■「ワット・ライ」から6km離れたところに「カオ・サモ・コーン」という石灰岩の小高い山が連なっています。
博物館で行き方を尋ねて出発したのはいいが、どうも道を間違えたのか、教え方が違っていたのか予想以上に走行しています。引き返すかどうか迷いながら走っていると案内表示にでくわしました。結局は倍以上の遠回りをしてたどり着くことが出来ました。
「カオ・サモ・コーン」は古い歴史を持つ土地で、王立協会刊行の地誌辞典にはこの地の伝説として、「カオ・サモ・コーン」山系にはヨノック・チェイン・セーンのノーン・セー王朝以来から隠者「スッカタンタ・ルーシ」の居所があり、若き日のラームカムヘーン大王、パヤオのガーン・ムアン王、ロッブリー王が学ぶために滞在していた。と記載されているようです。
「カオ・サモ・コン」には古い四つの寺院があります。ワット・ライからの道順に「ワット・バンダイ・サムセーン」、「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」、「ワット・ターム・チャーン・プーアク」そして山頂近くまで登って「ワット・カオ・サモ・コーン」となります。
まず最初に出会う「ワット・バンダイ・サムセーン」は外壁を新しいラテライト積み上げた寺院で、寺門から内側を眺めると参道が山に向かって伸びています。寺の名前を直訳すれば「30万の階段寺」ですが、実際には30万段もの階段はないにしても、相当登らなければならそうで参拝を断念しました。寺院の建立は古く、境内には鍾乳洞があって、その前に礼拝堂とアユタヤ様式の古い布薩堂が建っているそうです。
「カオ・サモ・コーン」山系の一つでしょうが、道を間違えているためなかなか近づくことができませんでした。
石灰岩の山の上にはお堂が建っています。
■まず立寄ったのが「ワット・ターム・チャーン・プーアク」です。
「ワット・ターム・チャーン・プーアク」の寺門です。山頂の岩の上にお堂が見えます。
麓の岩に鍾乳洞が見えます。
扉がしてあり入って行くことができません。扉の隙間から見た洞窟内です。
山の上へ車で行こうとしたのですが、木陰で休んでいた地元の人が、階段を上った方が早い、と言うので歩くことにしました。山頂から見た麓の風景です。真ん中に見える池は、13世紀に造られた貯水池で、あたりには堤防も築かれているようです。同様の遺構は「タレー・チュップ・ソン」という所にも築かれているようです。
近くに川があって山があるこの地形はモン族が好む聖地と一致します。貯水池や堤防を築いたのはモン族のようです。
山頂の仏陀にお参りをしました。
**************
■「ワット・カオ・サモ・コーン」四寺院で一番奥の山の上にあります。
「ワット・カオ・サモ・コーン」へ向う山道の途中から全体を見ます。
山頂で巨大なハヌマーンが「カオ・サム・コーン」の山を担ぎあげています。
左手の岩山の上の堂内に仏塔が安置されています。
鍾乳洞があって、洞内に寝仏が安置されています。
門には「ターム・プラ・ノーン」(寝仏の洞窟)と書かれています。
鍾乳洞の入り口から、かなり降りて行きます。
安置されている寝仏です。
鍾乳洞の外でも破損した古い仏像を見かけましたが、洞窟内にも砂岩の古い仏像が数体安置されています。
鍾乳石のくぼみに壊れた石仏が置かれています。
こちらには隠者の祠があります。
鍾乳洞の内部は幾本にも枝分けれしています。
地上へ上がってきました。こちらは礼拝堂です。
ガイドブックには「釣鐘状の仏塔があって、12の壁龕を備えて、蓮の花が支えている。」と書かれていますが、この仏塔のことでしょうか、他には仏塔が見当たりません。
仏塔の建っているテラスから先に参拝した「ワット・ターム・チャーン・プーアン」を眺望します。
同じくハヌマーンを見ます。
寺院のお祭りがあったようです。麓に山車が置かれていました。
***************
■午後2時20分、まだ時間があるので戻り道に「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」に寄ります。
「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」」の境内の裏山に「パトゥー・ムアン・サン・カット・サ・ナコーン」と書かれた門があります。山頂にはモンドップや仏塔が見えます。
本堂は1914年に建立されビルマ様式の壁画が描かれているそうです。
山頂の仏塔です。寺名の由来の鍾乳洞も山の上にあるようです。ただ、40度近い暑さで登るのは見合わせました。
寺内の案内を見ると博物館があるようなので見学していきます。
入ってすぐに民具が展示されています。
日本でもかっては使っていた石製の粉引です。
1階は陶磁器で、近世の中国製磁器がほとんどです。
ベンジャロンです。
二階は仏像中心の展示になっています。
クメール時代からアユタヤ王朝時代の仏像が安置されています。
磚仏が展示されています。展示棚に鍵がかかっていますが、ガラスが割れたままです。写真を撮るには反射がなくていいです。
前史時代の装身具、もしくは紡錘です。
陰刻された黒色土器で前史時代のものです。その隣は赤色土器です。この一帯で出土したようです。
仏像の展示です。仏像の首にぶれ下げられているのは、仏像の説明書きです。
床も埃だらけで裸足で歩くのを臆する状態で、放置状態でした。
博物館を出てくるとシルエットになって、ネン(小坊主)が剣を振り回しているように見えたのですが、よく見ると乗用車のサイドモールでした。聞くところによると猿がサイドモールを剥がして逃げ去ったとのことで、1本は取り返したが、もう1本はどこへ持ち去ったかわからないという話です。
石灰岩の山を背後に控える広い境内をサイドモールを探して歩き回りました。
犯人を見つけました、サイドモールを盗んで山へ向かう猿です。
見つけた時は「おサルの籠屋」のように二匹の猿がサイドモールの前後を担いでいたのですが、途中で一匹が逃げ去り、写真のように一匹の猿が担ぎ直して立去ろうとしていました。
サイドモールを剥ぎ取られた乗用車です。
***************
■午後3時に「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」を後にし本日の宿泊地、ナコーン・サワンへ向かいます。
午後5時「マイ・ホム・リゾート・ホテル」にチェックイン、朝食付き800バーツです。このホテルはいつも団体の宿泊客が多いようで、今回もたくさんの男子学生がたむろしていました。
午後6時10分、部屋から見る落日です。
博物館で行き方を尋ねて出発したのはいいが、どうも道を間違えたのか、教え方が違っていたのか予想以上に走行しています。引き返すかどうか迷いながら走っていると案内表示にでくわしました。結局は倍以上の遠回りをしてたどり着くことが出来ました。
「カオ・サモ・コーン」は古い歴史を持つ土地で、王立協会刊行の地誌辞典にはこの地の伝説として、「カオ・サモ・コーン」山系にはヨノック・チェイン・セーンのノーン・セー王朝以来から隠者「スッカタンタ・ルーシ」の居所があり、若き日のラームカムヘーン大王、パヤオのガーン・ムアン王、ロッブリー王が学ぶために滞在していた。と記載されているようです。
「カオ・サモ・コン」には古い四つの寺院があります。ワット・ライからの道順に「ワット・バンダイ・サムセーン」、「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」、「ワット・ターム・チャーン・プーアク」そして山頂近くまで登って「ワット・カオ・サモ・コーン」となります。
まず最初に出会う「ワット・バンダイ・サムセーン」は外壁を新しいラテライト積み上げた寺院で、寺門から内側を眺めると参道が山に向かって伸びています。寺の名前を直訳すれば「30万の階段寺」ですが、実際には30万段もの階段はないにしても、相当登らなければならそうで参拝を断念しました。寺院の建立は古く、境内には鍾乳洞があって、その前に礼拝堂とアユタヤ様式の古い布薩堂が建っているそうです。
「カオ・サモ・コーン」山系の一つでしょうが、道を間違えているためなかなか近づくことができませんでした。
石灰岩の山の上にはお堂が建っています。
■まず立寄ったのが「ワット・ターム・チャーン・プーアク」です。
「ワット・ターム・チャーン・プーアク」の寺門です。山頂の岩の上にお堂が見えます。
麓の岩に鍾乳洞が見えます。
扉がしてあり入って行くことができません。扉の隙間から見た洞窟内です。
山の上へ車で行こうとしたのですが、木陰で休んでいた地元の人が、階段を上った方が早い、と言うので歩くことにしました。山頂から見た麓の風景です。真ん中に見える池は、13世紀に造られた貯水池で、あたりには堤防も築かれているようです。同様の遺構は「タレー・チュップ・ソン」という所にも築かれているようです。
近くに川があって山があるこの地形はモン族が好む聖地と一致します。貯水池や堤防を築いたのはモン族のようです。
山頂の仏陀にお参りをしました。
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■「ワット・カオ・サモ・コーン」四寺院で一番奥の山の上にあります。
「ワット・カオ・サモ・コーン」へ向う山道の途中から全体を見ます。
山頂で巨大なハヌマーンが「カオ・サム・コーン」の山を担ぎあげています。
左手の岩山の上の堂内に仏塔が安置されています。
鍾乳洞があって、洞内に寝仏が安置されています。
門には「ターム・プラ・ノーン」(寝仏の洞窟)と書かれています。
鍾乳洞の入り口から、かなり降りて行きます。
安置されている寝仏です。
鍾乳洞の外でも破損した古い仏像を見かけましたが、洞窟内にも砂岩の古い仏像が数体安置されています。
鍾乳石のくぼみに壊れた石仏が置かれています。
こちらには隠者の祠があります。
鍾乳洞の内部は幾本にも枝分けれしています。
地上へ上がってきました。こちらは礼拝堂です。
ガイドブックには「釣鐘状の仏塔があって、12の壁龕を備えて、蓮の花が支えている。」と書かれていますが、この仏塔のことでしょうか、他には仏塔が見当たりません。
仏塔の建っているテラスから先に参拝した「ワット・ターム・チャーン・プーアン」を眺望します。
同じくハヌマーンを見ます。
寺院のお祭りがあったようです。麓に山車が置かれていました。
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■午後2時20分、まだ時間があるので戻り道に「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」に寄ります。
「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」」の境内の裏山に「パトゥー・ムアン・サン・カット・サ・ナコーン」と書かれた門があります。山頂にはモンドップや仏塔が見えます。
本堂は1914年に建立されビルマ様式の壁画が描かれているそうです。
山頂の仏塔です。寺名の由来の鍾乳洞も山の上にあるようです。ただ、40度近い暑さで登るのは見合わせました。
寺内の案内を見ると博物館があるようなので見学していきます。
入ってすぐに民具が展示されています。
日本でもかっては使っていた石製の粉引です。
1階は陶磁器で、近世の中国製磁器がほとんどです。
ベンジャロンです。
二階は仏像中心の展示になっています。
クメール時代からアユタヤ王朝時代の仏像が安置されています。
磚仏が展示されています。展示棚に鍵がかかっていますが、ガラスが割れたままです。写真を撮るには反射がなくていいです。
前史時代の装身具、もしくは紡錘です。
陰刻された黒色土器で前史時代のものです。その隣は赤色土器です。この一帯で出土したようです。
仏像の展示です。仏像の首にぶれ下げられているのは、仏像の説明書きです。
床も埃だらけで裸足で歩くのを臆する状態で、放置状態でした。
博物館を出てくるとシルエットになって、ネン(小坊主)が剣を振り回しているように見えたのですが、よく見ると乗用車のサイドモールでした。聞くところによると猿がサイドモールを剥がして逃げ去ったとのことで、1本は取り返したが、もう1本はどこへ持ち去ったかわからないという話です。
石灰岩の山を背後に控える広い境内をサイドモールを探して歩き回りました。
犯人を見つけました、サイドモールを盗んで山へ向かう猿です。
見つけた時は「おサルの籠屋」のように二匹の猿がサイドモールの前後を担いでいたのですが、途中で一匹が逃げ去り、写真のように一匹の猿が担ぎ直して立去ろうとしていました。
サイドモールを剥ぎ取られた乗用車です。
***************
■午後3時に「ワット・ターム・タコー・プッタソッパ」を後にし本日の宿泊地、ナコーン・サワンへ向かいます。
午後5時「マイ・ホム・リゾート・ホテル」にチェックイン、朝食付き800バーツです。このホテルはいつも団体の宿泊客が多いようで、今回もたくさんの男子学生がたむろしていました。
午後6時10分、部屋から見る落日です。