午前8時50分、ろうそく祭りパレードのスタートを待つ山車です。
午前8時52分、花火が上がりろうそく祭りの開始を知らせます。
パレードを待っている踊り手さんたちです。
台上の女性がパレード開始の挨拶をしていますが誰も聞いていません。
先頭はクラシック・カーの隊列です。
クラシック・カーの次はお年寄りの踊りです。
疲れが出なように、朝の涼しい間にという主催者の配慮でしょうか・・・。
ナコーン・ラーチャシーマーは首都バンコクに次ぐ第2の都市に成長しましたが、どうも人材不足のようです。
そして、各地区の趣向を凝らしたパレードとなります。
この山車のスポンサーでしょうか、揃いのT-シャツを着て出発前に全員で記念撮影です。初めて見る光景です。
道路に垂れ下がる電線を持ち上げて進みます。
イサーンでは男性、女性の区別が付かなくなることが多々あります。
台上の二人は間違いなく女性です。
物語の主人公です。タイ人の説明では、何かを戦った勝者とのことですが、よく理解できていません。
出家儀式の様子を表しています。
ちなみに、背景の黒い束は電線です。
剣を片手に立っているのは「ターオ・スラナーリー」です。1826年にビエンチャン王国のアヌウォン王はタイからの独立を目指して蜂起し、バンコクへ向け進撃しますが、彼女は領主、副領主不在のナコーン・ラーチャシーマーでラオ軍の進攻を阻止したと言う副領主婦人です。
反撃するタイ軍はビエンチャンを攻略し、アヌウォン王を捕獲、王都の再興ができないように徹底的に略奪、破壊しビエンチャン王国は滅亡します。戦争捕虜として多数のラオをタイへ連行しました。
約10年前の統計ですが、林行夫氏の“「ラオ」の所在(1998年)”に興味深い数字がありましたので紹介します。
イサーン全土に住むラオは、イサーンの人口の約70%の1100万人、タイ全土で約1500万人と推定、当時のタイの人口を5770万人としていますから、タイ人口の26%がラオになります。
ラオス本土に住むラオは160万人と仮定していますから、タイに住むラオの10%ほどです。
本書にはラオスの総人口は記載されていませんが、1994年の人口が475万人とすると三分の一がラオです。
現在は「ターオ・スラナーリー」像に参拝する人が絶えませんが、像が建立されたのは1936年です。歴史は見る立場によって異なります。アヌウォン王はタイにとっては謀反を企てた逆賊ですが、ラオスから見れば、ラオの独立を目指した英雄です。
「ターオ・スラナーリー」はイーサンのラオにとってどのように受け止められているのでしょう。
ラオの伝統音楽「モラーム」です。
襷には今年のミス、ミスター・コンテストの優勝者と書かれています。
ワールド・カップの決勝戦の対戦相手です。
この時点では決勝戦はまだ行われていません。
「ターオ・スラナーリー」です。
結婚の儀式です。
ナコーン・ラーチャシーマーの歴史は古く、先史時代の洞窟壁画、墳墓遺跡、ドヴァラヴァティーの環濠遺跡、クメール遺跡と連続して残っています。
また、クメール帝国の第16代国王、ジャヤヴァルマン6世(治世:1080~1107年)はこの地の出身が確実視されています。
タイ人はお化けが大好きです。テレビドラマでピー(お化け、神霊)の出てこない日はありません。
仏陀の背中がしんがりです。パレードは町中を巡回します。