2018年のブログです
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ウィニコットさんの『遊ぶことと現実』(橋本雅雄訳・1979・岩崎学術出版社)を再読しました。
何回目になるでしょうか。
何回読んでも難しい本ですし、奥がすごく深い本で、じーじなどはまだまだどれくらい理解できているのか心もとありません。
1979年発行の本で、じーじが持っているのが1988年の本、おそらく精神分析に興味を持ちだした頃に買ったのではないかと思います。
その後、精神分析だけでなく、面会交流の仕事をする中で遊戯療法なども勉強し、そちらからもウィニコットさんに近づくことが増えたと思います。
じーじの数少ない論文もウィニコットさんを参考にして書かせていただきましたし、大学院の修士論文も同様で、ずいぶんお世話になっています。
いろいろなことが述べられており、いろいろな学者さんに引用されている本書ですが、今のじーじに理解できている範囲で書いてみます。
まず、有名なのが、遊ぶことにおいてこそ患者は創造的になっていく、ということ。
ウィニコットさんは、創造することは存在すること、とも述べていますから、結局、遊ぶことは人が存在すること、生きること、ということになります。
それだけ、自由に遊ぶことが生き生きと生きることや存在することに大切だということになります。
そして、精神療法は患者が遊べない状態から遊べる状態にすること、と述べていて、精神療法における遊ぶことの重要性を強調します。
一方で、ウィニコットさんは、精神療法は患者と治療者の二つの遊ぶ領域を重ね合わせること、とも述べていて、両者がそれぞれに遊ぶことの大切さを述べています。
生きること、と同様、精神療法においても、その中で、自由に生き、自由に存在することが必須のことのようです。
なお、遊ぶこと、というと、世間的にはやや否定的なイメージを持たれることもありますが、人間が真に自由に遊ぶことは尊いことなのだろうと思います。
遊ぶことの大切さについては、ホイジンガさんなどをはじめとして、哲学からのアプローチもあり、広い勉強が必要になりそうで、少しずつでも考えを深めていきたいと思っています。
さらに、本書には、他にも、移行対象やひとりでいる能力、潜在空間、中間領域、生き残ること、などなど、大切な概念が出てきます。
いずれまた、それらについてもリポートができればいいな、と思っています。 (2018.12 記)