スコータイ窯の魚文皿です。
シー・サチャナライを統治していた、スコータイ王国の副王リタイが軍勢を率いてスコータイの城門を破って入城、スコータイ王に即位するのが西暦1347年です。
シー・サチャナライとスコータイはおよそ60km離れています。スコータイ王国の都城攻略ですからそれなりの軍勢であったろうし、兵士には窯業従事者もたくさん含まれていたと思われます。
リタイ王による尋常でない統治が始まり、軍隊も駐留していたのでしょう。やがて統治が安定すると本格的なスコータイの都市造りが始まり、従軍して来たシー・サチャナライの陶工は陶土を探し、窯を築き寺院装飾や祭器の生産をスコータイで始めます。
スコータイ窯初期で窯業技術がシー・サチャナライから移管された頃のものだと思い込んでいます。焼成温度が上がりきらず、焼きあま状態で地中に長くあったため、カセがかなり進行しています。特に鉄釉部分には釉薬の剥離が目立っています。
やや細めの魚体で、花を咥えた鯉のような魚を見込みに、周りは草文で埋め尽くされています。
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シー・サチャナライを統治していた、スコータイ王国の副王リタイが軍勢を率いてスコータイの城門を破って入城、スコータイ王に即位するのが西暦1347年です。
シー・サチャナライとスコータイはおよそ60km離れています。スコータイ王国の都城攻略ですからそれなりの軍勢であったろうし、兵士には窯業従事者もたくさん含まれていたと思われます。
リタイ王による尋常でない統治が始まり、軍隊も駐留していたのでしょう。やがて統治が安定すると本格的なスコータイの都市造りが始まり、従軍して来たシー・サチャナライの陶工は陶土を探し、窯を築き寺院装飾や祭器の生産をスコータイで始めます。
スコータイ窯初期で窯業技術がシー・サチャナライから移管された頃のものだと思い込んでいます。焼成温度が上がりきらず、焼きあま状態で地中に長くあったため、カセがかなり進行しています。特に鉄釉部分には釉薬の剥離が目立っています。
やや細めの魚体で、花を咥えた鯉のような魚を見込みに、周りは草文で埋め尽くされています。
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