イエ~イ、ポッポぉ~んん。どうもこんにちは、そうだいでございます!
実家からかえってまいりました……思うさま静養してきましたよ、思うさま。
4日間でしたけど、好きに食べ、好きに近況を語り、好きにほっつき歩いて好きに眠ってきました。したがいましてトータルで言うと、「好きに休んできた」ということになります。嗚呼、実家の家族が健在だという、この素晴らしさ……
弟の子どもたちもすくすくと成長しておりました。そうとう久しぶりか初対面だというのに、ずいぶんと人見知りしない明るい子たちでよかったわ。
しっかし、それにしても……先週の山形は暑かった。9月で連日の30℃越えとは、にんともかんとも!
それで、今朝早くに千葉に帰ってみたら、こっちのほうが若干涼しかったりして!?
山形市は典型的な盆地なんですけど、街をおおう山々の緑と、その上に際限なく広がった空の青という構図がまったくブレない数日間。雲とも雨とも無縁な炎天下が続いておりました。さすがに日が落ちてから早朝まではいくらか気温も下がるんですが。
もっとすごしやすいかとたかをくくって行ったんですが……盆地をナメとりました、はい。
それでも、一日中家の中でうだうだしているのもなんだったので、用事のない昼間は家族の自転車を借りて市街地をフラフラしておりました。
2年ほど前に帰省した時にもつづったかもしれないのですが、我が山形県山形市の中心部に位置する広大な霞城公園(かじょうこうえん)は、室町~江戸時代に存在していた巨城・山形城の跡地を利用してつくられている総合施設なのですが、平成に入る前後から今にいたるまで、城を代表する城門の「東大手門」や中央の「本丸石垣」などを復元する工事が続けられています。「霞城」っていうのは山形城の異名ですね。
私が行った日は休日だったので作業している人はいなかったのですが、今年はどうやら本丸石垣の西部分を復元するという計画が進められているようです。山形城に「天守閣」があった時期はないのでハデな外観ではないのですが、最盛時の城域の広さは日本でも有数の面積をほこっていたんですよ!? 土地はいくらでもあまってますから、昔も今も……
しかし、私が子どもだった頃に遊んでいた公園内のサッカー場や市民プールが取り壊されて、そのあとにでっかいお城の本丸が建造されていくとは……気持ちいいくらいに時間感覚が逆転しています。
まぁ、私は隠しようのない城好きおじさんですので、21世紀の不景気なこの時代にあえてお城を復元するというこの運動は応援していきたいです。でも、同時に山形県の若者の人口も増えていってほしいね、まんず……
そういえば、今回帰省してなにげに一番インパクトのあった情報は、私がガキンチョのころによく遊びに行っていた鎮守の森の立派な八幡神社が、今年はじめの失火で全焼してたってことね。せつねぇ~!
なくなったのは本社だけで、他の建物や神輿をおさめた土蔵とかは大丈夫だったみたいなんですけど、やっぱり木造建築は大事にしなきゃいけませんなぁ。聞いたあとであわてて行ってみたら、礎石と黒ずんだ土を残して思い出のお社がきれいさっぱり消え去っておりました。あったはずのものが、ない。ショックっていうか、不思議な感じですよね……
木造といえば、霞城公園の中にある明治時代の擬洋建築の粋とも称される「旧・済生館病院本館」(現・山形市郷土館)も変わらず複雑な様式美を見せながら静かにたたずんでおりました。まさに開化の貴婦人!
でも、木も人間も明日にはどうなっているかわからない生き物なんですよねぇ。今、同じ世にいることの素晴らしさは、忘れがちだけど毎日かみしめていかなきゃなんねぇんだなぁ。
ってなことなんかを殊勝そうに言ってますけど!! 基本的には思いっきりう~だう~だしてばっかりの山形バカンスでした。酒は呑めないので、牛乳びたりの毎日!
あとですねぇ、実家に帰ってもっとも強く感じる、千葉の私の住みかとの違いはと言いますと、そりゃも~なんといっても TVですよね。
ぐわお~、ふつうにおっきめの液晶テレビがある。地デジ、衛星、ケーブルも見放題!
……とはいうものの。なんか目移りして TVを楽しむ気分にならねぇ。やっぱり時代の流れにはついていけませんな。だって、昔の田舎の5~6チャンネル時代が恋しくてなんねぇんだもの。
まぁ、TV はそんな感じであっぷあっぷしていたんですが、逆に山形の民放ラジオ局は、古色蒼然とした「AM・FM 各1局」のまんま! 少ない、少なすぎる!! AM は案の状、ニッポン放送と文化放送がメインを独占。 TBSラジオ『ジャンク』が1秒も聴けないとはなげかわしや!
こげな感じで、TV とラジオの両方に、それぞれ別の原因で飽きてしまった今回の山形帰省だったのですが、いちおう、出発前から最優先の懸案としていたある TV番組だけはチェックしてきましたので、今回はそれを観た感想みたいなことをくっちゃべっていきたいと思います。
NHK 大河ドラマ 『平清盛』「第35回 わが都、福原」「第36回 巨人の影」
いや~、やっと観られた! 去年の『江』は1回しか観なかったので、それにくらべれば一気に観た回数が倍増! やったね~。
う~ん。これまでなんだかんだ言ってきましたけれども、やっぱり今年の『平清盛』は、できれば毎週チェックするべき作品だったんだということを、ほんとに今更ながらなんですが実感いたしました。おもしろいねぇ。
まぁ、パソコンが家にあるのならば、これまでの回やこれからの放送をチェックする手段はあるのでしょうが……とにかく今は忙しくって時間がねぇということで。でも、気分としてはほんとに最初っからおさらいしてみたくなってますね。来年にまでずれこむ感じになるけど、観てみよっかな。
私が今回観たのは、言うまでもなく土曜日の第35回の再放送と日曜日の第36回の本放送だったのですが、なんともラッキーなことに、これらの2回は歴史の教科書に載るような超重大事件こそ発生してはいなかったものの、ドラマとしては「平氏の栄華」と「崩壊の予兆」、「源氏再興の萌芽」や「藤原摂関家やら後白河院やら比叡山延暦寺やらの権力闘争」といった大事な要素がふんだんに盛り込まれた、見どころたっぷりのならびになっていました。私は運がいいねぇ。
2回ぶんの中で語られたおもな歴史的出来事としましては、「平清盛の出家」「清盛による播磨国福原の都市開発」「清盛の甥にあたる高倉天皇の即位」「後白河院の出家」「比叡山僧兵による嘉応の内裏強訴事件」「後白河院の側近・藤原成親と清盛の嫡男・平重盛のビミョ~な義兄弟関係」「はりきるわりにカラまわりまくりの後白河院政」といったあたりがクローズアップされていますね。
と同時に、ドラマの視点としては「伊豆に追放された源頼朝とのちの妻・北条政子の出逢い」「京の鞍馬寺で着実に成長している源義経」というあたりにいよいよ焦点があてられるようにもなってきました。ドラマのクライマックスに向けてのラストランがついに始まったというワクワク感がありますねい。
観た結論としてはもう、最初に言った「おもしろかった」がすべてなのですが、やっぱりいろんな部分が脚本でていねいに描写されているのがいいですね。
平清盛が50代になったこの時期は、表向きは平氏政権の全盛期に向かう途上であり、清盛という巨人のリーダーシップによって日本全国の平和が保たれていた、かのように見えるあたりなのですが、その実状は「平氏政権」「後白河院政」「藤原摂関家」「比叡山延暦寺」「地方の在地武家たち」といった諸勢力がそれぞれの思惑をかかえてお互いの様子をうかがっているという、そうとうあやういバランスの上に立った時代だったわけで、ドラマ『平清盛』はそのあたりをかなり明解にとらえています。
それと同時に、「出世競争」や「母親の違う兄弟・親族」といった事情によって、同じ一門でありながらもいまひとつ一枚岩になっていない平氏一族を、清盛というカリスマがかろうじてまとめているというあたりもちゃんとおさえられています。
私が観た2回の中では、清盛の異母弟にあたる平頼盛(演・西島隆弘)と、清盛の嫡男でありながらも母親の出自が低いために清盛の後継者という立場に大きなプレッシャーを感じている平重盛(演・窪田正孝)の2人の重要なキーマンの鬱屈が非常にわかりやすく、そしておもしろく描かれていました。特に頼盛役の西島隆弘さんの「どうせオレなんて……」なうつむき顔はみごとなもんですね。
ってなわけで、ずいぶんと遅ればせながら非常に気にいってしまった『平清盛』なのですが、どうにもやっぱり、そこはそれ、我が『長岡京エイリアン』! 満足するばかりでなく、とるに足らないおっさんながらもちょっと言わせていただきたい不満点はいくつかあったのでございます。
といってもそんなにはないのですが、2回だけ観た人間のつぶやいていることなので、ドラマ全体に対する知識のたらなさは御容赦いただきたいと先に言っておきつつ、だいたい以下のようなポイントがちょっと気になりました。
1、オープニング曲があんまりピンとこない
2、比叡山トップの明雲僧正と後白河院のキャラクターが異常に貧相
3、源頼朝と平重盛の「ひ弱さ」がやや過剰?
4、平重盛の正妻の経子(演・高橋愛)のセリフが2つだけ……
こういったあたりが多少、気になってしまいましたねェ~。やっぱり、歴史的出来事をドラマにするにあたっては、必然的にいろんな誇張や省略がほどこされるのは当然なのではありますが。
まず、1、にかんしては聴いてのとおりです。
ダミなんですよ……1回聴いただけでちゃんとおぼえられるメロディラインがどっかになきゃあ、大河ドラマのテーマ曲にあらず! ちょっと起伏が大きいし、盛り上がりどころもずいぶんとおだやかなんですよねぇ。いろんな味わいを込めたいのはわかるんですが、全体につくりが散漫すぎ。おれはいったい何様なんだ!?
あと、この『平清盛』のテーマ曲には、わたくしとしましてはどうにもこうにも容認しがたいポイントがひとつあります。こればっかりは、耳に入った瞬間にムカムカッと許しがたい憤りにかられてしまってしかたがねぇ!
それはすなはち、終盤にどこのもんとも知れないガキンチョの独唱が入ること!! この音楽手法、私、ホンッッッットに死ぬほど大嫌いなんです。
話はちょっと大河ドラマからそれてしまうのですが、私は「プロの作品に子どもの歌声をのせて純真無垢さみたいなところを強調するやり方」を心の底から憎んでいます。よくやるでしょ? プロの歌手がサビのところでガキのコーラスをさしこんでくるやつね。
プロだったら、そんな姑息な手なんぞ使わずにオノレのノドで純真無垢さを提出せんか、この大バカタリンコがぁ~!! 私、そう思うんです。
だいっ嫌いなんだな、私。そういうふうに、子どもを都合のいい道具のようにしか見ていない大人のくっだらねぇ打算が。
プロの歌手や楽曲と、子どもの歌声は絶対に同居してはいけない存在だと思うんです。子どもに歌を唄わせるのならば、大人はなるべく引っ込んで伴奏だけに徹するべきなんです。
そういう点から、私は『平清盛』のテーマ曲の終盤に子どものヴォーカルを入れた今回の判断につつしんで「0点」をさしあげたいです。
『信長 KING OF ZIPANGU 』(1992年)とか『新選組!』(2004年)を聴いてわからんのか……伝統の NHK大河ドラマテーマ曲に人間の声を入れるということは、それほどまでに大変なことなんですよ。それを、ようもチャチな手でやってくれたわ。
ところで、ここでの子どものヴォーカルは、実は当初はあの「初音ミク」さんが担当する予定だったのだそうですね。
それで良かったじゃないの! どうせやるんだったらそこまでいかなきゃ。『梁塵秘抄』と初音ミク! 800年の時空を超えた最高の出逢いじゃないの~。実現がかなわず非常に残念です。
続きまして2、なのですが、これは4、と表裏一体の問題になっているような気がします。
とにかくまぁ~、後白河院と、比叡山延暦寺のトップたる天台座主(てんだいざす)の明雲(みょううん)僧正という2人の重要人物を演じている役者さんの存在感が絶望的にショボいんです。でも、これは2人の演技力のせいだけじゃなくて、それぞれのキャラクターを形作っている演出家にも責任があるような。
もしかしたらその2人が「悪目立ちしている」のかもしれません。なぜならば、どうしても史実上の年齢よりも若く見えてしまうという点はあるものの、主人公の平清盛役の松山ケンイチさんと、権力の巻き返しをはかる藤原摂関家サイドの藤原基房(もとふさ 演・細川茂樹)・兼実(かねざね 演・相島一之)兄弟といった陣営の役者さん方が、のきなみ一筋縄ではいかない非常にいい味を出しているからです。
いや~、ちょっと太ったけど、細川茂樹さんはいいねぇ! だってこのお方、ちょっと前にガチガチの平家武将の「平重衡(しげひら 清盛の五男)」役をやったばっかなのよ(2005年の大河ドラマ『義経』)!? それなのに、この反平家公卿への豹変ぶりときたら……ステキ。あと、相島さんがすばらしいのは相変わらずですよね。
こういったいい感じの「平氏政権」と「藤原摂関家」にたいして、それらに拮抗する強大勢力であるはずの「王家院政」「比叡山延暦寺」それぞれを代表するべき役者さんの演技がなんつうか……つまんねぇんだなぁ。
どっちもなんか、それらしい顔つきでほくそ笑んでるだけで、それで何を考えついたのかと思ったら、たいしていい手をうてていないんですね。それで他の勢力に対抗されて「キ~ッ!」ってなってるの。それでしばらくしたら、またなんかバカなことを思いついて「ニヤリ……」ってポーズだけとってんの。
なんかさぁ、「清盛のライヴァルたち!」って作品が持ち上げてるだけの「悪役っぽさ」がじぇんじぇん出てきてないんですよ。迫力もなければ魅力もない、それなのにやたら目を三白眼にして、上目遣いにニヤニヤしてるだけなの。バカだこやつら。
いやいや、別にそれでもいいんです。歴史的に後白河院や明雲僧正が、平氏政権の台頭に対して有効な手立てを打つことができなかったことは事実だったと言ってしまってもよろしいでしょう。
でもさぁ、今回とりあげられた嘉応の内裏強訴事件(1169年12月)の時点で、後白河院は43歳、明雲僧正は55歳ですよ。
いちおう、ある権力組織のトップにいるおじさんだったらさぁ、あんなアホみたいなうすっぺらいニヤニヤ笑いはしてられないと思うんですけど。平氏政権に追い抜かれていくあせりとか諦観のようなものをもうちょっと出せる役者さんがやったほうが、ドラマももっとおもしろくなるんじゃいないかしら。
それがまぁ、そろいもそろってアニメ『一休さん』の将軍さま(足利義満のことだが、本物はもちろん天才)レベルのバカっぷり。
後白河院役の松田翔太さんはまぁ、若いんでね。見てくれがいいから別に演技力がなくてもいいんですけど、問題は明雲僧正役のおっさんですよ。
この人は、ひどいね。伝統ある比叡山延暦寺の天台座主という役を、まるで『インディ・ジョーンズ』のどっかに出てくる邪教の親玉みたいな品性の低さでしかやれてないの。しかも、顔はゴツいくせに声に迫力がないない! ヒョロヒョロした棒読み。なんだ、こやつは。
この人たしか、演劇の世界の片隅ではちやほやされてる人ですよね。なんか、いろんなことにがっかり……
こんなこと言ったって仕方がないんですけど、昔の大河ドラマのキャスティングだったら、ここの役をおさえるのは相当しっかりした大俳優であるはずなんです。そうじゃなきゃ主人公の平清盛は引き立たないはずなんです。
ましてや、史実の明雲僧正は殺生を禁じる僧侶の身でありながらも、おん年70であの朝日将軍・木曽義仲との合戦に打って出て討死してしまうようなとんでもない偉人なんです。おもしろそうな人物じゃないですか!
その役を、こんなとるにたらない大根がやってるとは……つくづく、『さや侍』のさむいチョイ役がベストキャスティングだったことを再確認させてくれる方ですね。天下の NHKも一時的に目がくさったんでしょうか。
このあたりの「圧倒的な役者の力量不足」とまったく逆の現象を呈しているのが、4、の問題です。こっちはカンペキな「役不足」ですね、正しい意味での。
高橋さんのセリフが2つだけ……
もう、怒る気にもなれないひどさなのですが、「殿下乗り合い事件」や「鹿ケ谷謀議事件」といったイベントの連続に加えて、愛する夫の急死という最大級の悲劇も、これからのドラマで語られていくことになるはずです。
そういうもろもろへの伏線のためにも、経子さんはもうちょっと存在感をあげていいんじゃないかと思うんですが……もう、いいや。いまさらなんの期待も持てやしねぇや、コンチクショウメーイ!!
残りの3、については、これはたぶん今回の『平清盛』独自の作風にもつながることだと思うのであんまり野暮なちゃちゃを入れるつもりはないのですが、あまりにも大きすぎる「平清盛」という巨人の影響を受けてしまった平重盛や源頼朝のキャラクターが、相対的に歴史上のイメージよりも弱めに描かれているのはちと「おとしめすぎ……?」のような気がしました。
演じている役者さんもそれぞれ若いから、よけいに線の細さが際立っちゃうんですけど、同時に人間的な魅力もコンパクトにしすぎにしてしまった感があって、脚本的にももっと2人をがんばらせてほしいなぁ、と思っちゃいました。わこうどよ、立ち上がれい!!
こんな感じで、いろんなことを考えさせてくれた『平清盛』、どうもありがとう! そして、観るのが遅すぎた…… TVのない千葉の家に帰ってきてしまい、これからの回をチェックできるかどうかは神のみぞ知る。
さてさて次回は、山形に帰省したついでに予告どおり、映画館に行って観てきた「あの映画」の感想をつづっていくつもりでござる。
思った以上に『龍馬伝』の続編みたいな味わいに仕上がっていてびっくり! おろ~!?
実家からかえってまいりました……思うさま静養してきましたよ、思うさま。
4日間でしたけど、好きに食べ、好きに近況を語り、好きにほっつき歩いて好きに眠ってきました。したがいましてトータルで言うと、「好きに休んできた」ということになります。嗚呼、実家の家族が健在だという、この素晴らしさ……
弟の子どもたちもすくすくと成長しておりました。そうとう久しぶりか初対面だというのに、ずいぶんと人見知りしない明るい子たちでよかったわ。
しっかし、それにしても……先週の山形は暑かった。9月で連日の30℃越えとは、にんともかんとも!
それで、今朝早くに千葉に帰ってみたら、こっちのほうが若干涼しかったりして!?
山形市は典型的な盆地なんですけど、街をおおう山々の緑と、その上に際限なく広がった空の青という構図がまったくブレない数日間。雲とも雨とも無縁な炎天下が続いておりました。さすがに日が落ちてから早朝まではいくらか気温も下がるんですが。
もっとすごしやすいかとたかをくくって行ったんですが……盆地をナメとりました、はい。
それでも、一日中家の中でうだうだしているのもなんだったので、用事のない昼間は家族の自転車を借りて市街地をフラフラしておりました。
2年ほど前に帰省した時にもつづったかもしれないのですが、我が山形県山形市の中心部に位置する広大な霞城公園(かじょうこうえん)は、室町~江戸時代に存在していた巨城・山形城の跡地を利用してつくられている総合施設なのですが、平成に入る前後から今にいたるまで、城を代表する城門の「東大手門」や中央の「本丸石垣」などを復元する工事が続けられています。「霞城」っていうのは山形城の異名ですね。
私が行った日は休日だったので作業している人はいなかったのですが、今年はどうやら本丸石垣の西部分を復元するという計画が進められているようです。山形城に「天守閣」があった時期はないのでハデな外観ではないのですが、最盛時の城域の広さは日本でも有数の面積をほこっていたんですよ!? 土地はいくらでもあまってますから、昔も今も……
しかし、私が子どもだった頃に遊んでいた公園内のサッカー場や市民プールが取り壊されて、そのあとにでっかいお城の本丸が建造されていくとは……気持ちいいくらいに時間感覚が逆転しています。
まぁ、私は隠しようのない城好きおじさんですので、21世紀の不景気なこの時代にあえてお城を復元するというこの運動は応援していきたいです。でも、同時に山形県の若者の人口も増えていってほしいね、まんず……
そういえば、今回帰省してなにげに一番インパクトのあった情報は、私がガキンチョのころによく遊びに行っていた鎮守の森の立派な八幡神社が、今年はじめの失火で全焼してたってことね。せつねぇ~!
なくなったのは本社だけで、他の建物や神輿をおさめた土蔵とかは大丈夫だったみたいなんですけど、やっぱり木造建築は大事にしなきゃいけませんなぁ。聞いたあとであわてて行ってみたら、礎石と黒ずんだ土を残して思い出のお社がきれいさっぱり消え去っておりました。あったはずのものが、ない。ショックっていうか、不思議な感じですよね……
木造といえば、霞城公園の中にある明治時代の擬洋建築の粋とも称される「旧・済生館病院本館」(現・山形市郷土館)も変わらず複雑な様式美を見せながら静かにたたずんでおりました。まさに開化の貴婦人!
でも、木も人間も明日にはどうなっているかわからない生き物なんですよねぇ。今、同じ世にいることの素晴らしさは、忘れがちだけど毎日かみしめていかなきゃなんねぇんだなぁ。
ってなことなんかを殊勝そうに言ってますけど!! 基本的には思いっきりう~だう~だしてばっかりの山形バカンスでした。酒は呑めないので、牛乳びたりの毎日!
あとですねぇ、実家に帰ってもっとも強く感じる、千葉の私の住みかとの違いはと言いますと、そりゃも~なんといっても TVですよね。
ぐわお~、ふつうにおっきめの液晶テレビがある。地デジ、衛星、ケーブルも見放題!
……とはいうものの。なんか目移りして TVを楽しむ気分にならねぇ。やっぱり時代の流れにはついていけませんな。だって、昔の田舎の5~6チャンネル時代が恋しくてなんねぇんだもの。
まぁ、TV はそんな感じであっぷあっぷしていたんですが、逆に山形の民放ラジオ局は、古色蒼然とした「AM・FM 各1局」のまんま! 少ない、少なすぎる!! AM は案の状、ニッポン放送と文化放送がメインを独占。 TBSラジオ『ジャンク』が1秒も聴けないとはなげかわしや!
こげな感じで、TV とラジオの両方に、それぞれ別の原因で飽きてしまった今回の山形帰省だったのですが、いちおう、出発前から最優先の懸案としていたある TV番組だけはチェックしてきましたので、今回はそれを観た感想みたいなことをくっちゃべっていきたいと思います。
NHK 大河ドラマ 『平清盛』「第35回 わが都、福原」「第36回 巨人の影」
いや~、やっと観られた! 去年の『江』は1回しか観なかったので、それにくらべれば一気に観た回数が倍増! やったね~。
う~ん。これまでなんだかんだ言ってきましたけれども、やっぱり今年の『平清盛』は、できれば毎週チェックするべき作品だったんだということを、ほんとに今更ながらなんですが実感いたしました。おもしろいねぇ。
まぁ、パソコンが家にあるのならば、これまでの回やこれからの放送をチェックする手段はあるのでしょうが……とにかく今は忙しくって時間がねぇということで。でも、気分としてはほんとに最初っからおさらいしてみたくなってますね。来年にまでずれこむ感じになるけど、観てみよっかな。
私が今回観たのは、言うまでもなく土曜日の第35回の再放送と日曜日の第36回の本放送だったのですが、なんともラッキーなことに、これらの2回は歴史の教科書に載るような超重大事件こそ発生してはいなかったものの、ドラマとしては「平氏の栄華」と「崩壊の予兆」、「源氏再興の萌芽」や「藤原摂関家やら後白河院やら比叡山延暦寺やらの権力闘争」といった大事な要素がふんだんに盛り込まれた、見どころたっぷりのならびになっていました。私は運がいいねぇ。
2回ぶんの中で語られたおもな歴史的出来事としましては、「平清盛の出家」「清盛による播磨国福原の都市開発」「清盛の甥にあたる高倉天皇の即位」「後白河院の出家」「比叡山僧兵による嘉応の内裏強訴事件」「後白河院の側近・藤原成親と清盛の嫡男・平重盛のビミョ~な義兄弟関係」「はりきるわりにカラまわりまくりの後白河院政」といったあたりがクローズアップされていますね。
と同時に、ドラマの視点としては「伊豆に追放された源頼朝とのちの妻・北条政子の出逢い」「京の鞍馬寺で着実に成長している源義経」というあたりにいよいよ焦点があてられるようにもなってきました。ドラマのクライマックスに向けてのラストランがついに始まったというワクワク感がありますねい。
観た結論としてはもう、最初に言った「おもしろかった」がすべてなのですが、やっぱりいろんな部分が脚本でていねいに描写されているのがいいですね。
平清盛が50代になったこの時期は、表向きは平氏政権の全盛期に向かう途上であり、清盛という巨人のリーダーシップによって日本全国の平和が保たれていた、かのように見えるあたりなのですが、その実状は「平氏政権」「後白河院政」「藤原摂関家」「比叡山延暦寺」「地方の在地武家たち」といった諸勢力がそれぞれの思惑をかかえてお互いの様子をうかがっているという、そうとうあやういバランスの上に立った時代だったわけで、ドラマ『平清盛』はそのあたりをかなり明解にとらえています。
それと同時に、「出世競争」や「母親の違う兄弟・親族」といった事情によって、同じ一門でありながらもいまひとつ一枚岩になっていない平氏一族を、清盛というカリスマがかろうじてまとめているというあたりもちゃんとおさえられています。
私が観た2回の中では、清盛の異母弟にあたる平頼盛(演・西島隆弘)と、清盛の嫡男でありながらも母親の出自が低いために清盛の後継者という立場に大きなプレッシャーを感じている平重盛(演・窪田正孝)の2人の重要なキーマンの鬱屈が非常にわかりやすく、そしておもしろく描かれていました。特に頼盛役の西島隆弘さんの「どうせオレなんて……」なうつむき顔はみごとなもんですね。
ってなわけで、ずいぶんと遅ればせながら非常に気にいってしまった『平清盛』なのですが、どうにもやっぱり、そこはそれ、我が『長岡京エイリアン』! 満足するばかりでなく、とるに足らないおっさんながらもちょっと言わせていただきたい不満点はいくつかあったのでございます。
といってもそんなにはないのですが、2回だけ観た人間のつぶやいていることなので、ドラマ全体に対する知識のたらなさは御容赦いただきたいと先に言っておきつつ、だいたい以下のようなポイントがちょっと気になりました。
1、オープニング曲があんまりピンとこない
2、比叡山トップの明雲僧正と後白河院のキャラクターが異常に貧相
3、源頼朝と平重盛の「ひ弱さ」がやや過剰?
4、平重盛の正妻の経子(演・高橋愛)のセリフが2つだけ……
こういったあたりが多少、気になってしまいましたねェ~。やっぱり、歴史的出来事をドラマにするにあたっては、必然的にいろんな誇張や省略がほどこされるのは当然なのではありますが。
まず、1、にかんしては聴いてのとおりです。
ダミなんですよ……1回聴いただけでちゃんとおぼえられるメロディラインがどっかになきゃあ、大河ドラマのテーマ曲にあらず! ちょっと起伏が大きいし、盛り上がりどころもずいぶんとおだやかなんですよねぇ。いろんな味わいを込めたいのはわかるんですが、全体につくりが散漫すぎ。おれはいったい何様なんだ!?
あと、この『平清盛』のテーマ曲には、わたくしとしましてはどうにもこうにも容認しがたいポイントがひとつあります。こればっかりは、耳に入った瞬間にムカムカッと許しがたい憤りにかられてしまってしかたがねぇ!
それはすなはち、終盤にどこのもんとも知れないガキンチョの独唱が入ること!! この音楽手法、私、ホンッッッットに死ぬほど大嫌いなんです。
話はちょっと大河ドラマからそれてしまうのですが、私は「プロの作品に子どもの歌声をのせて純真無垢さみたいなところを強調するやり方」を心の底から憎んでいます。よくやるでしょ? プロの歌手がサビのところでガキのコーラスをさしこんでくるやつね。
プロだったら、そんな姑息な手なんぞ使わずにオノレのノドで純真無垢さを提出せんか、この大バカタリンコがぁ~!! 私、そう思うんです。
だいっ嫌いなんだな、私。そういうふうに、子どもを都合のいい道具のようにしか見ていない大人のくっだらねぇ打算が。
プロの歌手や楽曲と、子どもの歌声は絶対に同居してはいけない存在だと思うんです。子どもに歌を唄わせるのならば、大人はなるべく引っ込んで伴奏だけに徹するべきなんです。
そういう点から、私は『平清盛』のテーマ曲の終盤に子どものヴォーカルを入れた今回の判断につつしんで「0点」をさしあげたいです。
『信長 KING OF ZIPANGU 』(1992年)とか『新選組!』(2004年)を聴いてわからんのか……伝統の NHK大河ドラマテーマ曲に人間の声を入れるということは、それほどまでに大変なことなんですよ。それを、ようもチャチな手でやってくれたわ。
ところで、ここでの子どものヴォーカルは、実は当初はあの「初音ミク」さんが担当する予定だったのだそうですね。
それで良かったじゃないの! どうせやるんだったらそこまでいかなきゃ。『梁塵秘抄』と初音ミク! 800年の時空を超えた最高の出逢いじゃないの~。実現がかなわず非常に残念です。
続きまして2、なのですが、これは4、と表裏一体の問題になっているような気がします。
とにかくまぁ~、後白河院と、比叡山延暦寺のトップたる天台座主(てんだいざす)の明雲(みょううん)僧正という2人の重要人物を演じている役者さんの存在感が絶望的にショボいんです。でも、これは2人の演技力のせいだけじゃなくて、それぞれのキャラクターを形作っている演出家にも責任があるような。
もしかしたらその2人が「悪目立ちしている」のかもしれません。なぜならば、どうしても史実上の年齢よりも若く見えてしまうという点はあるものの、主人公の平清盛役の松山ケンイチさんと、権力の巻き返しをはかる藤原摂関家サイドの藤原基房(もとふさ 演・細川茂樹)・兼実(かねざね 演・相島一之)兄弟といった陣営の役者さん方が、のきなみ一筋縄ではいかない非常にいい味を出しているからです。
いや~、ちょっと太ったけど、細川茂樹さんはいいねぇ! だってこのお方、ちょっと前にガチガチの平家武将の「平重衡(しげひら 清盛の五男)」役をやったばっかなのよ(2005年の大河ドラマ『義経』)!? それなのに、この反平家公卿への豹変ぶりときたら……ステキ。あと、相島さんがすばらしいのは相変わらずですよね。
こういったいい感じの「平氏政権」と「藤原摂関家」にたいして、それらに拮抗する強大勢力であるはずの「王家院政」「比叡山延暦寺」それぞれを代表するべき役者さんの演技がなんつうか……つまんねぇんだなぁ。
どっちもなんか、それらしい顔つきでほくそ笑んでるだけで、それで何を考えついたのかと思ったら、たいしていい手をうてていないんですね。それで他の勢力に対抗されて「キ~ッ!」ってなってるの。それでしばらくしたら、またなんかバカなことを思いついて「ニヤリ……」ってポーズだけとってんの。
なんかさぁ、「清盛のライヴァルたち!」って作品が持ち上げてるだけの「悪役っぽさ」がじぇんじぇん出てきてないんですよ。迫力もなければ魅力もない、それなのにやたら目を三白眼にして、上目遣いにニヤニヤしてるだけなの。バカだこやつら。
いやいや、別にそれでもいいんです。歴史的に後白河院や明雲僧正が、平氏政権の台頭に対して有効な手立てを打つことができなかったことは事実だったと言ってしまってもよろしいでしょう。
でもさぁ、今回とりあげられた嘉応の内裏強訴事件(1169年12月)の時点で、後白河院は43歳、明雲僧正は55歳ですよ。
いちおう、ある権力組織のトップにいるおじさんだったらさぁ、あんなアホみたいなうすっぺらいニヤニヤ笑いはしてられないと思うんですけど。平氏政権に追い抜かれていくあせりとか諦観のようなものをもうちょっと出せる役者さんがやったほうが、ドラマももっとおもしろくなるんじゃいないかしら。
それがまぁ、そろいもそろってアニメ『一休さん』の将軍さま(足利義満のことだが、本物はもちろん天才)レベルのバカっぷり。
後白河院役の松田翔太さんはまぁ、若いんでね。見てくれがいいから別に演技力がなくてもいいんですけど、問題は明雲僧正役のおっさんですよ。
この人は、ひどいね。伝統ある比叡山延暦寺の天台座主という役を、まるで『インディ・ジョーンズ』のどっかに出てくる邪教の親玉みたいな品性の低さでしかやれてないの。しかも、顔はゴツいくせに声に迫力がないない! ヒョロヒョロした棒読み。なんだ、こやつは。
この人たしか、演劇の世界の片隅ではちやほやされてる人ですよね。なんか、いろんなことにがっかり……
こんなこと言ったって仕方がないんですけど、昔の大河ドラマのキャスティングだったら、ここの役をおさえるのは相当しっかりした大俳優であるはずなんです。そうじゃなきゃ主人公の平清盛は引き立たないはずなんです。
ましてや、史実の明雲僧正は殺生を禁じる僧侶の身でありながらも、おん年70であの朝日将軍・木曽義仲との合戦に打って出て討死してしまうようなとんでもない偉人なんです。おもしろそうな人物じゃないですか!
その役を、こんなとるにたらない大根がやってるとは……つくづく、『さや侍』のさむいチョイ役がベストキャスティングだったことを再確認させてくれる方ですね。天下の NHKも一時的に目がくさったんでしょうか。
このあたりの「圧倒的な役者の力量不足」とまったく逆の現象を呈しているのが、4、の問題です。こっちはカンペキな「役不足」ですね、正しい意味での。
高橋さんのセリフが2つだけ……
もう、怒る気にもなれないひどさなのですが、「殿下乗り合い事件」や「鹿ケ谷謀議事件」といったイベントの連続に加えて、愛する夫の急死という最大級の悲劇も、これからのドラマで語られていくことになるはずです。
そういうもろもろへの伏線のためにも、経子さんはもうちょっと存在感をあげていいんじゃないかと思うんですが……もう、いいや。いまさらなんの期待も持てやしねぇや、コンチクショウメーイ!!
残りの3、については、これはたぶん今回の『平清盛』独自の作風にもつながることだと思うのであんまり野暮なちゃちゃを入れるつもりはないのですが、あまりにも大きすぎる「平清盛」という巨人の影響を受けてしまった平重盛や源頼朝のキャラクターが、相対的に歴史上のイメージよりも弱めに描かれているのはちと「おとしめすぎ……?」のような気がしました。
演じている役者さんもそれぞれ若いから、よけいに線の細さが際立っちゃうんですけど、同時に人間的な魅力もコンパクトにしすぎにしてしまった感があって、脚本的にももっと2人をがんばらせてほしいなぁ、と思っちゃいました。わこうどよ、立ち上がれい!!
こんな感じで、いろんなことを考えさせてくれた『平清盛』、どうもありがとう! そして、観るのが遅すぎた…… TVのない千葉の家に帰ってきてしまい、これからの回をチェックできるかどうかは神のみぞ知る。
さてさて次回は、山形に帰省したついでに予告どおり、映画館に行って観てきた「あの映画」の感想をつづっていくつもりでござる。
思った以上に『龍馬伝』の続編みたいな味わいに仕上がっていてびっくり! おろ~!?
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