どもども、こんばんは~。そうだいなんですけれどもねぇ、ハイ。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました!
なんかねぇ、一日にかなりの大人数が出入りする私の職場では、現場はもちろんのこと、お客さんや働く同僚のみなさんの家族にまでも、いろんな種類の病気がはやりつつありまして、もうホントに大変なんであります! インフルエンザとかノロウイルスとかの足音も、近くに遠くに聞こえつつあるような気が……もう、私が今現在ケロッと元気でいられているのが逆に不思議なくらい! ずぼらだから予防なんてものも型どおりのことしかしてないですしねぇ。
そんなことを考えつつも、先日28日にまたしても大人数でひしめき合う地下鉄に乗って東京に行きまして、仕事帰りのみなさんでごった返す夜の池袋に出まして、300名のお客さんがいる劇場に行ってお芝居を観てまいりました。これでなにかの病気をもらってこないほうがおかしいんじゃなかろうか……でも、こんなこと言ってるけどさ、だからっつって、仕事が早く終わった日にはちゃっちゃと家に帰って寝る、なんていう無難なスケジュールにしたところで、感染的に危険な現場でもうがっつり働いちゃったあとなんですからね。毒を喰らわば皿までも……実にヒューマンチックな至言ですねぇ。
そんなこんなで、観てきたのは、こちら。
劇団山の手事情社 公演『ドン・ジュアン』(原作・モリエール、演出・安田雅弘 池袋・東京芸術劇場シアターウエスト)
昨年も、春に『ひかりごけ』を、夏に『道成寺』のプレ公演を拝見した山の手事情社さんなんですが、今回の東京芸術劇場は私にとってはけっこう久しぶりに行く劇場だったし、作品も出演者が大人数だったので、あらためて山の手事情社さんの「本公演」をしっかり観た、という気分になりました。
まぁ、おもしろくなかったけどね。
なにがおもしろくないって、モリエールの作品なのにぜんぜん笑えなくなってるんだよなぁ、セリフのやりとりが。これって、他の原作者だったら別にかまわないかも知れないんですが、モリエールにかぎっては致命的にやっちゃダメなことなんじゃない!?
チラシやパンフレットでの演出の安田さんの言葉を読んでみますと、世界的に有名な喜劇『ドン・ジュアン』を世に問うたモリエールがいだいていた、社会に対する「いらだち」や「死をにおわせる諦観」を現代日本の観客に問いかける作品にしたかったのだ、というメッセージが伝わってきます。
いや、それはわかった。2時間くらいある公演時間は、最初っから最後までなにかしらの焦燥感や圧迫感を観る者に与える空気がみなぎっていて、目の前に広がる社会では決して癒されることのない飢餓感を常にいだいている主人公ドン・ジュアンが暴走し、破滅していく路程がこれでもかというほどに克明に描写されていました。17世紀のスペイン帝国を舞台にした作品でありながらも、妙にかっちりしたダークスーツを着込んで髪の毛を整髪料でキメたドン・ジュアン(演・浦弘毅)とその従僕スガナレル(演・山本芳郎)の風貌は、時代劇らしくないシャープでドライな雰囲気を生んでいたと思います。
でもさ、モリエールの憂鬱という解釈は正しいんだとしても、そういう苦境をかかえた上で、モリエールはあえて笑える喜劇を生み出してたわけなんですよね? そこはそういうモリエールのプロ根性をたたえてさ、最低限「笑える作品」っていうルールはのっとるべきなんじゃないの?
それなのに、「作者はこんなバカなセリフを登場人物に言わせてますけど、実はそうとう重苦しい心境だったんですよ。」なんていう注釈だらけにしてさ、どうするわけ? そういうのを「ありがた迷惑」とか、もっとストレートに言えば「ボケ殺し」っていうんじゃないっすか?
いや、もしかしたら、演出の安田さんはそこらへんの「苦しみ」と「笑い」を両立させたかったのかもしれない。
でも、おもしろいセリフがことごとく! ことごとく笑えない!! スベリまくり、引きまくり。全体的に役者さん全員のセリフの言いまわしが、喜劇をやるには重量級すぎるんですよね。お茶うけのようかんを切りわけるためにチェーンソーを使うようなものです。テーブル割れるわ!!
そこはさすがというか、主人公ペアの浦さんと山本さんはそこらへんにかなりの危機意識を持っていたようで、セリフ本体が重たい分だけ、間合いの取り方や身のこなしで軽妙さを出していたかと思うのですが、ちょっとそれ以外の役者さんの笑えなさは、もうどうしようもないというかなんというか。スキンヘッドの役者さんの出オチネタのスベリかたなんか、もうやってる方にも観てる方にもなんの利益ももたらさない公開処刑な時間が延々と続いてましたもんね。これを観るために4500円ぶん私は働いていたのかと考えると、もう涙も出ません。
今さらね、山の手事情社さんの作風が重たいとか、笑えないとかいうことでグチグチ言うつもりもないですよ。もちろん、声に出してガハハと笑える作品がいちばんいい、なんていう浅い話をしているつもりでもありません。
でもさ、今回のお題は天下のモリエールなんですから!! 笑いについてはもうちょっと真剣に取り組むべきなんじゃないか、と思ったわけなんですよ! くだらないセリフを汗水たらして言い続ければ、そのうちおもしろくなってくるんじゃないか?っていう安易な発想しか見えてこないと、少なくとも私はそう感じたのでした。
今回の『ドン・ジュアン』は、確かにまごうことなき劇団山の手事情社さんの本公演ではあったんでしょうけれども、モリエール原作の作品では全くありませんでしたね。もうちょっと寛容にやってほしかったなと、若造ながらもベテラン劇団を相手にして強く感じましたる次第。
浦弘毅さん・山本芳郎さんペアの、チャゲ&アスカと見まごうばかりの安定感はものすごく好きだったんですけど……周囲にそれをツブす要素がありまくり!! 本当にもったいない、残念な思いがいたしました。
さて、ちょっとそれだけだとグチのつぶやきだけにしかならないんで、最近、私の職場で体験したことでもつづって、今回はおしまいにしましょうかね。
私の職場は、とにかく笑顔がたえない場所というか、実際にそういう活気を持った人々が行き交う空間でもあるし、そこで働いている私自身も、同僚のみなさんもそれに相応するエネルギーをもってこたえなければいけない現場です。それだけにかなり疲れるし、守るべきルールも厳守しなければ、ある一瞬の見のがしのためにどんな事故が起こるのかもわからないという、見ようによっては過酷な職場でもあるのかもしれません。
ただまぁ、おおむねの時間はごくごく平和に過ぎていき、多くのみなさんとワイワイやりながら楽しく働いていっているわけなのですが、その日もふつうにひと仕事終えて、同僚の方と上の階に移動するためにエレベーターを待っていたんですね。
そして、エレベーターがきてドアが開くと、その中にはすでに別の方々が乗っていたんですが、ドアが開いたとたんに、それまで笑顔でいた同僚の顔が一瞬にして蒼ざめて凍りつき、「あ、いいです、どうぞ先に行ってください……」と、中の人をうながしてエレベーターを行かせちゃったんですね。
一瞬「あれ?」と感じたんですが、私もすぐに納得してしまいました。そのとき私は、エレベーターから少し離れた距離に立っていたのですが、それでも見えてしまったのです。エレベーターの中には2~3人のスーツ姿の人たちに囲まれて、白いシーツのかけられた人間1人ぶんの「なにか」を運ぶ、キャスター付きベッドがあったことを。
そう……なのよねぇ。私の現在働いている職場は、医療施設と同じ建物の中にあるんです。ということは、かなり低い確率だったとしても、職員用のエレベーターを利用する以上、一般用のエレベーターでは運べないもののひとつでもある「ほとけさま」の移動に出あうことだって、あるのよねぇ。
なんかこう、こういう瞬間に私たち生きている人々が出くわしてしまう、問答無用な「温度のなさ」って、なんなんでしょうね。「あ、なんかすいません、生きてて……」っていう、明るく元気に呼吸をしていること全体がいたたまれない気分になる、あの感じ。
私は死んだ人間が幽霊になって出てくるというたぐいのフィクションは大好きですし、それがあたかも現実に存在するかのように語る実録風味の怪談も大好物です。でも、幽霊がそういったイメージで実在するとは一度も信じたことがありません。霊感らしいものがまるでないという、生来の鈍感さからきていることでもあるんですけど。
でも、幽霊が実体をもって生きている人間に害を与えるという行為は信じられなくても、死んだ人が「あ、生きてる。いいなぁ……」という無言のまなざしを送ってくる、その「視線」は、あるような気がするんですよね。これはおそらく、その視線をもった死者がいるということではなく、その視線をほんとかどうかは別として「受信」してしまう私たちの生きた脳みそがある、ということなんだと思います。これ、「私たち」ってくくって大丈夫だよね? 死んだ人はこの『長岡京エイリアン』はチェックしてないよね!?
そういうことをつらつら考えてしまったのはなぜかっつうと、その日に限って! わたくしめがたった一人で、その医療施設の上階にある仕事場の戸締まりをして帰らなきゃいけなかったからなのよさ!! ギャー、怖い怖い怖い!!
時間は夜8時すぎくらいだったから、そんなに真夜中でもなかったんですけど、広~い職場で同僚の方の最後のお一人を送るじゃないですか。そうするとさ、私ひとりになった瞬間に、聞いたこともない「人間の泣き声っぽい」風の音が聞こえてくるわけなの! 私がいる部屋以外の電気はあらかた消えてるわけなの! 誰かの置いてった帽子とか上着とかが見事に人の形に見えてくるわけなのォオ!!
もうたまんないから、一人で30分くらい、いろんな後処理をしている間ず~っと元気の出る歌を唄おうと思ったんだけど、こういう土壇場になるとなかなか頭がまわんなくて、いつもならすぐにパッと思いつくはずのタイトルが浮かばない!
結局、最近になって「うわ~、いい曲!!」とやけに感動してしまった、『プリキュア5、フル・スロットル GoGo!』を唄いながらカギしめて退散しちゃったよ!! よもや、プリキュアの歌を空元気で唄うおっさんの前に現れるボーダレスな幽霊もおるまいて。いやぁ、ほんとにいい曲なんですよね、フルスロットル。
結局、人の生き死にに勝る大問題なぞ、所詮アニマルな私たちの前には存在せず、生きているうちに感じる多少の苦しい悲しいなんか、死から比べたら甘ちゃんもいいとこなんですよね。
とかなんとか、デカすぎる諦念をいだいてしまった、あの日の体験だったのでした。短い人生、せめて笑って楽しくすごしていきたいものですな!
そういえば、永井一郎さんもついに逝かれてしまわれたし。時はこうやって確実に過ぎていくものでありますな。
享年82ですか。私もなるべく長く、この世の中を見届けて去っていきたいものです。
よ~し、長生きしてやるぞ! とりあえずアレだ、仮想敵をつくってみよう!! 少なくともこの人よりは長生きしてやりたい、この人より先には死にたくないって有名人、いるかな?
……及川光博。
自分でもなんでこの人なのかは皆目見当がつかないんだけど、及川光博より先には、絶対に死にたくない。なんかよくわかんないけど、先に死んだらすっごくくやしいから。とんだとばっちりですね、ミッチー。
なんかねぇ、一日にかなりの大人数が出入りする私の職場では、現場はもちろんのこと、お客さんや働く同僚のみなさんの家族にまでも、いろんな種類の病気がはやりつつありまして、もうホントに大変なんであります! インフルエンザとかノロウイルスとかの足音も、近くに遠くに聞こえつつあるような気が……もう、私が今現在ケロッと元気でいられているのが逆に不思議なくらい! ずぼらだから予防なんてものも型どおりのことしかしてないですしねぇ。
そんなことを考えつつも、先日28日にまたしても大人数でひしめき合う地下鉄に乗って東京に行きまして、仕事帰りのみなさんでごった返す夜の池袋に出まして、300名のお客さんがいる劇場に行ってお芝居を観てまいりました。これでなにかの病気をもらってこないほうがおかしいんじゃなかろうか……でも、こんなこと言ってるけどさ、だからっつって、仕事が早く終わった日にはちゃっちゃと家に帰って寝る、なんていう無難なスケジュールにしたところで、感染的に危険な現場でもうがっつり働いちゃったあとなんですからね。毒を喰らわば皿までも……実にヒューマンチックな至言ですねぇ。
そんなこんなで、観てきたのは、こちら。
劇団山の手事情社 公演『ドン・ジュアン』(原作・モリエール、演出・安田雅弘 池袋・東京芸術劇場シアターウエスト)
昨年も、春に『ひかりごけ』を、夏に『道成寺』のプレ公演を拝見した山の手事情社さんなんですが、今回の東京芸術劇場は私にとってはけっこう久しぶりに行く劇場だったし、作品も出演者が大人数だったので、あらためて山の手事情社さんの「本公演」をしっかり観た、という気分になりました。
まぁ、おもしろくなかったけどね。
なにがおもしろくないって、モリエールの作品なのにぜんぜん笑えなくなってるんだよなぁ、セリフのやりとりが。これって、他の原作者だったら別にかまわないかも知れないんですが、モリエールにかぎっては致命的にやっちゃダメなことなんじゃない!?
チラシやパンフレットでの演出の安田さんの言葉を読んでみますと、世界的に有名な喜劇『ドン・ジュアン』を世に問うたモリエールがいだいていた、社会に対する「いらだち」や「死をにおわせる諦観」を現代日本の観客に問いかける作品にしたかったのだ、というメッセージが伝わってきます。
いや、それはわかった。2時間くらいある公演時間は、最初っから最後までなにかしらの焦燥感や圧迫感を観る者に与える空気がみなぎっていて、目の前に広がる社会では決して癒されることのない飢餓感を常にいだいている主人公ドン・ジュアンが暴走し、破滅していく路程がこれでもかというほどに克明に描写されていました。17世紀のスペイン帝国を舞台にした作品でありながらも、妙にかっちりしたダークスーツを着込んで髪の毛を整髪料でキメたドン・ジュアン(演・浦弘毅)とその従僕スガナレル(演・山本芳郎)の風貌は、時代劇らしくないシャープでドライな雰囲気を生んでいたと思います。
でもさ、モリエールの憂鬱という解釈は正しいんだとしても、そういう苦境をかかえた上で、モリエールはあえて笑える喜劇を生み出してたわけなんですよね? そこはそういうモリエールのプロ根性をたたえてさ、最低限「笑える作品」っていうルールはのっとるべきなんじゃないの?
それなのに、「作者はこんなバカなセリフを登場人物に言わせてますけど、実はそうとう重苦しい心境だったんですよ。」なんていう注釈だらけにしてさ、どうするわけ? そういうのを「ありがた迷惑」とか、もっとストレートに言えば「ボケ殺し」っていうんじゃないっすか?
いや、もしかしたら、演出の安田さんはそこらへんの「苦しみ」と「笑い」を両立させたかったのかもしれない。
でも、おもしろいセリフがことごとく! ことごとく笑えない!! スベリまくり、引きまくり。全体的に役者さん全員のセリフの言いまわしが、喜劇をやるには重量級すぎるんですよね。お茶うけのようかんを切りわけるためにチェーンソーを使うようなものです。テーブル割れるわ!!
そこはさすがというか、主人公ペアの浦さんと山本さんはそこらへんにかなりの危機意識を持っていたようで、セリフ本体が重たい分だけ、間合いの取り方や身のこなしで軽妙さを出していたかと思うのですが、ちょっとそれ以外の役者さんの笑えなさは、もうどうしようもないというかなんというか。スキンヘッドの役者さんの出オチネタのスベリかたなんか、もうやってる方にも観てる方にもなんの利益ももたらさない公開処刑な時間が延々と続いてましたもんね。これを観るために4500円ぶん私は働いていたのかと考えると、もう涙も出ません。
今さらね、山の手事情社さんの作風が重たいとか、笑えないとかいうことでグチグチ言うつもりもないですよ。もちろん、声に出してガハハと笑える作品がいちばんいい、なんていう浅い話をしているつもりでもありません。
でもさ、今回のお題は天下のモリエールなんですから!! 笑いについてはもうちょっと真剣に取り組むべきなんじゃないか、と思ったわけなんですよ! くだらないセリフを汗水たらして言い続ければ、そのうちおもしろくなってくるんじゃないか?っていう安易な発想しか見えてこないと、少なくとも私はそう感じたのでした。
今回の『ドン・ジュアン』は、確かにまごうことなき劇団山の手事情社さんの本公演ではあったんでしょうけれども、モリエール原作の作品では全くありませんでしたね。もうちょっと寛容にやってほしかったなと、若造ながらもベテラン劇団を相手にして強く感じましたる次第。
浦弘毅さん・山本芳郎さんペアの、チャゲ&アスカと見まごうばかりの安定感はものすごく好きだったんですけど……周囲にそれをツブす要素がありまくり!! 本当にもったいない、残念な思いがいたしました。
さて、ちょっとそれだけだとグチのつぶやきだけにしかならないんで、最近、私の職場で体験したことでもつづって、今回はおしまいにしましょうかね。
私の職場は、とにかく笑顔がたえない場所というか、実際にそういう活気を持った人々が行き交う空間でもあるし、そこで働いている私自身も、同僚のみなさんもそれに相応するエネルギーをもってこたえなければいけない現場です。それだけにかなり疲れるし、守るべきルールも厳守しなければ、ある一瞬の見のがしのためにどんな事故が起こるのかもわからないという、見ようによっては過酷な職場でもあるのかもしれません。
ただまぁ、おおむねの時間はごくごく平和に過ぎていき、多くのみなさんとワイワイやりながら楽しく働いていっているわけなのですが、その日もふつうにひと仕事終えて、同僚の方と上の階に移動するためにエレベーターを待っていたんですね。
そして、エレベーターがきてドアが開くと、その中にはすでに別の方々が乗っていたんですが、ドアが開いたとたんに、それまで笑顔でいた同僚の顔が一瞬にして蒼ざめて凍りつき、「あ、いいです、どうぞ先に行ってください……」と、中の人をうながしてエレベーターを行かせちゃったんですね。
一瞬「あれ?」と感じたんですが、私もすぐに納得してしまいました。そのとき私は、エレベーターから少し離れた距離に立っていたのですが、それでも見えてしまったのです。エレベーターの中には2~3人のスーツ姿の人たちに囲まれて、白いシーツのかけられた人間1人ぶんの「なにか」を運ぶ、キャスター付きベッドがあったことを。
そう……なのよねぇ。私の現在働いている職場は、医療施設と同じ建物の中にあるんです。ということは、かなり低い確率だったとしても、職員用のエレベーターを利用する以上、一般用のエレベーターでは運べないもののひとつでもある「ほとけさま」の移動に出あうことだって、あるのよねぇ。
なんかこう、こういう瞬間に私たち生きている人々が出くわしてしまう、問答無用な「温度のなさ」って、なんなんでしょうね。「あ、なんかすいません、生きてて……」っていう、明るく元気に呼吸をしていること全体がいたたまれない気分になる、あの感じ。
私は死んだ人間が幽霊になって出てくるというたぐいのフィクションは大好きですし、それがあたかも現実に存在するかのように語る実録風味の怪談も大好物です。でも、幽霊がそういったイメージで実在するとは一度も信じたことがありません。霊感らしいものがまるでないという、生来の鈍感さからきていることでもあるんですけど。
でも、幽霊が実体をもって生きている人間に害を与えるという行為は信じられなくても、死んだ人が「あ、生きてる。いいなぁ……」という無言のまなざしを送ってくる、その「視線」は、あるような気がするんですよね。これはおそらく、その視線をもった死者がいるということではなく、その視線をほんとかどうかは別として「受信」してしまう私たちの生きた脳みそがある、ということなんだと思います。これ、「私たち」ってくくって大丈夫だよね? 死んだ人はこの『長岡京エイリアン』はチェックしてないよね!?
そういうことをつらつら考えてしまったのはなぜかっつうと、その日に限って! わたくしめがたった一人で、その医療施設の上階にある仕事場の戸締まりをして帰らなきゃいけなかったからなのよさ!! ギャー、怖い怖い怖い!!
時間は夜8時すぎくらいだったから、そんなに真夜中でもなかったんですけど、広~い職場で同僚の方の最後のお一人を送るじゃないですか。そうするとさ、私ひとりになった瞬間に、聞いたこともない「人間の泣き声っぽい」風の音が聞こえてくるわけなの! 私がいる部屋以外の電気はあらかた消えてるわけなの! 誰かの置いてった帽子とか上着とかが見事に人の形に見えてくるわけなのォオ!!
もうたまんないから、一人で30分くらい、いろんな後処理をしている間ず~っと元気の出る歌を唄おうと思ったんだけど、こういう土壇場になるとなかなか頭がまわんなくて、いつもならすぐにパッと思いつくはずのタイトルが浮かばない!
結局、最近になって「うわ~、いい曲!!」とやけに感動してしまった、『プリキュア5、フル・スロットル GoGo!』を唄いながらカギしめて退散しちゃったよ!! よもや、プリキュアの歌を空元気で唄うおっさんの前に現れるボーダレスな幽霊もおるまいて。いやぁ、ほんとにいい曲なんですよね、フルスロットル。
結局、人の生き死にに勝る大問題なぞ、所詮アニマルな私たちの前には存在せず、生きているうちに感じる多少の苦しい悲しいなんか、死から比べたら甘ちゃんもいいとこなんですよね。
とかなんとか、デカすぎる諦念をいだいてしまった、あの日の体験だったのでした。短い人生、せめて笑って楽しくすごしていきたいものですな!
そういえば、永井一郎さんもついに逝かれてしまわれたし。時はこうやって確実に過ぎていくものでありますな。
享年82ですか。私もなるべく長く、この世の中を見届けて去っていきたいものです。
よ~し、長生きしてやるぞ! とりあえずアレだ、仮想敵をつくってみよう!! 少なくともこの人よりは長生きしてやりたい、この人より先には死にたくないって有名人、いるかな?
……及川光博。
自分でもなんでこの人なのかは皆目見当がつかないんだけど、及川光博より先には、絶対に死にたくない。なんかよくわかんないけど、先に死んだらすっごくくやしいから。とんだとばっちりですね、ミッチー。
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