こんばんは。そうだいです。今日も平和でした~と。
現在、私の知り合いが飛行機に乗っています。「知り合い」なんていうしゃっちょこばった表現でいうのもなんなんですが、要するにとても親しい人が仕事のために外国に移動中なんですね。たぶん、あと2・3時間くらいでつくかしら?
なんだかヘンな感じですね。私はいつものようにさほど変化のない生活を送っているんですが、その片方で、ある人たちは空を飛んでいる最中なんですから。
そりゃもちろん、おそらく世界中のどこかで、毎日毎秒誰かが飛行機に乗っているのが当たり前な時代ではあるとは理解しているつもりだったのですが、確実に知り合いが飛んでいるという事実に直面してはじめて実感しました。この世界は不思議だわ!
私は、10時間ものあいだ飛行機に乗り続けた経験がまだありません。いつか乗るかなぁ。楽しいかな、それともすぐに飽きちゃうかな? どこに行くことになるのかなぁ、ワクワク!
さーて、実際に鉄製の飛行機に乗って行く旅行へのあこがれはここまでにしておいて、まず今日のところは、妄想パワーによるイタリア時間旅行の続きとしゃれこむことにいたしましょう。ターイムスリーップ!
時は紀元前387年7月。イタリア半島でも有数の大都市に発展していたローマの街は、建国以来最悪の状態におちいっていた!
アッリアの合戦でローマ軍の主力を壊滅させたガリア人の軍勢がそのまま乱入し、ローマに集まっていた富をごっそり略奪してしまったのです。あぁ、ローマ400年の栄光が……
しかし、残されたローマの人々も黙ってはいなかった。ローマには最後の切り札が残されていたのだ!
「まだじゃ……ローマにはまだあの男がおる。あいつさえ、カミルス将軍さえ戻ってきてくれればのう!」
カミルス将軍! 彼はいったい何者なのか? それほどの期待を受けていながら、なぜガリア人が襲来した時にはアッリアの合戦にも参陣せず、さらにはローマにさえいない状況だったのか?
ローマ最後の切り札・マルクス=フリウス=カミルス。彼を語るためには、まずローマ大略奪からおよそ10年前になる紀元前396年にさかのぼらなければなりません。
紀元前396年。ローマ共和国でもガッチガチの軍人として知られていたカミルス将軍は、51歳にして念願の宿願を達成させます。それが、ローマの北西に隣接していたエトルリア人の都市国家ウェイイ(現在はローマ市に組み込まれている)の攻略でした。
当時、ウェイイは都市計画や水道施設の整備された、ローマにならぶ大都市として繁栄していました。約500年後に活躍したギリシア人の歴史家プルタルコスの記述によると、人口の点ではローマを超える1000戸をようする大都市でした。
このウェイイを攻略しようと乗り出したのがカミルス。
「あのウェイイを? 大変だよ~。あんまりそんなにムチャせんでも……。」
「大丈夫でありますっ! 今のうちにウェイイをおさえておかなければ、今後のローマの発展および拡大はありえません! とにかく自分にまかせてくれいッ!」
あまり乗り気でないローマ世論をよそに、カミルスはウェイイ攻略を開始しました。大方の予想通りに作戦は難航し、ローマ史上初の「戦争しながら年越し」を迎えてしまいました。
「寒いよ~。将軍、もう近いんだから、早くローマに帰ろうよ~。春になったらまた攻めればいいじゃん!」
「バカもん! 我々が大変だということは、敵側も大変だということであるッ! もちっとがんばらんかい!」
カミルス率いるローマ軍の努力が功を奏し、ついに大都市ウェイイは翌年の紀元前396年に陥落しました。輝かしい戦果です。しかし、軍規に厳しく兵士の勝手な略奪も好まなかったカミルスは、部下にはあまり評判がよくありませんでした。
そして、占領したウェイイのあつかいについて、カミルスは政治家たちとも対立してしまいます。
「よくやった、カミルス君! ところで、ウェイイの土地は住みあきたローマよりも未来性がありそうじゃ。この際、首都機能をウェイイに移転してはいかがか?」
カミルスのウェイイ占領後、元老院は手のひらを返したようにカミルスの戦功をたたえ、さらにはローマからウェイイに政治の拠点を移す政策を討議しはじめました。
ところが! ここでもカミルスは元老院の意向に反対しちゃった。
「お言葉ですが、本官はローマを捨てるためにウェイイを攻略したのではありませんッ! あくまで我らの首都は、母なるローマであるべきでありますッッ!」
「なんじゃとっ! たまにホメれば調子にのりおって。カミルスくんっ、君はクビだっ!」
「クビでけっこう! しかし今はウェイイに戻らせていただきますっ。本官がいなければ、占領した場所もいつ手放すことになるかわかりませんからなッッ!」
「なにうぉお、くおのぉ~!!」
……このやりとりで、カミルスの声が納屋悟朗、元老院の声が永井一郎になった人。『ルパン3世』、好きでしょ!?
それはさておき、こういった経緯などもあり、カミルスはウェイイに兵士とともに引きこもってしまいました。そんなカミルス不在の状況で発生したのが、あのガリア人との衝突と紀元前387年におけるローマ大略奪だったのです。
「許してくれカミルス! 君は正しかった……天罰じゃ。これは、わしらがローマを手放すなどということを軽々と言ったために、ローマの神々が下された天罰だったのじゃ。」
カミルスの救援を祈るローマの人々をよそにガリア人は略奪の限りをつくし、最終的には、軍の撤退を条件にさらなる莫大な賠償金を要求します。ローマはいいなりになるしかないのか!?
その時!
「待て待て~い!」
ついに奇跡が起こった! ウェイイから埼玉県警の警官隊……じゃなかった、残されたローマの軍隊を率いてカミルスが帰ってきたのです! 驚くガリア人!
「な、なんだてめぇらは!?」
「ローマ共和国将軍・フリウス=カミルスだっ! ローマ人は金でなく、剣でお返しをするッ。ガリア人よ、神妙にお縄につけぇい。タイホだ~っ!」
「あ~りゃりゃ、こうなったら、お宝もってトンズラし~ましょっと。とっつぁん、ま~たねぇ~!」
……まぁ、ガリア人もルパンも、おなじフランスから来たということで。
とにかく、カミルス軍の志気が高かったからか、大移動でガリア人が疲れていたからか、もしくは、略奪という目的は充分に果たしたためガリア人側に徹底抗戦する意味がなかったからか。とにかく、カミルスはガリア人をローマから追い出すことに成功しました。こうして、ローマ共和国はカミルス将軍のおかげで、首の皮1枚のところで、滅亡をまぬがれたのです。
さて、人というものは、成功ではなく敗北の苦い経験からこそ多くを学ぶのでしょうか。
その後のローマ共和国は、ローマ建国の伝説の初代国王ロムルスとならべてたたえられることとなった「第2のロムルス」カミルス将軍をリーダーとして、劇的な復興と変身をとげることとなります。
当然ながら、朽ち果てていたローマ周辺の城壁は修復されて、かなり堅固なものに生まれ変わりました(そしてこれが、あとで役に立ってくるんだなぁ!)。
カミルスはそれから5回も独裁官に選出され(任期が半年で短いから)、国力の弱まったローマに襲いかかる周辺の都市国家やガリア人に対峙し、82歳で没するまでに勝利を重ねていきました。
そしてローマ軍自体も、ガリア人の戦法や武器を学んで変革をすすめ、ひとかたまりの集団戦だけでなく、100人ごとの編成に分かれて作戦をおこなう「マニプルス」戦術も採用していきました。
中でも最も重要な変化は、共和国の政策が「積極的な領土拡大」に変化したことです。
「今までのような都市国家サイズでは、ガリア人のような異民族の侵入にすぐにツブされてしまう。国力を上げるためには、ローマを中心とした領土拡大が必要だ!」
ローマ共和国は、エトルリア人都市国家はもちろんのこと、イタリア半島の背骨ともいえるアペニン山脈に住む山岳民族サムニウム人、ローマの南に位置するカンパニア地方の諸都市国家を征服していくことになります。
紀元前340~338年の第2次ラティウム戦争では「イタリアの富士山」とも言われるヴェスヴィオ山とそのふもとの都市ポンペイを手に入れ、戦争に明け暮れた紀元前4世紀が終わる頃には、イタリア半島の中西部を統一するようになっていました。
日本ぐらいの大きさであるイタリア半島の全体ではなく、中西部だけ。世界地図で見るとまだまだほんの点みたいな国土ではあるのですが、この時代に、のちの大帝国となる素地は形作られていったのです。ローマ史上初めて「海軍」が創設されたのも、この時期のことでした。
相変わらず2人の執政官か臨時の独裁官が政治をつかさどる共和国の形ではあったものの、外敵からの攻撃を防ぐためにまず自分から先に攻撃をしかけるという、かなり「帝国」的な体質の国に変質したのは、まさに今回取り上げたこの時代だったわけなんです。
あら~……ホントにすみません、今回もキリのいいところでと思ったら、こんなに長ったらしくなっちゃった! お許しを。
こうなったのもアレなんです、いったんの区切りとなる次回に、あの歴史上の超有名人物を登場させたかったからなんす!
場所はローマからちょっと離れまして、あの人! 『ヒストリエ』のあのお方よ。右と左で眼の色が違ってたらしい、あの大王!
次回は、ローマを追い越して先に「帝国」を創っちゃった英雄のお話で~す。みなさん、今回も目、お疲れさまでした……
現在、私の知り合いが飛行機に乗っています。「知り合い」なんていうしゃっちょこばった表現でいうのもなんなんですが、要するにとても親しい人が仕事のために外国に移動中なんですね。たぶん、あと2・3時間くらいでつくかしら?
なんだかヘンな感じですね。私はいつものようにさほど変化のない生活を送っているんですが、その片方で、ある人たちは空を飛んでいる最中なんですから。
そりゃもちろん、おそらく世界中のどこかで、毎日毎秒誰かが飛行機に乗っているのが当たり前な時代ではあるとは理解しているつもりだったのですが、確実に知り合いが飛んでいるという事実に直面してはじめて実感しました。この世界は不思議だわ!
私は、10時間ものあいだ飛行機に乗り続けた経験がまだありません。いつか乗るかなぁ。楽しいかな、それともすぐに飽きちゃうかな? どこに行くことになるのかなぁ、ワクワク!
さーて、実際に鉄製の飛行機に乗って行く旅行へのあこがれはここまでにしておいて、まず今日のところは、妄想パワーによるイタリア時間旅行の続きとしゃれこむことにいたしましょう。ターイムスリーップ!
時は紀元前387年7月。イタリア半島でも有数の大都市に発展していたローマの街は、建国以来最悪の状態におちいっていた!
アッリアの合戦でローマ軍の主力を壊滅させたガリア人の軍勢がそのまま乱入し、ローマに集まっていた富をごっそり略奪してしまったのです。あぁ、ローマ400年の栄光が……
しかし、残されたローマの人々も黙ってはいなかった。ローマには最後の切り札が残されていたのだ!
「まだじゃ……ローマにはまだあの男がおる。あいつさえ、カミルス将軍さえ戻ってきてくれればのう!」
カミルス将軍! 彼はいったい何者なのか? それほどの期待を受けていながら、なぜガリア人が襲来した時にはアッリアの合戦にも参陣せず、さらにはローマにさえいない状況だったのか?
ローマ最後の切り札・マルクス=フリウス=カミルス。彼を語るためには、まずローマ大略奪からおよそ10年前になる紀元前396年にさかのぼらなければなりません。
紀元前396年。ローマ共和国でもガッチガチの軍人として知られていたカミルス将軍は、51歳にして念願の宿願を達成させます。それが、ローマの北西に隣接していたエトルリア人の都市国家ウェイイ(現在はローマ市に組み込まれている)の攻略でした。
当時、ウェイイは都市計画や水道施設の整備された、ローマにならぶ大都市として繁栄していました。約500年後に活躍したギリシア人の歴史家プルタルコスの記述によると、人口の点ではローマを超える1000戸をようする大都市でした。
このウェイイを攻略しようと乗り出したのがカミルス。
「あのウェイイを? 大変だよ~。あんまりそんなにムチャせんでも……。」
「大丈夫でありますっ! 今のうちにウェイイをおさえておかなければ、今後のローマの発展および拡大はありえません! とにかく自分にまかせてくれいッ!」
あまり乗り気でないローマ世論をよそに、カミルスはウェイイ攻略を開始しました。大方の予想通りに作戦は難航し、ローマ史上初の「戦争しながら年越し」を迎えてしまいました。
「寒いよ~。将軍、もう近いんだから、早くローマに帰ろうよ~。春になったらまた攻めればいいじゃん!」
「バカもん! 我々が大変だということは、敵側も大変だということであるッ! もちっとがんばらんかい!」
カミルス率いるローマ軍の努力が功を奏し、ついに大都市ウェイイは翌年の紀元前396年に陥落しました。輝かしい戦果です。しかし、軍規に厳しく兵士の勝手な略奪も好まなかったカミルスは、部下にはあまり評判がよくありませんでした。
そして、占領したウェイイのあつかいについて、カミルスは政治家たちとも対立してしまいます。
「よくやった、カミルス君! ところで、ウェイイの土地は住みあきたローマよりも未来性がありそうじゃ。この際、首都機能をウェイイに移転してはいかがか?」
カミルスのウェイイ占領後、元老院は手のひらを返したようにカミルスの戦功をたたえ、さらにはローマからウェイイに政治の拠点を移す政策を討議しはじめました。
ところが! ここでもカミルスは元老院の意向に反対しちゃった。
「お言葉ですが、本官はローマを捨てるためにウェイイを攻略したのではありませんッ! あくまで我らの首都は、母なるローマであるべきでありますッッ!」
「なんじゃとっ! たまにホメれば調子にのりおって。カミルスくんっ、君はクビだっ!」
「クビでけっこう! しかし今はウェイイに戻らせていただきますっ。本官がいなければ、占領した場所もいつ手放すことになるかわかりませんからなッッ!」
「なにうぉお、くおのぉ~!!」
……このやりとりで、カミルスの声が納屋悟朗、元老院の声が永井一郎になった人。『ルパン3世』、好きでしょ!?
それはさておき、こういった経緯などもあり、カミルスはウェイイに兵士とともに引きこもってしまいました。そんなカミルス不在の状況で発生したのが、あのガリア人との衝突と紀元前387年におけるローマ大略奪だったのです。
「許してくれカミルス! 君は正しかった……天罰じゃ。これは、わしらがローマを手放すなどということを軽々と言ったために、ローマの神々が下された天罰だったのじゃ。」
カミルスの救援を祈るローマの人々をよそにガリア人は略奪の限りをつくし、最終的には、軍の撤退を条件にさらなる莫大な賠償金を要求します。ローマはいいなりになるしかないのか!?
その時!
「待て待て~い!」
ついに奇跡が起こった! ウェイイから埼玉県警の警官隊……じゃなかった、残されたローマの軍隊を率いてカミルスが帰ってきたのです! 驚くガリア人!
「な、なんだてめぇらは!?」
「ローマ共和国将軍・フリウス=カミルスだっ! ローマ人は金でなく、剣でお返しをするッ。ガリア人よ、神妙にお縄につけぇい。タイホだ~っ!」
「あ~りゃりゃ、こうなったら、お宝もってトンズラし~ましょっと。とっつぁん、ま~たねぇ~!」
……まぁ、ガリア人もルパンも、おなじフランスから来たということで。
とにかく、カミルス軍の志気が高かったからか、大移動でガリア人が疲れていたからか、もしくは、略奪という目的は充分に果たしたためガリア人側に徹底抗戦する意味がなかったからか。とにかく、カミルスはガリア人をローマから追い出すことに成功しました。こうして、ローマ共和国はカミルス将軍のおかげで、首の皮1枚のところで、滅亡をまぬがれたのです。
さて、人というものは、成功ではなく敗北の苦い経験からこそ多くを学ぶのでしょうか。
その後のローマ共和国は、ローマ建国の伝説の初代国王ロムルスとならべてたたえられることとなった「第2のロムルス」カミルス将軍をリーダーとして、劇的な復興と変身をとげることとなります。
当然ながら、朽ち果てていたローマ周辺の城壁は修復されて、かなり堅固なものに生まれ変わりました(そしてこれが、あとで役に立ってくるんだなぁ!)。
カミルスはそれから5回も独裁官に選出され(任期が半年で短いから)、国力の弱まったローマに襲いかかる周辺の都市国家やガリア人に対峙し、82歳で没するまでに勝利を重ねていきました。
そしてローマ軍自体も、ガリア人の戦法や武器を学んで変革をすすめ、ひとかたまりの集団戦だけでなく、100人ごとの編成に分かれて作戦をおこなう「マニプルス」戦術も採用していきました。
中でも最も重要な変化は、共和国の政策が「積極的な領土拡大」に変化したことです。
「今までのような都市国家サイズでは、ガリア人のような異民族の侵入にすぐにツブされてしまう。国力を上げるためには、ローマを中心とした領土拡大が必要だ!」
ローマ共和国は、エトルリア人都市国家はもちろんのこと、イタリア半島の背骨ともいえるアペニン山脈に住む山岳民族サムニウム人、ローマの南に位置するカンパニア地方の諸都市国家を征服していくことになります。
紀元前340~338年の第2次ラティウム戦争では「イタリアの富士山」とも言われるヴェスヴィオ山とそのふもとの都市ポンペイを手に入れ、戦争に明け暮れた紀元前4世紀が終わる頃には、イタリア半島の中西部を統一するようになっていました。
日本ぐらいの大きさであるイタリア半島の全体ではなく、中西部だけ。世界地図で見るとまだまだほんの点みたいな国土ではあるのですが、この時代に、のちの大帝国となる素地は形作られていったのです。ローマ史上初めて「海軍」が創設されたのも、この時期のことでした。
相変わらず2人の執政官か臨時の独裁官が政治をつかさどる共和国の形ではあったものの、外敵からの攻撃を防ぐためにまず自分から先に攻撃をしかけるという、かなり「帝国」的な体質の国に変質したのは、まさに今回取り上げたこの時代だったわけなんです。
あら~……ホントにすみません、今回もキリのいいところでと思ったら、こんなに長ったらしくなっちゃった! お許しを。
こうなったのもアレなんです、いったんの区切りとなる次回に、あの歴史上の超有名人物を登場させたかったからなんす!
場所はローマからちょっと離れまして、あの人! 『ヒストリエ』のあのお方よ。右と左で眼の色が違ってたらしい、あの大王!
次回は、ローマを追い越して先に「帝国」を創っちゃった英雄のお話で~す。みなさん、今回も目、お疲れさまでした……
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