の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ナコーン・パノムの灯明舟流し(3)

2015年10月31日 | サコーン・ナコーン



次の灯明舟は通信大手のAISがスポンサーですが、舟長は35m、灯明4,000灯の小型舟です。

続いては、全長60m、灯明15,999灯の灯明舟です。











風に流されて舟の向きが大きく変わってきました。

川岸まで流されてきました。

川岸から離れ、花火を上げながら体勢を整えていきます。

全長60m、灯明の数15,999灯です。絵柄に沿って点灯されている灯明には、強風で吹き消されたところがあるようです。
*****

全長64m、灯明12,000灯がぶら下がっています。

この灯明舟もよいスポンサーが付いているようです。ふんだんに花火を上げながら流れていきます。




























ナコーン・パノムの灯明舟流し(2)

2015年10月30日 | ナコーン・パノム

「オーク・パンサー」は「出安居」と訳され、雨安居の三カ月間を天界で過ごされたお釈迦様が最後に母マーヤーに説法をされ地上界に帰ってこられる日です。お釈迦様が帰ってこられたお祝いが各地で催されます。
ロイ・ルア・ファイもお釈迦様のお帰りを祝ってメコン川に灯明舟を流す行事です。
14槽の灯明舟が流されました。午後7時10分、第1槽目は灯明を点けた小舟が大量に流されて、その中を灯明舟がメコン川の中ほどへ曳航されていきます。
東から吹く風が強く、操船に苦慮しているようです。灯明を吊るすやぐらにまともに風を受けるため川岸に押し流されたり、灯明が吹き消されている灯明舟もでる始末です。

全長50m、灯明の数19,000個を点けた、小型の部類に属する灯明船です。





第2槽目の灯明舟です。全長90m、灯明の数17,000個が点けられています。

次々と花火の仕掛けを変えながら流れていきます。










*****

全長96m、灯明の数22,000個が点灯しています。2014年に流された灯明舟では最長の舟です。
月食で欠けていた月も、いつの間にか満月に戻っています。

舟長は96mですが、高さも50m以上ありそうで、風にあおられて反転しそうです。






*****

全長90m、灯明の数30,000個が点けられています。灯明の数が一番多い灯明舟です。






















*****

全長60m、灯明の数19,999個が点けられています。


















ナコーン・パノムの灯明舟流し(1)

2015年10月27日 | ナコーン・パノム
ホテル前の食堂で夕食を済ませ、メコン川までやって来ました。
午後5時15分です。灯明舟流しは午後7時からで、まだ人出は多くありません。
まずは観賞の場所取りです。茣蓙をひいておきます。

写真の建物はイミグレーションで対岸のラオスとの渡し船が発着しています。

イミグレーション横のメコン川に沿った広場では、人々がメコン川に向かって祈りを捧げていました。

その横には、竹、バナナの茎や葉で作った小さな灯明舟が並んでいます。





灯明舟には空き缶利用の灯明のほかに、バイ・シー、線香、ろうそくなどが供えられています。
灯明舟流しは、5,6世紀に栄えたシー・コタブーン王国に始まるといわれています。現在は100mを超える大型の灯明舟も造られますが、当初はここにあるような舟だったのかもしれません。



灯明舟が奉納する人たちによって川岸まで運ばれます。









灯明舟は川岸に係留されたボートに載せられます。



このあとボートに載せられた灯明舟は上流へ運ばれていきます。
*****

ラオスの国旗を掲げた船が寄港します。



午後5時56分、上流に係留されている灯明舟に灯が点けられました。灯油の黒煙がたち上がります。

川上へ運ばれる船があります。灯明舟の先導をする舟のようです。

午前6時12分、ボートで川上に運ばれた灯明舟に点灯されます。

午後6時45分、気が付くと三日月が昇っています。はて、三日月・・・?
オーク・パンサーは旧暦11月の満月のはず、混乱してきました。

月食だと気が付くまで、ずいぶん時間がかかりました。

午後6時47分、灯明舟がメコン川を流れていきます。









乗船客を満載した船がラオスへ向かいます。

午後7時です。ロイ・ルア・ファイの始まりを告げる花火が揚がります。




プラタート・レーヌ・ナコーンへ参拝

2015年10月26日 | ナコーン・パノム
ワット・プラタート・パノムからナコーン・パノムまで国道212号線を北上すれば55kmです。
時間はまだ午後1時です。国道212号線を9km行くと国道2031号線との分岐点があり、国道2031号線を7km走るとレーヌ・ナコーンへ到ります。

美女の町レーヌ・ナコーンで仏舎利塔「プラタート・レーヌ・ナコーン」に参拝してからナコーン・パノムへ向かうことにします。

午後1時12分、国道2031号線へ入りました。あと7kmでレーヌ・ナコーンです。

午後1時19分、プラタート・レーヌ・ナコーンの建つワット・タート・レーヌに到着です。

ワット・タート・レーヌの礼拝堂です。

礼拝堂では僧侶がお勤めの最中です。出安居の勤行です。



1918年に建立された、高さ35mのプラタート・レーヌ・ナコーンです。









信者が仏舎利塔を覆う黄色い布を喜捨しています。僧侶を先頭に信者が奉納する布をつかみ、時計回りに3周します。そのあと、布で塔を包んでいきます。



勤行を終えた僧侶が礼拝堂から出てきました。
*****

プラタート・レーヌ・ナコーンから国道2015線の交差点に建つ、プー・タイ族の青無地で赤縁取りの礼服姿で踊るモニュメントです。もちろん踊りは「ラム・プー・タイ」です。

モニュメントの基壇はプー・タイ族の生活風景が描かれています。


*****

国道2015線をナコーン・パノムへ走っていると、右手に煉瓦造りの布薩堂(シム)が目に留まりました。ロータリーから1.8kmのところです。
「ワット・ウィチ・ワララーム」という寺院です。見学していきます。



仏陀と天人の漆喰彫刻が施されています。





お堂に入る横に設けられた階段です。階段は正面と左右の3カ所あります。左右はヤックでしょうか、門衛です。



正面から見ます。

初説法の図です。

ひさしを支えるナークたちです。

裏面です。



布薩堂は施錠をされていたのですが、たまたま通りかかった婦人に尋ねると、孫と思しき少年に説明して、僧坊へ合鍵をとりに走らせてくれました。
鍵を開け参拝です。





18世紀のラオ様式の一刀彫の仏陀です。
*****

午後3時17分、ナコーン・パノム市街へ入ってきました。メコン川をまたいで第3タイ・ラオス友好橋が2011年11月11日に開通、前を走る車はラオスのナンバー・プレートを付けています。他にもたくさんラオス・ナンバーの乗用車を見かけました。

メコン川近くのウインザー・ホテルに宿泊です。歩いてメコン川へ出ることができるため、灯明船流しの夜の常宿になってしまいましたが、予約が遅れて一週間前でクーラー付の部屋がとれませんでした。宿泊料は900バーツと通常価格の4倍近くになっています。

ナコーン・パノムまでの走行距離は1131kmになりました。


■今年はいよいよ明日がオーク・パンサーです。ナコーン・パノムでは「ロイ・ルア・ファイ(灯明船流し)」が催されます。当ブログも明日から昨年の「ロイ・ルア・ファイ」を紹介します。

プラタート・パノムの舞踊奉納祭(イサーン・私たちの郷土)

2015年10月25日 | ナコーン・パノム
最後は踊り手全員が登場し「イサーン・私たちの郷土」と銘したイサーンの人たちの郷土愛を表現した踊りです。























午前11時3分、奉納舞踊が終わり、踊り手全員がプラタート・パノムに拝礼です。



さらに、振り返って参列者に合掌して奉納舞踊は幕です。



山門前は参列者も混じった踊りに変わります。



この一角は「ラム・シー・コタブーム」を踊ったプー・タイ族の衣装をまとうグループです。





女性たちに集まってもらい記念撮影です。








*****

レーヌ・ナコーンの衣装をまとった女性たちです。









以前にも書きましたが、レーヌ・ナコーンはタイ北部のチェンマイ、チェンライと並んだタイ3大美人の出生地です。遠い昔にベトナム北部からラオスに移り、近世にメコン川を渡ったプー・タイ族には中国系の血も混じり、タイ人の美の基準である色白で鼻筋が通って、うりざね顔の女性が多いようです。



仏塔に参拝してから出発です。

110kgの金が用いられた塔頂の装飾です。

扉に彫刻された菩薩像です。



プラタート・パノム近くのレストランで昼食です。ホテルも併設しているようで、一泊350バーツの表示です。次回の宿泊候補にします。