彫像です。古いもののようですが、現代彫刻のような抽象的な形状がおもしろくて2体を紹介します。