の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

サンカロークの鉄絵花文盤

2023年01月18日 | 陶磁器(タイ)

初詣のブログを書くため、ドヴァラヴァティ美術が展示されているプラ パトム チェディ国立博物館で撮影した写真を眺めていると、下の写真がありました。
法輪を支えた台座で8世紀~10世紀の遺物です。







台座に彫られた扁平な花です。

下はペック氏のコレクションですが、器に描かれた花文とよく似ています。両者の制作年代は300年以上の隔たりがありますが、気になったの書き留めておきます。







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<追記>
扁平な花模様はドヴァラヴァティの台座、法輪、仏塔の漆喰装飾として多用されています。
スコータイ時代も寺院装飾として形状は変化しているが花模様は使われています。
下の写真はシーサチャナライ都城の中心にあるワット チェディ チェット テーオの中央仏塔を囲む仏塔のひとつの壁龕上部に施された漆喰装飾です。
ワット チェディ チェット テーオは14世紀末から15世紀初頭にかけてリタイ王の娘によって建立されたと言われる寺院です。





パーン窯の青磁双耳瓶

2022年12月27日 | 陶磁器(タイ)



今回のスコータイ旅行は友人から届いた写真が気になったからです。











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チェンラーイで発掘された青磁瓶です。
一目瞭然、パーン窯の青磁双耳瓶です。パーン窯の盤や碗はよく見かけますが、袋物は見た記憶が有りません。
1点は全高13.9cmと小型で口に欠けがあるものの、ほぼ完品なので現物を見たく出かけました。

前日は暗くなっての到着で写真撮影をしなかったのですが、なで肩の瓶は耳が破損していました。
翌日の朝、訪れると耳が接着されています。一緒に出土した青磁双耳蓋付小壷が犠牲になっていました。





金属探知機を携えて、ランパーンやチェンラーイまでお宝探しに出掛けるそうです。これらはパーン古窯の近くで鉄製品とともに出土したようですが、広範囲に点在しているパーン古窯の正確な場所は業務秘密で話してくれないようです。
窯跡ではなく、窯跡近くということは、物原ではなく陶工の生活区域で、使用可能な傷物を日常生活に使用していたのでしょうか。
1枚目の写真は掘り出した時のようで、瓶の他にも3点の小さな広口小壷が写っていまが、ここには無いようです。





一緒に出土した、2つに割れたカロンの灰釉碗(口径 12.7cm、高台径 6.6cm、高さ 6cm)。





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パーンの粉々になった青磁碗(口径 17cm、高台径 6.3cm、高さ 8cm)です。





そして明青花碗です。パーンで出土していますが、この模様はカロンやサンカロークの鉄絵で模写されています。
大きさは、口径 15cm、高台径 6cm、高さ 6.8cmの大ぶりな碗です。





バンコクへ連れて帰る青磁双耳瓶を梱包してくれましたが、一点だけ連れて帰る予定だったのに全て梱包されていました。
バンコクで、まだ瓶に詰まっている土を洗い出し、撮影します。
共継技された耳は接着剤が露出したままですが、写真上で補修してみました。

大きさは、破損の酷い蓋付双耳壺の平底が口径 8cm、胴径 11.2cm、底径 7.1cm、高さ 9.5cmで高台付きの壷は口径 7.6cm、胴径 11.4cm、高台径 7.6cm、高さ 10.7cmです。どちらも蓋は出土していません。
また、双耳瓶はずんぐり型が口径 3.5cm、胴径 10.8cm、底径 7.1cm、高さ 13.9cmで、なで肩瓶は口径 4.3cm、胴径 9.7cm、底径 6.1cm、高さ 14.4cmです。




平底蓋付小壷


高台付蓋付小壷









参考にチェンマイ国立博物館の前庭にパーンのポン デーン窯から移設された地上式横焔窖窯を添付しておきます。開窯はタイ北方窯では一番遅く15世紀(博物館の解説板には14世紀から17世紀が窯業期間)とされています。青磁製品のみが生産されました。

パーン古窯の別記事はこちら「パーンの窯道具





朝粥で朝食済ませ、大麻茶を戴き、と言うか勝手に庭から大麻の葉を摘んで熱湯を注ぎます。皆が5枚葉が良いと教えてくれますが....
お茶の間にバンコクへ連れて帰る青磁双耳瓶を梱包してくれています。
お茶の後はサワンカロークのバーン パー クンコーへお宝探しの現場を見に行きます。



シーサチャナライ古窯 4

2022年10月08日 | 陶磁器(タイ)


今回のシーサチャナライ訪問で入手した骨董を紹介します。

過去ブログ「最近見たオークション出品の東南アジア古陶磁器」でも紹介した交趾焼の鳥形水注です。
その後もネットオークションには同形の鳥形水注が出展されていたので、参考品として入手しました。
全長18.1cm、全高15.1cm、最大幅9.2cm、底寸法は8.4cm X 5.6cmの低温焼成品で叩くと鈍い音がします。出土はタークのドイ・ムス(トワイルアン村)です。

















本品も真贋は不明ですが出所ははっきりしています。興味があれば度々ネットオークションに出展される類似品と比較してください。

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長引くコロナの影響で海外から来訪者が途絶えて骨董業界も瀕死の状態です。骨董商も非売品として手許に残していた一品まで手放すようになりました。
そこで、彼らが大切にしていた塼仏を引き継ぐことにしました。

「プラ・カンペーン・ハローイ(500)」と呼ばれる五十五仏の塼仏です。スコータイ窯で焼かれ、ワット・プラ・パーイルワン出土です。コ・ノーイ窯で焼かれた塼仏と比較すると手取りは軽いです。


縦13.4cm、幅10.0cm、最大厚み0.6cm、147g




縦15.5cm、幅12.0cm、最大厚み1.2cm、240g



コ・ノーイ窯で焼成された五十五仏の塼仏です。

縦14.7cm、幅10.6cm、最大厚み1.0cm、258g




ゴップ・ナム・オイ
直径7.0cm、最大厚み1.5cm、64g


シーサチャナライ窯で焼成された塼仏はワット・パヤ・ダム出土です。
ちなみに、シーサチャナライでは「ワット・パヤ・ダム」、スコータイでは「ワット・プラ・パーイルワン」はいずれも都城跡から距離があり、人気の無い荒廃した最大規模の寺院遺跡で、出土場所のブランド名のようなものです。出所不明な塼仏は全てワット・パヤ・ダム、ワット・プラ・パーイルワンで通じるようです。

今回の訪問で2個の紡錘を貰ってきました。これも骨董商がなかなか手放さなかった貴重品(?)です。灰釉掛けの紡錘は各地で出土しますが、白釉褐彩は未だ見たことがありません。骨董商の特注品で新作です。




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鉄絵青磁長頸瓶に秋を感じようと芒に見立てて檸檬茅そして紫素芯花、扶桑花を生けてみました。花の名前を漢字にこだわってみましたが、全く理解できません(笑)。
檸檬茅は別名檸檬草でタイ料理のトム・ヤム・クンには必ず入っているハーブのレモングラスです。この香りで蚊が寄りつかない、と聞いてベランダでたくさん栽培していますが、全く効果がありません。
紫素芯花は紫蘇芯花とも書いてムラサキソシンカと読みます。別名、紫木椀樹(ムラサキモクワンジュ)または、ハート形の葉が羊の蹄に似ることから羊蹄木と呼ばれます。
「ハイビスカス」とはフヨウ属の総称で、品種改良で5,000種以上が存在するそうです。原種の赤色の花をブッソウゲ類「Hibiscus rosa/sinensis L」とし、写真の生けた淡いオレンジ色のハイビスカスの形をした花は種名を特定できなく「Hibiscus sp.」として扱われます。タイでは全て「チャバー」ですが。
背景の布は蝶々撮りによく通ったチャイヤプームの国道225号線沿いにあるバーンクワーオ村のマットミーです。



シーサチャナライ古窯 3

2022年09月30日 | 陶磁器(タイ)
コ・ノーイ古窯跡にある遺跡番号30の発掘現場です。
公示によると2022年1月8日から10月4日まで遺跡番号27、29、30が128万バーツの予算で発掘調査されます。
しかし、この現場は長らく作業が中断しているようで、掘り出された石材は雑草で覆われ、掘った穴には水が溜まり、法面も崩れています。余計なお世話かも知れませんが、予算も高額な気がします。
案内してくれた友人は、道路から見える小山の向こうが発掘現場だと教えてくれます。
雑草の下は、建物に使われて、倒壊したと思われる、八角形のラテライト柱材が無造作に放置されています。
滑ったり、躓かないように足下に注意して石材(小山)を乗り越えて行きます。





雑草の下からのぞく石材です


雑草に覆われていないのはここだけです


寺院遺跡の回廊に使われる八角形のラテライトです




縁の土が崩れて瓦が露出しています(左下)


窯道具や陶片が散乱しています


川となった平地を遠回りして戻ります


遺跡にあった瓦を洗ってみました。長辺24.5cm、幅13.3cm、肉厚1.4cm、鈎部の高さは4.3cmで破損部はありません。






道路を隔てた対面にある発掘現場です。こちらも雑草が茂り、案内されなければただの草むらです。
5月に友人が送ってくれた同じ場所と推定される写真を添付します。










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降り続く雨で増水しているヨム川です。
二日後にバンコクに戻りテレビを見ていると、洪水で浸かったシーサチャナライのヨム川沿いの民家が撮されていました。知った場所がないか慌ててテレビに見入りました。



シーサチャナライ古窯 2

2022年09月27日 | 陶磁器(タイ)
今年の中秋は9月10日、土曜日でした。遺跡を背景に名月の撮影を....とシーサチャナライまで出かけました。

9月のタイ中部の天候は連日「曇りのち雨」で、バンコク周辺部でも洪水が発生しています。
前週にシーサチャナライの友人から誘いの電話があり、「スコータイは毎日晴れ」と騙されての出発です。シーサチャナライまでは500km、陽が時々照るも殆どの区間で雲が厚く、度々驟雨に遭遇しながら想定時間を1時間以上オーバーして午後2時過ぎに到着です。
まず昼食です。チャリエンのヨム川沿いの喫茶店に直行です。
店に入ると店員から「※※さんですか?」と名前を告げられ驚き、店に予約をしたわけでもなく、到着時間や行動予定を誰にも話していないのに....キョトンとしていると、彼は友人の孫だと自己紹介、アルバイトをしているそうです。
当方は全く記憶が無いのに、彼は良く覚えていてくれたと感動しながら着席、暫く寛ぐことにしました。





結局中秋の名月は雨雲のむこうで、早々にホテルへ投宿、午後7時頃からは激しい雷雨となり、一晩中止むことはありませんでした。
タイで一日中雨が降るのは年に数回しかありませんが、翌日は終日の雨降りでした。

友人宅で朝食後、雨の中をコ・ノーイ古窯跡で三ヶ所の発掘がされている現場を見に行きます。

まず、42号窯保存学習センター近くの発掘現場へ、許可をもらい入っていきます。
煉瓦を積上げた二重窯壁のトゥリアン窯です。2mほど掘ってますが、後に見た遺跡の当時の地上面から考えると半地下式横焔窯のようです。
散乱している陶片はモン陶から青磁、鉄絵そして瓦などが混在しています。青磁は鮮やかな青色から青緑色の色調で窯の熱効率や密閉性の良さを示しています。













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平板で釉掛けされた瓦片です


青緑色の陶片で、高温で変形しています



知らぬ間に車に積み込まれていた陶片です。取りあえずホテルで泥を洗ってみました。






青磁モン陶の盤と灯火器です




高台に置いた灯火器に耐えられなかったようです


綺麗な青色に発色した盤です