ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

赤ちゃんとお母さんの光景から-じーじが精神分析に学んだこと、一つ、二つ

2024年12月01日 | 心理臨床を考える

 2024年9月のブログです

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 赤ちゃんが泣いている。

 この時、赤ちゃんは、自分が不快な世界にいることはわかるが、なんで不快なのか、はわからない。

 そこにお母さんがやってきて(お父さんでも、お祖母ちゃんでも、保育士さんでもかまわない)、あらあら、どうしたの?おむつが濡れたのかな?と調べる。

 お母さんが、おむつじゃないわね、じゃあ、おなかがすいたのかな?と、赤ちゃんにおっぱい(ミルクでもかまわない)をあげると、赤ちゃんはごくごくと飲んで、満足をして泣きやむ。

 この時、お母さんが、赤ちゃんはおなかがすいていたのか、とわかると同時に、赤ちゃんも、ただただ不快な世界から、僕は(あるいは、わたしは)、おなかがすいていたんだ、とだんだん自分の感情が理解できてくる、と精神分析では考える(別に精神分析に限らないかもしれないが…)。

 おむつが濡れている時も同じ。

 おかあさんが、あら、おむつが濡れているわ、と言いながら、おむつを替えてくれると、赤ちゃんはただの不快な状態から、僕は(あるいは、わたしは)、おむつが濡れて気持ち悪かったんだ、と理解できる。

 こうしたお母さんと赤ちゃんのやりとりの中で、赤ちゃんは、快-不快だけの世界から、自分の状態を少しずつ理解できるようになるらしい。

 もちろん、お母さんだって、いつも適切に、おむつが濡れているのか、おなかがすいているのかはわからないので、ウィニコットさんは、ほどよいお母さんでよい、という。

 そして、赤ちゃんは時々、お母さんのはずれの行動に腹を立てるが、しかしそれでも、お母さんがずっと世話をしてくれるので、そこから罪悪感や感謝の気持ちが生ずるらしい。

 つまり、病的に完璧なお母さんより、おおらかな、ほどよいお母さんが大切になる、ということらしい。

 赤ちゃんとお母さんの光景から、精神分析が教えてくれる世界はなかなか深いなあ、と思う。      (2024.9 記)

 

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堀江敏幸『なずな』2014・集英社文庫-生後2か月の赤ちゃんとおじさん男子の楽しい物語です

2024年12月01日 | 小説を読む

 2019年のブログです

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 堀江敏幸さんの『なずな』(2014・集英社文庫)を読みました。

 堀江さんの小説は、今年の夏、北海道にいる時にたくさん読みましたが、この小説はなぜか読みそびれていました(堀江さん、ごめんなさい)。

 なずなちゃん。生後2か月。

 お母さんとお父さんのよんどころのないご事情から、なんと、お父さんのお兄さんである四十路独身のおじさん男子の主人公が一時的に預かることになります。

 預かるったって、生後2か月の赤ちゃん、そのお世話はたいへんです。

 じーじも共働きだったので、子育てのたいへんさは少しだけわかりますが、まず寝不足、そして、悪魔のような赤ちゃんの要求に振り回されます。

 そう、それはまさしく悪魔のよう。

 かわいい顔をして、悪魔のような要求、最初のうちはおとなにも、そして、おそらくは赤ちゃん自身もよくわかっていない要求をします。

 おとなたちはフラフラ、じーじたち夫婦も二人いてもフラフラでした。

 それを、四十路独身男子の主人公が、周囲の応援も得て、頑張ります。

 うーん、頑張るというよりは、だんだんと手の抜き方を覚え、一緒にお昼寝ができるようになります。

 なずなちゃんは健康な赤ちゃん、いっぱいミルクをのみ、いっぱいげっぷをして、いっぱいブリブリブリとうんちをします。

 主人公はそのお世話をしながら、だんだんとなずなちゃんのこまやかな成長に気づき、喜びを感じ、楽しい時間を共有します。

 その過程がていねいに、こまやかに、情感たっぷりに描かれる素敵な小説です。

 読んでいると、なんとなく幸せになれるいい小説です。

 おすすめです。       (2019. 11 記)

 

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