人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(構想編) 2015年 ホセ・クーラ プッチーニのラ・ボエームを演出 Jose Cura / La Boheme / Puccini

2016-07-18 | 演出―ラ・ボエーム

  *画像はクーラのFBに掲載された告知です

2015年の11月21日、ホセ・クーラが演出、舞台設計、衣装、照明を担当したプッチーニのオペラ、ラ・ボエームが、スウェーデンのストックホルム王立劇場で初日を迎えました。2016年6月までの長期の上演でした。クーラは歌いません。

クーラは、自らの演出の構想や舞台の様子など、膨大な情報を、フェイスブックなどで発信してくれました。ユニークで、演出のうえで、こんな風に発想し、構想を肉づけしていったのかと、私のような素人には、とても興味深い話でした。しかし残念なことに、DVDなど映像の発売予定はなく、ラジオ放送はありましたが、日本ではその舞台を見る機会はありません。
ということで、クーラの演出プランと舞台の様子を、数回にわけて、紹介したいと思います。まずは(構想編)です。



クーラの演出コンセプトは、「スカンジナビアのボエーム」――プッチーニの傑作オペラを、北欧の光の輝きのなかで浮かび上がらせるというもの。舞台を、原作の1800年代のパリのボヘミアンの物語から、北欧に移すという構想です。ムンクのカラフルな絵、ストリンドベリの小説などに触発され、ムンクの絵を舞台デザインの中心にすえて、各シーンを描き出しました。

大胆でユニークなのは人物設定です。主役たちも、北欧の実在の芸術・文化人におきかえて演出しました。
ロドルフォは、作家のストリンドベリ、マルチェロは画家のムンク。コッリーネは哲学者のキルケゴール、音楽家ショナールはグリーグ。ムゼッタはムンクの恋人だったトゥラ・ラールセン‥。
同じ貧しく情熱的な若い夢想家たちの、時代を超えた物語として、スカンジナビアのボエームを描きだそうというものです。

初日にむけて、当時リハーサル中だったクーラが、フェイスブックに、今回の演出コンセプト「スカンジナビアのボエーム」の発想の発端を語りました。

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●19Cスカンジナビアは創造性の黄金時代
19世紀にスカンジナビアは、最も偉大な文化的成果を生みだした。グリーグ、シベリウス、ストリンドベリ、イプセン、アンデルセン、キルケゴール、クローグ、ムンクなど、多くの才能が活躍した。創造性の黄金時代だった。

●ハンス・イエガーとその仲間たち
1885年、ハンス・イエガーという、当時非常に知的影響力をもった人物が、「クリスチャニア・ボエーム」を出版した。クリスチャニアとは、初期の時代のオスロのことだ。この小説の舞台となった。
ハンス・イエガーの小説「クリスチャニア・ボエーム」は、宿舎に住み、哲学、文学、社会改革を議論し、カフェでその日を過ごす、2人の友人たちの日常生活を物語っている。

当時この小説はスキャンダルとなり、イエガーは刑務所で生涯を終えた。その後、イエガーのラディカルな仲間、アナキストたちが、クリスチャニア・ボエームというグループを結成した。ムンクはその一員だった。



●発想はストックホルムの旧市街で
2012年6月に、2015-16シーズンにおけるラ・ボエーム演出・設計の招待を受けた。ストックホルムの旧市街ガムラスタンを歩いていて、上を見上げた時、美しい赤い建物の上の窓にあたる光を見た。

その時、もしかしたらこの部屋は、ボヘミアンの屋根裏部屋だったかもしれない、と思った。ガムラスタンにラ・ボエームの舞台を設定してはいけないだろうか?――しかしそれにはもっと強い根拠が必要だ。

●ストリンドベリの家を訪ねて
ほぼ25年前に、オペラ「ミス・ジュリー」に出演して以来、私はストリンドベリの崇拝者となった。自分のロドルフォを作りあげるために、彼を使うことは、悪い考えではないと考え始めた。
しかし、それを正当化するには?
私は手がかりを探すために、ストックホルム中心部のストリンドベリの家に行ってきた。



ストリンドベリの部屋で、私は彼のベッドに座ってみた。
部屋の向かい側にガラスで保護された、“À Boheme Suedoise”(スウェーデンのボエーム)とカバーに書かれた本を見た。その時の私の衝撃を想像してほしい‥。それは大きな偶然だった。たぶん、ストリンドベリが私に何かを伝えようとしたのだ。

●ストリンドベリの小説「赤い部屋」から
ストリンドベリとボヘミアンの関連を調査して、1879年出版の「赤い部屋」を知った。ストックホルムの社会を風刺した小説だ。

小説「赤い部屋」は、若い理想主義的​​な主人公、アルビード・ファルクの冒険を物語る。彼は、ジャーナリスト・作家になるために、公務員の仕事をやめた。双子の魂を求めて、ボヘミアンのグループを発見する。

ボヘミアンのグループの会合で、彼らは、バーンズ・サロンゲール(複合娯楽施設)の赤いダイニングルームに陣取って、政治について、社会変革、演劇、慈善活動や事業について、議論した。

●ラ・ボエームのコンセプトの発見
ストリンドベリの小説の主人公アルビード・ファルクと、プッチーニのラ・ボエームの主人公ロドルフォとの間の類似点は、単なる偶然であるかもしれない。しかし私は、私のラ・ボエームのためのコンセプトを発見したことを確信した。

ハンス・イエガーの小説の名であり、彼の思想に影響を受けて創られたグループである、クリスチャニア・ボエーム。その主要な人物の一人であった、ノルウェーの画家ムンクが、マルチェロを。そして作家ストリンドベリが、ロドルフォの描写のためのインスピレーションとなる。





●ドラマ作りのうえで
スコアの内の名前を変更する...私がさらに踏み込むことを決めたのは、ずっと後のことだ。
しかし私の目的は、伝記的なプロダクションをつくることではない。

プッチーニの傑作の台本と音楽は、ムンクとストリンドベリの本来のキャラクターに合ってはいない。しかしドラマツルギーを刺激するために、19世紀のスカンジナビアに実在した自由奔放な運動にアイデアを借りる。

●キャラクターをリアルにつかむために
リハーサルの開始直後、私は、キャラクターの存在がリアルでないボエームにはしたくないということを、キャストに理解してもらいたかった。ムンクやストリンドベリの気分をつかむために、一緒に、美術館やストリンドベリの家を訪問した。



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写真は、ストックホルムで新生産のプレゼンテーションを終え、小道具のテーブルを選んでいる様子


クーラは、ラ・ボエームのリハーサル開始にあたって、演出への理解を深めてもらうために、キャストを連れて、ティール・ギャラリー(ムンクのコレクションで有名な美術館)やストリンドベリの家を訪問したそうです。全体にとても若いキャストのようです。



具体的な舞台の様子などについては、ひきつづき次回以降に紹介したいと思います。

●おまけ
やはり演出もいいけれど、クーラのロドルフォが聞きたい、というのがファンとしては率直な思いです。
ホセ・クーラ自身の、ラ・ボエームのロドルフォのロールデビューは、2010年のチューリッヒ、47歳の時でした。
普通、若いテノールの役柄というイメージですが、クーラはオテロよりも10年以上後という、意外なロドルフォ・デビューです。
その際、クーラは、「ドラマティックな役だけでなく、時に、叙情的な役を歌うのは良い。年と共に声は重くなったが、高音はより楽にでるようになった」と述べていました。

オペラの舞台ではチューリッヒだけですが、コンサートでは、ミミとの二重唱「愛らしい乙女よ」をよく歌っています。
今回は、2002年頃ワルシャワのコンサートでの動画を。とてもセクシーな演技つき‥

La Boheme, Ewa Malas-Godlewska and Jose Cura, Concert




*画像などはクーラのFB、HPからお借りしました。
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