バレエファンがよく行きがちな公演なので、書くのも気が引けるが、
8月上旬のゆうぽうと公演、「ルグリと仲間たち公演」、
バレエ的には他にも注目演目はあったのだが、プーシキン原作の「オネーギン」と
いうのが、短絡すると結局は想いあっている男女二人が結ばれずに、想いは永く残
る、という点で、ちょっと違うけど「蝉しぐれ」同様、ありそうでもあり、そんな
にありそうでもない、結ばれないけど想い続ける純愛話として印象に残った。
個人的な話だけど、私より10歳年上だが、10歳若く見える友人女性は、男から
見て結構いい女らしい。情熱的に恋愛して駆け落ち結婚した夫とは今は冷め、わり
と了解の上でなのか、男友達というのか、形式上離婚はしない上で、彼氏状態の男
性がいる。どうも1回やってみて、もう結婚はめんどくさいらしい。
彼女いわく、「恋なんて、錯覚よ」
ー至言です。
私は笑いながら返した。
「そうだね」
命短し、恋せよ乙女。
錯覚でいい。幻想でいいんです。持ってるも方が豊かな人生。
実の所、「蝉しぐれ」の男女みたいな実らなくても想い続ける、あるいは必ずしも
現実的に着地しない恋愛関係でも、純愛をキープし続ける「気分」というのは、過
去の自分にとってかなりリアルだった時期があって、半分くらい「絵空事でもな
い」気分がある。
でも世の中、男女関係にとても現実的な考えの人たちは過半数を占める。
それも、大人になった今は半分位わかる。
映画の製作者たちが、現実を離れた娯楽を提供したかったのか、それとも彼らにと
ってどこか信じられる物語を提供したのか私は知らない。
全てを洗い流す木村佳乃のうつくしさによって、この純愛物語が素直に見られるも
のになっていた。見かけ、顔の美しさが、内面の清らかな美しさの反映のように見
えるんですね、この役のとき、この人は。
映画と映画女優にとって、キーになることだと思う。
小説「オネーギン」はもっと複雑で、タチアナはとても好きだ。
彼女の容姿の美しさより、内面のうつくしさが際立つ。
彼女の心の中の世界では、オネーギンへの恋は永遠なのだろう。
みかけは社交界の女王ながら、心の中は少女のような人だと思った。
それがただの幼さに見えない所が、この人の、この作品の奥の深い所だと思う。
8月上旬のゆうぽうと公演、「ルグリと仲間たち公演」、
バレエ的には他にも注目演目はあったのだが、プーシキン原作の「オネーギン」と
いうのが、短絡すると結局は想いあっている男女二人が結ばれずに、想いは永く残
る、という点で、ちょっと違うけど「蝉しぐれ」同様、ありそうでもあり、そんな
にありそうでもない、結ばれないけど想い続ける純愛話として印象に残った。
個人的な話だけど、私より10歳年上だが、10歳若く見える友人女性は、男から
見て結構いい女らしい。情熱的に恋愛して駆け落ち結婚した夫とは今は冷め、わり
と了解の上でなのか、男友達というのか、形式上離婚はしない上で、彼氏状態の男
性がいる。どうも1回やってみて、もう結婚はめんどくさいらしい。
彼女いわく、「恋なんて、錯覚よ」
ー至言です。
私は笑いながら返した。
「そうだね」
命短し、恋せよ乙女。
錯覚でいい。幻想でいいんです。持ってるも方が豊かな人生。
実の所、「蝉しぐれ」の男女みたいな実らなくても想い続ける、あるいは必ずしも
現実的に着地しない恋愛関係でも、純愛をキープし続ける「気分」というのは、過
去の自分にとってかなりリアルだった時期があって、半分くらい「絵空事でもな
い」気分がある。
でも世の中、男女関係にとても現実的な考えの人たちは過半数を占める。
それも、大人になった今は半分位わかる。
映画の製作者たちが、現実を離れた娯楽を提供したかったのか、それとも彼らにと
ってどこか信じられる物語を提供したのか私は知らない。
全てを洗い流す木村佳乃のうつくしさによって、この純愛物語が素直に見られるも
のになっていた。見かけ、顔の美しさが、内面の清らかな美しさの反映のように見
えるんですね、この役のとき、この人は。
映画と映画女優にとって、キーになることだと思う。
小説「オネーギン」はもっと複雑で、タチアナはとても好きだ。
彼女の容姿の美しさより、内面のうつくしさが際立つ。
彼女の心の中の世界では、オネーギンへの恋は永遠なのだろう。
みかけは社交界の女王ながら、心の中は少女のような人だと思った。
それがただの幼さに見えない所が、この人の、この作品の奥の深い所だと思う。
