どーにもこーにも、年末! こんばんは、そうだいでございます~。みなさん、今日も一日お疲れさまでした。
っつーことで12月に入ったわけなんですが、お仕事の内容も、いよいよ年末仕様になってまいりました。この大仕事があるってことは、あぁ、今年ももうおしまいなんだなぁ、みたいなことを感じたりするわけで。いい加減に外も寒くなってきましたしねぇ。
2013年も、いろいろあったはずなんですが……あっという間なんですよね~、もう終わりなんですな。多少の浮き沈みはありましたが、なんとかかんとか「おおむね上向き」の充実度で幕となりそう。というか、そういう方向で逃げ切りをはかりたいところです。
そういえば、先日、大学時代の友人にご長女が誕生したというお知らせをいただきました。時間は確実に、こうやって進んでいくのよねぇ。人生上、あいかわらず特に大きなイベントも起きていないわたくしなのですが、少なくとも世間様に振り落とされないように必死にしがみついていかなくてはなりませんな! アップデート、アップデート。
先日、月初めの1日に千葉から遠出して2本のお芝居を観てきました。
できれば、我が『長岡京エイリアン』も年末にさしかかったということで、「2日連続日本武道館の詳細」だとか「映画『清須会議』のどこがつまんなかったのか」とか、「年に最低1回はやっておきたいアノ企画」だとか、上げたい記事が山積みなので、今回の観劇記もちゃっちゃと1回でまとめたいところだったのですが、実は2本のうちの夜に観た「2本目」がなかなかものすごい作品でしたもので、これはどうしても、いっしょくたじゃなくて独立して記事にしたいと。このお方のお芝居はやっぱり、「期待を裏切らない予想の裏切り」がある!! なに言ってるかわかりますか? サンセイのハンタイなぁのだ~☆
という事情のあおりをくらいまして! 今回は非常にライトな仕上がりで、お昼に観た1本目のお芝居だけについての雑感をかる~くまとめて終わりにしたいと思います。いや、こっちがつまんなかったってことじゃないんですよ!? 相手が悪すぎたってことなんです。
調布市・第一回新進芸術家育成公演『彼女の素肌』(演出・西川信広 調布市せんがわ劇場 2013年11月29日~12月8日)
この公演は、調布市が主催する芸術文化振興基金助成事業として、せんがわ劇場が「次世代を担う舞台芸術活動者」を育成するために創設した「新進芸術家育成公演」の第一回として上演されている作品なのだそうです。
ただ、作品自体のおもしろさはいったん置いといて、ちょっと気になったことだけ言いたいんですが、少なくとも私はこの公演を観て、調布市とせんがわ劇場が具体的に何を育成しているのかは、わかんなかったです。まぁそら、上演する劇場を提供したり予算の手助けはあったのでしょうが、事業のいう「舞台芸術活動者」だとか「新進芸術家」っていう名称がもううさんくさいのなんのって、誰のことなのかがさっぱり見えないんですよね。
パンフレットにある、この事業の実行委員長の挨拶を読んでみると、今回の『彼女の素肌』に携わった方たちのうち、少なくとも演出家の西川さんと主演俳優の男女ペアは事業がオファーした形になっていて、そのお3方はもう、助成も育成も必要のなさそうな文学座所属の大ベテランでいらっしゃるわけでしょう?
ということは、事業が育てたいのは、それ以外でこの公演に出演している俳優さんがたなのか? でもみなさん、経歴的にも実力的にもそうとう立派な方々ばっかりよ? 200名ものオーディション参加者の中から選ばれた14名ということで、びっくりするくらいに芸達者なメンツとなったようです。
要するに、ふつうに文学座あたりを中心に経験豊富な人材が集結した、実にウェルメイドなお芝居、ってだけなんですよね。
あぁ、調布市はこういうよくできたお芝居をせんがわ劇場に呼んで、お客さんを育成したいのかな? でもそれって芸術家を育成してんのか? この作品を観て感動したわこうどが芸術家を目指すのをねらってるとか? 息の長い育成事業だねぇ、こいつぁ!
まぁ、これで作品の内容が調布市の歴史とか文化に関係しているものなのだったら納得がいかないでもないのですが、内容は1910年代のイギリスを舞台にしたバリバリのとつくに歴史劇なんだから、たまったもんじゃねぇ! だから調布市はなにがねらいなんだ!? 別になんでもいいけどさ!
『彼女の素肌』は、ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアター(イギリス国立劇場)で上演されたレベッカ=レンカヴィッツの戯曲『Her Naked Skin 』を、今回の上演のために常田景子が翻訳した2時間40分(休憩こみ 正味2時間25分)の大作となっているのですが、内容はそういったものものしさをあまり感じさせない、非常に「せせこましい」物語になっていました。「せせこましい」ってねぇ……みもふたもない言い方なんですけど、ここをもっと、悪印象のない意味合いにする日本語って、なかったっけ? 「ぎょうぎょうしくない」っていうニュアンスで、私は別に悪いとは思ってないんですよ? タイトルの通りに、メインキャストの「肌の温度」が伝わってくるような距離の近さがあったんです。
時は1913年6月4日。イギリス国内での、女性の政治参加による権利拡大をねらった「婦人参政権運動」は激化の一途をたどり、運動家のエミリー=デヴィソンが、ロンドン近郊のエプソム競馬場で開催された伝統あるダービーステークスの最終コーナーに乱入し、よりにもよって国王ジョージ5世(映画『英国王のスピーチ』のジョージ6世のご尊父)の所有馬に激突して数日後に死亡するという大事件によって、国中の世論を巻き込む大問題に発展していました。
物語は、その運動に積極的に参加し、投石して商店の窓ガラスを破壊するなどして投獄された小説家の中年女性シーリアが、同じようないきさつで一緒になった娼婦のイヴと「恋」におちてしまうという、きわめて個人的なものになっています。
次第にシーリアのイヴに対する熱は昂じていき、それまで入れ込んでいた婦人参政権にも、子どももちゃんといた夫ウィリアムとの夫婦生活ともすきまが生じていくようになり、ついには、生活の自由に強く干渉するわりに自分の孤独をまるでわかってくれないと嘆くイヴにも愛想をつかされるようになって……といった流れになっていくわけなのですが、ここで語られるシーリアの「崩壊」が、おどろくほどに丁寧に描かれていくんですね。
私は別に、「女性だから」「男性だから」という色眼鏡をかけて物事を見たくはないのですが、う~む、シーリアとイヴとの接近の描写のこまやかさといい、別れのシーンのセリフ運びのうまさといい、この作品の作者は明らかに女性だよね!
序盤のショッキングなエミリーの衝突事故といい、それによる大衆のヒステリー状態に対応するハーバート=アスキス内閣のいかにも政治的な会話といい、なにかとものものしい始まり方をするものの、あくまでも物語の中心にあるのは、強引に恋愛を謳歌しようとする「タチ」と、それについていくことで疲弊していく「ネコ」のよくある関係!
「婦人参政権運動」に身を投じても救われることのない「幸福」とはなんなんだろうか? 最終的に自殺未遂をして自分のもとを去っていくイヴの後ろ姿を見て、シーリアはむなしくひとり、煙草をくゆらせるのでありました。
この『彼女の素肌』は、イギリスの婦人参政権運動が徹頭徹尾、物語にかかわってくる歴史劇ではありますが、そこだけの視点から観るほど損な見方はありません。時代がいつでも、主人公カップルの性別がどれとどれでも成立する、「恋愛のどうしようもないわかりあえなさ」を活き活きと作品化した名作だと感じました。シーリアはほんと、どうしようもねぇ甲斐性なしだよ!
個人的には、イヴから別れ話をもちかけられて自暴自棄になったシーリアが、行きずりのホテルのボーイ(演・長田典之)と交わすダメダメなやりとりがものすごくおもしろかったです。男はほんとに、もう……
あと、後半でえんえんと描写される、ハンガーストライキを続けるイヴに施術される「強制摂食」シーンに、変態大国イギリスの本気を見た気がしないでもなかったです。やっぱすげぇわ……調布どん引き。
こんな感じで、およそ「新進芸術家育成公演」と銘打つにはあまりにも老練な俳優・スタッフ陣で上演された『彼女の素肌』ではありましたが、「歴史劇の皮をかぶった、魚喃キリコのマンガみたいな恋愛ドロドロ劇」というところが意外でおもしろかったです。やっぱり、イギリスと日本って、親和性があるんですかね。
さて、そんな1本目のお芝居が終わったのが夕方5時前で、外はもうすっかり暗くなっていました。もう冬なのね……
そこから私は徒歩で北へ向かい、2本目のお芝居が上演される三鷹へ! 初めて歩く道を6キロほど行くと、目指す劇場が見えてくるはず。
みちみちコンビニで買った中華まんや、持ってきたリンゴなどをかじりつつ、知らない町を歩く、この楽しさ! 微妙に「道を間違ってたらどうしよう……」という不安が混じってるのがたまんないんですよねぇ!
思い起こせば、丸一年前の秋から冬にかけても、私は仕事の都合でよく、川越や所沢の広漠とした武蔵野の大地をあてどもなくさまよっていたものです。なつかしいね、もうすでに……
さぁ、そんなこんなに思いをはせつつも、意外とすんなり予定通りに到着した三鷹の劇場でなにを観たのかといいますと~、詳しい内容は、また次回のことでありますよ!
やっぱり、一年のシメはこのお方の作品になってしまうのか……
っつーことで12月に入ったわけなんですが、お仕事の内容も、いよいよ年末仕様になってまいりました。この大仕事があるってことは、あぁ、今年ももうおしまいなんだなぁ、みたいなことを感じたりするわけで。いい加減に外も寒くなってきましたしねぇ。
2013年も、いろいろあったはずなんですが……あっという間なんですよね~、もう終わりなんですな。多少の浮き沈みはありましたが、なんとかかんとか「おおむね上向き」の充実度で幕となりそう。というか、そういう方向で逃げ切りをはかりたいところです。
そういえば、先日、大学時代の友人にご長女が誕生したというお知らせをいただきました。時間は確実に、こうやって進んでいくのよねぇ。人生上、あいかわらず特に大きなイベントも起きていないわたくしなのですが、少なくとも世間様に振り落とされないように必死にしがみついていかなくてはなりませんな! アップデート、アップデート。
先日、月初めの1日に千葉から遠出して2本のお芝居を観てきました。
できれば、我が『長岡京エイリアン』も年末にさしかかったということで、「2日連続日本武道館の詳細」だとか「映画『清須会議』のどこがつまんなかったのか」とか、「年に最低1回はやっておきたいアノ企画」だとか、上げたい記事が山積みなので、今回の観劇記もちゃっちゃと1回でまとめたいところだったのですが、実は2本のうちの夜に観た「2本目」がなかなかものすごい作品でしたもので、これはどうしても、いっしょくたじゃなくて独立して記事にしたいと。このお方のお芝居はやっぱり、「期待を裏切らない予想の裏切り」がある!! なに言ってるかわかりますか? サンセイのハンタイなぁのだ~☆
という事情のあおりをくらいまして! 今回は非常にライトな仕上がりで、お昼に観た1本目のお芝居だけについての雑感をかる~くまとめて終わりにしたいと思います。いや、こっちがつまんなかったってことじゃないんですよ!? 相手が悪すぎたってことなんです。
調布市・第一回新進芸術家育成公演『彼女の素肌』(演出・西川信広 調布市せんがわ劇場 2013年11月29日~12月8日)
この公演は、調布市が主催する芸術文化振興基金助成事業として、せんがわ劇場が「次世代を担う舞台芸術活動者」を育成するために創設した「新進芸術家育成公演」の第一回として上演されている作品なのだそうです。
ただ、作品自体のおもしろさはいったん置いといて、ちょっと気になったことだけ言いたいんですが、少なくとも私はこの公演を観て、調布市とせんがわ劇場が具体的に何を育成しているのかは、わかんなかったです。まぁそら、上演する劇場を提供したり予算の手助けはあったのでしょうが、事業のいう「舞台芸術活動者」だとか「新進芸術家」っていう名称がもううさんくさいのなんのって、誰のことなのかがさっぱり見えないんですよね。
パンフレットにある、この事業の実行委員長の挨拶を読んでみると、今回の『彼女の素肌』に携わった方たちのうち、少なくとも演出家の西川さんと主演俳優の男女ペアは事業がオファーした形になっていて、そのお3方はもう、助成も育成も必要のなさそうな文学座所属の大ベテランでいらっしゃるわけでしょう?
ということは、事業が育てたいのは、それ以外でこの公演に出演している俳優さんがたなのか? でもみなさん、経歴的にも実力的にもそうとう立派な方々ばっかりよ? 200名ものオーディション参加者の中から選ばれた14名ということで、びっくりするくらいに芸達者なメンツとなったようです。
要するに、ふつうに文学座あたりを中心に経験豊富な人材が集結した、実にウェルメイドなお芝居、ってだけなんですよね。
あぁ、調布市はこういうよくできたお芝居をせんがわ劇場に呼んで、お客さんを育成したいのかな? でもそれって芸術家を育成してんのか? この作品を観て感動したわこうどが芸術家を目指すのをねらってるとか? 息の長い育成事業だねぇ、こいつぁ!
まぁ、これで作品の内容が調布市の歴史とか文化に関係しているものなのだったら納得がいかないでもないのですが、内容は1910年代のイギリスを舞台にしたバリバリのとつくに歴史劇なんだから、たまったもんじゃねぇ! だから調布市はなにがねらいなんだ!? 別になんでもいいけどさ!
『彼女の素肌』は、ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアター(イギリス国立劇場)で上演されたレベッカ=レンカヴィッツの戯曲『Her Naked Skin 』を、今回の上演のために常田景子が翻訳した2時間40分(休憩こみ 正味2時間25分)の大作となっているのですが、内容はそういったものものしさをあまり感じさせない、非常に「せせこましい」物語になっていました。「せせこましい」ってねぇ……みもふたもない言い方なんですけど、ここをもっと、悪印象のない意味合いにする日本語って、なかったっけ? 「ぎょうぎょうしくない」っていうニュアンスで、私は別に悪いとは思ってないんですよ? タイトルの通りに、メインキャストの「肌の温度」が伝わってくるような距離の近さがあったんです。
時は1913年6月4日。イギリス国内での、女性の政治参加による権利拡大をねらった「婦人参政権運動」は激化の一途をたどり、運動家のエミリー=デヴィソンが、ロンドン近郊のエプソム競馬場で開催された伝統あるダービーステークスの最終コーナーに乱入し、よりにもよって国王ジョージ5世(映画『英国王のスピーチ』のジョージ6世のご尊父)の所有馬に激突して数日後に死亡するという大事件によって、国中の世論を巻き込む大問題に発展していました。
物語は、その運動に積極的に参加し、投石して商店の窓ガラスを破壊するなどして投獄された小説家の中年女性シーリアが、同じようないきさつで一緒になった娼婦のイヴと「恋」におちてしまうという、きわめて個人的なものになっています。
次第にシーリアのイヴに対する熱は昂じていき、それまで入れ込んでいた婦人参政権にも、子どももちゃんといた夫ウィリアムとの夫婦生活ともすきまが生じていくようになり、ついには、生活の自由に強く干渉するわりに自分の孤独をまるでわかってくれないと嘆くイヴにも愛想をつかされるようになって……といった流れになっていくわけなのですが、ここで語られるシーリアの「崩壊」が、おどろくほどに丁寧に描かれていくんですね。
私は別に、「女性だから」「男性だから」という色眼鏡をかけて物事を見たくはないのですが、う~む、シーリアとイヴとの接近の描写のこまやかさといい、別れのシーンのセリフ運びのうまさといい、この作品の作者は明らかに女性だよね!
序盤のショッキングなエミリーの衝突事故といい、それによる大衆のヒステリー状態に対応するハーバート=アスキス内閣のいかにも政治的な会話といい、なにかとものものしい始まり方をするものの、あくまでも物語の中心にあるのは、強引に恋愛を謳歌しようとする「タチ」と、それについていくことで疲弊していく「ネコ」のよくある関係!
「婦人参政権運動」に身を投じても救われることのない「幸福」とはなんなんだろうか? 最終的に自殺未遂をして自分のもとを去っていくイヴの後ろ姿を見て、シーリアはむなしくひとり、煙草をくゆらせるのでありました。
この『彼女の素肌』は、イギリスの婦人参政権運動が徹頭徹尾、物語にかかわってくる歴史劇ではありますが、そこだけの視点から観るほど損な見方はありません。時代がいつでも、主人公カップルの性別がどれとどれでも成立する、「恋愛のどうしようもないわかりあえなさ」を活き活きと作品化した名作だと感じました。シーリアはほんと、どうしようもねぇ甲斐性なしだよ!
個人的には、イヴから別れ話をもちかけられて自暴自棄になったシーリアが、行きずりのホテルのボーイ(演・長田典之)と交わすダメダメなやりとりがものすごくおもしろかったです。男はほんとに、もう……
あと、後半でえんえんと描写される、ハンガーストライキを続けるイヴに施術される「強制摂食」シーンに、変態大国イギリスの本気を見た気がしないでもなかったです。やっぱすげぇわ……調布どん引き。
こんな感じで、およそ「新進芸術家育成公演」と銘打つにはあまりにも老練な俳優・スタッフ陣で上演された『彼女の素肌』ではありましたが、「歴史劇の皮をかぶった、魚喃キリコのマンガみたいな恋愛ドロドロ劇」というところが意外でおもしろかったです。やっぱり、イギリスと日本って、親和性があるんですかね。
さて、そんな1本目のお芝居が終わったのが夕方5時前で、外はもうすっかり暗くなっていました。もう冬なのね……
そこから私は徒歩で北へ向かい、2本目のお芝居が上演される三鷹へ! 初めて歩く道を6キロほど行くと、目指す劇場が見えてくるはず。
みちみちコンビニで買った中華まんや、持ってきたリンゴなどをかじりつつ、知らない町を歩く、この楽しさ! 微妙に「道を間違ってたらどうしよう……」という不安が混じってるのがたまんないんですよねぇ!
思い起こせば、丸一年前の秋から冬にかけても、私は仕事の都合でよく、川越や所沢の広漠とした武蔵野の大地をあてどもなくさまよっていたものです。なつかしいね、もうすでに……
さぁ、そんなこんなに思いをはせつつも、意外とすんなり予定通りに到着した三鷹の劇場でなにを観たのかといいますと~、詳しい内容は、また次回のことでありますよ!
やっぱり、一年のシメはこのお方の作品になってしまうのか……