住職の独り言

~ご縁に触れて~

最大積載量「女房子供が喰えるだけ」

2008年03月06日 | Weblog
先日、前を走るトラックに最大積載量
 「女房子供が喰えるだけ」と記されていた。
 「おいおい、どれだけ積めば気がすむんだよ!」
 思わず苦笑し、運転手さんの顔が見たくなりました。
 運転している方は、家族のために一生懸命働いているんですね。
 とてもほほえましい一時だった。
 阿弥陀の願いは私を迷いの世界からさとりの世界へ運ぶこと。

 しかれば大悲の願船に乗じて・・ 無明の闇を破し、
 すみやかに無量 光明土に到りて大般涅槃を超証す

 群萌を運戴して生死を出すがゆえに

 あまねくよくもろ もろの凡聖を運載 するがゆゑに

 ひさしくしづめるわれらをば弥陀弘誓のふねのみぞ
 のせてかならず わたしける

 生死大海の船筏なり

 父母が子供をいとおしく決して見捨てることが出来ないように、
 阿弥陀さまはいのちの全体をかけて私を心配していて下さいます。
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腹がたつ事

2008年03月06日 | Weblog
悪口を言われると腹が立つ、腹が立つのは自分の都合。
 自分の心に、心地よくないから腹が立つ。
 腹が立つのは、お粗末な、いたらない私の心・・・・
 でも、悪口を言った人のその言葉によって、
 自分のお粗末な心(怒りの煩悩)が姿を現す。
 もしかしたら悪口を言ったその人は、
 私のお粗末な自分の心を、
 私に知らせる為の如来さまのお使いなのかなァ・・・
  作家の吉川英治さんは
  「我以外皆我師」
    ー自分以外はみな自分の師であるー と言われ、
 親鸞聖人は
  弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
  ひとへに親鸞一人がためなりけり (歎異抄)

 というお言葉に、お味わいさせて頂くことであります。
 しかし、如来さまのお使いと思いつつも腹が立つのは治まらない・・・・
 「煩悩熾盛の凡夫」という言葉が身に浸む。
 念仏は そのままこいよのお呼び声 南無阿弥陀仏
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人の手本にはなれないが見本にはなれる

2008年03月06日 | Weblog
北陸に高光大船というみんなから尊敬される念仏者が
 「自分は人の手本にはなれない、
 だけど見本ぐらいにはにはなれるだろう」
 と言われたという。
 私はこの言葉に何かホッとする安らぎをおぼえる・・・
 手本になることは立派なことには違いない・・・
 だけど阿弥陀さまの智慧に照らされた私の姿は、
 自分中心で煩悩三昧(欲・怒り・愚痴)の日々であり、
 とても手本になれるような姿(身口心)は
 一つもない恥ずかしい自分を知らされる。
  浄土真宗に帰すれども
  真実の心はありがたし
  虚仮不実の我が身にて
  清浄の心はさらになし (親鸞聖人和讃)

 見本という私は、立派な自分を取り繕う訳でもなく、
 ありのままの自分でいいんですね!

  よろづのことにつけて、
  往生にはかしこきおもいを具せずして、
  ただほれぼれと弥陀の深重なること、
  つねにおもひいだしまゐらすべし。(歎異抄)

 阿弥陀様のご本願は「手本になれない」私を
 「見本のまま(このままの私)」を救う為の願いでありました。
                        南無阿弥陀仏
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幽霊とは、私自身の姿だった!

2008年03月06日 | Weblog
一時期テレビで心霊写真等々の番組がよく放映されていた。
 お寺にも心霊写真なるものを処分してほしいとよく来られたものである。
 私も最近知ったことであるが、幽霊には三つの特徴があるそうです。
 一.髪の毛が、長く後ろに伸びている。
  「後ろ髪を引かれる」という言葉 があるように、
  過ぎ去った事や自分の周りの心配事に心を奪われている。
 二.両手が前に垂れている。
  「取り越し苦労」という言葉があるように、将来、未来のことにあれこれと
  悩んで、無駄な心配をして心を奪われている。
 三.足がない。
  過去のことに未練を残して、いつまでも振り切れず、
  未来のことが気がかりで我が身の現実がお留守になって見えない状態を、
  足がないと表現されている。

 そうすると幽霊とは、あっちこっちに心を奪われ、
 地に足が着いてない私自身の姿でありましょう。

 ◇鏡の前に立てば姿がうつる、教法の前に立てば心がうつる。
 という法語があったが
 阿弥陀如来の御本願は、私達が早く迷いの現実に気づき、
 真実の世界にめざめてゆくことを、願いつづけておられます。
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