の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

アップした画像が10,000枚を越えました。

2015年02月18日 | 陶磁器(タイ)

今日気付くとアップした画像が10,333枚で、いつの間にか10,000枚を超えていました。
とにかく異国で見るもの全てが新鮮で、また、次から次へと新しい発見もあり、撮りためた画像も膨大な枚数になりました。
今後は、少し古い写真も合わせて紹介します。ご来訪をお願いします。
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カロンの鉢です。オリーブグリーンの釉薬は刷毛塗りのようなむらがあり、密着力が悪いのか内側は剥離が目立ちます。
胎土は鉄分の少ない、よく水簸されたカロンの陶土で、立上げは厚肉で、高台は小さく中国やベトナムの影響をうかがわせます。
高台内にはキ字型の窯印があります。
スコータイ窯でもきわめて小さな高台に舟形の窯印がある、無地の鉢を見たことがあります。


同じくオリーブグリーンの釉薬、線刻された意匠の陶片です。器体が薄くなり、釉薬も安定しています。




カロンの出土地を見に行きます。およそ3kmほど山の中へ入って行きます。

山の斜面はショウガが栽培されています。



畑の中で高台の一部が露出しています。掘り出したのが上の写真です。

畑を耕すためにたくさんの窯を潰していまったようです。あちこちに小さな陶片が散乱しています。
地元の人の話では未発掘の窯も点在しています。

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サンカロークの青磁です。写真の発色が良くないのですが、現物は水色のきれいな青磁です。

シーサチャナラーイの畑です。

やはり陶片がいたる所に転がっています。

菊花文のきれいな水色に発色した陶片です。
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パーンの陶片です。ここでは青磁しか焼かれていません。陶片の中には褐釉を見かけることもありますが、パーンで生産されたか不明です。


この鉢はマット状の青磁釉が多いパーンでは珍しく、貫入が入ったカラス状に焼き上がっています。


パーンの特徴の一つとして、小型の碗などの底面は高台がなく、中央部にテーパーを持った平底になっています。


釉薬が厚くて線刻が不鮮明ですが、風車形の四弁の花です。


この小皿は釉かけ前に欠けていたようです。焼成後に投棄されました。

窯跡の周りを水田が取り囲んでいます。

水田が徐々に窯跡を浸食しています。

地面からいきなり花を咲かせています。葉や茎は見当たりません。

パヤオで見たカロンの傑作

2015年02月16日 | パヤオ

実はこの写真、2014年11月24日付けの「東南アジア陶磁器博物館再開記念式典」というブログに掲載した写真です。式典当日に撮影した写真を時系列に沿って掲載、レセプションの後で映し出された映像の一枚でした。
ブログ作成時に映像のキャプションも読まず、安易に『サンカンペーン窯の多様な絵柄です。』という文章をつけてしまいました。
ところが、本ブログに訪問していただいたブログ「世界の街角」を開設しておられる方に「新発見のサンカンペーン鉄絵模様」という間違った情報を与えてしまいました。また、双方のブログをご覧になった「焼物好き」の方からキャプションには”あと絵の贋作見本”という趣旨が書かれているとの指摘がさていました。
僕も慌ててオリジナル画像のキャプションを見ると「チェンマイの悪質な骨董商によって新しい絵柄で製作されるあと絵の贋作見本です。贋作を知ることによって価値を下げることができるが、すでに幾人かの骨董商が不当な利益を得ました。」となっており、当日は古陶磁器の愛好家もたくさん参加されており、贋作に対する注意を促す内容だったようです。
軽率な文章を付けたことを反省するとともに、間違った情報を与えてしまったことをお詫びします。
原文ページの『サンカンペーン窯の多様な絵柄です。』を『サンカンペーン窯の多様な贋作です。』に訂正します。
また、これに懲りずに今後ともご来訪よろしくお願いします。

サンカンペーンの映像の前が「1991年にチェンラーイで製作されたカロンの複製品は、スコータイの骨董商に流出した。」というものでした。

かってリバー・シティーでカロンの線描で鳥、魚をあしらったお皿を見たことがあります。いかにも古く見せるために、どのような細工が施されたのか不明ですが、釉が剥離し釉下の鉄絵だけが露呈したものでした。チェンマイの業者でしたが、見るからに怪しげな雰囲気の皿でした。
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パヤオには僕の考えるカロンの最高傑作が、パヤオ湖畔に建つ「パヤオ文化展示会館」にあります。

口部が一部欠けていますが、カロンの現存する最高傑作だと思っています。











奴凧のような鳥です。


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同会館のパヤオの壺です。秀作だと思います。


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ウィアン・パヤオ出土の中国青花です。



カロンの磚仏

2015年02月14日 | パヤオ

「プラ・ヨート・クンポーン・ピン・ノック・プラー・ナン・タイ・トンマイ」と呼ばれる磚仏です。
苦行では悟りを得られなかった太子が菩提樹の下で瞑想に入りました。太子の成道を妨害する魔衆を右手を大地に触れて退散させ、悟りを開かれた仏陀の生涯で一番重要な場面です。
本品は菩提樹の下で右手を大地に触れる降魔印坐像の仏陀、基壇には向かい合う二匹の魚、菩提樹には二羽の鳥がとまっています。裏面右下には溶けた緑色の釉が付着しています。高温焼成された磚仏です。
高さは5.5cm、最大幅が3・3cm、肉厚9mmです。
メー・カチャーン、バン・ドン村の通称「ワット・カロン」の遺跡から出土しました。

ウィアン・パヤオ(ワット・リー)博物館の図録です。

発掘された磚仏のページを見ていてびっくりしました。

図録を撮影しているため分かりにくいのですが、ワット・カロンで発掘された磚仏と酷似しています。
解説は「プラ・ヨート・クン・ポーン・パヤオ・ピン・ノック・プラー(・ナン・タイ・トンマイ)」パヤオ様式の磚仏で魚、菩提樹に二羽の鳥がとまっている。ワット・ソッブ・ロン・クイ出土、となっています。
「プラ・ヨット・クン・ポーン」は仏陀の様式を表す、北部独特の呼称で、パヤオについては、造られた土地を示し、カロン、ナーン等と変化するそうです。
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ワット・リーを訪れたのは、やはり図録の目次ページや他ページの背景に印刷された宗教画が気になったからです。
ナーン北部のタ・ワン・パーにある「ワット・ノンブア」の壁画に酷似しているため見たかったのですが、博物館の受付で、図録を見せてどこにあるか尋ねると、現在修復に出しているとの返事です。僕は壁画だと思っているから詳しく尋ねると、1メートル四方ぐらいの布に描かれた宗教画だと言うことが判りました。タイで1人に聞いて納得するのは大変危険で、本堂にいた僧侶に確認すると、現在新しい博物館を建設中で、開館に合わせて芸術局に依頼して修復中だと言うことが分かりました。

額装された宗教画は、宿泊したナーンのホテルに掲げられていたものです。図録に用いられている絵柄と全く同じです。ホテルの従業員に尋ねると「ワット・ノンブアの壁画」だと言います。



ホテルの部屋に飾られていた宗教画です。
ワット・ノンブアの礼拝堂入口の上に書かれた壁画です。この上方に横たわる仏陀とインドラ神が描かれています。

ワット・ノンブアの壁画です。ということで、ますます気になるワット・リーの布絵です。
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ワット・リーの西門です。

仏塔です。



礼拝堂です。扉は施錠されていたのですが、堂内にもしや壁画が、と気になったので僧侶にお願いして扉を開けていただきました。

新しい建物で堂内には仏像以外何もなく、取敢えずお参りをしました。

ウィアン・パヤオ(ワット・リー)博物館です。





博物館内部は撮影禁止ですが、案内の小僧さんに勉強のために、などと適当な口実で無理やり何枚か撮影させていただきました。

展示されている陶器を見るとメー・カチャーンで生産されたカロンが以外に多いことに気付きます。(右端の青磁瓶はパーン窯です。)
メー・カチャンを流れるメー・ラオ川は、北上してチェンライへ至り、コック川と合流してチェンセーンでメコン川へ注ぎます。カロンの陶器はメー・ラオ川を利用し、途中から陸路をパヤオやプレーへ運ばれてきたようです。
現在の道路で距離を見ると、メー・カチャンから国道118号線を通って国道1号線の交差点まで85kmです。川の場合だと蛇行が多いので相当距離は延びるでしょう。メー・ラオ川に架かる国道1号線の橋からウィアン・パヤオまで67kmの距離です。

メー・カチャンから山を隔てたワン・ヌアを流れるワン川は南下してランパーン、ターク、カムペーン・ペットへと流れています。
一般にワン・ヌアといえば青磁を指して、知名度も低く現存数も少ない「ワン・ポーン」も含めて「ワン・ヌア」と呼ばれ、青磁以外はカロンと一括りにされていますが、ワン・ヌア区域のカロンも大量に生産されています。ただ、鉄絵に限ればワン・ヌアのバン・ワン・モン一帯の畑に散乱する陶片とカロン一帯の丘陵地に散乱する陶片の絵付けは全く異なる特徴を示しています。

パヤオで焼かれた壺です。何が書かれているのか気になります。

お皿は全てパヤオ窯です。

パヤオ窯の壺の破片です。貼り付けで鹿が表されています。
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写真の陶片はバン・ブアの畑で拾ったものです。双魚や馬などの印花文は多いですが、鉄を押した意匠は初めて見ました。絵柄は尻尾が長く虎のようにも見えます。
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博物館内部です。小僧さんが写真撮影はダメと言うのに、「ここだけ。ここだけ。」と言いながらたくさん撮影したので、だいぶ機嫌が悪いようです。

「仏像の写真が写したければ外にたくさんある。」と言われた博物館横の軒下です。ウィアン・パヤオで発掘された大小の石仏で埋め尽くされています。



建築中の新博物館です。

ワット・リーの東門を出て周辺を歩いてみます。

門を出てすぐの林の中のを掘り返すとパヤオの特徴を示す縞文、暗緑色の陶片が出てきました。さらに進むと、ウィアン・パヤオの濠、土塁にでます。近くで釣りをしている人に許可をもらい中へ入って行きます。

地図を見るとワット・リーの北に古窯跡が報告されています。

ウィアン・パヤオの遺構です。煉瓦を積み重ねた基礎が残るだけです。



地図に示されていた古窯跡を探しますが、草に覆われて見つけることはできませんでした。

第9軍対ビルマ戦古戦場

2015年02月13日 | カンチャナブリー



クウェー・ノーイ川へ流れる支流で投げ網をしている人がいます。
大物が潜んでいそうな場所ですが、なかなか捕らえられないようです。

午前8時30分にドゥアン・マニー・リゾートを出発です。

リゾートから国道3319号線をカンチャナブリ方向へ進み、国道3457号線の分岐点から1kmほど進むと「第9軍古戦場跡」という標識がありました。1kmほど脇道を入ると銅像が建っている広場に出ます。
第9軍は1785年に侵攻してくるビルマ軍とこの地で闘い撃退したそうです。銅像は第9軍の司令官でしょうか・・・。碑には「ソムデット・パ・ボウォーン・ラ・チャオ・マハー・スラシーン・カナー」と彫られて、通称は「ブン・マー」と呼ばれているそうです。





高台の上にも「ブン・マー」が祀られています。



高台から見る四方の風景です。



三角形の建物があります。とにかく入ってみます。

屋内には中央に大きなジオラマがあり、カンチャナブリの地形を表しています。

少し待つと、昔の戦闘服を着た人物が登場、1785年のタイ=ビルマの闘いを解説します。


赤旗は侵攻してくるビルマ軍、青旗が迎え撃つタイ軍、両軍合わせて14400の軍勢がこの地で激突します。四方のモニターで戦闘の様子が再現され、ジオラマで両軍の進軍、戦闘場所が説明されます。
1785年タイ軍はビルマ軍を撃破します。
ビルマ軍はサンカブリーのサムソップまで後退します。

およそ1時間20分の説明です。終わると軍人と記念撮影です。この施設は軍が管理しており、彼の本業も軍人です。
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さらに20km進むと小高い山があって、商店が並んでいます。まず昼食にします。
昼食後に店に人に話を聞くと、向かいの山には何もないが、1kmほど戻った軍基地内の山上(カオ・チョンカイ)に仏塔が建っている。基地の入口で申し込めば見ることができる、ということでやって来ました。

入り口で運転免許証を預け、道順を聞いたのですが、標識もなく、行き交い人もいない基地内を迷いながら、何とか山頂へ到着です。



参道を歩いていると祠があります。

「ボロマハーテラシー」と説明されています。



祠の裏をさらに進みます。





仏塔の基壇です。「チェディ・アヌーソン」という1785年にビルマ軍撃退を記念して建立されました。










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下山途中に出会った人物が、下に射撃場があるかるから来い、来い、と誘うので顔を出しました。
M16自動小銃です。撃った反動が小さいのに驚きました。



狙いが下にぶれているようです。
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午後4時20分、ラチャブリーに到着です。ウエスタン・グランド・ホテルで一泊します。朝食付きで990バーツです。全走行は470kmです。
明日は、前回夕暮れ近くに訪れ、暗くてはっきり見えなかったカオ・グーの洞窟を再訪します。





日本語の書かれた飲料水がセブン・イレブンで売られていたので興味本位で購入しました。
そういえば以前に紹介した伊藤園の「お~い お茶」が店先からすっかり姿を消しました。タイではお店に入っても水は有料ですが、お茶(この場合は中国茶)は基本的に無料です。お金を出してお茶を買うタイ人は少ないのに、他社より高い価格設定では売れないのでしょう。

たまたま昨日の「NNA」に4年間でタイ国内の茶飲料市場でシェア4割以上に成長した緑茶飲料メーカー「イチタン」のタン社長がインタビューで答えて、「日本人は赴任先で高級ホテルに泊まり、日本人のコミュニティーで多くの時間を過ごす。実際のその国の生活を知ることができない。」と、全くその通りで、「コンプライアンス」、「リスク」という枷によって身動きできず、全体の実像が見えないのです。
また、「健康志向で甘くない緑茶の消費は伸びる、生活必需品にはそれなりに適した価格が必要。(コストダウンを図る)」と述べられておられました。

「フルーツ・ザー」は飲料水メーカ「オイシ」の製品ですがオイシ・グループもタン社長が2000年に創業した日本食レストラン・チェーンで、2004年から緑茶飲料を生産、日本食ブーム、緑茶ブームを引き起こし、大成長した2006年に会社を突然売却してしまいました。
タン社長は2010年にイチタンを設立しましたが、建築中の工場を大洪水が襲い生産設備が水没、自ら水に浸り復旧作業をしておられるのがテレビに映っていました。

エラワン滝

2015年02月12日 | カンチャナブリー

ムアン・シン歴史公園を後にクウェー・ノーイ川に沿った国道323号線から国道3457号線を経て国道3199号線をクウェー・ヤーイ川沿いに上流のエラワン国立公園までやって来ました。74.5kmの走行です。
550k㎡の自然公園で敷地の中にエラワン滝があります。1.5kmの渓谷に7段階の滝があります。

エラワン国立公園の入り口です。バンコクから近く、滝で涼を求める来訪者で国立公園内はあふれかえっています。西洋人が多いのに驚きました。

滝へ向かって山道を登って行きます。

石灰質の山で、溶けたカルシウムが固まりダムを造っています。





石灰質が固まり、いかにも滑りそうな地肌になっています。



第1の滝です。



第2の滝です。滝横の山道にチェックポイントがあって環境保護のため食料の持ち込みは禁止されています。持ってきた食料は事務所に預け、下山の時に返却してくれます。



第3の滝です。一番大きな滝つぼでたくさんの人が泳いでいます。



この先に第4、5、6、7の滝がありますが、かなり山を登ることになるため、ここで引き返します。ちなみに全ての滝を巡るには、普通に歩いて2時間を要します。
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午後3時、やはり遅い昼食です。

道路沿いのリゾートに泊まることにしました。一泊900バーツ、簡単な朝食が付いています。







一応クウェー・ノーイ川沿いです。川沿いにも宿泊施設があったようですが、閉鎖されています。