ウムパーンとメーソートの中間あたりに「ウムピアム難民キャンプ」があります。
2,000kmにおよぶタイとミャンマーの国境にはミャンマーの民族紛争で難民となった少数民族を収容する難民キャンプが点在していましたが、ビルマ軍の国境を越えた攻撃を避けるため、現在は9カ所に集約され約15万人が収容されています。
そのうちの7カ所がカレン族の難民キャンプで、メーソートの北にあるメーラー難民キャンプが一番大きくて約5万人、ここウムピアム難民キャンプには2万人が収容されています。
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「スカイ・ロード」と呼ばれる1,219曲がりの道路を進むと、人通りの多い所にさしかかりました。
すると右手の山の斜面にびっしりと民家が並ぶ光景があらわれます。約2万人が収容されているウムピアムのカレン族難民キャンプです。
夜明け前の往路で道路の両側にたくさんの人影を見たのはこの場所だったようです。
彼らは近隣の農地で賃作業をしているようです。
ビルマ様式の仏塔も建っています。
宣教師を先導に軍隊が来ると言われるように、ビルマを植民地化したイギリスはキリスト教に改宗させたカレン族を傭兵としてビルマ族を分割統治します。
ビルマ独立後の1949年にキリスト教徒のカレン民族同盟は、分離独立を要求して武装蜂起します。
1970年代になるとビルマ政府は、独立自治を求める少数民族へ攻勢を強め、住民は戦闘が激化する乾季には国境を越えタイへ避難、戦闘が沈静化する雨期に村へ戻っていました。
しかし、1984年からビルマ国軍の大攻勢で避難民は雨期の帰還ができなくなり、その後のビルマ軍による支配地域の拡大とともに避難民が増大しました。
1995年にビルマ軍と民主カレン仏教組織の攻撃でカレン民族同盟の拠点が陥落すると、多くのカレン民族同盟の関係者が難民としてタイへ避難しました。
その後もミャンマーからの移住が続いているようで、難民キャンプの人口は増え続けています。
女の子は柵の外へはあまり出ないようです。人身売買の中国人が横行しています。
有刺鉄線で囲まれた難民キャンプですが、外出や就業は案外自由なようです。
有刺鉄線の外で遊ぶカレン族の子供たちです。難民キャンプ2世でしょうか。3世が居てもおかしくありません。
兄が妹の髪を編んでいます。
働いている子供もたくさんいます。冬に備えて薪を集めてきました。
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カレン難民キャンプから1kmほどでウムピアム・サービス・エリアです。
コーヒー休憩です。
彼女はウムパーンで出会ったと言っていましたが、どこだったか思い出せません。とりあえず話を合わせておきました。
荷物を満載したソーン・テオはウムパーン行きのようです。
老婆がソーン・テオの一番後ろに座っています。カーブで振り落とされないように、ご安全に。