■明日、タイ・プアン族の出家儀式がシー・サチャナライのハー・シオ区域(T.Hat・Siao)で行われます。出家に関わる行事は本日も行われているようですが、取敢えず本日中にシー・サチャナライに到着する予定です。
ナコーン・サワンからシー・サチャナライまでは200km足らずです。
朝をゆっくり寛いで、午前9時23分にスタートしました。
「マイ・ホム・リゾート・ホテル」の玄関です。
国道117号線を北上します。市街を過ぎると道沿いに「フャラン」(グァバ)を売る店が並びます。
シー・サチャナライでは友人宅で食事の世話になる予定なので、手土産に購入します。1個50円ぐらいです。
■ピチィットで117号線から外れて国道1070号線、国道1068号線、国道1300号線で「ワット・ポー・プラタップ・チャーン」に寄ることにしました。ナコーン・サワンから87kmです。
「ワット・ポー・プラタップ・チャーン」は古いナーン川の川岸にあり、アユタヤ年代記の王室日誌編に後期アユタヤ王朝時代の1699年から1701年に、この地で生誕した第32代国王スア王の治世に建立されたと記載されています。(※スア王の在位は1703年から1709年となっており、説明書きの建築時期と統治時代にずれがあります。)
寺院は西向きで、本堂を中心に仏塔、サラ(東屋)等の遺構があり、その周りを横行き57m、奥行き100mの塀に囲まれています。塀には四方に門を配して、塀の南に仏殿、仏塔、塀の北側にも煉瓦の基礎部が残っています。
これらの伽藍を仏教区域として堀で囲んでいます。堀の南北をサンガ(僧伽)区域とし南側には庫裡跡、北側にはやはり塀に囲まれた大きな東屋跡の柱が残っています。
寺院の解説にはナーン川と記載されています。かってはナーン川の本流だったのでしょう。現在のナーン川は位置を変えています。
西向き寺院です。本堂の壁が陰になっています。
手前の木は「トン・タキアン」という樹齢200年以上の鉄木(Malabar Ironwood)です。幹は大人7名が手を繋いで取り囲んだ太さがあります。
本堂の内側です。「ルアン・ポー・トー」と呼ばれる本尊に、朝から参拝の人が絶えません。
■往路に訪れたのが午前10時50分、西向き寺院の正面が陰になっていましたから、帰路にもう一度寄りました。午後3時15分です。本堂正面に日が差し、陰影がはっきりしています。
正面写真は帰路に撮影したものを掲載します。
本堂の背面です。
側面から見ます。七つの窓があり、周りに漆喰の花飾りがされています。
左端はクメール風仏塔です。
塀の外へ出てきました。
右が仏殿跡です。
仏殿の内側です。仏像の台座だけ残っています。
仏殿内側から本堂を望みます。
堀を越えて南側へ来ました。庫裡跡です。
西門を内側から見ます。四方門のうち西門が一番大きく仕上の漆喰に蓮の花をあしらった模様が残っています。
堀の北側のサンガ区域です。解説では「9間の東屋」で集会所となっています。
空堀を越えました。振り返って本堂を見ます。
散乱している屋根瓦です。
ナーン川沿いにスア王を祀るお堂があります。
人を殺すのが好きな王様だったようで、スア(虎の意味)王とあだ名されています。
「ワット・ポー・プラタップ・チャーン」を後にし国道113号線から国道115号線に出て、国道117号線に戻ってピサヌロークを経由してシー・サチャナライへ向かうため、まず国道1300号線を東へ走行します。街路樹のラチャプルックの黄色い花が満開です。
国道113号線の道路沿いで「ソム・オー」と呼ばれるザボンが売られています。これも手土産に購入、5個で600円です。
1個はすぐに食べられるように実を取り出してもらいます。水分が多くて甘味があります。
スーパーで売っているのは酸味が強くて捨ててしまうこともありますが、美人が売っているのは美味しいです。
ピサヌロークのガソリンスタンドで給油、昼食を済ませ、午後3時15分にサワンカロークの市街へ入ってきました。ここでヨム川を渡り、西岸を北上します。
サワンカロークにも国立博物館があり、まだ行ったことがないので見ていく予定をしていましたが、改装工事中でした。今週末に開館するとのことでした。
午後3時40分に友人宅に到着、門の脇に植えられているマンゴーが豊作です。
午後4時半、少しは涼しくなったのを見計らい、旱魃で水の干上がったヨム川へお宝探しを見に出かけます。
ヨム川です。川向こうの黒い筋がシー・サチャナラーイ遺跡の都城壁です。
収穫があった様です。青銅のリングをかざしています。
本日の収穫です。釣りの重り、摩耗した古銭、青銅の塊です。探し求めている黄金の装身具はまだ見つかっていません。
今年は各地で水不足が発生しています。
かってのヨム川です。上流にダムが建設される以前の、川が往来の主要な手段だったころの写真でしょうか・・・。
しかし、雨季になれば川水は、土手の上の民家を襲います。
帰りにお宝探しをしている人の家の前で泥落としをしているたらいを覘きました。
本日の夕食です。
結局本日の走行距離276.2km、累計で575.4kmとなりました。
ナコーン・サワンからシー・サチャナライまでは200km足らずです。
朝をゆっくり寛いで、午前9時23分にスタートしました。
「マイ・ホム・リゾート・ホテル」の玄関です。
国道117号線を北上します。市街を過ぎると道沿いに「フャラン」(グァバ)を売る店が並びます。
シー・サチャナライでは友人宅で食事の世話になる予定なので、手土産に購入します。1個50円ぐらいです。
■ピチィットで117号線から外れて国道1070号線、国道1068号線、国道1300号線で「ワット・ポー・プラタップ・チャーン」に寄ることにしました。ナコーン・サワンから87kmです。
「ワット・ポー・プラタップ・チャーン」は古いナーン川の川岸にあり、アユタヤ年代記の王室日誌編に後期アユタヤ王朝時代の1699年から1701年に、この地で生誕した第32代国王スア王の治世に建立されたと記載されています。(※スア王の在位は1703年から1709年となっており、説明書きの建築時期と統治時代にずれがあります。)
寺院は西向きで、本堂を中心に仏塔、サラ(東屋)等の遺構があり、その周りを横行き57m、奥行き100mの塀に囲まれています。塀には四方に門を配して、塀の南に仏殿、仏塔、塀の北側にも煉瓦の基礎部が残っています。
これらの伽藍を仏教区域として堀で囲んでいます。堀の南北をサンガ(僧伽)区域とし南側には庫裡跡、北側にはやはり塀に囲まれた大きな東屋跡の柱が残っています。
寺院の解説にはナーン川と記載されています。かってはナーン川の本流だったのでしょう。現在のナーン川は位置を変えています。
西向き寺院です。本堂の壁が陰になっています。
手前の木は「トン・タキアン」という樹齢200年以上の鉄木(Malabar Ironwood)です。幹は大人7名が手を繋いで取り囲んだ太さがあります。
本堂の内側です。「ルアン・ポー・トー」と呼ばれる本尊に、朝から参拝の人が絶えません。
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■往路に訪れたのが午前10時50分、西向き寺院の正面が陰になっていましたから、帰路にもう一度寄りました。午後3時15分です。本堂正面に日が差し、陰影がはっきりしています。
正面写真は帰路に撮影したものを掲載します。
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本堂の背面です。
側面から見ます。七つの窓があり、周りに漆喰の花飾りがされています。
左端はクメール風仏塔です。
塀の外へ出てきました。
右が仏殿跡です。
仏殿の内側です。仏像の台座だけ残っています。
仏殿内側から本堂を望みます。
堀を越えて南側へ来ました。庫裡跡です。
西門を内側から見ます。四方門のうち西門が一番大きく仕上の漆喰に蓮の花をあしらった模様が残っています。
堀の北側のサンガ区域です。解説では「9間の東屋」で集会所となっています。
空堀を越えました。振り返って本堂を見ます。
散乱している屋根瓦です。
ナーン川沿いにスア王を祀るお堂があります。
人を殺すのが好きな王様だったようで、スア(虎の意味)王とあだ名されています。
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「ワット・ポー・プラタップ・チャーン」を後にし国道113号線から国道115号線に出て、国道117号線に戻ってピサヌロークを経由してシー・サチャナライへ向かうため、まず国道1300号線を東へ走行します。街路樹のラチャプルックの黄色い花が満開です。
国道113号線の道路沿いで「ソム・オー」と呼ばれるザボンが売られています。これも手土産に購入、5個で600円です。
1個はすぐに食べられるように実を取り出してもらいます。水分が多くて甘味があります。
スーパーで売っているのは酸味が強くて捨ててしまうこともありますが、美人が売っているのは美味しいです。
ピサヌロークのガソリンスタンドで給油、昼食を済ませ、午後3時15分にサワンカロークの市街へ入ってきました。ここでヨム川を渡り、西岸を北上します。
サワンカロークにも国立博物館があり、まだ行ったことがないので見ていく予定をしていましたが、改装工事中でした。今週末に開館するとのことでした。
午後3時40分に友人宅に到着、門の脇に植えられているマンゴーが豊作です。
午後4時半、少しは涼しくなったのを見計らい、旱魃で水の干上がったヨム川へお宝探しを見に出かけます。
ヨム川です。川向こうの黒い筋がシー・サチャナラーイ遺跡の都城壁です。
収穫があった様です。青銅のリングをかざしています。
本日の収穫です。釣りの重り、摩耗した古銭、青銅の塊です。探し求めている黄金の装身具はまだ見つかっていません。
今年は各地で水不足が発生しています。
かってのヨム川です。上流にダムが建設される以前の、川が往来の主要な手段だったころの写真でしょうか・・・。
しかし、雨季になれば川水は、土手の上の民家を襲います。
帰りにお宝探しをしている人の家の前で泥落としをしているたらいを覘きました。
本日の夕食です。
結局本日の走行距離276.2km、累計で575.4kmとなりました。