こんばんは! そうだいです。今日は関東地方は天気よかったですねぇ。冬にしてはあったかかったし。
私、今日ははるばる埼玉県富士見市まで行ってまいりました。目的はまたもやお芝居。そこの市民文化会館で上演されていた劇団・東京デスロックと渡辺源四郎商店の合同公演『月と牛の耳』を観ました。
おもしろかったですねぇ。東京デスロックの主宰であり、富士見市民文化会館の芸術監督でもある多田淳之介さんとは舞台で共演した縁があり、この市民文化会館にも何度も多田さん演出の公演を観に行ったことはあったんですが、今回の合同公演はもしかしたらいちばんおもしろかったかも知れない。とても楽しい舞台でした。
物語の大筋に「格闘技」がからんでいたこともあり、まさに2つの劇団の主力俳優同士が激突しているといった感じで見応え充分でした。13人の俳優が出演していたんですが、主役からそんなに出番が多いわけでもないわき役まで、全員が全員それぞれの得意分野を使ってちゃんと目立って、それができた上でみんなでバランスをとりながら物語を作り上げていたのがとっても良かったですねぇ。個性を全力でぶつけあいながらバランスを加減するって、そう簡単にできることじゃあないですよ。
まるで『うる星やつら』のような個性の異種格闘技戦といったふぜいだったんですが、それらを見事にまとめあげていた演出にも魅せられました。プロレスか野球の試合を観たような爽快感が残るお芝居でしたね。富士見まで遠出して良かった!
さて、今回のお題にしたいのは、その観劇のあと、夜に池袋の映画館・おなじみの新文芸坐に行って観た映画のことです。いやぁ、今回もすごい映画を観てきちゃったよ。
タイトルは、『獣人雪男』。監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、主演・宝田明の『ゴジラ』ゴールデントリオでお送りする、1955年に制作された東宝のSF特撮映画です。もちろんモノクロ。
ご存じの方も多いかと思うのですが、この『獣人雪男』は、公開以来DVD、ビデオなどでのソフト販売がいっさいされていない「封印映画」として有名な作品です。理由はなんでも「劇中に登場する集落住民の描写が差別的だから。」ということなんだそうなのですが、前年にあの日本怪獣映画の始祖『ゴジラ』を手がけた東宝が、ほぼ同じスタッフを投入して制作したのが『獣人雪男』なわけなんですから、つまんないわけがない! 「封印」なんてもったいない、なんとかして観たい!と私も常々思っていたわけなんです。
そしたら、先月に新文芸坐で「パトレイバー」オールナイトを観たときに、12月4日に1日だけ『獣人雪男』を上映するという情報が入ったチラシを発見! こりゃ行くしかねぇだろ。
ワクワク、ワクワク……ガキンチョだったころ、怪獣図鑑でこの「幻の映画」の存在を知った時から観たい観たいと思っていた念願が、今ここで果たされる! いったい、どんな作品なんだろうか!? 私の胸はおおいに高鳴りました。
そして、55年も前のモノクロ映画だというのにも関わらずほぼ満席となった館内で予定通りに上映は開始され、およそ1時間半がたちなんのトラブルも発生せずに映画は終了。さぁ、観終わった感想は……?
う~~~~ん、That's、微妙!! こりゃ困ったぞ。
まず最初に言っておきますが、この映画は決して「完全な駄作」でありません。つまんなくはない、つまんなくはないんだけど、お話の構造がかなり不思議なんだな。迷路のように入り組んでいる不思議さなんじゃなくて、あまりにも単純明快、先の先まで展開が読めちゃう、まるでまっすぐすぎる一本道を見ているみたいな不思議さがあるんです。
そこまでストレートなストーリーでいいんですか? SF映画として、そこまで展開がベタなのはどうなんだろう!?みたいな。もちろん、公開からすでに5~60年もたっている作品なので、それをつかまえて「先が読めるぞ!」と言うのはフェアじゃないとは思うんですが、とにかくわかりやすく救いようのない悲劇の連続なんですよね。まじめに観ていると哀しすぎてけっこうキツい。
『獣人雪男』は、とにかく一貫して「まじめ!」な映画です。作り方がほんとにまじめ。でも私には、そのまじめさが前半と後半とでまったく別の効果をあげているように見えました。
前半とは「雪男がその全貌をあらわすまで」。後半は「雪男が出てきてから」のことです。
前半は、私は本当に感動しました。わたくしこと30歳のおっさんが、「これからどんな雪男が現れるんだろう!?」、「主人公たちにはどんな運命が待ち受けているというのだろう!?」とドキドキワクワクしながらスクリーンに魅入ってしまいました。
後半に人間達によって捕獲されるまで、雪男の全身は決して画面に映し出されません。このへんはのちのちの『エイリアン』にも通じるような見事な恐怖演出で、ごくたま~に出てくる雪男の毛むくじゃらの手のアップや、山奥から聞こえてくるおたけびが恐い恐い!
また素晴らしいのが雪男の着ぐるみの造形で、『猿の惑星』の先取りをしたような、スーツアクターの眼の演技がちゃんとできるようになっているリアルなマスクが、闇の中でチラッと見えるのが効果絶大。
テントで眠っているヒロイン(『ゴジラ』のスクリーミングクイーン・河内桃子)の顔を入り口からじっと見つめ、ニューッと手が伸びてくるシーンなんかは、ほんとにベタなんですけど実にハラハラしてしまいます。
恐怖演出だけでなく、登場人物たちの性格や役割を的確に説明してくれる前半の演出もまじめまじめ。まるで犯人あてのミステリードラマかと見まごうばかりにスッキリ無駄のない時間進行。
出てくる人たちもいちいちみんなまじめ! まず、雪山で行方不明になった親友が雪男に連れ去られたと確信して探検隊を編成する大学生たち(主人公の宝田明や桃子さんなど)がキラッキラした目の若者ばかりだし、彼らにまねかれて同行した大学の動物学者・小泉博士(演・中村伸郎)も見るからにカタブツそうなご仁。
いっぽうで、雪男の実在を固く信じる地元の猟師もマジで「あそこに行っちゃなんねぇ!」とコントみたいなセリフをはくし、探検隊をだしぬいて雪男を捕獲してしまおうと暗躍する見せ物小屋業者の一味も「雪男を連れてアメリカ巡業でぇ!」とピュアすぎる夢をいだいて参戦するしまつ。
わっかりやす~!! でもね、このベッタベタの連続が、前半はとても心地いい! なんか素直にワクワクしちゃって、あたたかい目で展開を見守りたくなっちゃうんです。
あと、物語とは直接の関係はないのですが、序盤で少々長めに流れる雪山のスキーシーンもけっこうきれいで見とれてしまいます。モノクロ映画に雪山は似合うなぁ! スキーに興じる若き日の宝田明サマはかなりカッコいいです。一瞬、モノクロなのにホイチョイプロの映画を観てるのかと勘違い……は、できませんでした。
さて、そんな風に前半は順調に楽しめたんですが、問題は後半なのよねぇ。
要は、作り手のまじめさが、後半になってから「映画をおもしろくする」とは別の方向に行っちゃった!ような気がする。後半のまじめ努力の焦点は、「雪男の生物としてのリアルさをいかに表現するか」にかたよりすぎちゃったんじゃないかしら!?
『獣人雪男』の中で描かれる「雪男」は、はっきり言ってドラキュラや狼男のような「モンスター」でなく、完全に「未発見種のサル」になっているのです。確かに身長は2mもあるし、トラックをひっくり返すほどの怪力を持ってはいるのですが、結局は人間のライフルで大けがをおってしまったりする程度の猛獣どまりなのです。1対1ならそりゃ恐いですけど、しょせんは人類の脅威になるような存在ではありませんでした。
映画の後半では、そのへんの雪男の悲哀がこれでもかというほどに明らかになっていきます。この映画に登場する雪男は、頭のはげたおっさんの雪男(ほんとに、全身毛むくじゃらなのに頭はリアルにはげてんのよ!)と、小学校低学年くらいの子ども雪男(女かも?)のたった2匹だけ。
なぜ2匹だけしかいなかったのか? 雪男のいた洞窟を調べた小泉博士の導きだした結論は……2匹以外は全員、毒キノコを食べて食中毒で死んじゃった!というもの。いったいこの映画、どんだけ雪男を哀しい存在にすれば気が済むのでしょうか!?
そんな生き残りの2匹も、そろって生け捕られて見せ物にされかけるし、しまいにゃ子どものほうが心ない人間によってライフルで撃ち殺されてしまうという始末。哀しい! 哀しすぎるよ、この展開……
あと、この映画を語る上で欠かせないのが、影のヒロイン(実質はこっちのほうが出ずっぱり)である、山奥の閉鎖的な集落に暮らすふともも丸出しルックのワイルド娘・チカ(根岸明美)の魅力なんですが……この子もほんとにまじめな娘さんで、山の洞窟に棲む雪男を触れてはならない神としてあがめながらも、雪男の居場所を教えてほしいと詰め寄る宝田さんや見せ物小屋業者のあいだで板挟みになってしまい、断りきれずに仕方なく教えてしまったために、自分の住む集落は怒り狂った雪男の復讐によって壊滅。最後は自分自身もかなりキッツい末路をたどってしまうんです。こっちもかわいそすぎ!
とにかくねぇ、この「哀しみ連続パンチ」に、前半のミステリアスな雰囲気やさわやか大学生のスキーテクニックなんか全部吹っ飛んじゃうんですよ。結局、映画が終わるとぐったりした疲労感だけが残るという状態に。
この映画は、確かにあの怪獣映画『ゴジラ』のヒットにあやかって制作されたものではあるし、スタッフやキャストもほぼ同じだったのですが、映画のジャンルが全然ちがってたんですね。『獣人雪男』は本来、「封印映画」などという、やたら人々の無用な期待感をあおりたてるようなレッテルが貼られるべき作品ではなく、人間の文明発展の影響を受けて滅び去っていくものたち(雪男であり、チカのいた古い因習の残る集落)の哀しみをひたすらまじめに訴えかける物語だったのです。
結論! 『獣人雪男』はさっさとソフト商品化して、大きくなりすぎた「封印映画」の幻影を取り払うべきです! 問題だ問題だと言われているチカのいた集落の住民の描写も、実在する特定の誰かを傷つけるもののようには決して見えませんでしたよ。フィクションなんだから。
でも、この作品ほど、エネルギーのやり場がなくて困っている円谷英二さんの顔が目に浮かぶ作品もそうそうないんじゃないでしょうか。やっぱり、2mの大ザルだけじゃあ物足りなかったのね。
ほんっとに、あらゆる意味で哀しい映画でした……でも、スクリーンで観られて良かったなぁ~。
私、今日ははるばる埼玉県富士見市まで行ってまいりました。目的はまたもやお芝居。そこの市民文化会館で上演されていた劇団・東京デスロックと渡辺源四郎商店の合同公演『月と牛の耳』を観ました。
おもしろかったですねぇ。東京デスロックの主宰であり、富士見市民文化会館の芸術監督でもある多田淳之介さんとは舞台で共演した縁があり、この市民文化会館にも何度も多田さん演出の公演を観に行ったことはあったんですが、今回の合同公演はもしかしたらいちばんおもしろかったかも知れない。とても楽しい舞台でした。
物語の大筋に「格闘技」がからんでいたこともあり、まさに2つの劇団の主力俳優同士が激突しているといった感じで見応え充分でした。13人の俳優が出演していたんですが、主役からそんなに出番が多いわけでもないわき役まで、全員が全員それぞれの得意分野を使ってちゃんと目立って、それができた上でみんなでバランスをとりながら物語を作り上げていたのがとっても良かったですねぇ。個性を全力でぶつけあいながらバランスを加減するって、そう簡単にできることじゃあないですよ。
まるで『うる星やつら』のような個性の異種格闘技戦といったふぜいだったんですが、それらを見事にまとめあげていた演出にも魅せられました。プロレスか野球の試合を観たような爽快感が残るお芝居でしたね。富士見まで遠出して良かった!
さて、今回のお題にしたいのは、その観劇のあと、夜に池袋の映画館・おなじみの新文芸坐に行って観た映画のことです。いやぁ、今回もすごい映画を観てきちゃったよ。
タイトルは、『獣人雪男』。監督・本多猪四郎、特技監督・円谷英二、主演・宝田明の『ゴジラ』ゴールデントリオでお送りする、1955年に制作された東宝のSF特撮映画です。もちろんモノクロ。
ご存じの方も多いかと思うのですが、この『獣人雪男』は、公開以来DVD、ビデオなどでのソフト販売がいっさいされていない「封印映画」として有名な作品です。理由はなんでも「劇中に登場する集落住民の描写が差別的だから。」ということなんだそうなのですが、前年にあの日本怪獣映画の始祖『ゴジラ』を手がけた東宝が、ほぼ同じスタッフを投入して制作したのが『獣人雪男』なわけなんですから、つまんないわけがない! 「封印」なんてもったいない、なんとかして観たい!と私も常々思っていたわけなんです。
そしたら、先月に新文芸坐で「パトレイバー」オールナイトを観たときに、12月4日に1日だけ『獣人雪男』を上映するという情報が入ったチラシを発見! こりゃ行くしかねぇだろ。
ワクワク、ワクワク……ガキンチョだったころ、怪獣図鑑でこの「幻の映画」の存在を知った時から観たい観たいと思っていた念願が、今ここで果たされる! いったい、どんな作品なんだろうか!? 私の胸はおおいに高鳴りました。
そして、55年も前のモノクロ映画だというのにも関わらずほぼ満席となった館内で予定通りに上映は開始され、およそ1時間半がたちなんのトラブルも発生せずに映画は終了。さぁ、観終わった感想は……?
う~~~~ん、That's、微妙!! こりゃ困ったぞ。
まず最初に言っておきますが、この映画は決して「完全な駄作」でありません。つまんなくはない、つまんなくはないんだけど、お話の構造がかなり不思議なんだな。迷路のように入り組んでいる不思議さなんじゃなくて、あまりにも単純明快、先の先まで展開が読めちゃう、まるでまっすぐすぎる一本道を見ているみたいな不思議さがあるんです。
そこまでストレートなストーリーでいいんですか? SF映画として、そこまで展開がベタなのはどうなんだろう!?みたいな。もちろん、公開からすでに5~60年もたっている作品なので、それをつかまえて「先が読めるぞ!」と言うのはフェアじゃないとは思うんですが、とにかくわかりやすく救いようのない悲劇の連続なんですよね。まじめに観ていると哀しすぎてけっこうキツい。
『獣人雪男』は、とにかく一貫して「まじめ!」な映画です。作り方がほんとにまじめ。でも私には、そのまじめさが前半と後半とでまったく別の効果をあげているように見えました。
前半とは「雪男がその全貌をあらわすまで」。後半は「雪男が出てきてから」のことです。
前半は、私は本当に感動しました。わたくしこと30歳のおっさんが、「これからどんな雪男が現れるんだろう!?」、「主人公たちにはどんな運命が待ち受けているというのだろう!?」とドキドキワクワクしながらスクリーンに魅入ってしまいました。
後半に人間達によって捕獲されるまで、雪男の全身は決して画面に映し出されません。このへんはのちのちの『エイリアン』にも通じるような見事な恐怖演出で、ごくたま~に出てくる雪男の毛むくじゃらの手のアップや、山奥から聞こえてくるおたけびが恐い恐い!
また素晴らしいのが雪男の着ぐるみの造形で、『猿の惑星』の先取りをしたような、スーツアクターの眼の演技がちゃんとできるようになっているリアルなマスクが、闇の中でチラッと見えるのが効果絶大。
テントで眠っているヒロイン(『ゴジラ』のスクリーミングクイーン・河内桃子)の顔を入り口からじっと見つめ、ニューッと手が伸びてくるシーンなんかは、ほんとにベタなんですけど実にハラハラしてしまいます。
恐怖演出だけでなく、登場人物たちの性格や役割を的確に説明してくれる前半の演出もまじめまじめ。まるで犯人あてのミステリードラマかと見まごうばかりにスッキリ無駄のない時間進行。
出てくる人たちもいちいちみんなまじめ! まず、雪山で行方不明になった親友が雪男に連れ去られたと確信して探検隊を編成する大学生たち(主人公の宝田明や桃子さんなど)がキラッキラした目の若者ばかりだし、彼らにまねかれて同行した大学の動物学者・小泉博士(演・中村伸郎)も見るからにカタブツそうなご仁。
いっぽうで、雪男の実在を固く信じる地元の猟師もマジで「あそこに行っちゃなんねぇ!」とコントみたいなセリフをはくし、探検隊をだしぬいて雪男を捕獲してしまおうと暗躍する見せ物小屋業者の一味も「雪男を連れてアメリカ巡業でぇ!」とピュアすぎる夢をいだいて参戦するしまつ。
わっかりやす~!! でもね、このベッタベタの連続が、前半はとても心地いい! なんか素直にワクワクしちゃって、あたたかい目で展開を見守りたくなっちゃうんです。
あと、物語とは直接の関係はないのですが、序盤で少々長めに流れる雪山のスキーシーンもけっこうきれいで見とれてしまいます。モノクロ映画に雪山は似合うなぁ! スキーに興じる若き日の宝田明サマはかなりカッコいいです。一瞬、モノクロなのにホイチョイプロの映画を観てるのかと勘違い……は、できませんでした。
さて、そんな風に前半は順調に楽しめたんですが、問題は後半なのよねぇ。
要は、作り手のまじめさが、後半になってから「映画をおもしろくする」とは別の方向に行っちゃった!ような気がする。後半のまじめ努力の焦点は、「雪男の生物としてのリアルさをいかに表現するか」にかたよりすぎちゃったんじゃないかしら!?
『獣人雪男』の中で描かれる「雪男」は、はっきり言ってドラキュラや狼男のような「モンスター」でなく、完全に「未発見種のサル」になっているのです。確かに身長は2mもあるし、トラックをひっくり返すほどの怪力を持ってはいるのですが、結局は人間のライフルで大けがをおってしまったりする程度の猛獣どまりなのです。1対1ならそりゃ恐いですけど、しょせんは人類の脅威になるような存在ではありませんでした。
映画の後半では、そのへんの雪男の悲哀がこれでもかというほどに明らかになっていきます。この映画に登場する雪男は、頭のはげたおっさんの雪男(ほんとに、全身毛むくじゃらなのに頭はリアルにはげてんのよ!)と、小学校低学年くらいの子ども雪男(女かも?)のたった2匹だけ。
なぜ2匹だけしかいなかったのか? 雪男のいた洞窟を調べた小泉博士の導きだした結論は……2匹以外は全員、毒キノコを食べて食中毒で死んじゃった!というもの。いったいこの映画、どんだけ雪男を哀しい存在にすれば気が済むのでしょうか!?
そんな生き残りの2匹も、そろって生け捕られて見せ物にされかけるし、しまいにゃ子どものほうが心ない人間によってライフルで撃ち殺されてしまうという始末。哀しい! 哀しすぎるよ、この展開……
あと、この映画を語る上で欠かせないのが、影のヒロイン(実質はこっちのほうが出ずっぱり)である、山奥の閉鎖的な集落に暮らすふともも丸出しルックのワイルド娘・チカ(根岸明美)の魅力なんですが……この子もほんとにまじめな娘さんで、山の洞窟に棲む雪男を触れてはならない神としてあがめながらも、雪男の居場所を教えてほしいと詰め寄る宝田さんや見せ物小屋業者のあいだで板挟みになってしまい、断りきれずに仕方なく教えてしまったために、自分の住む集落は怒り狂った雪男の復讐によって壊滅。最後は自分自身もかなりキッツい末路をたどってしまうんです。こっちもかわいそすぎ!
とにかくねぇ、この「哀しみ連続パンチ」に、前半のミステリアスな雰囲気やさわやか大学生のスキーテクニックなんか全部吹っ飛んじゃうんですよ。結局、映画が終わるとぐったりした疲労感だけが残るという状態に。
この映画は、確かにあの怪獣映画『ゴジラ』のヒットにあやかって制作されたものではあるし、スタッフやキャストもほぼ同じだったのですが、映画のジャンルが全然ちがってたんですね。『獣人雪男』は本来、「封印映画」などという、やたら人々の無用な期待感をあおりたてるようなレッテルが貼られるべき作品ではなく、人間の文明発展の影響を受けて滅び去っていくものたち(雪男であり、チカのいた古い因習の残る集落)の哀しみをひたすらまじめに訴えかける物語だったのです。
結論! 『獣人雪男』はさっさとソフト商品化して、大きくなりすぎた「封印映画」の幻影を取り払うべきです! 問題だ問題だと言われているチカのいた集落の住民の描写も、実在する特定の誰かを傷つけるもののようには決して見えませんでしたよ。フィクションなんだから。
でも、この作品ほど、エネルギーのやり場がなくて困っている円谷英二さんの顔が目に浮かぶ作品もそうそうないんじゃないでしょうか。やっぱり、2mの大ザルだけじゃあ物足りなかったのね。
ほんっとに、あらゆる意味で哀しい映画でした……でも、スクリーンで観られて良かったなぁ~。