の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

陸路アランヤプラテート(タイ)へ

2015年09月05日 | カンボジア
単車の横座り、東南アジアでは極々普通の乗り方です。



ホテル前で客待ちタクシー(タイではサムロー)の運ちゃんたちです。
初日は1日10ドルと観光案内を誘われたのですが、さすが3日目は車があるのが分かっているので誰も誘ってきません。

皆、気さくな運ちゃんたちです。





ホテル・タプロームです。

同じスタイルで3階の手すりに色を塗っています。

運ちゃんが「写真を撮るから、こちらを見ろ」とでも言ったのでしょう。
彼女たちが顔をあげてこちらを見ました。

迎えの車が来ました。午前9時、タイとの国境ポイペトへ出発です。
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国道5号線、ポイぺトまで150kmです。

国道沿いの高床式の民家です。毎日土埃をかぶっています。

村の公民館です。



道路工事中です。土はモッコで運んでいました。

結婚式でもあるのでしょうか。土埃のまきあがる道路わきで、ずーっと立っていました。

「シソポン」の町で給油です。

ガソリン・スタンド前で飲み物を売っていた少女です。



瓶売りもあります。

犬も暑くて、ひたすら、ただ眠り続けます。









11時28分、昼食休憩です。時間が早く、他に客はまだ来ていません。



店員も暇そうです。
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午後12時7分、ポイペト到着です。

カンボジアからは荷車でタイへ荷が運ばれます。



出国審査場です。

パスポートに出国スタンプを押してもらい、タイの入国審査場へ進みます。



タイのイミグレです。入国審査の窓口は長い行列です。300バーツで早く行けるよ、という言葉で係員にパスポートを預けると、別室で入国スタンプを押して審査待ちの長い行列を横目にそのまま入国です。
アランヤプラテート名物のフランスパンを買い込み、ばくちバスでバンコクへ戻ります。
アランヤプラテートからバンコクまでは3時間足らずです。


アンコール・ワットへ夕日を見に行く

2015年09月02日 | カンボジア
午後5時20分にプリヤ・カーンを後にして、アンコール・ワットから夕陽を見ようとアンコール・ワット東参道へ向かいます。
途中、アンコール・トムの象のテラス前で、夕日に照らされたプラサート・スール・プラットを撮影しました。





観世音菩薩の巨大四面塔のバイヨンまで来ると、塔の上部が夕日に照らされて赤く染まっています。
写真では日陰の基壇部との色の差が明確ではありませんが、実際の色のコントラストは感動しました。



南へ周ってきました。




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アンコール・ワットの西側からも夕日に照らされた、回廊の柱の並びが美しく撮影です。





環濠の淵に腰かけていたカンボジアの「美人」にも撮影をお願いしました。


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途中寄り道が多すぎましたが、やっと第一回廊の東へ到着です。

第一回廊の東楼門です。



回廊の彫刻がライトアップされています。

彫刻はヴィシュヌ神と阿修羅の戦いです。



地平線に近いところは雲が厚く陽は隠れてしまいました。空も赤く染まってくれません。

地面に散らばる彫刻はラーマーヤナです。



東門へ向かって歩きます。







東門です。



中央祠堂周辺と同じ様式のデバターです。

環濠を越えます。
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夕食を済ませ午後7時30分にホテル・タプロームへ帰ってきました。
本日連れて回ってくれた運転手君です。明日はポイペトの国境まで送ってくれます。

ホテルの廊下に飾られた影絵芝居「スバエク」の牛革に彫刻された人形です。







ホテルの部屋です。

ホテルから写した表通りです。午後8時20分でした。

「聖なる剣」プリヤ・カーン(4)

2015年08月31日 | カンボジア
中央祠堂などの重要伽藍が立ち並ぶ第一回廊の内側へ進みます。門柱に彫られたドヴァラパーラ像(門衛)です。

日本では仏教の守護神で仁王さんです。寺院内に仏敵が入り込むのを防ぐため、山門に筋骨隆々として怒りの表情で立っていますが、この仁王さんは優しい顔で、口元に笑みを浮かべています。









破風はラーマーヤナでしょうか・・・。破損部が多すぎてよく分かりません。

中央祠堂です。碑文では父王ダラニンドラヴァルマン2世を模した観世音菩薩像が建立時に祀られていました。
ダラニンドラヴァルマン2世はクメール王国を統治した痕跡はなく、王統系譜で認められていません。クメール統治下の地方領主だろうといわれています。

第21代国王ジャヤヴァルマン7世の次にヒンドゥー教を信奉する第22代国王インドラヴァルマン2世(在位:1220年頃~1243年)、第23代国王ジャヤヴァルマン8世(在位:1243年~1295年)の治世は廃仏運動による、仏教受難の時代でした。
しかし、第24代国王シュリンドラヴァルマン1世(在位:1295年~1307年)は上座仏教を国教とします。
廃仏政策で廃棄された観世音菩薩像に代わって仏塔が安置されたのはシュリンドラヴァルマン1世の治世ではないかと考えられています。

祠堂の壁面に小穴が開いていますが、宝石が埋め込まれていたのではないかと言われています。
祠堂内を覆ていた銅板を留めた跡とも言われています。



台座だけ残っています。





祠堂の壁面はバラモンです。















壁面に彩色された神像の薄彫りが残っています。
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第3周壁、西楼門へ出てきました。

破風の彫刻はラーマーヤナです。

左側のドヴァラバーラ像です。

右側のドヴァラバーラ像です。













参道の物売りも帰宅します。

バナナ売りの少女です。



外周壁の西楼門まで来ました。





外周壁西塔楼門の両側にも巨大ガルーダです。

環濠には、ナーガを引く神々と阿修羅の欄干が架かります。







環濠を過ぎると参道にはヒンドゥー様式のリンガを模した石柱が並びます。ただし、彫像は下部にシンハ、上部には仏像が彫られていたようです。全ての石柱から仏像が削り取られています。







「聖なる剣」プリヤ・カーン(3)

2015年08月30日 | カンボジア
瓦礫になった祠堂、崩れ落ちた回廊と迷路に迷い込んだようで、何処を歩いているのか全く分かりません。
あらためて伽藍配置図を見ると、まだ第二回廊へ至ってません。東西中心軸の北側にいます。

細身の2階建て建物は、プリヤ・カーンの由来となった「聖なる剣」が納められていた建物です。「聖なる剣」はプノンペン国立博物館に収納されているそうです。

1階は丸柱で、綺麗な形をした建造物です。





2階建て建物のの前にある遺構の基壇です。





第2回廊へ進みます。
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梁が崩れ落ち、回廊に支柱が辛うじて支えています。



アプサラのライン・ダンスです。その上は仏像の削り取られた仏龕です。



上の写真のアプサラの反対側です。回廊の外に2階建て遺構の丸柱が見えています。



回廊の天井部分には、連続して仏龕が並んでいますが、仏像は徹底的に削り取られています。



伽藍は中央祠堂を中心に9つの祠堂が田の字形に回廊で結ばれ、その間にたくさんの小祠堂が建つ複雑な構成になっています。



ここにもアプサラのライン・ダンスです。

柱にもアプサラの薄彫りです。



祠堂を押し潰そうとする榕樹です。タ・プロームと違ってプリヤ・カーンでは切り倒されています。






















「聖なる剣」プリヤ・カーン(2)

2015年08月29日 | カンボジア
プリヤ・カーンからは大量の碑文が発見されて、解読により往時の寺院の概要が解明されているようです。
1191年にジャヤヴァルマン7世は中央祠堂に父王の姿を模した観世音菩薩を安置し、その周りに282体の神像を配置しました。
中央祠堂の西にはヴィシュヌ神の祠堂があり、ヴィシュヌ神像等30体の神像、北にはシヴァ神の祠堂があって40体の神像、南には過去王の守護霊がそれぞれ祀られ、32体の彫像が安置された複合的な宗教施設であり、碑文から合計で430体の神像が祀られていたことが分かっています。

現在の寺内には、毀損した仏像や台座がわずかに残るだけです。
思い出すのが2001年に「バンテアイ・クディ」の境内から274体の仏像が発掘されたことです。
バンテアイ・クディはジャヤバルマン7世によって建立された仏教寺院ですが、王の死後に起こった廃仏運動によって、仏像は切断したうえ、掘った穴に丁寧に埋納されていました。
この発掘は、他の仏教寺院でも廃仏が地中に埋められている可能性を示唆しています。

第3周壁の楼門です。入り口右には東部の無い門衛「ドヴァラパーラ」が立っています。左は台座だけです。







破風は並んだ女神たちです。







プリヤ・カーンの女神たちです。一度書きましたが、今回のアンコールの旅は女神像を撮影することとでしたが、多すぎてとても写しきれません。

ちなみに、碑文ではプリヤ・カーンには1万人を超える僧侶、踊り子、奉仕者、夫役人等97,840人が居たそうです。