の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

4000年前の壁画(ワット・カオ・チャン・ンガム)

2014年12月18日 | ナコーン・ラーチャシーマ

ピマーイ遺跡から約63km、ナコーン・ラーチャシーマ市街外れにあるシマ・ターニ・ホテルのロビーです。夜食にコンビニでカップ・ラーメンを食べホテルに投宿したのが午後11時30分頃でした。
宿泊料はデラックス・ルームしか空室がなく一泊2350バーツでした。デラックスとは名前だけで、ごくごく普通の部屋でした。



廊下に置かれたクメールの彫像です。



朝食です。

午前10時、チェック・アウトです。

シマ・ターニ・ホテルの外観です。
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ナコーン・ラーチャシーマから国道2号線をバンコク方面へ50km走行したワット・カオ・チャン・ンガムの裏山に先史時代の壁画が残っています。
国道から4kmほど入るだけなので寄ってみます。





巨大な岩と木々の茂る裏山への入り口です。

この岩も下部を削った痕があります。



観光客が押し寄せる名所でもないのに、駐車場にたくさんのワゴン車が停まっていたのを不審に思っていたのですが、ここまで来て理由がはっきりしました。
テレビ・ドラマの撮影準備中でした。出演者はまだ来ていません。





地上4mの高さに赤絵で人物が描かれています。



3000年から4000年前にこの地に住んだ稲作民族が生活様式を描いたそうです。

腰蓑を付けた人物が狩猟をしています。





壁画は数カ所あるようなので、巨岩の間を登って行きます。











キノコです。

岩を取り込むように樹根を伸ばしています。



この岩も削られた痕があります。

削られた岩を回ると磨崖仏です。

寝仏像もあります。



寝仏の彫られた岩盤の上には巨大な仏足跡です。後から登ってきた男性と比較すると小さなプールほどの大きさがあります。



山中を1時間歩き回って午後0時37分出発します。
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ワット・カオ・チャーン・ンガムから50km進むとファーム・チョクチャイがあります。アジアで最大の酪農牧場と宣伝されています。

乳牛のぬいぐるみ等を売っています。ミルク・キャラメルを買いました。

昼食に寄ったのですが、どこも人があふれていてアイス・クリームだけ食べて出発です。


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4km進むと、サワン・ファームがあってトウモロコシを栽培、加工工場もあります。



収穫されたトウモロコシの皮をはいでいます。





剝かれたトウモロコシはコンベアで流されでコーン・ジュースとなります。

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サワン・ファームでも昼食はとれず、サラブリーのガソリンスタンドまで来ました。
午後3時35分の昼食になってしまいました。





バンコクへは午後5時30分に戻って来ました。
四日間の全走行距離は1453kmでした。


ピマーイ・フェスティバル

2014年12月16日 | ナコーン・ラーチャシーマ



午後2時、プラサート・ピマーイまでやって来ました。遺跡を囲む道路は出店で近寄ることができません。やっと探し当てたのが遺跡横のピマーイ郵便局の駐車場でした。

遺跡前にはピマーイの歴史と周辺から出土の遺物が展示されていました。
ショーの観覧券は午後4時からの発売なので、周辺を歩いてみます。



まずは昼食です。かっては写真屋さんだったようですが、現在は食堂になっています。

古いカメラをたくさん蒐集しています。





まだ人出は少ないようです。

仏陀像や僧侶の像が置かれていますが。お守りを売ったり、占いを生業にしているようです。



遺跡の横ではテントに人が集まっています。

コブラです。噛まれると30分で死に至ると言われています。
タイは毒蛇の種類が多くて、確実に助かりたければ噛んだ蛇を持って行け、とよく言われます。
病院では歯形や歯の大きさから毒蛇の種類を推測し、血清を打つそうですが、間違っていると取り返しがつかない結末を迎えます。





蛇で人を集めて、磚仏のお守りを売っていました。観衆も蛇は見ているが、お守りを売り出すと散らばって行く状態で、売れるところは見ませんでした。

プラサート・ピマーイの東南100mにある、18世紀のアユタヤ時代に建立された「メル・ブラフマハタート」と呼ばれる仏塔跡です。


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午後4時から配布された、指定席券です。
無料配布で座席指定はできませんでした。
座席を確認に遺跡に入って行きます。フェスティバル期間中は拝観料を徴収していません。

遺跡の詳細は別の機会に紹介します。ここでは概要だけ記しておきます。
大半の建造物は11世紀から12世紀の間のクメール王朝、第13代国王スーリヤヴァルマン1世(在位:1011年~1050年)によって建立されたヒンドゥー神殿だと推定されています。その後、第21代国王ジャヤヴァルマン7世(在位:1181年~1220年)によって大乗仏教寺院に大改造されました。
ヒンドゥー遺跡は一般的に東を正面にして建っていますが、この遺跡は南が正面となっています。クメールの王都、ヤショダラプラ(アンコール)を正面にしたのではないかと考えられています。

主祠堂へ向かうには、十字テラスになったナーガの橋を越えます。橋への階段両脇には獅子像があります。

参道横では演技の練習中です。



祠塔に飾られていた仏陀像が並んでいます。

回廊西門から内側へ入って行きます。







西から祠堂を見ます。

破風の石材は絵柄が連続していません。
彫刻の題材はラーマーヤナ物語です。

東から見ます。西日が祠堂に差し込んでいます。

南へ回ってきました。

まぐさ石はラーマーヤナ物語です。

ジャヤヴァルマン7世をモデルにしたと言われる瞑想する仏陀像です。オリジナルはピマーイ博物館に展示されています。

北側の破風とまぐさ石ですが、まぐさ石の踊るシヴァ神像は、左右につないだ石の組み合わせ模様が連続していません。

ショーに出演する女性たちが記念撮影中でした。


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午後6時、ナーガ橋横の広場に設置された舞台でショーが始まりました。










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午後7時20分、中央祠堂前の参道に設置されたメイン舞台へとみんな移動です。

午後8時開演です。指定席からでは舞台が遠すぎて、舞台前の芝生へ移動して観賞します。













イサーン各地の民族踊りが披露されます。





ナーガ登場です。



アプサラの踊りです。





クメール王ジャヤヴァルマン7世の登場です。



















ジャヤヴァルマン7世が登場して、午後9時38分閉幕です。

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最後は出演者との記念撮影です。クメールの装束を着た出演者です。


ムアン・ナコーン・ラーチャシーマー

2014年09月02日 | ナコーン・ラーチャシーマ
■ムアン・ナコーン・ラーチャシーマーに都市が建設されたのはアユタヤ時代のナーラーイ王(在位:1632~1688年)時代で、国境の要衝として周囲5.5kmの矩形の濠と城壁に囲まれた要塞都市が建設されています。
しかし、現在の旧市街には、一部再現された城壁以外に歴史的な遺構や見るべき観光資源はありません。
せっかくナコーン・ラーチャシーマーまで来たのでガイドブックを探すと、ホテルから2.5kmに「ワット・サーラー・ローイ」というターオ・スラナーリー夫妻が1827年に創建した寺院がありました。






境内にはターオ・スラナーリー像と舎利塔が建っています。

本堂です。

建設は1967年です。伝統的な仏教寺院と異なり、斬新なデザインの本堂です。





本尊は両手を突き出した施無畏印の純白の立仏像です。

重厚な青銅製扉に刻まれた「パー・ウェット」のレリーフです。

バラモンに引き渡されることを知って蓮池に隠れた子供たちを説得するパー・ウェットです。

本堂背面は地元「ダーン・クウィアン」の陶板で飾られています。

仏塔です。

境内ではモラームの特訓中です。





この陶板はトイレの目隠しです。
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■「ワット・パーヤップ」旧市街の北西角の堀沿いにある寺院です。
僧侶が集めた鍾乳石で洞窟を造り、仏像を安置しています。
今日は各地に寺院から僧侶が参拝に来るようです。

人工洞窟の内部です。











建築途中の礼拝堂です。

アジャンタ石窟をモデルにしているようです。

本尊は説法印の倚座仏です。
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■「ムカモントリー通り」のナコーン・ラーチャシーマー駅を過ぎ国道2号線へ出る手前350mで「ワット・マイ・アムパワン」の敷地に建っている古い煉瓦造りの本堂が目に留まりました。
慌てて引き返します。

1782年から1807年の間に建立されたベトナム様式の本堂です。



中央の肖像は「パー・アティカーン・プット尊者」と書かれています。


尊者の下はヤックです。痛みが激しいです。











裏になります。左右に扉があります。扉の上はテパノンです。



こちらは新しい礼拝堂です。

ナコーン・ラーチャシーマーのろうそく祭り(2)

2014年09月01日 | ナコーン・ラーチャシーマ
■チョムスランヤー通りをスタートしたろうそく祭りのパレードはスラナーリー通りを戻った来ました。スラナーリー通りはターオ・スラナーリー像の広場の北側を貫通して東のアッサタン通りへ続いています。その広場の北に審査員席が設けられています。
時間を見ると、市街を1時間40分のパレード後に審査員の前を通過します。

奥の壇上が審査員席です。



1時間40分間の疲れも見せず車上は熱演です。



















剣を抜いたターオ・スラナーリーが2名になっています。



頭飾りの歪みが長時間のパレードを物語っています。

巻いたスカートの裾を股にはさみ、腰で留めた姿を「チョン・クラーベン」といいます。貴族の穿き方です。







審査員席を過ぎ、再び町中を進みます。





















12時56分、パレードは審査員席を後に、しんがりの仏陀の背中が町中へ消えていきます。
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ホテルへ戻ろうとチュムポン門に差し掛かった時、三たびパレードに遭遇しました。
このピンクと黄緑の上着を羽織ったチームの写真を撮ったのは、スタート場所の午前9時40分、審査場所が午前11時22分、そして、ここチュムポン門が午後3時5分です。実に5時間半も市街をパレードし、踊り続けています。





皆、山車の方向転換を見に来ているようです。

無事に方向転換しました。拍手です。

ターオ・スラナーリーは傘を差しての行進です。5時間半、お疲れ様でした。
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午後3時55分ホテルに戻り休息です。
ナコーン・ラーチャシーマーで伊藤園の「おーい お茶」を初めて見ました。他社の緑茶飲料より15円も高い価格設定で、「セブン・イレブン」でしか販売していないようです。普段の買い物をするスーパーでは見かけません。
以前はキリンの「生茶」もありましたが、2012年の大洪水で製造工場が浸水、設備が使用不能になったのでしょうか、それとも販売量が伸びなかったのでしょう。洪水と共に消滅してしまい淋しく思っていたので、うれしい発見でした。
ポッカも早くから無糖の緑茶を販売しているのですが、かってはロット毎にお茶の色が異なり、タイ人が「どうして色が違うのだ?」と聞いてくるほどでした。「品質管理が悪いのだ」と答えていたのですが、ある時ウーロン茶を買ってコップに注ごうとするが、流れ出てきません。ペットボトルの中を見るとウーロン茶がゼリー状になっています。
生産時点では間違いなく液体であったものが、その後、如何なる反応をすれば固形化するのか、以来ポッカ製品は恐ろしくて敬遠しています。

午後5時47分、昼間持ちこたえた雨ですが、烈しい雷鳴と共に降り出してきました。

ナコーン・ラーチャシーマーのろうそく祭り(1)

2014年08月30日 | ナコーン・ラーチャシーマ

午前8時50分、ろうそく祭りパレードのスタートを待つ山車です。

午前8時52分、花火が上がりろうそく祭りの開始を知らせます。

パレードを待っている踊り手さんたちです。

台上の女性がパレード開始の挨拶をしていますが誰も聞いていません。

先頭はクラシック・カーの隊列です。



クラシック・カーの次はお年寄りの踊りです。
疲れが出なように、朝の涼しい間にという主催者の配慮でしょうか・・・。

ナコーン・ラーチャシーマーは首都バンコクに次ぐ第2の都市に成長しましたが、どうも人材不足のようです。



そして、各地区の趣向を凝らしたパレードとなります。







この山車のスポンサーでしょうか、揃いのT-シャツを着て出発前に全員で記念撮影です。初めて見る光景です。



道路に垂れ下がる電線を持ち上げて進みます。















イサーンでは男性、女性の区別が付かなくなることが多々あります。

台上の二人は間違いなく女性です。



物語の主人公です。タイ人の説明では、何かを戦った勝者とのことですが、よく理解できていません。





















出家儀式の様子を表しています。
ちなみに、背景の黒い束は電線です。

剣を片手に立っているのは「ターオ・スラナーリー」です。1826年にビエンチャン王国のアヌウォン王はタイからの独立を目指して蜂起し、バンコクへ向け進撃しますが、彼女は領主、副領主不在のナコーン・ラーチャシーマーでラオ軍の進攻を阻止したと言う副領主婦人です。
反撃するタイ軍はビエンチャンを攻略し、アヌウォン王を捕獲、王都の再興ができないように徹底的に略奪、破壊しビエンチャン王国は滅亡します。戦争捕虜として多数のラオをタイへ連行しました。

約10年前の統計ですが、林行夫氏の“「ラオ」の所在(1998年)”に興味深い数字がありましたので紹介します。
イサーン全土に住むラオは、イサーンの人口の約70%の1100万人、タイ全土で約1500万人と推定、当時のタイの人口を5770万人としていますから、タイ人口の26%がラオになります。
ラオス本土に住むラオは160万人と仮定していますから、タイに住むラオの10%ほどです。
本書にはラオスの総人口は記載されていませんが、1994年の人口が475万人とすると三分の一がラオです。

現在は「ターオ・スラナーリー」像に参拝する人が絶えませんが、像が建立されたのは1936年です。歴史は見る立場によって異なります。アヌウォン王はタイにとっては謀反を企てた逆賊ですが、ラオスから見れば、ラオの独立を目指した英雄です。
「ターオ・スラナーリー」はイーサンのラオにとってどのように受け止められているのでしょう。



ラオの伝統音楽「モラーム」です。



襷には今年のミス、ミスター・コンテストの優勝者と書かれています。

















ワールド・カップの決勝戦の対戦相手です。
この時点では決勝戦はまだ行われていません。



「ターオ・スラナーリー」です。



























結婚の儀式です。

ナコーン・ラーチャシーマーの歴史は古く、先史時代の洞窟壁画、墳墓遺跡、ドヴァラヴァティーの環濠遺跡、クメール遺跡と連続して残っています。
また、クメール帝国の第16代国王、ジャヤヴァルマン6世(治世:1080~1107年)はこの地の出身が確実視されています。





タイ人はお化けが大好きです。テレビドラマでピー(お化け、神霊)の出てこない日はありません。









仏陀の背中がしんがりです。パレードは町中を巡回します。