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あらすじを書くことと行間に漂うものを書くこと-じーじのひとりごと

2024年12月05日 | ひとりごとを書く

 2021年12月のブログです

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 本を読んで感想文を書く時、じーじはできるだけあらすじは書かずに感想文を書きたいと思う。

 そう思っても、なかなかそのようには書けないことも多いが、気持ちとしてはそういう気持ちでいる。

 なぜあらすじを書かないかといえば、ネタバレになってしまうことをできるだけ避けたいと思うからだが、それ以上に、本を読むことは、あらすじをたどることよりも、行間を読むことに意味があると思うからだ。

 あらすじをたどるだけなら、厚い本を最初から最後まで読む必要はない。

 厚い本を最初から最後まで読むのは、行間に漂っているものを感じ取りたいためだ。

 このことは特に小説や詩、童話などにおいて重要だと思うが、しかし、ノンフィクションや専門書でも同じことがいえると思う。

 作者が訴えたいこともあらすじではなくて、行間にあるのではないかと思う。

 あらすじには凝縮できないような何かもやもやしたもの、それが大切なような気がする。

 あらすじがわかっていても読んでみたくなる村上春樹さんの小説などはまさにそうだ。

 行間から何を読みとるか、そこに読者の個性が現われるし、ひょっとすると作者の思惑以上の展開があるのかもしれない。

 じーじとしては、読者がその時、行間に何を感じるのかを教えてほしいと思うし、その後、どう感じたのかを教えてほしいと思う。   (2021.12 記)

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 2023年9月の追記です

 ブログを読み返しているうちに、作品そのものとあらすじの違いが改めて認識できて、あらすじの紹介をあまり気にしなくてもいいような気がしてきた。

 作品そのものを味わったり、楽しんだり、学んだりするためには、作品の行間から感じるものを大切にするしかないのかなと思う。

 よく偉い学者さんが、入門書より、わからなくても原典を読みなさい、と勧めているのも、逆の側から見た、同じことの表現なのかもしれないと思う。        (2023.9記)

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 2024年6月の追記です

 読み返してみると、改めてわかりにくい文章だなと思う。

 書きたいことがなかなかはっきりせずに、その周りをぐるぐる回っている感じ。

 行間に漂うものを書けと言っても、むずかしいよねぇ。

 中学の時に宿題で感想文を書いたら、国語の先生から、あらすじはわかったから、こんどは君の感じたことや考えたことを書いてごらん、とアドバイスを受けたことを思い出す。

 感じたことをていねいにすくいとっているうちに、行間に漂うものも少しはすくいとれるのかもしれない、と今は思う。      (2024.6 記)

 


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