の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

バン・ファイ・タラーイ・ラーン(クット・ワー) 1

2014年06月30日 | カーラシン

午前5時40分、陽はだいぶ昇ってきましたが、雲が多いようです。「ブーン・バン・ファイ」の催しを見に、カーラシンの東端に位置し、ムクダーハーンを結ぶ国道2042号線の通る「クッチナラーイ」へ行きます。
午前8時5分にホテルを出発しました。
「クッチナラーイ」までは北西に向かう国道213号線を43km走り「ソムデット」で国道2042号線を南東へ38km走ります。
「クッチナラーイ」の中心に池があり、催し場としては最適な公園になっています。入って行きますが催しの垂れ幕もなく、雰囲気が違います。町中も平穏なものです。
一旦、町の入り口のガソリンスタンドへ戻り、屋台の女性に尋ねると、さらに8km進んだ「クット・ワー」自治区で行われることが判りました。

「クット・ワー」の区役所へ向かう山車に路上で追いつきました。

午前10時12分、区役所に到着です。右にあるのが「タラーイ・ラーン」のモニュメントです。
早朝の雲も切れて、青空の暑い一日になりそうです。

展示されているのが、「タラーイ」と呼ばれる花火です。「ラーン」は「百万」ですが大きいと言う意味で「タラーイ・ラーン」と言われます。
小型のもので直径が3m、大きいのは直径6mのタラーイが打ち上げられます。写真は直径6mで「200万」とさらに大きいと言う意味で書かれているのでしょうか・・・。

区役所前の広場にはパレードの山車が停まっていますが、人出はほとんどありません。事務所で尋ねると、午後1時から「ブーン・バン・ファイ」祭りがスタートするようです。

山車の上に載っている円形(コンと呼びます)が「タラーイ・ラーン」です。





プー・タイ族の衣装を纏った区役所の女性たちで、水、コーヒー、ジュースと飲み物を提供してくれます。なお、彼女たちは「タイ・ダム族」だと自称していました。































午前11時30分頃から参加する人たちが集まり出しました。




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■区役所の1階が地域の民族資料館になっています。
「ラック・ムアン」と呼ばれる、町の守護霊が宿る礎柱です。



前史時代の土器、青銅器も出土するようです。

「クット・ワー」のプー・タイ族の綿織物です。この一帯は絹織物より木綿織物が主流のようです。区役所の女性の話では、絹織物は「プレワー」の生産地「バン・ポーン」で買入するそうです。

プー・タイ族の住居や民具が展示されています。



左の壺は二重口になっていますが、周りに水を張ってアリの進入を防ぎます。



写真は1976年の「ブーン・バン・ファイ」となっています。





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■来客の昼食も区役所の2階に用意されていました。勿論無料です。






キノコと豚肉を煮込んだものです。

タケノコと鶏肉を煮込んだものです。いずれもイサーンの激辛でなく、唐辛子は使っていませんでした。

おかずが4品とデザート付です。

ブーン・バン・ファイを見にカーラシンへ行く

2014年06月27日 | カーラシン

■イサーンの5月は「ブーン・バン・ファイ」の季節です。ラオ人の伝統行事で雨乞い、豊作を祈って手製のロケット花火が各地で打ち上げられます。
「ヤソートーン」は1797年にチャンパーサック王国から移住したラオ人が建設したのが始まりですが、現在は県庁所在地で「ブーン・バン・ファイ」の参加地域も多く、イサーンで最大規模になっています。今年は「ヤソートーン」以外の地域の「バン・ファイ」を見ようと5月16日から「カーラシン」へ行くことにしました。
午前7時にバンコクを出発、カーラシンまでの距離は532kmの予定です。

「ブーン・バン・ファイ・タッラーイ・ラーン」の看板です。クッチナラーイのクット・ワー地区で催されます。
「バン・ファイ」は27cmほどの塩ビ管に火薬を詰めた筒状のロケット花火を打ち上げますが、プー・タイ族が多く住む「クット・ワー」地区では「タッラーイ・ラーン」と呼ばれる、右上の写真のような円形のものを打ち上げます。大きなものは直径6m、鉄パイプの火薬が詰まっていますから重さは500kgを超えそうです。製作している人は800kgと言っていましたが、そこまではないだろうと思います。

国道2号線を東へ向かいます。

国道2号線で寄ったガソリンスタンドで売っていたイサーンのタンパク源です。

イナゴのから揚げ。

コオロギのから揚げ。
イサーンではピックアップトラックの荷台全体が大きな虫かごになっていて、中に生きたコオロギを満載して売りに回っているのを見たことがあります。

カエルのから揚げ。

カイコのさなぎでしょうか・・・。

ピックアップトラックのボンネットの上ではこのようなものも売っています。
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■今回のコースはアウターリングロードから国道1号線、国道2号線で北上、326kmで国道207号線へ、国道202号線から国道2045線を走り、「ワット・ポーターラム」「ワット・パ・ライ」のシムを再訪、その後「マハーサーラカーム」を経由し「カーラシン」へ向かいます。
「カーラシン」の手前で猛烈な降雨に遭遇、コースを間違え市街地に入ってしまいました。学生たちの下校時間で市内の道路は大渋滞です。
午後5時5分にチー川に架かる橋を越え、すぐのガソリンスタンドで休憩です。
雨上がりの青空が戻ってきました。

17分で「カンタラウィチャイ」に到着、国道213号線沿いの「プラ・プッタループ・ユーン・モンコン」に参拝していきます。





男性が造ったと言われる「プラ・プット・ミン・ムアン」にも参拝します。夕陽がお顔に射して雰囲気が変わります。



「プラ・プット・ミン・ムアン」から国道213号線を26kmで「カーラシン」です。市街入り口で「カーラシン」名物の恐竜が出迎えてくれます。

1ヶ月前にはなかった巨大結界石も建っています。周りには工事道具が散乱しています。まだ、整備中のようです。
午後6時30分「リムパオ・ホテル」に到着、2泊します。1泊1100バーツです。(前回の宿泊経験から、価格設定は少し高すぎるように思います。)
本日の走行距離は543kmです。予定より11km多く走りました。

イサーンのシム(布薩堂)・ワット チャクラワン プームピニット

2014年06月26日 | ローイ・エット

宿泊した「J.P.エメラルド・ホテル」の前景です。

ロビーには「ブーン・バン・ファイ」の山車の張りぼてが飾られています。

ホテルからスワンナプームへ向かう国道202号線を16.5km走ると国道2043号線と交差します。この交差点で車に飾ったり、車に祀っている仏陀に供えるジャスミンの花飾りを売っている男性です。この交差点は多い年に数回通過しますが、彼らは一番暑い季節でもネクタイを締めています。いつもジャケットを羽織っている人もいます。

国道2043号線を右折したのですが、ナビに従うとすぐに赤道を選びます。
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帰りに撮影した国道2043号線の案内板です。

お寺の前から国道2043号線まで僅か3.6km、ちゃんとした舗装道路があります。

ヤソートーンから25kmで「ワット・チャカワン・プーミピニッツ」に到着です。













軒の支え「カン・トゥワイ」」です。

彫刻の施された「ルアン・プーン」です。

布薩堂の外壁、扉の上は仏伝図です。



一番上の藍枠内は太子の瞑想場面です。その下に瞑想を妨害する「マーラ(魔羅)」軍を水に沈める「ナーン・トラニー」です。
下は太子剃髪の場面です。
タイ特有の風化したラテライトの赤い微粉が壁画を覆っています。

太子の剃髪です。



太子の瞑想を妨害するマーラ軍です。







地獄図です。

堂内は仏陀像の背面と左壁面に絵が描かれています。右壁面は消されたのか、未完の状態なのかは分かりません。









壁画は「シン・サイ」物語です。

画面はヤック「クムパーン」が国王の妹「ナーン・スモンター」拉致する場面です。



森で生活する、「シン・サイ」、「サン・トーン」、「シホ」の3兄弟と母親の「ナーン・チャンタ」、「ナーン・ルン」です。







左壁面になります。



叔母「ナーン・スモンター」を探す旅をする6人兄弟が、森で「シン・サイ」兄弟と出会う場面です。

巨大蛇を退治する「シン・サイ」兄弟です。絵はここまでです。「クムパーン」との戦い、「ナーン・スモンター」の救出などその後の展開がありません。

右側壁面はこれだけです。

■僧侶にお話を聞いていると近くにもシムがあると言うので行ってみます。
12.5km離れた「ワット・サワン・バン・ジョー・コー」です。









表に回ってみましたが外壁に壁画はなさそうです。



ドアの彫刻です。

堂内にも壁画はありません。
屋根が破れて堂内は鳩に占拠されています。糞避けに布がはってありますが、掃除がされていないようで床は糞の層ができています。汚れと臭いで入る気がしません。









破れた屋根の上を鳩が飛び回っています。

近所の子供たちです。

■午前10時20分、バンコクへ向け出発です。国道202号線、国道207号線、国道2号線でサラブリー経由のコースで帰ります。
国道2号線下り坂で驟雨になりました。雨渋滞です。
バンコク到着は午後7時30分、本日の走行距離570kmでした。4日間の累計走行距離は1520kmでした。

イサーンのシム(布薩堂)・スワンナプームの2寺院

2014年06月25日 | ローイ・エット
■「ワット・バン・コーン・ケン・ヌア」から国道2045線をローイ・エットのバイパスまで戻り、国道215号線を南へ向かいます。
目的の「ワット・サ・ケット」へは国道215号線でスワンナプームの交差点を左折すれば16kmの直線道路上にあったのですが、ナビはずいぶん手前から脇道を指示します。知らない土地の目的地までは教えてくれますが、そのルートが走行に適しているかどうか関係なく、ただ短距離なだけです。取敢えずはナビに従います。結局、距離は数メートル短いが、時間は4、5倍以上掛かる悪路でした。





午後3時10分、「ワット・サ・ケット」に到着です。集落に入った頃に、空が真黒な雲に覆われ、強風が吹きだしました。寺院に到着するや、降り出してきました。

寺院はアユタヤ時代に建立された古刹で、布薩堂は1860年代に建設されました。2棟並んでいますが、どちらも布薩堂のようです。





お堂の中です。



右の布薩堂の破風と「ルアン・プーン」と呼ばれる彫刻が施された軒下飾りです。

降り出し後の暫くは、傘を差して見て回れたのですが、5分もすると傘では太刀打ちできなくなりました。
僧侶の居所が高床式の建屋になっているので、その下で雨宿りです。

野良犬も雨宿りにやって来ます。

軒下は川になっています。

30分で驟雨は上がり青空がもどってきました。

降った雨でお堂の回りは水溜りとなりました。

左の布薩堂の「ルアン・プーン」です。ちなみに屋根の上に見えるナーガ飾りは「ハン・ホン」、屋根の上の凹凸模様はナーガの鱗に見立てた「バイ・ラッカー」と呼ばれる装飾です。

軒を支える「カン・トゥワイ」です。

左のお堂は横にも扉があります。
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スワンナプーム市街へ向かう道路を7.6km走ると「ワット・トライプーム・カナチャーン」があります。







軒下飾り「ルアン・プーン」です。案内板では堂内にはイサーン人またはラオ人が描いた仏伝図の壁画があるようですが、施錠されていて入ることができませんでした。







手前はアユタヤ時代に築かれた仏塔です。
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■「ワット・トライプーム・カナチャーン」の壁画を見ることはできませんでした。寺院を後にしたのが午後4時半です。8.4km走ると国道214線に出ます。スリンまで行く予定でしたが、スワンナプームからだと約90kmあります。近くでもう一カ所行けなかったシムがありヤソートーンで泊まることにします。約40kmの距離です。
「ワット・トライプーム・カナチャーン」から国道214号線に出たところです。直進すればスワンナプームの市街です。ここに至るまでもナビは脇道を指示しましたがすべて無視です。

「J.P.エメラルド・ホテル」に泊まります。
今夜は結婚パーティーが催されるようで、DXルームしか空きがないとのこと、宿泊料を尋ねると1200バーツ、泊まることにします。

部屋のベランダから見るヤソートーンの風景、川はチー川です。

市街地です。
来週はロケット祭り「ブーン・バン・ファイ」が催されます。5月から6月にかけてイサーンの各地域で催される雨乞い祭りで、大きなもので重さ200kgの火薬を詰めた手製のロケット花火を打ち上げ、高さを競います。
ロケット打上げの前日にはロケットを飾り付けた山車のパレードがありますが、その山車がお披露目されるのが「J.P.エメラルド・ホテル」へ入る手前の大通り(国道23号線)です。さすがに来週は宿泊予約で満室のようです。
ちなみに、スワンナプームでは明日開催されます。

イサーンのシム(布薩堂)・ワット バン コーン ケン ヌア

2014年06月24日 | ローイ・エット
■「チュム・ペー」から南回りの国道201号線、国道229で「ワット・サヌアン・ワリー」まで134km、「ワット・サヌアン・ワリー」から国道23号線を東へ走り「ローイ・エット」まで120km、バイパスから国道2045号線を7km南へ行くと「ワット・バン・コーン・ケン・ヌア」があります。

国道2045線に立つ案内板です。



お寺の伽藍です。

寺院の建立は1885年です。シムは幅4m、奥行き8mの切妻屋根で木製瓦を重ね、破風には花模様の彫刻が施されています。








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■シム入口の壁面に仏伝図が描かれています。








「ナーン・トラニー」の髪の毛から吹き出す水に溺れる「マーラ」の兵士たち。

瞑想する太子と成道を妨害するため攻撃してくるマーラ(魔羅)軍です。

マーラ軍です。

太子の瞑想を助ける「ナーン・トラニー」と髪から流れる水に溺れるマーラ軍です。





太子剃髪の図です。右端に泣いている御者と愛馬が描かれています。

上部中ほどには太子が身に付けていた衣類や装身具を妃に届ける御者が描かれています。



ほとんど消えかかっていますが、太子出城が描かれています。蹄の音を消すため、神々が愛馬の脚を支えているのが判ります。



太子の宮廷生活でしょうか、一部の漆喰が剥がしてあります。




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■堂内です。






光背の周りまで漆喰が塗布されています。