■「プラ・ペニー・ヘー・チャーン・ブアット・ナーク・タイ・プアン・バン・ハー・シオ」(伝統的なハー・シオ村のタイ・プアン族の踊りながら象に乗って行なう出家儀式)という看板が上がっています。シー・サチャナラーイのハー・シオゥ区域には、1844年頃にラオス北部から移住してきた「プアン族」が現在7200名ほど居住しています。
出家する少年の衣装は、写真で見るビルマやメーホンソーンのタイ・ユアン族と非常に似ています。
昼間の気温は摂氏40度前後、明け方でも32、3度という季節です。友人が自宅に泊まれと言うのを丁重に断って、スコータイ王朝時代の住居跡でサトウキビ畑から当時の遺物がたくさん出土する「サラチット」の「サックトーン・リゾート」に泊まりました。朝食はトースト、コーヒーで一泊400バーツです。ちなみに、友人の家にはクーラー、温水シャワーがありません。
「サックトーン・リゾート」から友人宅へ朝食に行く道すがら、朝陽に映る遺跡を見ていきます。各遺跡の説明は過去にしていますので省略して、朝陽の遺跡写真を掲載します。
クメール人から建築技術を学んだスコータイの寺院は東向きが基本で、朝陽が差し込む朝の写真は映えます。(過去に掲載した写真は午後以降に撮影したものが多かったです。)
宿泊した「サックトーン・リゾート」です。
■午前8時10分、まず最初に訪れたのが「ワット・チェディ・カオ・ヨッド」です。
遺跡公園から連なる「カオ・ヤイ」の中腹あたりに建っています。ただ、国道1201号線が「カオ・ヤイ」を越えて「ワット・カオ・ヨッド」の前を通っていますから訪れるのは楽です。





寺院跡の前を走る国道です。
大型車も通行するようですが、車両通行時の振動が石積みの遺跡に及ぼす影響が心配です。
■そのまま山を登って「ワット・チェディ・エーン」になります。
さらに登って行くと「ワット・カオ・ヤイ・1」「ワット・カオ・ヤイ・2」と続きますが、今回は行くのを見合わせておきます。


チェディ(仏塔)は四重基壇の上に聳えています。


■「ワット・フア・コーン」です。
礼拝堂横のマンゴーの巨木に実がたくさんぶら下がっています。




「カヌン」(ジャックフルーツ)も実をつけていますが、まだまだ小さいようです。
寺院の除草していた人たちです。
彼女が突き出している造花は、ソンクラーンにこの一帯で行われる習慣でしょうか、各家の門脇の木に飾り付けられています。
除草の一団は「ワット・チェディ・ヨッド」にいるとき走り過ぎたのですが、すでに「ワット・フア・コーン」も草刈を終えたようです。
6カ月間雨は降っていませんから、枯草ばかりで草も成長しないのですが、実に手際のよい作業です。
■「ワット・チェディ・ヨッド」と「ワット・フア・コーン」の中間にある寺院遺跡です。
「遺跡番号・6」の表示板が立っています。


チェディの基壇部ですが、掘った跡があります。
寺院の柱は将棋倒し状態です。
700年前の骨壺の破片です。
壺の底に当たりますが、非常に珍しい形をしています。
サンカロークで焼かれた壺は底から立ち上がるのが一般的で、多少膨らませたものもありますが、この陶片は鍔状に大きく張り出しています。
貯水池のある寺院です。
■「ワット・サ・カーイ・ナム」、仏堂が特徴的な寺院です。





食用にもなる「ドク・ケー・パ」の花です。
先日もガソリンスタンドで落ちている花をたくさん集めている夫人を見かけました。
■「ワット・ヤフー」です。ここで午前9時20分になりました。





■「遺跡番号・3」です。前回訪れた時には表示板はなく、説明も寺院名を失念、としておきましたが、元々番号しか与えられていない遺跡でした。




■「遺跡番号・4」です。
外周を28mX54mのラテライトの壁が取り囲み、その周りを堀で囲んだ跡が残っています。

礼拝堂は重層基壇の上にあって煉瓦積みの跡が残っています。このことから現在の礼拝堂は、建立後の間もない時期に改築されたものだと推定されています。

チェディは礼拝堂と同じ基壇の上に建つ珍しい構造です。8m四方のチェディの基壇に煉瓦積みの形状がはっきりしないチェディがたっていました。
後方にも小さなチェディがあります。
■遺跡番号・5」です。

礼拝堂は10mX30mで前後に柱廊玄関を備えています。
13m四方の四層基壇から推定して蓮の蕾形の尖塔が建っていたと考えられています。
将棋倒しの柱です。全て同じ方向に倒壊しています。
友人宅へ到着したのが午前9時40分、到着があまり遅いので、病気になって倒れているのではないかと心配して、リゾートの部屋まで覗きに行ってくれたようです。
遅い朝食を食べ、ハー・シオまで出家儀式を見に出かけます。
■食後近所の人が古い陶片を持ち込んできました。出発前に見て行きます。


「サンカンペーン窯」の陶片です。サンカンペーンで高台に陰刻されているのを初めて見ました。
文様上部の付着物は、文様の型取りをした粘土の残滓です。

サンカロークの鉄絵です。
メーホンソーンで掘り出された青銅コイルです。手前のコイルの内側には極細の鉄線の束がはいっています。
混じっている陶片はカロンです。
■次回からタイトル通りの出家の行列を紹介です。
出家する少年の衣装は、写真で見るビルマやメーホンソーンのタイ・ユアン族と非常に似ています。
昼間の気温は摂氏40度前後、明け方でも32、3度という季節です。友人が自宅に泊まれと言うのを丁重に断って、スコータイ王朝時代の住居跡でサトウキビ畑から当時の遺物がたくさん出土する「サラチット」の「サックトーン・リゾート」に泊まりました。朝食はトースト、コーヒーで一泊400バーツです。ちなみに、友人の家にはクーラー、温水シャワーがありません。
「サックトーン・リゾート」から友人宅へ朝食に行く道すがら、朝陽に映る遺跡を見ていきます。各遺跡の説明は過去にしていますので省略して、朝陽の遺跡写真を掲載します。
クメール人から建築技術を学んだスコータイの寺院は東向きが基本で、朝陽が差し込む朝の写真は映えます。(過去に掲載した写真は午後以降に撮影したものが多かったです。)

■午前8時10分、まず最初に訪れたのが「ワット・チェディ・カオ・ヨッド」です。
遺跡公園から連なる「カオ・ヤイ」の中腹あたりに建っています。ただ、国道1201号線が「カオ・ヤイ」を越えて「ワット・カオ・ヨッド」の前を通っていますから訪れるのは楽です。






大型車も通行するようですが、車両通行時の振動が石積みの遺跡に及ぼす影響が心配です。
■そのまま山を登って「ワット・チェディ・エーン」になります。
さらに登って行くと「ワット・カオ・ヤイ・1」「ワット・カオ・ヤイ・2」と続きますが、今回は行くのを見合わせておきます。





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■「ワット・フア・コーン」です。







彼女が突き出している造花は、ソンクラーンにこの一帯で行われる習慣でしょうか、各家の門脇の木に飾り付けられています。

6カ月間雨は降っていませんから、枯草ばかりで草も成長しないのですが、実に手際のよい作業です。
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■「ワット・チェディ・ヨッド」と「ワット・フア・コーン」の中間にある寺院遺跡です。
「遺跡番号・6」の表示板が立っています。






サンカロークで焼かれた壺は底から立ち上がるのが一般的で、多少膨らませたものもありますが、この陶片は鍔状に大きく張り出しています。

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■「ワット・サ・カーイ・ナム」、仏堂が特徴的な寺院です。






先日もガソリンスタンドで落ちている花をたくさん集めている夫人を見かけました。
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■「ワット・ヤフー」です。ここで午前9時20分になりました。





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■「遺跡番号・3」です。前回訪れた時には表示板はなく、説明も寺院名を失念、としておきましたが、元々番号しか与えられていない遺跡でした。




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■「遺跡番号・4」です。






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■遺跡番号・5」です。





遅い朝食を食べ、ハー・シオまで出家儀式を見に出かけます。
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■食後近所の人が古い陶片を持ち込んできました。出発前に見て行きます。



文様上部の付着物は、文様の型取りをした粘土の残滓です。



混じっている陶片はカロンです。
■次回からタイトル通りの出家の行列を紹介です。