今日から三回にわたり、正信偈に示される「邪見驕慢」の憍慢心(きょうまんしん)についてです。
「憍(驕)…」自分の価値を自慢する。
無病驕(むびょうきょう)…自分の健康を自慢し、病人を卑下する。思いやりがなくなる。
この反対もある、昔入院していた時、この病院で「私が一番重症なんだ」と変な自慢をしていた人がいたが、病を自慢する人も居るんですよね。
少年驕(しょうねんきょ)…若さを自慢する。「年寄笑うな行く道じゃ」。行動を起こす時、「どっこいしょ」と口癖のように言う人を「まったく…」と言って馬鹿にしたり、体力のなさを馬鹿にする。
長寿驕(ちょうじゅきょう)…年令を重ねていることを自慢する。「今の若いもんは、苦労が足りない…」「良い若いもんが…」と若者を馬鹿にする。
族姓驕(ぞくしょうきょう)…家柄等々を自慢する。お参りに行った家で「私の家は華族だったと自慢していた人がいた。「カースト制度」
〈以下次回へ続く〉
※驕慢心は自分を認めさせようと自慢し、それに酔いしれて傲慢になる。
※自慢するより、人を認めることが大切ですね。
※自慢するより、人を認めることが大切ですね。