ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

他人を非難する人の心理学を考えてみる-精神分析に学んだこと、一つ、二つ

2024年12月03日 | 心理臨床を考える

 2024年10月のブログです

     *

 SNSやブログを見ていると他人を非難する人を多く見る。

 大谷くんですら、ちょっと調子が悪いとくそめそだ。

 読んでいると気分が悪くなる。

 その最たるものはトランプくんだと思うが、そういうふうにすぐに他人を非難する人はどういう心理なのだろう?と考える。

 他人を非難することで自分が優越感に浸りたいのか、他人を貶めることで自分の万能感を満たしたいのか?

 しかし、いずれにしても錯覚に過ぎないだろう。

 他人を非難しても、自分が偉くなれるわけではないし、すばらしくなれるわけでもない。

 むしろ、敵を作り、憎悪を煽るだけだろう。

 それがわからずに自己満足に陥り、悪いのは周りだと攻撃性を強めているように見える。

 パワハラや(あまり好きな言葉ではないが)カスハラにも同じ根っこを感じる。

 悪いのはみな周りで、自分は正義だと錯覚をしている。

 自己中心的で他者への配慮ができないような、人格が未熟な印象を受ける。

 短絡的で感情優位のパーソナリティなのかなと思う。

 精神科医の中井久夫さんがいうように、成熟をした人格には、わからないことに耐えて、すぐに結論を出さずに考え続ける態度が大切になる。

 精神分析のビオンさんも、あいまいさに耐えることの大切さを述べている。

 いいか悪いか、イエスかノーか、敵か味方かなどを簡単に決めつけずに、考え続ける努力が必要だ。

 正解は、白か黒かではなく、その間のグラデーションのどこかに存在するのではないだろうか。       (2024.10 記)

 

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犯罪容疑者とカメラ目線の関係(?)について考えてみる-じーじのじいじ日記(2024・12・3)

2024年12月03日 | じいじ日記を書く

 2024年12月3日の日記です

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 テレビのニュースを見ていると、犯罪の容疑者が勾留のために手錠をして警察の車に乗る場面をよく見る。

 じーじが違和感を覚えるのは、その時に容疑者がみんなカメラのほうを見ることだ。

 マスコミのカメラが目立つのか、それとも他の理由があるのかはよくわからないが、容疑者の人たちは、警察の建物から出てきた途端、瞬時にカメラに気づき、目をそらしたり、顔をそらしたり、あるいは、カメラを見つめたり、時には、カメラに手を振ったりする。

 よくあんなに素早く気づくものだな、と感心するとともに、何か不思議な感じも受ける。

 本当に反省をしているならば、うつむいて、目を伏せて、手錠を見つめるなどして、歩くのではないかな?と思ったりする。

 じーじは、そういう光景を見ていると、容疑者の人たちは、ひょっとすると、他人の目線に敏感な人たちなのかな?と想像したりする。

 他人の目線を気にして生きてきた人たちが、何かでつまづいた時に、犯罪に走りやすいのかな?と妄想(?)したりする。

 何かの理由で、自分に自信が持てない人や他人に影響されやすい人が、困難に直面した時に、本来の自分を保てなくなってしまい、犯罪のハードルが下がってしまって、犯罪に走るのかな?と推測(?)したりする(なんのエヴィデンスもないですが…)。

 じーじも小心者で、まわりをよく気にするほうなので(?)、余計、気になるのかもしれないが、少し異常な感じも受ける。

 犯罪容疑者とカメラ目線の敏感さには、何か関係があるのかもしれない、と思うのは、小心者で、まわりを気にして生きているじーじ(?)だけなのだろうか?

 ひょっとすると、似たもの同士なのかもしれないなあ(?)、と思ったりもする。

 テレビを見ながら、つまらないことに気づいてしまい、それが気になってしょうがない最近のじーじである。       (2024.11 記)

  

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