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アノーヤター王は1057年にモン族のタトン王国を仏典を得るために攻略、仏典とともにマヌハ国王、王妃、王族をはじめ僧侶、職人などの住民30000人を捕虜としてパガンに連行しています。
マヌハ王はシュエーズィーゴン・パヤーに奴隷として奉納されたとも言われています。また、この寺院裏にはごく近年まで奉納された奴隷の子孫たちの集落があったようです。
バガン初期の仏塔や寺院は連行されたモン族の建築様式が織り込まれます。モン文化の脱却したビルマ独自の建築様式の出現は第7代国王ナラパティスィードゥー(在位:1174年~1211年)の時代を待たなければなりません。
三層基壇に円筒の塔をもつシュエーズィーゴン・パヤーはビルマ様式の仏塔の原型といわれています。
パガン王国の実像は残された碑文や王統史から解明されています。文字を持たなかったビルマ族がモン文字からビルマ文字を作り、碑文を著すのはナラパティスィードゥー王からです。それ以前はパーリー語、サンスクリット語が用いられていましたが、チャンスィッター王に関する碑文はモン語が使われています。
アノーヤター王を継いだのは子のソウルー王(在位:1077年~1084年)ですが、1084年のモン族の反乱で落命します。その後を継いだのがアノーヤター王に就いてビルマ統一に武勲のあったチャンスィッター王で、血縁関係のない新しい王統が誕生したようです。
チャンスィッターの出自はモン族かモン族にゆかりのある人物だろうと考えられています。



5~7世紀に建立された、五層の方形基壇に建つ、高さ50m、周長80mの仏塔です。
パガン王朝では基壇部が高くなり、次に基壇に龕が設けられ仏陀像が安置され、円筒塔部が小さくなります。龕はさらに大きくなり礼拝堂となって仏塔と一体化するのがビルマ様式の発展です。





仏塔にはタトン王国から持ち帰った釈迦の額の骨と仏歯が納められていると伝えられています。








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■「謎の仏教王国パガン」大野 徹著を参考にしました。