ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

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いわゆる「戒厳令」ということについて考えてみる-じーじのひとりごと

2025年01月01日 | ひとりごとを書く

 2025年1月のブログです

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 いわゆる「戒厳令」ということについて考えてみたい。

 先日、韓国で「戒厳令」が出された。

 国民の反対の声が強く、すぐに撤回されたが、一時は軍隊が国会を占領し、危うい事態だった。

 反対の声を上げた韓国国民の皆さんはすばらしかったと思うし、政府の命令に消極的であった軍隊の人たちもなかなかすごかったと思う。

 もし、日本で同じような事態が生じたら、どうであろうか。

 おそらくは、日本の国民の皆さんはおとなしく事態を眺め、政府の命令で自衛隊や警察が国会や放送局などを占領して、政府による独裁政治が始まるのではないかと想像してしまう。

 権力は腐敗する、という言葉がある。

 最初はすばらしい政治家でも、いったん権力を握ると、権力を反省なしに振るうことになってしまう例が少なくない。

 政治家は通常、任期が決まっていることが多いが、権力を握った政治家は任期を延長し、独裁政治を続ける。

 こうした権力の暴走を止めるために、西欧諸国で三権分立という原理が考え出された。

 小学校や中学校でも習う基本的なことだが、権力を立法・行政・司法の三つに分けて、権力の肥大を避ける仕組みだ。

 民主主義の基本であり、国民主権・主権在民を支える大切な事項だが、権力を握った政治家はこれを守らない。

 外国による侵略を煽って軍隊を増強し、国家の統一を謳って言論の自由を抑圧し、制限して、内乱を起こしてでも権力を維持しようと画策する例が多いと思う。

 そういう例は、権力をまだ握っていないが、権力を握りたいと願っている政治家に多くいるのだろうと思う。

 言論の自由は、権力の肥大を阻止する大切な役目を果たすと同時に、権力からの自由を表すバロメーターではないかと考えられる。

 小説家や随筆家は社会の変化を敏感に感じる「カナリア」みたいな存在だ、とよく言われるが、小鳥を大切にするように、言論の自由も大切に守っていかないと、権力の横暴に鈍感になってしまうだろう。

 そんなことを考えながら、韓国や日本の政治を眺め、ロシアやイスラエルの侵略戦争を憂いている最近のじーじである。      (2025.1 記)

 


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