の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

シー・サチャナライのソンクラーン (4)

2013年08月22日 | スコータイ

シー・サチャナライのソンクラーンです。まず寺院へ参拝します。
午前7時過ぎにワット・パ・ヤーンへお参りです。地元の信者の人々はすでに参拝をしていて、僧侶の読経が始まっています。



お経が終わると僧侶に食事が供されます。





こちらでは集まった「タンブン(お布施)」を僧侶に渡すため分けられています。

午前8時45分、お勤めが終わりました。村人は僧の残した食事を持ち帰り朝食です。

食事で残った水は木に灌ぎます。仏教と合わせ持つ神霊信仰によるものでしょうか。

寺院前を流れるヨム川に埋まっていた古代木で引揚げられて境内に祀られています。根元の径が2m、長さが10m近くある大木で、寺まで運ぶのが大変だったそうです。

仏塔の前に築かれた砂山、聖なる山須弥山を模しているのでしょうか。

「ワット・クディ・ライ」です。ワット・パ・ヤーンとシー・サチャナライ北城門タオ・モー門の間のヨム川に沿って建っています。
南向き寺院で、ラテライトの三角屋根の祠堂と礼拝堂、祠堂の後ろに三基の蓮蕾型仏塔と一基の釣鐘状仏塔の基壇が残っています。



堂内には上部が崩壊した座仏が安置されています。

奥にもよく似た寺院遺跡があります。

祠堂の上部にある角穴は、礼拝堂の屋根を構築していた木材のほぞ穴です。遺跡によっては木材の残っているところもあります。

本堂内には表面を飾っていた漆喰の剥がれたラテライトの座仏があります。

シー・サチャナライ都城壁の北にあるタオ・モー門です。

ヨム川に沿って築かれている都城壁です。

「ワット・コック・シンカラーム」で、11世紀頃にクメール族が興した小国があったとも言われているチャリエン都壁内のヨム川沿いにあって、寺院の南壁は都城壁となっています。スコータイ時代からアユタヤ時代にかけて建立されたラテライトの礼拝堂と3基の釣鐘状の仏塔が一つの基壇の上に東西に並んで残っています。
アユタヤ時代の16世紀に修復され、この寺院がアユタヤに建立された「ワット・プラ・シー・サンペット」のモデルになったとも言われています。
シー・サチャナライ都城へ向かう道路沿いにあって、通り過ぎるだけの遺跡だったのですが、今回寄ってみることにしました。







午前9時30分、遺跡を見終わって友人宅に戻ると朝食が待っていました。

シー・サチャナライのソンクラーン (3)

2013年08月22日 | スコータイ

三十数頭の象のパレードが過ぎ、道路逆方向からメインパレードがスタートします。
ちなみに、沿道は地元の人ばかりで、観光客は見当たりません。先にも述べましたが、真夏(タイでは3、4、5月が一番暑い季節です。この3か月は学校も夏休みになります。)に遺跡を訪れる人は非常に少なく、ましてソンクラーン期間中は帰省する人がほとんどです。そんな環境でもパレードは実に盛大に催されています。

まず、「シー・サチャナライ」と地域の特徴、特産が書かれた横断幕が先頭を進みます。





きれいに創りこまれた「バイ・シー」です。参加地区の書かれた横断幕やプラカードの次に続きます。













天秤棒を担いだ行商スタイルです。今でも食物を入れ、売り歩く姿をよく見かけます。前の籠に入っているのは弁当箱です。









まだまだ元気な地区のおばちゃん達です。















写真が青みを帯びてきました。陽がすっか落ちたようです。







午後6時20分、友人の息子はまだ来ません。ずいぶん暗くなってきましたが、まだまだ行進待ちをしている地区が残っています。待っている列を探してやっと見つけだし、頼まれていた写真撮影を済ませました。


暗くなったのでパレード見物を終え運動公園内に出ている屋台で夕食を済ませます。

食事を終えるとすっかり暗くなってしまいましたが、パレードはまだまだ続いています。

シー・サチャナライのソンクラーン (2)

2013年08月21日 | スコータイ

古都シー・サチャナライのソンクラーン・パレードの続きです。遺跡公園を出発したメインパレードと、貴賓が乗った象のパレードが陽が傾いた刻にノーン・チャーンに到着しました。リタイ王記念運動公園に建立されている、「プラヤー・リタイ」と地元の人から呼ばれている、リタイ王像まで行進します。前回アップした写真とよく似たものがありますが、パレードの雰囲気を感じを出すために掲載しました。

【リタイ王とは、スコータイ王朝の第6代国王で、碑文によれば、シー・サチャナライ王であった1347年に挙兵してスコータイ城門を破り入城、スコータイ王に即位、1361年スリランカから高僧を招き出家、退位しました。当時はクメールの文化影響が強く残り、バラモン思想が衰えていなかったようです。リタイ王も22年間のシー・サチャナライ、スコータイ統治でヒンドゥー教から上座仏教に帰依し、仏の教えを守り善政を布き、数多くの仏教寺院を建立しました。しかし、国力は衰退し、アユタヤが造反したのもリタイ王の治世でした。】









女性が両手で抱かえているのは、「バイ・シー」と呼ばれるクワイ・タニーという種類のバナナの葉で作られたお供えです。この葉は、切ってもなかなか変色しない、丈夫で長持ちするようで、仏教行事、慶事には必ず登場します。



先頭の象に乗っているのが、横断幕に書かれていたシー・サチャナライ市長でしょう。前に腰かけているのは象使いで市長の顔はほとんど写っていませんが。





ずいぶん年老いた象さんです。



象さんも化粧してもらいます。単に色絵具で殴り書きしたようにも見えますが・・・。

シー・サチャナライのソンクラーン (1)

2013年08月20日 | スコータイ

ソンクラーン・パレードはシー・サチャナライ遺跡公園から出発して、西方のノーン・チャーンにある「リタイ王記念運動公園」まで行進します。電話を受けたところからは運動公園まで2、3kmの所です。すぐに駆けつけてきました。
行進コースはメインパレードが表通りを、象によるパレードが距離を短縮した裏道コースを運動公園まで来ます。
距離の長いメインパレードが運動公園近くまで先に到着して、象のパレードが到着するのを待っています。案外、象の歩行スピードは遅いようです。
午後4時10分、メインパレードの仏像を載せた先頭車両が到着です。

先頭車両です。2体の仏像を安置しています。

「バイ・シー」と呼ばれるお供えやプラカードを持つ女性たちも、象のパレードが到着するまで木陰で休息です。この時間帯だと気温は37度くらいはありますが、まだまだ元気です。
この後、1時間待つことになります。シー・サチャナライの各区域から集まっていて、パレードの長さは数キロに及んでいます。後方のグループは2時間待ちです。

こちらの女性は、輿に乗ったまま休憩です。

腰かけているのは孔雀の上です。少し疲れた様子です。



騎象パレードの先頭が午後5時5分にやっと現れました。



表通りへ出る前に大勢を整えます。



象の隊列も揃いました。全部で30頭以上います。





午後5時20分、最終目的地の「リタイ王記念運動公園」へスタートです。

ソンクラーン旅行記 (5)

2013年08月19日 | スコータイ

スコータイで窯址をぶらついた後、国道1113号線を北上しシー・サチャナライ遺跡へ向かいます。約50kmの距離です。
まず、通り道にある「ワット・パーヤダム」へ寄ります。シー・サチャナライ城壁の西側にあって直進すればラムナローン門に至ります。

こちらは西側で、寺院の裏側となります。

41基の小さな仏塔の基壇があります。創建時には手前に大きな寝仏が安置されていたと思われますが、今は跡形もないです。

本堂の屋根はラテライトでアーチ状に作られています。堂内は壁で東西に仕切られていて、西側には立仏像、東面には座仏像が安置されています。

西側堂内の立仏像ですが、表面を飾っていた漆喰は大半が剥落して基礎のラテライトが露呈している、かなり大きな仏像です。

アーチ状の屋根は非常に珍しい形です。

礼拝堂を横から見ます。ラテライトの格子窓がきれいに残っています。

東側から見ます。こちらが正面になり、手前は礼拝堂です。

次に訪れたのが「ワット・サ・パトゥム」でアユタヤ時代初期の建立です。ワット・パヤ・ダムの西門を出てまっすぐに進んだところにあります。保存状態の良いラテライトで積まれた三角屋根付の本堂が残っています。表面の漆喰も残っています。シー・サチャナライにはこの様式の本堂が他にもたくさん残っています。
今は水が涸れ土砂が半分埋めていますが、周りを濠で囲まれています。



寺院周辺にあった崩れた仏像が安置され、線香が供えられています。

仏塔はラテライトの基壇だけ残っていますが、この寺院の仏塔基壇は円筒形でスコータイ区域では非常に特殊な型式です。

次に来た道を引き返しサパーン・チャーン門の方向へ向かいます。道路脇にある遺跡です。名前を記録するのを忘れました。

道路に面した東側正面で、奥に仏塔が残っています。上部は崩壊していますが、スコータイ様式の蓮の蕾を模した塔があったと思われます。



礼拝堂の柱が倒れドミノ倒し状態になっています。

最後が「ワット・ラフー」です。西側のサパーン・チャーン門の近くにあります。四角い基壇にスコータイ様式の蓮の蕾形の仏塔があったようです。しかし、上部は崩壊しています。
この寺院の本当の名前は記録されたものがなく分かっていません。地元の人が仏塔を飾っていたラフーを見つけたことで、通称「ワット・ラフー」と呼ばれています。




説明書ではシー・サチャナライで一番高い19mの仏塔だったようです。他に小型のスコータイ様式の仏塔が3基、スリランカ様式の仏塔が2基あります。

壊れた仏像を集めて祀ってあります。参拝する人がいます。

礼拝堂です。アユタヤ時代初期の様式で、ラテライトを積んで作った格子窓が残っています。後方の柱の上部にある角穴は、木造屋根を支える横柱のほぞ穴です。
どの遺跡も礼拝堂の屋根は木製で、長い年月で風化してラテライトの支柱しか残っていません。


シー・サチャナライ遺跡の城壁西側にはたくさんの寺院跡や住宅遺跡あります。また、スコータイへ通じる盛り土をされた古代街道の遺構(地元の人は道路と言っているが新しく作られた看板には堤防と表示)があります。遺跡を見ている途中に友人から電話で、ソンクラーン・パレードに息子さんが参加するので写真を撮影してほしい、との依頼があって向かうことにします。