の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

四年ぶりの帰国 (2)

2023年05月15日 | その他

タイは3月後半から5月前半が最も暑く、学校は夏休みです。4月15日、タークの最高気温が44.6℃を記録しタイの最高気温が更新されたと日本のテレビニュースで放送されていました。正確には2016年にメーホンソンでも44.6℃で測定されておりタイの最高気温更新ではないようです。当日のバンコク周辺は39.7℃、イサーンで43.2℃が記録されているようです。
この季節にイサーンに遊びに行き、車内の温度表示が40℃を超えているのはざらで驚くことはありませんが、日本の寒さには閉口です。毎日14℃から17℃でジャンパーを羽織って寒い、寒いと言いながら過ごしました。

でも、サクラの開花は例年より早く、3月末には満開でした。









3月30日に同級生と花見をしましたが、サクラの幹に見かけない虫の幼虫。頭のかたちはサシガメですが、名前までは分かりません。帰宅後調べてみると、「ヨコズナサシガメ」大陸からの帰化昆虫ですが、何故か英名は「Japanese Assassin Bug」で、現在北上中とのことです。
幼虫が樹幹のくぼみで越冬したようです。ある日、脱皮中のヨコズナサシガメに出会いました。脱皮したては真っ赤な体色でよく目立ちますが、1日で黒色に変色していました。






村落内にある大城(おおしろ)神社です。社歴には推古天皇29年 (西暦621年) に厩戸皇子が小野妹子に命じて当地に金堂寺を建立され、その護法鎮護のため造営されたのが始まりとされており、中世には近江守護職佐々木氏の観音寺城の守護神として崇敬庇護され、社領の寄進、幣物を奉献されています。佐々木氏は元亀年間 (1570年頃) に度々織田信長の兵焚を羅り、佐々木氏歿落と共に社殿記録等を消失したと伝わっています。
江戸時代にこの一帯がが大和郡山藩柳澤氏の領地となり、毎年1月3日に藩候代参の儀があり神楽を献じ、撤下の供物を奉納され、祭礼には奉行参拝,祭儀を警衛して明治に至ります。

かっては鬱蒼と茂っていた境内の木々もスカスカとなって寂しい限りですが、鳥居近くの椿の大木が境内に花を落としていました。
毎日立ち寄り撮影していたのですが、3月29日に立ち寄ると鳥居から矢羽根模様の着物に袴姿の若い女性と着物姿の男性、それに付き添いの女性が歩いてきます。丁寧な挨拶を受けながらすれ違いました。今はやりの着物姿での観光客ぐらいに思い此方も挨拶を交わして写真を撮っていると、遠くの拝殿に置かれた賽銭箱の周りにかがみ込み不審な動きをしている男女が見えます。
白昼大胆な賽銭泥棒……と思いながら拝殿へ進んでいきます。拝殿の軒には提灯が下がっているのに気づき、祭りでもないのに何故……裏参道を見ると紅白の幕、近づくと縁日の屋台がならんでいます。
そこへ通りかかった宮司の説明はテレビ撮影のセットを準備中とのこと。近くで宮司との話を聞いていたスタッフの責任者らしき男性が立ち上がり親切に説明してくれます。
「NHKの朝ドラはご覧になっていますか?」「いやー、見たことありません。」
「笠置シズ子さんを知っていますか?」「知っています」
「笠置シズ子さんをモデルにしたドラマで、ブギウギを秋から放映します。」「フム、フム」
話の流れで「主演は誰ですか?」「趣里さんです」「・・・・・」初めて聞く名前です「シュリーさん???」
彼も察したらしく「水谷豊さんと伊藤蘭さんの娘さんです。」両氏が結婚しているのも知らなかった小生ですが……
そこから、タイで生活や世間話になります。
最後に「セットを撮影していいですか?」「ご自由にどうぞ、ただしSNS等に公開されるのは放映が始まる10月以降にしてください。」
と言うことで昭和初期の屋台風景をたくさん撮影しました。準備で忙しく働いているスタッフも当方がカメラを向けていると遠慮がちに頭を下げて横切っていきます。
今回は彼との約束通り、撮影セットの遠景だけをアップしておきます。
後日、百済寺で重文本堂の濡れ縁の床を破損したと言うニュースがありましたが、現場の写真を見ると、床を支える横木の折れた部位がかなり朽ちているようです。大勢でダンスをしたとありますが、10人そこそこで折れたのは、運が悪かったようです。床表面も風雪でかなり痛んでるようで、事前の安全確認を怠ったのはまずかったかな、と同情しています。

ちなみに、昨年の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」も大城神社の境内で撮影されたようです。家内によると寒い冬に境内に残る雪をかき、夏のシーンを撮影していたそうです。









**********



3月16日は大城神社の例祭です。新型コロナで3年間渡御が行なわれなかったそうです。
大城神社の向かいに氏子からは小宮さんと呼ばれる日若宮神社が鎮座しており、例年は4月末に例祭が行われるのですが、今年は同じ日に執り行われることになりなした。初めてのことです。
まず宵宮からです。実は小雨の降る寒い夜で自宅から祭り囃子を聴いていただけで、過去写真をアップしておきます。


鐘を叩いている人物の後方にある五輪塔は「正安二季庚子二月日(西暦1300年・鎌倉時代)」の在銘塔で高は197cmあります。









朝渡りです。
1枚目の写真は渡御に榊として使う椿の木です。幹のサイズは茶碗大、まっすぐ伸び、八方に満遍なく枝が張出している等々の取り決めがあり、切り出すのは繖山北面の椿谷からですが、自生の椿から形の良いのを探すのは大変です。そして、切り出した椿は村の中心を流れる用水路に立てかけておき、祭りが近づいたことを村人に知らしめ、「今年の榊(椿)は立派だ」と品定めをする意味合いもあったと思うのですが、今年は村外れの人目につかない所に放り出しています。聞くところによると、切り出したのは神社の森の中だそうで、森がスカスカになっているのも納得です。











そして本例祭です。
降り模様だった空も、雲が去り青空となりました。
当地も例に漏れず少子高齢化で、祭りの中心となる若衆が少なく、神輿を担ぐには最低36名必要ですが、70歳を超える年寄りまで召集しています。小宮祭りは子供神輿を担ぐのが小学校の男の子でしたが、男児が少なく女の子も参加できるようになりました。
今年は初の試みとして、本例祭の神輿と子供神輿の同時出動です。
なお、神輿は彫刻の墨書に天保13年(西暦1842年)の銘があります。

















晴れの日は河原でチョウチョを追っかけたり、ヨコズナサシガメの成長を見守りながら過ごしました。
かっては、家の裏は畑でモンシロチョウやアゲハチョウが乱舞していたのですが、やはり高齢化で7割以上の畑が雑草を避けるため樹脂シートで覆われています。覆われていないところも耕作しておらず、食草や吸密する花がなくなり、チョウを見かけることすらなくなっていました。



















以上が日本滞在記です。
4月20日に出国です。
タイ入国は前回書きましたが、パスポートと搭乗券を入国審査官に提示するだけに簡素化されていました。





タイに戻って暫くする(5月1日)と、とうとう1バーツが4円を突破しました。
昨日(5月14日)は下院の総選挙があり、野党の前進党(ガオクライ)とタクシン派のプアタイ党が大躍進しました。
野党連合が軍が指名する上院250名を抑えて、首相を擁立出来るのか、このままでは収まらないのがタイの政治で、選挙違反、不敬罪などを持ち出し選挙無効を旧与党が訴えて、解党に持ち込むか、また軍隊が出てくるか……まだまだ、先行き不明です。

四年ぶりの帰国 (1)

2023年04月29日 | その他

2019年4月11日に帰国して以来の実に四年ぶりの日本です。
2020年からコロナ禍によって海外渡航の水際対策が強化され、入国後のホテル隔離、超高額な航空運賃、タイ入国では5万ドルの旅行保険の加入、短期滞在であればたいした掛け金ではないが、1年間の滞在ともなれば30万円の掛け金となり経済的な負担がたいへん大きくなります。
今年になりタイ、日本共に水際対策が大幅に緩和され3月15日から4月20日まで帰国しました。

まず日本入国の検疫簡易のため評判の良くない「Visit Japan Web」の事前登録です。当然日本語サイトでの入力ですが、問いかけてくるのは全て仏歴です。生年月日を西暦から仏歴に換算で何度か間違いながら登録するも、完了の脱出口がなく、また一からやり直しです。同じ帰国日が二つ並んで登録されています。
非常に分かりづらいフォームです。税関申告もしておきます。

ちなみに、タイ入国は入国カードも不要となりパスポートと搭乗券の提示、顔写真、右手四指の指紋登録で完了でした。




さて当日、タイ航空のチェックインカウンターは95%以上がタイ人旅行者です。裕福になったタイ人が物価の安い日本へ遊びに出かけるようです。





4年の間に変わっていたのが非常口の座席が有料になっていました。かっては非常口の通路側座席が希望通りに確保できたのが1,600バーツ(6,300円)とのこと。足を自由に伸ばせ、夜行便であればぐっすりと眠れ、また、離着陸の時は対面に座る美人の客室乗務員とたわいのない会話が楽しめたのですが……。
躊躇しているとカウンターの女性が用意してくれたのは席番「49C」で最後部の仕切りから2列目の通路席、有料の最前席は2席でC席の前はシートがなく十分に足が伸ばせる席でした。彼女曰くこの席は無料ですとのこと。気の利く女性でした。



機内は満席、席の周りを見回しても100%タイ人で客室乗務員の声はタイ語しか聞こえてきません。



余談ですが各国の物価を比較するビッグマック指数というのがあるそうです。日本のビッグマックは450円、タイは128バーツ(約500円)となっています。





日本到着です。検疫では登録済みの青くなったVisit Japan Webのスクリーンショットをかざすだけで、立ち止まることなく入国審査へ誘導されます。入国審査場は3名の日本人帰国者がいるだけで、空いた窓口で顔写真、両手の全ての指の指紋を撮影して通過、バゲージをピックアップして通関へ。
ここが難関で長蛇の列、最後尾が分からないくらいの人、人、人です。どうもネットで申請をした人の列のようです。両端にそれぞれ三カ所ある窓口は数人しか並んでおらず、確認すると手書申告書の窓口のようです。使用しているタイのスマホはWi-Fiの接続が不安で、機内配付された申告書にも記載していたので、待ち人のいない窓口をスムーズに通過しました。
窓口ではネット申告もしているが、なぜ紙申告のほうが早く処理されるのだ、と嫌みのつもりで言ったのですが、彼は「どちらで申告されていても問題ありません。」と真面目な返答と「お疲れ様でした。」との挨拶を後にして日本帰国を果たしました。

特急はるかで京都駅まで乗り、在来線に乗り換えです。構内放送では次の列車は新快速で、いつ来るか分からないと言っています。時刻表示盤では1時間前の列車がまだ来ていないようです。寒い駅構内で1時間以上待たされます。
新快速が来るはずが、やって来たのは各駅停車です。取りあえず乗り込みます。

日本の安全管理はどうなっているのでしょうか、工場は燃える、電車は事故る、船は転覆する………検査データはねつ造する。先進国と呼ばれたのは過去の話になったのでしょうか。





自宅では6年前にひこばえを挿しておいたヒガンザクラが大木になって満開でした。さすが3月16日ではソメイヨシノはまだ咲いていません。







チョコレート作り

2022年12月10日 | その他
過去に「チョコレート作り」をアップしましたが、工程写真が添付出来ませんでした。
「ラヨーンの果樹園(チョコレートを作ってみました)」
先月、今年2回目のカカオを収穫できました。



収穫されずに、木に成ったまま干からびた実も種をまいて育ててみようと手のとどく範囲を取って帰りました。

種子はまだぬめりがあり良い感じです。

株式会社 明治さんの「カカオ・チョコレートの基礎知識」では「天然の微生物による発酵はおいしいチョコレートのために重要な工程。」と記されているのは前回に記した通りで、方法としては「木箱に入れたり、バナナの葉をかぶせたりして数日置き……」と説明があり、木箱にバナナの葉を敷いた上で果肉の付いたままの豆を混ぜ合わせる写真が添付されています。
当方は前回と同じ要領でビニール袋に入れ、それをプラスチックの蓋付きボックスに入れて、1週間アパートのベランダに置きます。これで良いのかどうかは分りませんが、前回はコクのあるチョコレートができたと思っています。

11月13日にカカオポッドを収穫したのですが、例年なら11月は乾季で雨は降らないのですが、今年は異常気象で連日夕方から雷鳴とともに驟雨に見舞われています。雨が吹き込まないように同じ方法にしました。





一週間後に豆を洗い、さらに一週間屋外で乾燥です。夜は雨を避け屋内に取り入れておきます。





一週間後にチョコレート色になった豆の乾燥状態を確認のため、種皮を割ってみます。種皮は薄く爪で簡単に割れます。
胚乳部(カカオニブ)を囓ってみます。水分はすっかり飛んで、かなり硬くなっています。味は苦みだけでチョコレートの風味は全くありません。
「カカオニブには6~9%のポリフェノール類が含まれています。スーパーフードとしても注目…」とありますが、取りあえず吐出しておきます。

次ぎにローストです。「100~140℃の熱を加えローストし、カカオ豆の風味を引き出します。」とあるだけで、時間が書かれていません。とりあえず、120℃で30分間実施しました。



種皮を砕き胚乳部(カカオニブ)を取り出します。
砂糖とバターを用意しておきます。ココアバターは高価なので普通のバターを代用します。





そしてカカオニブの粉砕、微細化です。
途中で砂糖、バターを混ぜ攪拌します。精錬工程は出来ないので粒子がまだ残っています。





約10分間の攪拌です。
次工程です。「カカオ・チョコレートの基礎知識」には次ぎが「テンパリングは、チョコレートを美味しく仕上げる為の必要不可欠な工程です。」「テンパリングとは、チョコレートの温度を調節して、ココアバターを安定した結晶(V型)にする作業です。」とありますが、そのまま型に流し込みます。
ドローリとした良い感じです。



冷蔵庫で冷却です。



冷却が終わり試食です。精錬工程がないのでざらざら感は仕方ないのですが、今回は砂糖が少なめで甘みがなく、チョコレートの苦みと酸味を少し感じます。しかし、チョコレートのコクはしっかりしています。
「カカオ豆の発酵過程で酢酸だ生じるため、最終的なチョコレート生地にも酸味があります。」
市販されているチョコレートしか食する機会が無かったので、酸味が気になったのですが、チョコレート本来の味だと知りました。

東南アジアの古陶磁器展

2016年08月20日 | その他


■6月7日に「Instagram」(以降インスタ)に手を出してしまいました。
ずいぶん以前から友人がインスタが面白い、面白いと奨めていたので、帰宅後の暇つぶし程度に写真をアップしました。ところがインスタに取憑かれてしまい、寝る時間も惜しんではまっています。
スマホでやるため画面は小さく目がかすみ、文字入力も面倒で目と肩に疲れがたまり、途中でゴロリと横になって、下手するとそのまま寝てしまう、体にとって良くないことばかりです。

インスタにはまりブログの更新がずいぶん止まっていましたが、年初に予告していました「東南アジアの古陶磁器展」の案内状が送られてきましたので、久しぶりに再開です。

ちなみにインスタは「#bangna32」のタグでやっています。よろしければお立ち寄りください。

なぜかタイトルが「東南アジアの工芸」となって、展示品の焦点がぼやけてしまいましたが、メインは「タイを中心とした東南アジアの古陶磁器」です。
お皿の絵柄もなぜか横向きが使われて、お魚が立ってしまいました。
縦用の写真も用意しておいたのですが、このあたりはデザイナーの意図が分かりません。

縦用の写真です。

■紙上展示会じゃなくブログ展示会をしようと思ってたくさんの下書きをしたので、ぼちぼちアップしていきます。よろしくお願いします。

謹賀新年・2016年

2016年01月02日 | その他
明けましておめでとうございます。
2016年は1956年に次いで戦後2回目の「丙申」の年で、陰陽五行説では「丙申」は「大変革の年」にあたるそうです。
さて、どんな大変革が起きるのやら・・・。

写真は「白褐釉鹿文瓶」に水仙と椿を挿してみました。くもり日に撮影したため、白釉が水色に被ってしまいました。
全高:24.2cm、口径:12.9cm、胴径:14.7cm、底径:10.2cmの新作です。筒形の窯道具に載せ、薪窯で焼成しているため、古色をつけて悪意を持って販売されればそれなりに通用しそうです。


申年にちなんで猿の陶像です。「褐釉考える猿」左手はしゃがみこんだ膝を抱きかかえ、右手で顎を支える思索する猿です。スコータイ時代の集落跡のサラチット出土です。
全高:6.6cm、14世紀から15世紀、パ・ヤーン窯


「青磁猿頭部」サラチットのサトウキビ畑で出土しました。母子像など人物像は病気平癒の「シア・カバーン」という儀礼で頸を折っていますが、猿もそうであったのか、偶然に折れてしまったのか不明ですが、頭部しか出土していません。
高さ:3cm、幅:3.5cm、14世紀から15世紀、パ・ヤーン窯

「鉄絵ハヌマーンの蓋付鉢陶片」です。パ・ヤーン窯跡から出土しました。陶片の曲率から推定すると、直径24cmぐらいの大きな鉢になります。
口端部の釉薬が拭き取られていることから、蓋があったことが分かります。
絵柄の「ハヌマーン」は羅刹王ラーヴァナに誘拐されたシーダー姫を、奪還に向かうラーマ―王子を助ける猿の将軍です。6世紀に、発祥のインドからジャワを通じてクメールに伝わったとラーマーヤナの1節です。クメールでは神殿の装飾にラーマーヤナの挿話が好んで用いられました。アンコール・ワットの回廊には50mにも及ぶラーマ王子率いる猿軍と羅刹軍のランカー島の戦闘場面があります。タイへはスコータイ王国建国以前のクメール統治下に伝わったと言われています。
陶片の絵柄は、ハヌマーンが自分の毛を抜き、息を吹きかけて分身を生み出す場面のようです。
ハヌマーンは中国に伝わり孫悟空になりました。また、日本に伝わったラーマーヤナは、鬼ヶ島の鬼退治をした、猿、犬、キジをお供にした桃太郎の原型ではないかとも考えられています。
***

「小幡人形(おばたでこ)」のおサル、桃太郎さんのお供です。
小幡でこは、滋賀県五個荘・小幡で作られる土人形=「でこ」です。
小幡人形のホームページによりますと、およそ300年の歴史があり、当地で京通いの飛脚を営んでいた安兵衛は、度重なる道中の追い剥ぎや恐喝で荷を盗まれ、その弁償が大きな負担となり、転業を考えるようになりました。京で人気のあった伏見人形の技術を習得し、人形師として中山道沿いの小幡で「でこ」作りを始めました。
土産物や玩具として人気があり、明治初期までは4,5軒の同業者がありましたが、現在は9代目が伝統をまもって小幡でこを作っておられます。
年賀切手の意匠に過去2回採用されています。
***********

今年9月に「―タイを中心とした― 東南アジアの陶磁器展」を開催します。
案内ポスターを考案しました。写真は右上から左へ順番に
1.白釉緑彩草文皿(ミャンマー)15世紀 東南アジアの湿地に大繁殖するバック・ブーンの意匠です。直径31cmです。
2.青花花文皿(ベトナム)15世紀 ベトナム、ホイアン沖の海上がりです。
3.青磁縞文輪花皿(ワン・ヌア)15~16世紀 オムコイ出土です。
4.鉄絵魚草文鉢(スコータイ)15世紀 直径25.5cm、高さ7cmの鉢です。
羊歯状の葉は、「バイ・ワイ」という山に自生する植物、その間の模様は「クア・ワン」と呼ばれています。
5.青磁刻花花文輪花皿(サンカローク)14~15世紀
6.青磁刻花蓮華文油壷(サンカローク)15世紀 胴径6.7cm、高台径3.2cm、高さ5.2cmです。サラチットのサトウキビ畑から出土しました。
7.鉄絵飛鳥文皿(カロン)15世紀 ターク、ポップラー出土です。
8.鉄絵双魚文皿(サンカンペーン)墳墓遺跡出土品で鉄剣が重なっていたため口辺に鉄錆が固着しています。
9.褐釉刻花唐草文皿(パヤオ)14世紀
10.青磁刻花菊花文油壷(サンカローク)15世紀
11.青磁皿(パーン)15~16世紀 メーソット出土です。
12.青磁刻花文小皿(サンカローク)15世紀 直径8.8cmです。
13.青磁皿(コ・ノーイ窯・モン陶)13世紀 直径27.3cmです。
***

会場の「カフェ&ギャラリー ハクモクレン」です。
近江商人の留守宅が残る五個荘川並の集落の狭い路地を進み、観音寺山の麓近くに、築200年の古民家を改築した「ハクモクレン」があります。玄関を入った三間続きの部屋が陶磁器や木彫などの工芸品、絵画などを展示するギャラリー、さらに横に連なる三部屋をカフェ、そして玄関を入った土間の続きの水屋で古伊万里などの骨董品が販売されています。





ハクモクレンの軒下に住み着いた野良猫、「ミーちゃん」です。

玄関を入った土間です。

陶器展が催されているギャラリーです。



古道具展のギャラリーです。

カフェです。奥の蔵の2階も展示室になっています。



お竈さんを残したまま、古伊万里等の日用遣いができる骨董品が並んでいます。


***

古伊万里以外にもタイの陶器が並んでいました。
サンカンペーンの鉄絵草文皿です。14世紀から16世紀に作られた無傷の美品です。

サンカンペーンのやや小ぶりな鉄絵双魚文皿です。

サンカンペーンの青磁縞文皿です。よく焼成されたきれいな青磁です。

スコータイの大型の鉄絵魚文鉢です。


サンカロークの鉄絵碗です。金継ぎをして抹茶碗として使い込まれたのでしょうか、前の所有者が長く愛玩され様子が分かる品です。


カロンの大きく歪んだ白磁碗です。やはり、金継ぎをして抹茶碗として使われていました。

ブリラムの黒釉人面瓶です。12世紀から13世紀のクメール版図のブリラムで焼かれた小型の瓶です。

土味はカロンですが、いまいち良く分からない褐釉双耳水注です。東南アジアの産であることは間違いありません。
ここまでの品は、同じ所有者から出された陶器ですが、いずれもコンディションの良い品で、かなり早い時期に日本へ持ち帰って大事にされていたもののようです。

高麗青磁です。小さな高台からほぼ直線で口縁に伸びる側面、見込みに菊花を陽刻し周りには不鮮明な葉模様が押されたややくすんだ青磁碗です。

庭でもコーヒーがいただけます。