の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

パヤオ観光

2022年06月18日 | パヤオ
パヤオの2020年1月2日です。
2日の朝はパヤオ湖船着場前でサイバートをして徳を積み、その後舟でパヤオ湖の睡蓮撮影です。




ナコーンサワンのブン ボーラッペット湖、ウドーンターニーのノーン ハーン湖の湖面を埋め尽くす赤い睡蓮は有名ですが、パヤオ湖の東南部を埋め尽くす赤い睡蓮も見応えがあります。残念だったのは早朝の舟出で靄と雲が厚く朝陽に照らされなかったことです。
帰路は船着き場の沖合500mにあり、地元の人から神聖な島と崇められている、湖上の古刹ワット ティローク アーラームに上陸して参拝です。










ナーンへ向かって出発、走行中の湖畔にパヤオ観光案内所がありました。親切に対応してくれた職員から ”パヤオのプー チー ファ” を紹介されました。市街から北へ10kmのドイ ドアン山系のモン ピー キアン山麓にあります。正式な名前は ”プー ヒン ボー シップ ソーン(12の池がある岩山の森)” で詳細が書かれているハードカバーの本やたくさんのパヤオガイドブック、カレンダーを貰って出発です。




山麓駐車場からピックアップ トラックに揺られて未舗装の山道をボー シップ ソーン近くまで移動です。
一帯は岩の山で7ヶ所の見所があります。その一番下にあるのが岩盤の斜面にできた12の池(ボー シップ ソーン)です。
解説では年中水を湛えているそうです。乾期である正月に訪れていますが、写真のように水がありました。
砂岩を山の水が浸透しているようです。池の周りには溢れた水を低位置の池に導水するための人工の細工が施されています。
山の上部には古代人の壁画が残されており、この池は古代人の貴重な貯水池だったようです。
















岩山を登っていくと ”パヤオのプー チー ファ”「パー ホワ ルア」です。
プー チー ファとはチェンライとラオスの国境にある標高1628mの断崖絶壁です。断崖の先端が空を突き刺すような形をしています。冬季は眼下に雲海ができて、そこからのご来光を見にタイ人が集まる人気の観光地です。パヤオ市街からは130kmの東北にあります。
パー ホワ ルアも冬季は日の出が綺麗なようです。標高はそれほどでないから雲海は駄目でしょうが眼下が朝靄に包まれるでしょう。ちなみに名前の ”ホワ ルワ” は船首のことで、岩壁の形から名付けられたようです。






第三のポイントは ”バン=ラン クン ジュア(ジュア王の玉座)” です。
クン ジュアは古代のパヤオ王です。彼の父はチェンサン(チェンライ)王国の防衛要衝として住民を連れて移住、シンハラートの領主となります。父の後を継いだクン ジュアは丘陵の平坦な地域で軍事訓練を行ないました。彼は領土を拡大しパヤオ王に君臨します。ジュア王が軍事訓練のときに腰掛けた石です。
民間信仰ではこの砂岩の玉座に座ると幸運が与えられるそうです。

最終ポイントの古代人の壁画を見たかったのですが、ナーンまでの時間を考えここで引き返します。午前11時45分です。






昼食は二日連続で国道沿いのクイティアオ屋さん ”アンチャルーン” です。
クイティアオだけでは腹持ちしないのでご飯も注文しました。








食後はナーンへ向かいます。国道1251号線でチャンムアンから国道1091号線となる150kmの山越えコースです。宿泊は少し奮発してプーカー ナーンファー ホテルにしました。



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ナーンの朝は市街西部の小山にあるワット プラタート カオノーイからナーン市街を眼下にご来光の撮影です。残炎ながら雲が多すぎました。
実は3回目の挑戦ですが、なぜかいつも雲に覆われてご来光は拝めず撮影失敗です。

その後、ホテルに戻り朝食を済ませてナーン市街の東、プー ウィアンの丘陵にあるワット プラタート チェーヘーンに参拝します。
再び市街に戻り、ワット ミンムアン周辺で昼食、シーサチャナライへ向かいます。












ワットミンムアン礼拝堂の壁画です


プレーの特産品ソーセージをデンチャイ交差点手前で購入、シーサチャナライのお土産です。





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この旅行以降はコロナで県をまたぐ越境規制、午後8時以降の外出禁止等々と厳しい規制で部屋ごもりが続きました。昨年11月から1泊の遠出をするようになり、今年の5月には久し振りに4泊でスコータイ周辺を回ってきました。目的はスコータイにある2ヶ所の国立博物館でした。(次回から投稿予定)


しかし、2020年4月のガソリン代と比べるこの高騰です。日本円に換算すれば為替変動もあって、1リットルあたり55.66円から170.71円と3倍です。これでは移動距離の自主規制です。

ワット リー博物館

2022年06月13日 | パヤオ
少し古くなりますが、2020年正月はパヤオで過ごしました。まだコロナ騒動が起こる前です。
元旦の朝はパヤオ湖畔でサイバート(托鉢僧の鉢に食べ物を寄進すること)で徳を積み、ワット リーへ初詣しました。


過去ブログ2015年2月14日「カロンの磚仏」と2015年12月13日「ワット リー」でウィアン パヤオ(ワット リー)博物館を取り上げましたが、当時建設中だった博物館も完成し、芸術局に依頼中だった宗教画の修復も完了して展示品が充実しただろうと思い出かけました。

過去ブログ「カロンの磚仏」はここから
過去ブログ「ワット リー」はここから

午前10時にワット リーに到着です。
仏塔の修復中ですが、工事中だった博物館は見当たりません。建設を中断したようです。




ご本尊に参拝して従来の博物館へ向かいます。
入り口には誰もおらず、近くで掃除をしていた僧侶に宗教画のことを尋ねると、二階に展示しており、館内の写真撮影もOKと言う返事です。


修復されていたのは、ブン パー ウェット(ヴェッサンタラ ジャータカ祭り)で説経堂に掛けられる幡絵と呼ばれる、布に描かれた150年前のパー ウェット サンドン チャードックでした。
絵解きとしてアユタヤ王朝時代から始まったと言われており、イサーンでは年中行事として盛大に催されます。

一番上は第3章の都を追われたヴェッサンドラ王子に馬車と馬を乞う4人のバラモンが描かれています。
二番目は第9章はヴェッサンドラ王子が我が子をチューチョクに布施した為、マッシーの帰宅を妨害する獅子と子がいないことを知り気絶したマッシーが描かれています。
一番下は第10章はインドラ神がバラモンに身を変え、マッシーを乞う場面です。

額装された幡絵ですが窓からの明りが反射して見難くなっています。







「カロンの磚仏」で紹介した磚仏とその後に手許へやって来た磚仏です。一回り大きく全高 8cm、中間部の幅 3.3cmです。やはりカロンの出土品です。





ワットリー博物館展示の磚仏も撮影自由になったのでアップします。





つぎはパヤオ古陶器の壷です。
陶片は壷の破片ですが、貼り付けの鹿、掻き落としの象とパヤオ窯以外では見ない技法です。
まだ完品を見たことがありません。これも撮影自由になったため展示されている全品を撮影しました。











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その後はパヤオ湖を一周、パヤオ湖の西にそびえる山の麓にあるプー クローン ヒルぶどう園でぶどうを購入してホテルへ戻ります。
とても甘いぶどうでした。




パヤオ湖の夕焼けです。

ワット・プラタート・チョムトーング

2015年12月19日 | パヤオ

次に訪れたのはワット・シー・コーム・カムの北の丘陵の上に建つ「ワット・プラタート・チョムトーング」です。およそ900mの距離です。

「プラチャオ・タンチャイ」と呼ばれる本尊です。



本堂の仏陀は厨子に納まっています。いずれも歴史のある、砂岩で造られた仏陀像のようです。

プラタート・チョムトーングです。
伝説では、ヨーノックブリ・シー・チャーンセーンの国主マングカラット王はスリランカから仏舎利を持ち帰ります。
マングカラット王はチャイ・ナライ国の王プラヤ・ルアン・ケーオに仏舎利を分け与えました。そして、仏舎利はパヤオ湖畔の丘の上に仏塔を建立して納められました。仏塔はプラタート・チョムトーングと呼ばれ古代からパヤオの人々に崇拝されてきました。

ラーンナー様式の仏塔は八角形基壇の上に三層の花飾りをした塔胴部、さらにリングを巻いた伏鐘型の塔頂部、尖端には黄金の傘蓋を戴きます。





仏塔を護るシンハです。


*****

午後4時、まだ早い時間ですが一旦ホテルに戻り、パヤオ湖の夕焼けを待ちます。

しかし、西に傾いた太陽は厚い雲に隠れていきます。夕焼け空は望めそうにありません。



結局、午後6時30分まで部屋で過ごし、ホテル前の屋台通りで夕食にします。



屋台の定番、クイッテオ屋です。
歩道にテーブルと椅子が置かれており、そこで食べることができます。別の屋台の料理を注文しても、腰かけている場所を言っておけば届けてくれます。結構便利なシステムです。
また、歩道の端には水道管がはしり蛇口が設置されているため、食器などが洗えるようになっています。



正月前で人出も少なく、屋台も少ないようです。

背後の建物が泊まっているパヤオ・ノーザン・レイク・ホテルですが、灯りの点った部屋はまだありません。

ワット・シー・コーム・カム

2015年12月17日 | パヤオ

昼食後に訪れたのはパヤオ湖に沿ってドン・サナーム通りを1km程北西にある古刹「ワット・シー・コーム・カム」です。
この寺院の隣にある博物館「パヤオ文化展示会館」には何度か訪れていますが、いつも古窯めぐりの途中に立ち寄るだけで、「ワット・シー・コーム・カム」に参拝する余裕がありませんでした。今回はパヤオに2泊するのでご本尊の「プラ・チャオ・トン・ルアン」に参拝です。
写真は外周壁の山門を内側から写しています。左の人たちは、お供えの線香、ろうそく、金箔と供花の蓮の蕾を求める人たちです。

本堂の回廊の入り口左の虎です。左前脚の下には鹿が押さえつけられて餌食になっているのか、それともじゃれ合っているのか? また、写真に入っていませんが、虎の尻尾を猿が引っ張っています。

虎の後方にはシンハの像です。虎の尻尾を引っ張る猿が写っています。

右はヒョウとウサギ、尻尾にはやはり猿がいます。

回廊門をくぐると左手に仏足石が置かれています。



やはり左手角、仏足石の前方に祀られた仏陀像です。


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ろうそくの向こう、回廊にはラーンナーの覇権下となったパヤオ王国時代の仏像が安置されています。











砂岩に彫られた切れ長の目は、ワット・リーの軒下で見た仏陀のお顔と共通するラーンナー様式、あるいはパヤオ独特のお顔です。




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本堂に安置されているラーンナーを代表する「プラ・チャオ・トン・ルアン」または「プラ・チャオ・オング・ルアン」と呼ばれる触地印の仏像です。
膝部の幅は14m、高さ18mの大きな仏像です。

昔々、お釈迦さまと出会ったナーガ王は、お釈迦さまに強く心を惹かれて忠実な仏教信者となります。やがてナーガ王は仏陀像の建立を熱望します。
ナーガ王はパヤオ湖畔に住む老夫婦に黄金を渡して、建立を依頼します。そうして「プラ・チャオ・トン・ルアン」1491年から33年の歳月を要して1524年に完成します。ラーンナー文化が最後に華開いたケーオ王(在位:1495年~1525年)の治世です。



回廊に安置された奉納仏像です。



回廊で織物をする人たちです。





チェンセーン様式の本堂外観です。

湖畔の池に立つお堂です。布薩堂でしょうか、扉は閉まっていました。



お堂の裏から望むパヤオ湖です。




ワット・シー・ウモーン・カム

2015年12月14日 | パヤオ
ワット・リーからパホンヨーティン通り(国道1号線)を越えタークワン通りをパヤオ湖畔へ出る丘陵の途中に「ワット・シー・ウモーン・カム」という寺院の道路標識がありました。とりあえず参拝です。

大きなパヤ・ナークが迎えてくれます。

階段の左右には巨象がいます。巨象がつくる日陰で語り合う二人です。



黄金色の仏塔です。

もう一基、白い仏塔があります。

礼拝堂内の写真です。

ご本尊に参拝です。


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昼食はパヤオ湖畔の「ルア・サムラン」というお店に入りました。



お店から見るパヤオ湖です。





「プラー・ニン・トート・クラティアム」(イズミタイのニンニク揚げ)です。
「プラー・ニン」という魚は、繁殖力が旺盛で成長が早く、屋台では腹部に香草を詰め、塩をまぶして焼いているのをよく見かけます。タイの大衆魚で、白身にしょうゆをかけて食べると日本人にもおいしくいただけるかと思います。
このプラー・ニンの邦名は姿が鯛に似ていることから「イズミタイ」と呼ばれるアフリカ原産の「ナイル・ティラピア」です。
天皇陛下が、皇太子時代の1964年に訪泰された時、タイ国民の食糧状況をお知りになり、翌1965年にプミポン国王にナイル・テラピアを贈られたのが始まりで、現在では大繁殖しタイの大衆魚になっています。「ニン」というのは皇太子明仁親王の「仁」からつけられた名前だと言われています。