先日「カロンの壷」をアップしましたが、古い写真を見ていると2008年に発掘調査されたカロン古窯址の解説板に「発掘されたカロンの壷」として2点の写真が掲示されていましたので追加します。



初めて古窯址を訪れたのが2011年6月で写真は変色し解説文は読める状態ではありませんでした。北タイ古窯の泰斗サーヤン教授の著書「ARCHAEOLOGY OF CERAMICS」に発掘当時の写真が掲載されており、その中に村名は読めないが発掘品であることが書かれています。(写真下)

* * * * *
ファイ パヨーム ポー ユアン古窯(写真上)の一帯はラムヤイ(竜眼)果樹園で未発掘の窯址がたくさんあるそうです。果樹園をさらに進んでいくと低地の水田に出ます。かっては河川で、長年の堆積によって農地に変わったようです。
水田を横切るとドイ ヒン フォン山系西斜面の麓にメー ヒュー サオ ケーオ古窯址があります。この一帯にもたくさんの窯址があるようで、盛り土を崩すと陶片や窯道具がゴロゴロと転がり落ちてきます。




* * * * *




Ⅰ字型、筒型のトチンです。縁付きのトチンは大型の盤を載せたのでしょうか、匣鉢も兼ねたのかもしれません。
他にも壷などを重ねるための円盤形置き台(ハマ)や鼓形があったようですが気付きませんでした。
下はシーサチャナライのパーヤン窯の小さな円盤形置き台です。

* * * * *
ワット ウィアン カロンへ通じる山門をくぐり左折すると山間部へ入る道路が続きます。対向車が来ても避けようが無い悪路を30分以上進むと、なだらかな斜面の生姜畑にたどりつきます。その先に道は無いようです。





* * * * *



生姜畑の斜面で拾った陶片です。筒型トチン痕が高台内に残っています。カロンの陶土は鉄分が少なく緋色が出ません。


この青磁碗の高台内にもトチン片が溶着しています。
この斜面の窯址は耕作で殆ど潰され、表土には鍬で粉砕されたのであろう小さな陶片が散乱しています。前々回アップのワン モン村(タオ コン ワン ヌア)の陶片との比較のために添付します。(ワン モン村の小陶片も耕作で粉砕されたものだと思います)




* * * * *
カロン陶を知るための陶片を添付します。








写真上から白磁壷、褐釉壷、刻花青磁鉢、鉄絵魚文皿の陶片です。



* * * * *



* * * * *








* * * * *

1日中付き合ってくれた案内人へお礼を込めて、彼の蒐集品で直径32cm、高台径21cm、高さ6.5cmの鉄絵花草文盤と青磁筒型瓶(口径16.5cm、胴径10cm、底径14cm、高さ28.5cm)を購入しました。これだけの大盤はなかなかお目にかかれない代物です。
同行人が梱包してくれたのですが、見ているとこれも付けろ、あれも付けろと案内人の蒐集品を殆ど梱包、箱詰めしてしまいました。
最後の蓋は彼がどうしても譲らなかった品です。
同行人にお礼として案内人の奥さんが販売していた柿と茸を買い求めました。この時、タイでも柿が収穫できるのを初めて知りました。



初めて古窯址を訪れたのが2011年6月で写真は変色し解説文は読める状態ではありませんでした。北タイ古窯の泰斗サーヤン教授の著書「ARCHAEOLOGY OF CERAMICS」に発掘当時の写真が掲載されており、その中に村名は読めないが発掘品であることが書かれています。(写真下)

* * * * *
ファイ パヨーム ポー ユアン古窯(写真上)の一帯はラムヤイ(竜眼)果樹園で未発掘の窯址がたくさんあるそうです。果樹園をさらに進んでいくと低地の水田に出ます。かっては河川で、長年の堆積によって農地に変わったようです。
水田を横切るとドイ ヒン フォン山系西斜面の麓にメー ヒュー サオ ケーオ古窯址があります。この一帯にもたくさんの窯址があるようで、盛り土を崩すと陶片や窯道具がゴロゴロと転がり落ちてきます。




* * * * *




Ⅰ字型、筒型のトチンです。縁付きのトチンは大型の盤を載せたのでしょうか、匣鉢も兼ねたのかもしれません。
他にも壷などを重ねるための円盤形置き台(ハマ)や鼓形があったようですが気付きませんでした。
下はシーサチャナライのパーヤン窯の小さな円盤形置き台です。

* * * * *
ワット ウィアン カロンへ通じる山門をくぐり左折すると山間部へ入る道路が続きます。対向車が来ても避けようが無い悪路を30分以上進むと、なだらかな斜面の生姜畑にたどりつきます。その先に道は無いようです。





* * * * *



生姜畑の斜面で拾った陶片です。筒型トチン痕が高台内に残っています。カロンの陶土は鉄分が少なく緋色が出ません。


この青磁碗の高台内にもトチン片が溶着しています。
この斜面の窯址は耕作で殆ど潰され、表土には鍬で粉砕されたのであろう小さな陶片が散乱しています。前々回アップのワン モン村(タオ コン ワン ヌア)の陶片との比較のために添付します。(ワン モン村の小陶片も耕作で粉砕されたものだと思います)




* * * * *
カロン陶を知るための陶片を添付します。








写真上から白磁壷、褐釉壷、刻花青磁鉢、鉄絵魚文皿の陶片です。



* * * * *



* * * * *








* * * * *

1日中付き合ってくれた案内人へお礼を込めて、彼の蒐集品で直径32cm、高台径21cm、高さ6.5cmの鉄絵花草文盤と青磁筒型瓶(口径16.5cm、胴径10cm、底径14cm、高さ28.5cm)を購入しました。これだけの大盤はなかなかお目にかかれない代物です。
同行人が梱包してくれたのですが、見ているとこれも付けろ、あれも付けろと案内人の蒐集品を殆ど梱包、箱詰めしてしまいました。
最後の蓋は彼がどうしても譲らなかった品です。
同行人にお礼として案内人の奥さんが販売していた柿と茸を買い求めました。この時、タイでも柿が収穫できるのを初めて知りました。