2024年12月4日の日記です
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オーストラリア政府が16歳未満の子どもがSNSを利用することを禁止する法律を成立させた。
これについて、世界中で賛否両論の意見が出ているようだ。
日本でも、テレビのインタヴューで、中学生が、SNSがないと生きていけない、などといっている映像が映って、じーじなどは、何を言っているんだ!と中学生の頭を叩きたくなった(?)。
中学生が、SNSがないと生きていけない、などというのは異常ではないか!
じーじにはよくわからないが、今や日本の世の中は、そんな事態になっているのだろうか?
子どもたちがSNSを使ったり、ゲームに夢中になっていることは知っているが、それほどとは思わなかった。
ニュースを見ていると、子どもたちのいじめがSNSを使って行われていたり、子どもたちがゲームに熱中しすぎていることが出てくる。
おとなだって、たとえば、闇バイトの犯罪はSNSによる募集が原因の一つになっている。
受験の時に、スマホでカンニングをして捕まった受験生のニュースを見たこともある。
SNSは便利なのかもしれないが、使い方によってはとても危険な道具でもある。
じーじがもっと怖いのは、少数のSNSの情報によって世論が動かされていること。
先日の兵庫県知事選挙も一部の悪意のあるSNSの情報によって左右された疑いがある。
SNSを運用する会社は、悪意のある情報の遮断に留意をしなければならない義務があるだろう。
情報や言論の自由は守らなければならない最低限のルールだが、犯罪行為や悪意による行動は抑えなければならない社会的な責任もあるだろうと思う。
警察の動きも鈍い。
言論弾圧はあってはならないことだが、犯罪行為の摘発には勇気をふるってほしい。
国民を守ることは大切なことであるし、判断能力が十分ではない子どもたちを守ることはなおさらである。
それが、警察や政府のちからによるのか、それともおとなたちが自主的にできるのか、おとなたちの成熟度が試されている時代なのかもしれない。 (2024.12 記)
発信されたものの中から、事実、事実らしいけど断定はできないもの、個人の感想、と自分で情報を細かく取捨選択できるようにならないとダメでしょうね。本来大学や大学院でそういう訓練は受けるはずなのですが。今どきは大学教育を受けた方も相当数いらっしゃるでしょうに。
いじめだけでも大変なのに、それがSNSを使われると、もっと大変で、悲惨なことになりますね。
もっとも、SNSが使われると、社会的な責任が生じますので、警察が捜査に着手しやすくなるかもしれません。
そういう子どもたちに限って、逮捕されると、こんなおおごとになるとは思わなかった、というのでしょうが、そこが子どもの判断力の不十分さでしょう。
そういうことを考慮して、考えなければならないと思います。