長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

THE 古典 『おれがあいつであいつがおれで』の魔力 あいつの巻

2011年09月05日 05時05分50秒 | すきな小説
 はい、こんぬつわ。そうだいでございます。みなさまお元気?
 大変な台風でしたね。四国・中国・近畿地方では鉄砲水などの大きな災害をもたらしたようです。太平洋から来て日本海にぬけるという妙なルートをたどっていたということで、直接の影響はなくなったとしても、私の住んでいる関東地方は数日間、雨が降ったりやんだり曇ったり晴れたりがひっきりなしに変わる気味の悪い天気になりました。
 いつものように太平洋の東沖に消えていって文字通りの「台風一過」でカラッとした陽気がもどってくる、とは今回はいかないようで。にんともかんともハッキリしませんねぇ!
 どのみち、扇風機のスウィッチをオンにする時間は確実に減ってきておりますね。つけながら寝ちゃったら確実にカゼひいちゃいますよ。

 さぁさぁ、前回に引き続きまして、男と女がゴッツンコしてそれぞれの心と身体があべこべになってしまう、という古典的ファンタジーの原点であるジュブナイル小説『おれがあいつであいつがおれで』についてのあれこれでございます。

 まずは「原作小説」についての前に、「映像化された6本の作品」についての簡単な情報をあげてみたわけなんですけど、今回はまず最初に、そこからさらに脱線しちゃって「男女逆転の物語」の、『おれがあいつであいつがおれで』にいたるまでを軽~くおってみることにしましょう。
 だーいじょうぶだいじょうぶ! すぐ終わりますってぇ……たぶん。

 ところで、私が今回あつかうのは「男女2人の心が入れ替わる」設定のお話であるわけなんですが、それはもちろんのこと、「男同士」や「女同士」、「老人と若者」からしまいには「人間とそれ以外の生物」や「3人以上」での入れ替わり設定のあるフィクション作品までをも網羅した『入れ替わりマニアックス』という作品情報サイトがあることをご存じでしょうか? 古今東西、洋の東西を問わず、膨大な数の小説・映画・マンガ・アニメ作品などなどが紹介されている、その道の好事家にはたまらないトラベルブック的サイトです。その道って、どの道?
 こういうとてつもないサイトを拝見しちゃうとねぇ。私みたいなミーハーが軽々しく「マニアでぇ~っす☆」なんて口走ることは到底できません。本物のマニアとは、気持ち悪がられる妖怪でありません。畏怖される神なのです。

 ともあれ、これらの作品リストを観ると、人間の「他の誰か(何か)に変わりたい。」という願望が、どのくらい深く根元的に心に根づいているものなのかがよくわかるような気がします。
 まず「自分と他者との違いを認識すること」が「知性」のはじまりであると言われているわけですが、そういう意味では、他の地球上の動物たちにくらべて脳みそが異常に発達してしまっている人類は、人類であるかぎりは常に「他人との違い」を過剰に意識せざるをえないのかもしれません。

 そして、小説『おれがあいつであいつがおれで』もまた、突き詰めれば「自分の知らない何かに変身したい」という願望のあらわれではないかと思うんですね。もちろん、物語の中で心が入れ替わってしまった、言い換えれば「異性に変身してしまった」当事者2人は困り果ててしまうわけなのですが、読者がこの作品に魅力を感じる最大の部分が、この異常事態の「おもしろさ」であることは間違いないでしょう。原作の2人は新学期の春から翌年の正月までという、地味になが~い期間入れ替わってしまうわけなのですが、誰でも「1日くらいなら……」というあこがれはあるのではないでしょうか。
 ……えっ、私だけ!? んなこたないでしょ! 誰も聞いてないのに勝手にブログで変態宣言? 勇者いないのに寝言でメガンテ。

 要するに、「もっと頭のいい人になりたい」、「もっとモテる人になりたい」、「鳥のように空を自由に飛びたい」、「ゴーヤのようにほろ苦いグリーンカーテンになりたい」などという願望は、すべからく自分にない(と本人が確信している)未知の部分を他者に追い求める思考だと思うんですね。んで、他者の「未知の部分」というものを考えたとき、もっとも身近にある「未知」の存在が「異性」だと思うんですよ。
 「隣の芝生は青く見える」といいますが、どちらかの性にすれば馴れきっている生活スタイルも、もう片方からみれば驚きの連続、ましてや『おれがあいつであいつがおれで』では、本人ですらビックリするからだ大ニュースが満載の思春期に入れ替わっちゃうんだからも~う、everyday ひっちゃかめっちゃかというわけです。

 話はぐっとさかのぼりますが、日本での「男女逆転」物語のいできはじめのおやと言えば、これはもう間違いなく古典『とりかへばや物語』です。
 平安時代末期には成立していたと言われるこの作品(作者不詳)なのですが、「主人公が男女逆転の教育をされてしまった貴族の兄妹」という絶大なインパクトは、現代にも決して色あせることはありません。
 この日本初の「男女逆転劇」の原因は、親が2人の性格、それぞれ男がナヨッとしていて女が剛胆であるところを見て「とりかへばや(とっかえてぇ~)。」と思い、そうしてしまったという至ってシンプルなもの。SF要素はなにもありません。

 現代から観ると充分な虐待になってしまいそうなこの設定なのですが、この作品は「平安時代の貴族社会」を舞台にしたものなのですから、現代の一時的なものさしで「異常だ!」「ありえねぇ~。」などと批判するのは不当なのではないでしょうか。つまりは、それほどまでに当時の貴族にとって「息子が男らしいこと」「娘が女らしいこと」が一族の将来に関わる生命線的問題だったということなのでしょう。

 ただでさえ「文弱」とののしられることの多かった平安文学の中でもひときわ「退廃的」とみられる要素の強かったこの『とりかへばや物語』は、それ以降、特に「男は男らしく、女は女らしく」という教育が強化された時代では無視されるか、「こんなもの、日本の文学史の風上にもおけん!」という批判の槍玉に挙げられることがほとんどでした。もちろん一方で、どの時代にも必ず「一部の熱狂的な支持者」はいたわけですが。
 ただし、人気作家の氷室冴子によって少女小説『ざ・ちぇんじ!』(1983、85年の2作)という形にリメイクされたこともあったし(他には田辺聖子らも現代語訳を手がけている)、「男らしいとか女らしいって、なに?」という問題が昔よりも比較的に気軽な話題になっている現在は、『とりかへばや物語』がもっとも大衆の注目を浴びている時代だと見てもよろしいのではないでしょうか。っていってもまぁ、『源氏物語』大師匠には勝てないッスけどねぇ~!

 日本の「男女逆転物語」のはじまりは平安文学にあったわけなのですが、次なる「男女逆転物語」は、思いっきり時代が下って昭和、戦前の頃になります。

『あべこべ玉』(1934年)作・サトウ ハチロー

 童謡作詞家(『ちいさい秋みつけた』『うれしいひなまつり』)、歌謡作詞家(『リンゴの唄』)としてもつとに有名なサトウハチローは同時に児童文学作家としても活動しており、その作品の中のひとつに『あべこべ玉』があります。戦後に再版された時から、タイトルは『あべこべ物語』に変わっているようです。
 物語はいたってシンプルなこういったもの。

 親戚の叔父さんが持ってきた謎の「赤い玉」は、なんでも願いをかなえるという不思議な玉。
 日頃からお互いに入れ替わって違った生活を送ってみたいと考えていた中学生のわんぱくな兄とおしとやかなその妹は、玉の取り合いをしている最中に願い通りに心と身体が入れ替わってしまった! さぁ、どうするどうなる~?

 重要なのは、おそらくはこの『あべこべ玉』こそが、具体的に「人格が入れ替わる」という超現実的な設定が日本で初めて導入されたファンタジーだったということです。
 なんとなく願っていたことが本当にかなってしまい、思いがけず入り込んでしまった「未知の世界」に戸惑うという物語はかなり新鮮だったはずなのですが、残念ながら戦前にこの「男女逆転」ものファンタジーの後続作が現れることはなかったようです。そんな空想を楽しむ時代ではもはやなかったんですかねぇ。

 さてさて、時代はさらに下りまして戦後の混乱も過去のこととなった1970年代。
 突然ふってわいたように、この『あべこべ玉』をベースにしたと思われる子供向け特撮TVドラマが放送されることとなりました。

『へんしん!ポンポコ玉』(TBS 1973年4~7月 全15話)脚本・ジェームス三木ら

 おお! あの「大河作家」ジェームス大先生がこんなところに!?
 この作品の原作に『あべこべ玉』はクレジットされていないのですが、「男女逆転」とその原因(というかツール)が「不思議な玉」であるという部分は共通したものがあります。
 ただし、この作品はそれらをのぞけばほとんどオリジナルと言ってもいい特撮ドラマの様相を呈しており、

・不思議な玉を持ってきたのが「タヌキ型の宇宙人(ぬいぐるみのパペット)」
・玉は赤いものと青いものの2つがあり、それぞれを中学生の男女が持っている
・男女は玉によって身体を入れ替えるが、解除も自由にコントロールでき、これによって毎回日常のトラブルを解決するという物語
・中学生の男女は兄妹ではなく、仲の悪い家どうしの息子と娘(『ロミ&ジュリ』か!)

 いかにも連続ドラマにふさわしそうな設定になっていますねぇ。ちなみに、主人公の2人はいかにもHな内容が目白押しのような「中学生」という設定なのですが、作品は完全な子供向け特撮番組だったため、そのへんに踏みいった描写はほぼゼロに等しかったようです。惜しい!
 あと、この作品を語る上で忘れてならないのは、本当に「ざぁ~ます!」や「あーた。」という言葉を発する近所のめんどくさいおばさん役を、歌舞伎なみの大仰なアクションで演じきっていた塩沢ときさんの鬼気迫る名演です。ある意味、近所にこんなおばさんが存在していることだけでも充分なSFですよね。

 だが、しかし。
 残念ながら当時は『仮面ライダー』シリーズや『ウルトラマン』シリーズといった「変身ブーム(第2次怪獣ブーム)」の真っ盛りでありまして、そんな中では「男女が入れ替わる」といった程度のストーリーはチビッ子諸君に大きなインパクトを与えることはできなかったらしく、日常の「ちょっと不思議」にクローズアップした野心的な本作も15回で打ちきりという憂き目に。
 まぁ……当時は変身といえば、超人的な戦闘力とか何十メートルもの巨人とかが当たり前の能力インフレ状態になっていましたからねぇ。

 でも、ヒーローが地球侵略を狙う巨大な敵と戦う物語。それだけが「SF」なのでは、ない!

 『へんしん!ポンポコ玉』は中途半端に当時のブームにあわせてしまったために魅力を充分に発揮できませんでしたが、よりストイックに、より身近に「ちょっと不思議な変身物語」を追究した作品こそが! 1979~80年に学習雑誌『小6時代』(旺文社)で連載された山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』だったというわけなのです!

 ということで! ようやくたどり着いた『おれがあいつであいつがおれで』の中身については、また次回にしま~す。

 またひっぱっちゃったよぉ~。
 前が「おれの巻」で今回が「あいつの巻」だったら、次回は何の巻にすればいいんだァ!?

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