ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングやメールカウンセリングなどをやっています

オグデン(狩野力八郎監訳・藤山直樹訳)『こころのマトリックス-対象関係論との対話』1996・岩崎学術出版社

2024年05月17日 | 精神分析に学ぶ

 2023年5月のブログです

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 久しぶりに再読をしたオグデン(狩野力八郎監訳・藤山直樹訳)『こころのマトリックス-対象関係論との対話』(1996・岩崎学術出版社)をようやく読み終える。

 藤山直樹さんの翻訳デビュー作である。

 藤山さんが土居健郎さんの7年にわたるスーパーヴィジョンを終えて、狩野力八郎さんのスーパーヴィジョンを受けはじめた頃、狩野さんから紹介のあったこのオグデンさんの本を藤山さんが翻訳、それを狩野さんと藤山さんが4年をかけて検討したという労作。学者さんの世界も大変だ。

 オグデンさんの本の紹介は2冊目だと思うが、オグデンさんはアメリカの精神分析家で、フロイトさんやクラインさんの考えを深化させ、ウィニコットさんやビオンさんのアイデアを発展させている人で、じーじもよくわからないなりに(?)ファンである。

 たしか、土居健郎さんが有名な『方法としての面接』の中ですでに注目をされていて、その本物ぶりがわかるが、オグデンさんの本はどれもかなり難解だが、読みごたえがある。

 じーじもわからないなりに読んできているが、なかなか感想文を書くほどには理解ができず、もう何回かずつは再読をしないと、自分なりの考えがまとめられない状態だ。

 しかし、いつまでもそうも言ってられないので(?)、今回も、わからないなりにも、現状でわかる(らしい)ことを大胆にも(?)感想文に書いてみることにした。

 まずは、フロイトさんやクラインさんの考えの検討がすごい。精神分析の概念がていねいに再検討され、哲学的な視点からも考察されて、勉強になる。

 特に、クラインさんの妄想・分裂ポジションや抑うつポジションの再検討などは、そういう見方もできるのかとびっくりする。

 視点が主体や歴史の問題などにも発展をして、読んでいてわからないなりにも面白い。

 さらに、ウィニコットさんの考えの再検討も刺激的だ。

 遊ぶこと、移行対象、可能性空間などのアイデアがより深く検討され、投影同一化のプラスの意義も明らかにされて、目からうろこが落ちる感じがする。

 おそらく、これからも何回も再読をしないとわからなさが残るのだろうが、奥の深さが予感されて、楽しみでもある。

 わからないことに耐えることは、精神分析の世界でも同じなのだろう。

 奥の深い、いい本に出会えて、幸せである。     (2023.5 記)

 

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村上春樹 『猫を棄てる-父親について語るとき』2020・文藝春秋-村上さんが猫とお父さんを語る

2024年05月17日 | 村上春樹さんを読む

 2020年4月のブログです

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 村上春樹さんの『猫を棄てる-父親について語るとき』(2020・文藝春秋)を読みました。

 つい最近、出た本ですが、小さな本ですので、あっという間に読んでしまいました。

 しかし、内容は深いです。

 村上さんのお父さんのことを書いた本ですが、村上さんとお父さんとの二人の思い出も出てきます。

 タイトルの、猫を棄てる、はそういう思い出の一つ。

 不思議な、しかし、少しだけほっとする、猫とのお話です。

 一方、お父さんのお話は、その青春時代が戦争中と重なっていて、なかなかつらいものがあります。

 中国で捕虜を虐殺するのを見た、という話を村上さんのお父さんがされるのを、村上さんは一回だけ聞いたことがあるそうですが、それがお父さんだけでなく、村上さんのこころにも、大きな影響を与えていることが記されています。

 父子の葛藤は当然のことですが、村上さんの場合も、かなり大変だったようです。

 村上さんがよく見たというテストで苦しんでいるという悪夢(?)もよくわかる気がします。

 村上さんの文章は淡々と書かれていますが、その底には深い感情がこもっています。

 特に、お父さんのお話を書かれている文章は、淡々とした奥に戦争や国家への憤りみたいなものが感じられます。

 それは人が生きることの哀しさやつらさと裏表になっているかのようです。

 小さな本ですが、何度でも繰り返して読める、一片の詩のような本だと思います。

 いい本に出会えたと思います。     (2020.4 記)

 

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オグデン(藤山直樹監訳)『精神分析の再発見-考えることと夢見ること、学ぶことと忘れること』2021・木立の文庫

2024年05月16日 | 精神分析に学ぶ

 2022年5月のブログです

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 アメリカの精神分析家であるオグデンさんの『精神分析の再発見-考えることと夢見ること、学ぶことと忘れること』(藤山直樹監訳・2021・木立の文庫)を読む。

 2021年10月の発行時に一回読み、半年後の今回、再読をする。勉強嫌いのじーじにはめずらしいこと。

 すごく面白い本だが、なかなか難しく、どれだけ理解できたか。

 再読をしても、感想文を書くほど理解できているかどうかもわからないが、とりあえず今の段階でわかっているらしいことを記す。

 そういえば、オグデンさんの本はとても面白くて数冊読んでいるが、いずれも感想文は書けずにいる。今後の課題だ(藤山さんの翻訳デビュー作であるオグデンさんの『こころのマトリックス-対象関係論との対話』(1996・岩崎学術出版社)もとてもいい本で、いつかご紹介できればいいなあと思う)。

 さて、今回読んで感じたことを一つ、二つ。

 まずは、オグデンさんが、ビオンさんの『臨床セミナー』(じーじの拙いブログもあるので、よかったら読んでみてください)を詳しく解説というか、説明しているところがすごい。

 ビオンさんがセミナーでケース提供者にスーパーヴィジョンをしている内容だけでもすごいが、それをさらにわかりやすく解説するオグデンさんの多面的な視点がすごいと思う。すごく勉強になる。

 ともすると、一見わかりにくいビオンさんの言葉が(ビオンさん、ごめんなさい)、オグデンさんの説明で、すごくよくわかる(ような気がする)。

 そして、驚いたのが、オグデンさんもわからないことに耐えることの大切さを述べているところ。

 ビオンさんの、事実と理由を苛立って追い求めることなく、不確実さ、謎、疑惑のなかに留まること、というところをひいて、真に考えるためには、知らないということへの耐容性が必要である、と述べている。すごい。

 ますます深く考えていく必要が出てきたと思うし、ゆっくりと不確実さを味わっていこうと思う。

 二つめは、夢見ること。

 オグデンさんは、精神分析では、夢見ることが大切で、精神分析の時に、それが患者さんでは自由連想になり(子どもでは遊びになり)、分析家ではもの想いになる、とウィニコットさんをひいて述べる。

 卓見であると思う。夢見ることの大切さをわかりやく述べていると感心する。

 そして、さらに、夢の重要さや不思議さなどについても、たくさんの症例が述べられていて、勉強になると思う。

 時間をかけて読んだわりには、ご紹介できる内容が拙いが、本当にいい本だと思うので、今後も再読をして、実践を重ねて、理解を深めていきたいと思う。

 素敵な本に出会えて幸せである。     (2022.5 記)

 

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米村晃多郎『サイロ物語』1980・作品社-北海道の農家と大自然を描く物語たち

2024年05月16日 | 北海道を読む

 2020年春のブログです

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 米村晃多郎さんの短編集『サイロ物語』(1980・作品社)を久しぶりに読みました。

 この本もだいぶ昔に帯広の古本屋さんで買ったもの。

 何回か読んではいるのですが、今回はかなり久しぶりになってしまいました(米村さん、ごめんなさい)。

 しかし、いい発見がありました!?

 なんと、あの天陽くんのモデルになった神田日勝さんをモデルにした小説があったのです(今ごろ気づいて、あった、もないのですが…)。

 日勝さんのことを昨年まではあまりよくわからずにいたので(日勝さん、ごめんなさい)、これまで読み流していたと思うのですが、今回は、えっへん!やっと気がつきました。

 日勝さんと奥さんの生活が戦後開拓農家の苦労話として、かなり詳しく描かれています。

 いい小説です。

 米村さんの文章はとても美しい日本語で、余韻が残って、心地良さを感じさせてくれます。

 他の小説もなかなか力作ぞろいで、北海道の開拓地やへき地の様子がていねいで美しい文章できちんと描かれています。

 こういう驚きがあるので、読書はやめられません。

 今年も北海道の牛さんのように、同じ本を何度も読み返していこうと思います。     (2020.4 記)

 

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下坂幸三『摂食障害治療のこつ』2001・金剛出版-摂食障害とその家族に向き合う

2024年05月15日 | 心理療法に学ぶ

 2019年5月のブログです

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 下坂幸三さんの『摂食障害治療のこつ』(2001・金剛出版)を再読しました。

 先日、同じ下坂さんの『拒食と過食の心理-治療者のまなざし』(1999・岩波書店)を再読して、かなり勉強になったので、その続きです。

 この本もかなり久しぶりの再読。

 最近は摂食障害の患者さんにお会いすることがあまりないので、つい足が遠のいてしまいました。

 本書のほうが岩波本より2年後に出た本で、出版社も精神医学関係の会社からであり、少しだけ専門的かもしれませんが、基本はぶれていません。

 今回、印象に残ったことを、一つ、二つ。

 一つめは、繰り返しになりますが、面接論で、患者さんや家族の発言をなぞるように繰り返して、要約することの大切さ。

 このことはよく言われますし、たまたま、今読んでいるサリバンさんも同じことを強調していて、本当に重要な点だと思います。

 下坂さんの場合は家族面接をされますので、それを患者さんと家族の前で実践し、同意は無理でも、それぞれに確認をすることの大切さも述べられます。

 このように、それぞれの考えをていねいに聴いて要約し、みんなで確認することの重要性を下坂さんは、前書でも協調されていますが、本当に重要な点だと思います。

 じーじも家族面接で実行してみたことがありますが、特に、家族がこれまで言えなかったことを言えた、という経験をされることが多かったように思います。

 そして、下手をすると論争の場になってしまうこのような場で、治療者が治療者として生き残ることで、患者さんや家族の不安を受けとめることにもなると述べます。

 二つめは、面接のていねいさについて。

 たとえば、ものの見方が善悪に極端に分裂してしまう患者さんに、少しの反対面を確認し、患者さんの強迫性を崩すこと。

 原因より現象をていねいに語ってもらい、生身の姿を確認することで、やはり強迫性を崩すなど、現実を見据えて、互いに確認することの治療性を説きます。

 いずれも、治療現場で下坂さんが手探りで実践してこられた方法ですが、フロイトさんをご自分なりにていねいに読み解いて、実践されてきた重みが感じられます。

 空理空論でない、現場からの誠実な声に学ぶところがたくさんあります。

 さらに勉強を続けていきたいと思います。     (2019.5 記)

 

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イザベラ・バード(高梨健吉訳)『日本奥地紀行』1973・平凡社-英国婦人による明治11年の日本紀行

2024年05月15日 | 随筆を読む

 2021年5月のブログです

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 先日、テレビを観ていたら、英国の旅行家イザベラ・バードさんの特集番組の再放送をやっていました。

 とても面白かったので、本も読もうと思い、本棚を探したところ、じーじにはめずらしく、すぐに見つかったので(?)、久しぶりに読みました。

 バードさんの『日本奥地紀行』(高梨健吉訳・1973・平凡社)。

 1878年(明治11年)にバードさんが通訳と2人で東日本を旅した時の紀行文で、横浜から関東、東北、北海道の日高地方まで旅した記録です。

 まだ道路がまったく整備されていない明治初期、人力車や馬、徒歩などによる旅行です。

 しかも、泊まる宿屋もノミや虫でひどいところが多く、さらに、外国人を初めて見る人々は、バードさんの泊まる部屋の障子にたくさんの穴を開けて(?)、興味津々と眺めます。

 そういう旅を続けて、北海道まで、3か月の旅です。

 いろんな苦労を重ねるバードさんですが、しかし、なんというか、その文章の底のほうには英国人特有というか、先日の登山家のウェストンさんもそうでしたが、ユーモアと温さがあります。

 もちろん、日本の農村の貧しさや不衛生さ、それなのに、西洋の物まねや軍事増強に走っている明治政府を痛烈に批判しますが、一方で、貧しくとも真面目で正直な庶民への視線は優しく、温かです。

 われわれが忘れがちな、昔の日本の庶民の良さをうまく描けているように思います。

 時代は日清、日露、太平洋戦争を経て、多大な犠牲の上に、ようやく日本の庶民も平和憲法を手に入れましたが、それも今日、再び、危うくなってきています。

 英国婦人を感心させた日本の庶民の良さを大切にしていきたいなと思います。    (2021.5 記)

  

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保護者のPТA不加入と子どもの登校班拒否の問題-じーじのじいじ日記(2024.5.14)

2024年05月14日 | じいじ日記を書く

 2024年5月の日記です

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 夕方のニュースを見ていたら、保護者がPТAに加入していない子どもが小学校の登校班に入れないという問題が出ていた。

 保護者のPТA不加入と子どもの登校班拒否とがどう関係するのかまったくわからない。

 同調社会の日本らしいことだなと思うが、笑いごとではすまされないだろう。

 PТAは保護者の任意参加が原則で、強制ではない。

 入らない保護者が増えるとPТAは困るかもしれないが、あくまでも任意の団体だ。

 困るPТAは対策を考えて、加入している保護者や教師と相談をして、できる範囲で行事を行なうべきだと思う。

 PТAに入らない保護者の子どもを小学校の登校班から締め出すというのはいじめだろう。

 もっとも、じーじが小学校の頃には登校班なんてなかったし、子どもたちの時もなかった。それで特に支障もなかったと思う。

 ニュースでは、登校班だけはなく、学校とPТAとの行事などでも差別があるらしい。

 子どもを人質に取っての差別で、言語道断だ。

 おそらくPТAだけでなく、自治会や労働組合などでも同じような問題が起きているのではないかなと危惧する。

 今朝の新聞では、会社で内部告発をした者が差別をされているという記事もあった。

 ひどい国だな、と思う。

 戦争にもきっと同じような同調圧力が働いてしまうのだろうと想像する。

 孫娘たちだけはこんな卑劣な同調圧力からなんとか守りたいなあと思う。    (2024.5 記)

 

 

 

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下坂幸三『拒食と過食の心理-治療者のまなざし』1999・岩波書店-摂食障害と向き合う

2024年05月14日 | 心理療法に学ぶ

 2019年5月のブログです

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 下坂幸三さんの『拒食と過食の心理-治療者のまなざし』(1999・岩波書店)を再読しました。

 これもかなり久しぶりの再読。

 昔、家裁調査官の時に、万引きをした女の子が摂食障害の子で、対応に苦労した時に、下坂さんの本で勉強をしたことを思い出します。

 いわゆる不良少女とは違う真面目な女の子の非行で、非行というよりやはり精神的な病いとして理解する必要を感じたことがありました。

 以来、摂食障害はじーじの中で大切なテーマの一つですが、なかなか難しいです。

 この本もアンダーラインや付箋がいっぱいですが、どれくらいきちんと理解できているのかは心許ないですし、ましてやそれを心理療法の中でどれくらい実践できるのかについてはまだまだだな、と思ってしまいます。

 それでも、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、摂食障害と強迫症、境界例の関係。

 内心の不安から自分や周囲をコントロールしようとする心性ということで、これらの病いは似ているところがありそうです。

 完全か無、善か悪、白か黒、といった極端な考え方も共通しています。

 ひょっとすると少しだけ緊張感に満ちた家庭での、自分を守る手段の一つなのかもしれません。

 二つめは、上記と関係しますが、過食や拒食にも理由があるので、その理由、利益をていねいにきくこと、いわゆる、下坂さんのいう現象論が大切ということ。

 そして、患者さんの心的現実には安易にうなずかずに、冷静な確認が必要となるようです。

 三つめが、できれば家族同席面接で、親子、それぞれの言い分をていねいにきいて、それを言語的になぞり返して、相互に確認をすること、これが重要になるようです。

 いずれも、行なうのはなかなか難しいことで、訓練と実践が必要で、今後さらに勉強を重ねていきたいと思いました。    (2019.5 記)

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 2022年5月の追記です

 ここでも、思うことは、こころの成熟は、あいまいさに耐えること、白も黒も灰色もある世界を理解できるようになることなどが大切になりそうな気がします。    (2022.5 記)

 

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ウェストン(青木枝朗訳)『日本アルプスの登山と探検』1997・岩波文庫-明治時代の山歩き

2024年05月14日 | 随筆を読む

 2021年5月のブログです

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 ウォルター・ウェストンさんの『日本アルプスの登山と探検』(青木枝朗訳・1997・岩波文庫)を久しぶりに読みました。

 ウェストンさんは、初夏に上高地で行なわれるウェストン祭で有名なかたで、登山家。

 この本を読むのはおよそ20数年ぶり。

 40代後半になって、山歩きをするようになった頃に読んで以来です。

 このところ、なぜか明治から昭和にかけての山歩きの本を読んでいて、昔の山の紀行文を読むと、こころが落ち着いてとてもいいです。

 田部重治さん、木暮理太郎さん、武田久吉さん、若山牧水さん、などといった人たちの山の文章を読むと、昔の日本の山の美しさに感心させられますし、山里に住む人たちの素朴さにこころうたれます。

 古きよき日本の姿がたしかに描かれています。

 それは本書でも同様で、本書は明治20年代の日本アルプスの紀行が中心ですが、ウェストンさんのユーモアのある文章ともあいまって、昔の山の美しさと山里の人々の礼儀正しい様子がたくさん描写されていて、読んでいるととてもこころがなごみます。

 外国人を初めて見て興味津々の人々や、ウェストンさんを見ても外国人とわからずに、変わった日本人だ、というおばあちゃんなど、愉快な場面も出てきます。

 ウェストンさんより少し前に日本各地を旅行したイザベラ・バードさんの紀行文を思い出します。

 もちろん、山登りの場面はかなりタフで、じーじなどはとても真似のできない専門的なもののようですが、ウェストンさんがたんたんと記述しているので、文章は重たくありません。

 有名な猟師で案内人だった上條嘉門次さんをはじめとするすばらしい案内人のかたがたも登場して、彼らとのユーモラスなやりとりも描かれます。

 ウェストンさんの人柄のせいもあるのでしょうが、明治20年代の日本の山と山里がとても魅力的だったことがわかります。

 この素敵な風土を少しでも後世に残せればと思います。     (2021.5 記)

 

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河合隼雄『対話する生と死-ユング心理学の視点』2006・だいわ文庫-心理療法を深める

2024年05月13日 | 河合隼雄さんを読む

 2019年春のブログです

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 河合隼雄さんの『対話する生と死-ユング心理学の視点』(2006・だいわ文庫)を再読しました。

 これもかなり久しぶりで、小さな文庫本なので、本棚の片隅にあったのを見つけて読んでみました。

 しかし、中身は充実していて、いい勉強になりました。

 さすがは河合さん!です。

 今回、特に印象に残ったところを一つ、二つ。

 一つめは、治療者の私が、もう一人の私としての病者を自覚すると、病者の心の中のもう一人の私としての治療者が働きはじめる、ということ。

 深い言葉です。

 転移・逆転移を表現しているとも言えそうですし、患者さんの自己治癒力の発現の機序を語っているようにも思えますし、さらには、もっと深いことがらを表現しているようにも思えます。

 たぶん北山修さんも同じようなことを話されていて、もっともっと考えてみたいな、と思いました。

 二つめは、治療者が安定してそこにいることの大切さ。

 治療者が患者さんを理解しつつ、そこに一緒にいることの重要性を説きます。

 これはもう、精神分析でもさんざん話題になっていることがらですね。

 三つめは、心理療法において練習を積むことの大切さ。 

 鍛えたうえでこそ、とっさに出てくることが理にかなう、と述べます。

 そして、苦しくても頑張りぬく姿勢が大切で、いい気になると駄目なことが多い、と警告をされます。

 一般、初心者向けの本ですが、丁寧に読むと、かなり奥深い、いい本だと思います。

 さらに、謙虚に、勉強を続けようと思いました。        (2019.4 記)

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 2020年11月の追記です

 練習を積むことの大切さは、他の世界でも同じでしょうが、心理療法でもいろんな方が強調されています。

 まずは基本を身に付ける、型を究める、などなど。

 そのうえで、土居健郎さんのいう、出たとこ勝負、が重要になるのかもしれません。        (2020.11 記)

 

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沢木耕太郎『旅のつばくろ』2020・新潮社-沢木さんが日本を旅する

2024年05月13日 | 沢木耕太郎さんを読む

 2020年5月のブログです

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 沢木耕太郎さんの『旅のつばくろ』(2020・新潮社)を読みました。

 沢木さんの新刊です(えっへん!すごいでしょ)。

 本書はJR東日本の車内誌「トランヴェール」に連載されたエッセイをまとめたもの。

 おもしろいです。

 老人になった(?)沢木さん(沢木さん、ごめんなさい。でも、沢木さんはじーじより7歳年上なのです)の、しかし、気持ちの若々しさがうらやましいです(何がちがうんだろ?)。

 旅は、沢木さんの高校時代の東北貧乏旅の思い出から始まって、東北、北陸の旅や思い出話などが綴られますが、沢木ファンには懐かしいお話も出てきます。

 例えば、エッセイ集『246』(たぶん?)に出てきたハチヤさん(養蜂家)のお話や、別のエッセイでの高倉健さんのお話、『深夜特急』でのお話などなど。

 また、作家吉村昭さんとの仙台でのお話もこころ温まります。

 そうそう、青森の三内丸山遺跡の話も出てきます。

 入場料が無料と書かれていて、あれ?じーじが行った時はたしか340円(?)だっだよな、と思って読んでいくと、最後に、念のために調べてみると、入場料は2019年4月以降、有料になっていました、残念、とあって、沢木さんの几帳面さがここでもうかがえます。

 やはり、まじめな方なんだなと、改めて感心させられました(このへんがじーじとはだいぶちがいます)。

 本書を読んでいると、ゆっくりと時が流れる感じにひたれます。

 いい本を読めて、幸せです。     (2020.5 記)

 

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藤の花を眺めながらの公園カウンセリングは、こころも鮮やかきれいになります

2024年05月13日 | カウンセリングをする

 こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングと訪問カウンセリングを新潟市と北海道東川町(夏期)でたまにやっています。

 また,メールカウンセリングや面会交流の相談・援助も時々やっています。

 公園カウンセリングや海岸カウンセリング,里山カウンセリングは,屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,お近くの公園や自然の中で,ゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間は1回50分3,000円で,隔週1回,あるいは,月1回などで行ないます。

 訪問カウンセリングは,屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,ご自宅やお近くの屋内施設で,じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間などは公園カウンセリングと同じです。

 メールカウンセリングは,メールによるカウンセリングや心理相談で,2週間に1往信で行ない,1往信700円です。

 面会交流の相談・援助は,相談はご自宅などで行ない,1回50分3,000円,援助はお近くの公園や遊戯施設,あるいはご自宅などで行ない,1回60分6,000円です。

 カウンセリング,相談・援助とも土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時に行なっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは,赤ちゃんや子どもさんがご一緒でもだいじょうぶなカウンセリングですので,お気軽にご利用ください。そういう意味では,深くはないけれども,現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は,低めに設定させていただいていますが,月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは,さらに相談をさせていただきますので,ご遠慮なくお問い合せください。

 ちなみに,消費税には反対なのと,計算がややこしいので,いただきません。

 お問い合わせ,ご予約は,メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 駅の近くに部屋を借りて本格的にカウンセリングルームを運営するような臨床心理士さんとは違って、じーじは近くの公園や海岸、河川敷などでカウンセリングをしています。 

 子どもさんを遊ばせながら、ちょっとだけ悩みごとを聞いてもらえればいいんですー、というお母さんや悩み多き若者(?)などがじーじのクライエントさんには多いです(じいじいやばあばあのみなさんもお断りはしませんが(?)、尊敬すべき先輩たちのみなさんですから、できるだけご自分で解決しましょうね)。

 おこづかいを貯めて(?)、お気軽に、遠慮せずに、ご利用ください。

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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北山修ほか編『日本語臨床3「甘え」について考える』1999・星和書店-「甘え」の臨床に学ぶ

2024年05月12日 | 心理療法に学ぶ

 2020年5月のブログです

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 北山修ほか編『日本語臨床3「甘え」について考える』(1999・星和書店)をかなり久しぶりに読みました。

 土居さんの「甘え」理論を1997年の第4回日本語臨床研究会で討議をしたあとの論文集ですが、読むのはなぜか久しぶりになってしまいました(土居さん、北山さん、ごめんなさい)。

 例によって、付箋やアンダーラインがあるものの、記憶がほとんどなく、なんと藤山直樹さんも論文を書いていて、ラッキーでした(一回読んだはずなのに、ラッキーもないのですが…。藤山さん、ごめんなさい)。

 言い訳になりますが、人はやはりその時の実力に応じた読書しかできないのですね。

 さて、今回の実力(?)で、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つは、小此木啓吾さんの論文。

 小此木さんは土居さんより10歳後輩らしいのですが、土居さんの影響で小此木さんも精神分析を勉強をされたとのことで、「甘え」理論についても、土居さんのお人柄をからめて、ご紹介され、わかりやすいです。

 共通の症例の治療経験も述べられ、深い思索が示されています。

 次は、藤山さん。

 藤山さんは、「甘え」と「はにかみ」について、わかりやすく述べられています。

 提示された症例が、藤山さんの他の論文でも取り上げられていることに、途中で気づき、忘れん坊のじーじとしてはめずらしく症例を記憶していることに、感動しました(?)。

 藤山さんは、「はにかみ」が生じる時に、「甘え」が自覚できると述べられており、さらに、それらと「恥」や「秘密」との関係ついても論じていて、とてもいい論文です。

 それにしても、日本語臨床研究会のレベルの高さに驚きます。

 じーじはもうしばらく後の会から何回か参加させてもらったのですが、その頃も刺激的な議論がなされていた記憶があります。

 さらに、経験と思索を深めたいと思います。      (2020.5 記)

 

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行者にんにく!を眺めながらの里山カウンセリングは、こころもにんにん元気になります

2024年05月12日 | カウンセリングをする

 こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で,じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや里山カウンセリング,海岸カウンセリングと訪問カウンセリンを新潟市と北海道東川町(夏期)でたまにやっています。

 また,メールカウンセリングや面会交流の相談・援助も時々やっています。

 公園カウンセリングや里山カウンセリング,海岸カウンセリングは,屋外で行なう個人カウンセリングや親子・夫婦の家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,お近くの公園や自然の中で,ゆっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間は1回50分3,000円で,隔週1回,あるいは,月1回などで行ないます。

 訪問カウンセリングは,屋内で行なう個人カウンセリングや家族カウンセリング,子どもさんの遊戯療法などで,ご自宅やお近くの屋内施設で,じっくりとご自分やご家族のことなどを考えてみます。

 料金・時間などは公園カウンセリングと同じです。

 メールカウンセリングは,メールによるカウンセリングや心理相談で,2週間に1往信で行ない,1往信700円です。

 面会交流の相談・援助は,相談はご自宅などで行ない,1回50分3,000円,援助はお近くの公園や遊戯施設,あるいはご自宅などで行ない,1回60分6,000円です。

 カウンセリング,相談・援助とも土日祝日をのぞく平日の午前10時~午後3時にやっています(すみません、年寄りなもので、夕方や週末のお仕事が難しくなってきました)。

 じーじのカウンセリングは,赤ちゃんや子どもさんがご一緒でもだいじょうぶなカウンセリングですので,お気軽にご利用ください。そういう意味では,深くはないけれども,現実の生活を大切にしたカウンセリングになるのではないかと考えています。

 料金は,低めに設定させていただいていますが,月収15万円未満のかたや特別なご事情のあるかたは,さらに相談をさせていただきますので,ご遠慮なくお問い合せください。

 ちなみに,消費税には反対なのと,計算がややこしいので,いただきません。

 お問い合わせ,ご予約は,メール yuwa0421family@gmail.com までご連絡ください。

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 駅の近くに部屋を借りて本格的にカウンセリングルームを運営するような臨床心理士さんとは違って、じーじは近くの公園や海岸、河川敷などでカウンセリングをしています。 

 子どもさんを遊ばせながら、ちょっとだけ悩みごとを聞いてもらえればいいんですー、というお母さんや悩み多き若者(?)などがじーじのクライエントさんには多いです(じいじいやばあばあのみなさんもお断りはしませんが(?)、尊敬すべき先輩たちのみなさんですから、できるだけご自分で解決しましょうね)。

 おこづかいを貯めて(?)、お気軽に、遠慮せずに、ご利用ください。

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 1954年、北海道生まれ  

 1977年、家庭裁判所調査官として司法臨床に従事  

 2014年、放送大学大学院(臨床心理学プログラム)修了  

 2017年、臨床心理士

 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の相談・援助などを研究

 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006、『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011、『遊戯療法学研究』)ほか 

 新潟市西区・北海道東川町(夏期)

 連絡先 メール  yuwa0421family@gmail.com    

 

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孫娘たちが大好きな段ボールの小さなおうちは新潟のばーばのプレゼント-遊ぶことのちから

2024年05月12日 | 遊ぶことのちからを考える

 たぶん2018年ころ、上の孫娘が7歳、下の孫娘が4歳のころのブログです

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 新潟のじーじのおうちの居間には、孫娘たちが大好きな段ボールでできた小さなおうちがあります。

 何年か前の孫娘たちの誕生日に、新潟のばーばがプレゼントをしたおうちなのですが、これが孫娘たちが大好きで、新潟に遊びに来ると、いつも二人で中に入って遊んでいます。

 段ボールのおうちなので、ブーフーウーのおうちのように、今にも倒れそうなおうちなのですが、孫娘たちは大のお気に入りで、いらっしゃいませー、とお店やさんごっこをしたり、秘密基地のようにして、二人で遊んでいます。

 最近は、ようやくはさみの使い方を覚えた下の孫娘が、折り紙をハート形に切って、セロテープで貼って飾ったりしていて、この子は将来、建築家になれるかもしれません(?)。

 上の孫娘も、紙をテープのように切って、丸めてつなぎ合わせてモールを作って、きれいに飾ったりしており、こちらはインテリアデザイナーになれそうです(?)。

 いずれにしても、子どもたちの発想の豊かさに驚かされます。

 じーじなどには絶対思いつかないような新鮮で、大胆で、楽しいサプライズが目白押しで、じーじはうれしい驚きの日々です。

 年老いて、発想が貧困になってきているじーじには、まぶしいかぎりで、そろそろ世代交代の日も近いのかもしれません。

 何年か先かのことかもしれませんが、楽しみなことです。

 今日も孫娘たちと一緒に、折り紙や画用紙で工作をしながら、後娘たちの確かな成長を感じているじーじです。     (2018?記)

 

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