長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

地味でもいいじゃないか……  メモだけ公開!! 恐怖のそうだい大河ドラマ 『洛炎戦国記』 第2クール

2013年03月19日 23時09分56秒 | 日本史みたいな
仮タイトル 『洛炎戦国記(らくえんせんごくき)』

・原作 …… 今谷 明 『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』(1985年 洋泉社)


第14回『賢治狂乱』
おもなトピック …… 三好元長の阿波帰国、柳本賢治の暴走 ※享禄元(1528)年八月~享禄二(1529)年十一月
おもな登場人物
 柳本 賢治(27歳)     …… 三好元長を堺幕府から失脚させて政権の中枢を牛耳り、大和国や河内国に積極的に派兵して権力の拡大をはかる
 三好 政長(21歳)     …… 堺幕府を去った元長の代理として畿内地方の三好軍を取りまとめるが、しだいに当主・元長をさしおいて堺幕府の実権を握る野望をいだくようになる
 足利 義晴(18歳)     …… 近江国朽木谷の興聖寺(こうしょうじ)に潜伏しつつもかろうじて幕府の権威を維持し続け、堺幕府の兄・足利義維の新将軍就任をかたくなにはばむ
 畠山 稙長(たねなが 25歳)…… 河内国守護だったが、細川道永派だったために柳本賢治の猛攻を受け居城・高屋城を放棄し亡命する

第15回『道永の逆襲』
おもなトピック …… 柳本賢治の出家、細川道永の挙兵 ※享禄三(1530)年五~十一月
おもな登場人物
 細川 道永(47歳)     …… 近江・伊賀・伊勢・越前・若狭・出雲・備中国などを流浪した末に備前国守護代・浦上村宗(うらがみ むらむね)の軍勢を挙兵させることに成功し、大軍を率いて播磨国を席巻、京への足がかりとなる摂津国大物城(だいもつじょう 現在の兵庫県尼崎市)を占拠して進駐する
 柳本 賢治(29歳)     …… 進撃する道永軍への対処で主君・細川六郎と決裂し、道永軍との決戦のために入城していた播磨国三木城(現在の兵庫県三木市)で何者かの手によって暗殺される
 細川 六郎(17歳)     …… 道永軍の破竹の勢いにたいして、堺幕府にとって必要不可欠だった武将・柳本賢治を失ったことにより政権発足後最大の危機におちいり、かつて自らが追放した阿波国の三好元長に頼らざるをえない状況に苦慮する
 別所 就治(なりはる 29歳)…… 播磨国守護代。堺幕府側について道永・浦上軍の東上を食い止めようとするが、居城・三木城での柳本賢治暗殺に動揺し三木城を放棄する

第16回(第一部最終話)『血戦、大物崩れ(だいもつくずれ)』
おもなトピック …… 細川道永最後の上洛と死、細川六郎政権の復活 ※享禄四(1531)年二~六月
おもな登場人物
 細川 道永(48歳)     …… 堺幕府の撤退により3年ぶりの京奪回を果たすが、三好元長の戦線復帰により膠着状態となり、同盟相手の浦上村宗に父を暗殺された恨みを持っていた播磨国守護・赤松政祐(まさすけ のちの赤松晴政)の裏切りによって発生した「大物崩れ」の末に自軍は壊滅。自身も潜伏していたところを三好軍に捕らえられ、ついに摂津国尼崎の広徳寺で自害させられる
 細川 六郎(18歳)     …… 自ら追放した三好元長の復帰を許すことによって道永を滅ぼすことに成功し、実に20年以上続いていた管領細川家の内部抗争を終結させることはできたものの、復活した元長の影響力を苦々しく感じる
 三好 元長(31歳)     …… 細川六郎の赦免によって道永を滅ぼし堺幕府の中枢に復帰するが、主君・六郎との埋めがたい対立の溝に手をこまねく
 細川 持隆(もちたか 35歳)…… 阿波国守護で細川六郎の従兄にあたる。六郎を幼いころから養育していた実力者で、三好元長の復帰に加勢して和泉国堺に上陸するが、二人の決定的な対立に六郎政権の不安定さを見透かして心を痛める

第17回(第二部初回)『当主の面子(めんつ)』
おもなトピック …… 細川尹賢(ただかた)の討死、細川持隆の阿波国帰国 ※享禄四(1531)年七月~享禄五・天文元(1532)年三月
おもな登場人物
 細川 六郎        …… 三好元長を孤立させるために、元長が支援していた堺幕府の足利義維を見限って近江国朽木谷の将軍・足利義晴と和解するという一大奇策に打って出る ※その結果、将軍・足利義晴との歴史的和解と義晴の3年ぶりの京帰還が実現したため、六郎ははれて公に「晴元」という本名を使用するようになった
 三好 元長(出家して海雲)…… 六郎政権の足利義晴乗りかえ策に断固反対し、六郎に近い重臣・木沢長政(山城国守護代)や大叔父の三好政長らと対立するが、死没した柳本賢治の残党を六郎に無許可で討滅したことを非難されて出家、形式上隠居する
 細川 持隆        …… 細川六郎と三好元長の和解をはかって努力するが、まったく事態を打開できないまま万策尽きて領国の阿波国に撤退する
 柳本 甚次郎(9歳)   …… かつて三好元長の政敵だった柳本賢治の遺児。柳本派の残党に擁立されて京の三条城に立てこもるが、細川六郎の意思を無視した三好元長の強引な総攻撃に耐え切れず壊滅させられる

第18回『大反乱』
おもなトピック …… 本願寺門徒の大蜂起事件(天文の錯乱)、山城国・山科本願寺の焼き討ち事件(山科本願寺合戦) ※享禄五・天文元(1532)年五~八月
おもな登場人物
 三好 海雲(32歳) …… 対立する木沢長政の居城・河内国飯盛山城(現在の大阪府大東市)を包囲して落城寸前にまで追い詰めるが、突如として発生した細川晴元の意を汲む本願寺門徒の大一揆に攻め立てられ和泉国堺の法華宗顕本寺(けんぽんじ 堺幕府の御所だった)にまで撤退し、足利義維と我が子の千熊丸(11歳)を大坂湾に逃がした上で自害する
 細川 晴元     …… 重臣である木沢長政に公然と攻撃を開始した三好海雲をいよいよ危険視し、巨大宗教だった本願寺派浄土真宗(一向宗)の宗主・証如と結託して海雲を滅ぼすための大規模な一向一揆の蜂起を引き起こすが、今度はまったく歯止めのきかなくなった大反乱の収束に苦慮する
 本願寺 証如(17歳)…… 本願寺派浄土真宗第10世宗主。細川晴元政権への接近を目的として三好海雲討滅のための一向一揆を自ら指揮するが、10万人規模にまで膨れあがった大蜂起を制御できなくなり、その結果、晴元政権のかき集めた鎮圧軍によって総本山の山科本願寺を焼き討ちされたために、総本山を摂津国の石山御坊(現在の大阪城区域)にうつす
 足利 義維(24歳) …… 5年前の上陸以来、堺幕府の「次期将軍」として幕政の中枢にいたが、細川晴元の裏切りにあい、ついに将軍に就任できないまま本願寺門徒の大蜂起に巻き込まれ、信頼していた三好元長の自害と堺幕府の崩壊を見届けながら阿波国に亡命する

第19回『久秀と規秀(のりひで)』
おもなトピック …… 美濃国守護・土岐頼芸(よりあき)による重臣・長井長弘(ながひろ)の誅殺、晴元政権と石山本願寺の和睦 ※天文二(1533)年正~六月
おもな登場人物
 西村 正利(改名して長井規秀 40歳)        …… 長井長弘の家臣だったが、陰謀によって主君・土岐頼芸に長弘を誅殺させて長井家を乗っ取り「長井規秀」と改名する
 松永 久秀(24歳)                 …… 鋭利な政治感覚と豊富な経済知識を利用して武家に仕官しようとするが、いっこうに京を安定統治できない晴元政権を見限って阿波国にわたり、その才を買われてまだ幼い三好家の当主・千熊丸の養育係に抜擢される
 三好 千熊丸(元服して利長 のちの範長~長慶 12歳)…… 幼いながらも抜群の政治眼と冷静な判断力を持ち合わせており、私怨よりも三好家の復活を優先させる久秀の進言を聞き入れて、父を殺した細川晴元と石山本願寺の和睦を仲介、その直後に元服して「利長」と名乗る
 細川 晴元(20歳)                 …… 山科本願寺の焼き討ちによって本願寺派も敵にまわすことになり、一時は淡路国に亡命するほどの窮地に立たされるが、本願寺との和睦の仲介を買ってでた三好千熊丸によって政権の延命に成功する

第20回『麒麟児』
おもなトピック …… 三好利長の摂津国御園(現在の兵庫県尼崎市)一向一揆鎮圧、利長の細川晴元政権への本格的な参入 ※天文二(1533)年八月~天文三(1534)年十月
おもな登場人物
 三好 利長    …… 執事となった松永久秀の助言をもとに三好軍を摂津国に進駐させ、晴元政権でも本願寺派でもない第三勢力として影響力を拡大させ、他の勢力の動静をさぐる
 細川 晴元    …… 和睦はしたものの、畿内各地で石山本願寺からの指示を無視した一向一揆がおさまらない非常事態が続き、鎮圧する軍事力を三好利長に頼らざるを得ない状況におちいる
 足利 義晴(23歳)…… 表面上は細川晴元と和解したために京に帰還するが、一向一揆のために幕政を再開できない状態が続き、晴元政権への不信感をつのらせた末に近江国観音寺城(かんのんじじょう)下の桑実寺(くわのみでら 現在の滋賀県近江八幡市)に幕府を移し、近江国守護の六角定頼(ろっかく さだより)を頼るようになる
 木沢 長政(41歳)…… 三好利長の勢力を危険視し、晴元政権の中での自らの地位を高めるために、本願寺派や利長との一時的な和解を成立させる外交交渉を一手に引き受ける

第21回『みほとけの心』
おもなトピック …… 茨木長隆(ながたか)の法華宗一揆鎮圧、三好利長の中島一向一揆鎮圧 ※天文五(1536)年正~七月
おもな登場人物
 三好 利長    …… 摂津国中島(現在の大阪市東淀川区)を拠点とした一向一揆と細川道永の残党を攻撃するが手痛い敗戦を味わい、政敵である木沢長政や三好政長(血縁の遠い一族)の力を借りてあらためて再戦をいどみ討滅に成功する
 木沢 長政    …… 畿内地方の一向一揆の鎮圧を三好利長にまかせつつ、河内国守護で晴元政権に敵対していた畠山稙長(33歳)を追放して勢力を拡大させる
 茨木 長隆(32歳)…… 摂津国の地方武士だったが晴元政権のもとで京奉行人として活躍し、近江国の六角定頼や比叡山延暦寺の軍事力を利用して京で一向一揆をふせぐために拡大しすぎた法華宗の勢力を一掃し(天文法華の乱)、自身の発言力を増大させる
 六角 定頼(42歳)…… 近江国守護。将軍・足利義晴を自らの居城・観音寺城の城下に招いて幕府の存続に貢献し、京の法華宗一揆鎮圧に軍隊を派兵するなど、晴元政権の運営に積極的に介入していくようになる

第22回『定頼、台頭』
おもなトピック …… 本願寺派の再建、将軍・足利義晴の次男(幼名不明、のちの足利義昭)誕生 ※天文五(1536)年八~天文六(1537)年十一月
おもな登場人物
 細川 晴元(23歳) …… 三好利長と木沢長政の活躍によって畿内地方の治安を回復し、将軍・足利義晴を京に呼び戻して念願の室町幕府第20代管領の座を手中におさめる ※室町幕府の第19代管領には、細川道永の政治的不在をついて1526年に山城国守護・畠山義尭(よしたか ?~1532年 河内国守護・畠山稙長の一族とは応仁大乱以来の敵対関係にあった)が就任していたが、歴史的にはあまり意味のない一時的な在任だったため、この物語ではそれほど大きくは取りあげない
 六角 定頼     …… 正式に管領となった晴元に自分の養女を正室(正妻)として嫁がせ、政権内での発言力を増大させていく
 三好 利長(15歳) …… 晴元政権の安定のために諸国を転戦するが、幼少であることを理由に政権の要職からは遠ざけられ、六角定頼の影響力の拡大を静観する
 本願寺 証如(21歳)…… 一向一揆を容認しない方針に転換することで晴元政権との協調をはかり、新たな石山本願寺としての教団再生の道を模索していく

第23回『戦乱の予感』
おもなトピック …… 足利義維の嫡男(幼名不明、のちの足利義栄)誕生、三好政長の謹慎 ※天文七(1538)年正月~天文八(1539)年四月
おもな登場人物
 三好 利長             …… 晴元政権内で冷遇されていたことに加え、かつて父・元長の所領だった河内国の要衝・茨田(まんだ)の地を親族の三好政長が占有し続けていることに不満を爆発させ、ついに政長と晴元に対して挙兵する
 三好 政長(31歳)         …… 分家筋の身でありながら河内国の三好本家の土地を領有していることを利長に非難され、いったんは丹波国の領地に謹慎して様子をうかがう
 足利 義維(30歳)         …… 阿波国の平島(現在の徳島県阿南市)に潜伏しながらも、三好利長の擁立によって畿内地方に復帰し、悲願の将軍就任を果たす野望を捨てきれずにいる
 長井 規秀(45歳 改名して斎藤利政)…… 美濃国守護代・斎藤利良(としなが)の死に際し、美濃国守護・土岐頼芸に接近して斎藤家の名跡を継承し、美濃国守護代・斎藤利政となる

第24回『利長起(た)つ』
おもなトピック …… 三好利長の軍事上洛、利長の摂津国守護代就任 ※天文八(1539)年六~七月
おもな登場人物
 三好 利長(18歳)…… 晴元政権への不満を爆発させるという形で兵三千を率いて京を一時占拠するが、これに対して管領・細川晴元と将軍・足利義晴がまったく対抗できなかったという結果を得て満足し撤退、その威力を恐れた晴元によって摂津国守護代の地位を与えられる
 細川 晴元(26歳)…… 管領でありながらも三好利長の上洛になんら有効な手を打つことができず、山城国高雄(現在の京都市右京区)に非難した末に利長に摂津国守護代の地位を与えて事態を収束させる
 三好 政長    …… 利長の直接の敵対者として小規模な戦闘を京で繰り広げるが、すぐに利長に恭順して被害を最小限にとどめる
 足利 義晴(29歳)…… いちはやく逃走した管領・晴元にかわって幕府としての三好利長との交渉を一手に引き受け、六角定頼などの近隣諸国の大名の軍事力を背景に利長に京撤退を要求、その過程で、利長の早熟な政治的才能にはじめて接し戦慄する

第25回『長政の野望』
おもなトピック …… 三好利長の婚姻、管領・細川晴元の摂津国芥川山城(現在の大阪府高槻市)入城 ※天文九(1540)年十一月~天文十(1541)年十二月
おもな登場人物
 木沢 長政(47歳)         …… 大和・河内・山城国の広大な領土を背景に挙兵し、管領・細川晴元にかわる新たな政権の樹立をもくろむが、将軍・足利義晴の支持を得られなかったために晴元・三好利長陣営との勢力均衡のにらみあいが続く
 三好 利長(改名して範長 のりなが)…… 木沢長政の挙兵に晴元政権第一の軍事力として立ち向かい、晴元を自軍の摂津国芥川山城に入場させて決戦に備える
 細川 晴元             …… 晴元政権の転覆をはかる木沢長政の挙兵に恐怖するが、三好利長の進言により徹底抗戦の態度を表明する
 畠山 稙長(37歳)         …… かつて家臣だった木沢長政に河内国守護の座を追われ紀伊国に潜伏していたが、長政と晴元政権との抗争が勃発した間隙を突いて挙兵し、長政を見限った河内国守護代の遊佐長教(ゆさ ながのり)と内通して高屋城を奪回を目指す

第26回『国盗り』
おもなトピック …… 斎藤利政の美濃国制圧、足利義昭(幼名不明 6歳)の大和国・奈良興福寺一乗院門跡入室 ※天文十一(1542)年正~十一月
おもな登場人物
 斎藤 利政(49歳)     …… 美濃国守護・土岐頼芸との対立を表面化させ、頼芸の居城・大桑城(おおがじょう 現在の岐阜県山県市)を攻めて頼芸一族を隣国・尾張国に追放し、ついに美濃一国の君主となる
 三好 範長(21歳)     …… 一族の三好政長や河内国守護代の遊佐長教とともに兵八千を率いて木沢長政の兵七千と河内国太平寺(現在の大阪府柏原市)で激突し、長政を討ち取る大勝利をおさめる(太平寺合戦)
 木沢 長政(49歳)     …… 遊佐長教の策謀によって畠山稙長が復帰した河内国高屋城を失ったのちに、太平寺合戦で三好範長らに敗れ討死する
 遊佐 長教(ながのり 52歳)…… 河内国守護代。かつて木沢長政と手を組んで主君の畠山稙長を追放したこともある策士だが、暴走する長政を滅ぼすために稙長を復帰させ、三好範長との友好関係を築く



 う~ん、2クール終わったのに、数えるほどしか有名な人が出てこない! あ~んど、異常に血なまぐさい!!
 でもさぁ~、哀しいけどこれ、戦国なのよねぇ。こういう時代だったなのよさ……アッチョンブリケ☆

 でも、ここまで妄想しておいてこう言うのもなんなのですが……


今でもちゃ~んと存続しておられる実在の宗教団体さんにとって、「あんまり語られたくない過去」をドラマ化されるのって、なかなか快諾してもらえる話じゃないですよね……


 いくら「そこは『ほとけの顔』でひとつお願いいたします。」っつったって、これはなかなか高いハードルだぞ~。
 織田信長のあたりを描くこれまでの大河ドラマでだって、石山本願寺の恐ろしさが真正面から描写されることなんて実はほとんどなかったですもんね。今回の証如さんの息子さんにあたる本願寺顕如を演じた役者さんなんて、いたっけ? どの作品でも、そこらへんの宗教問題はボ~ンヤリとした感じになっちゃうんですよね。比叡山焼き討ちだっていちおう映像化はされるけど、その経緯が信長のパーソナリティ以外の視点でしっかり語られることはあんまりなかったんじゃないですか。

 でも、ここらへんの流血の宗教戦争を語らずして、戦国時代の京を語るわけにはいかんのであります。それを踏まえての織田政権であり豊臣政権であり、パクス・トクガワーナ250年なのでありますから。大事なんだ、ほんと。

 う~ん、やっぱりこの作品、映像化はかなりの至難の業だネ!!

 それでもめげずに、まったじっかい~。
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なんかさみしいなぁ~オイ!

2013年03月16日 23時24分03秒 | ミステリーまわり
 どうもこんばんは~、そうだいでございまする~。みなさま、今日も一日お疲れさまでした!

 今回はちょっと、大変失礼ながら特にファンだったということでもないのですが、やっぱり気になったこの悲報を。


ミステリー作家の今邑彩さん死去、57歳
 (スポーツ日本 Sponichi Annex 2013年3月16日付記事などより)


 ミステリー作家の今邑彩(いまむら あや 本名・今井恵子)さんが、東京都内の自宅で死去していたことが16日、分かった。57歳。長野県出身。葬儀は近親者で行った。
 今月6日に自宅で倒れたまま亡くなっているのが発見された。検視の結果、先月2月上旬に病死したとみられる。家族によると、約2年前から乳がんを患っていた。

 公立都留文科大学英文科卒。会社勤務を経て、1989年に『卍(まんじ)の殺人』で「鮎川哲也と十三の謎・十三番目の椅子」(後の鮎川哲也賞)最優秀作品に選ばれ、小説家デビュー。主な長編作品に『i 鏡に消えた殺人者』(1990年)、『裏窓殺人事件』(1991年)、『そして誰もいなくなる』(1993年)、『七人の中にいる』(1994年)、『少女A の殺人』(1995年)、『ルームメイト』(1997年)、ホラー小説『蛇神』シリーズ(1999~2003年)、短編集に『時鐘館の殺人』(1993年)、『よもつひらさか』(1999年)などがある。短編集『鬼』(2008年)が2011年2月に文庫化(集英社文庫)された際に追加収録された短編2作(2009年発表)が遺作となった。



 なんか、最近気になるニュースといえば訃報ばっかなんだよなぁ! なんとも寂しいお話でございます。

 このニュースを知った瞬間に「えっ、若い方なんじゃなかったの!?」と思ったのですが、確かにそれは間違いではありませんでした。若いのに、亡くなっちゃったのよね……
 しかも、人の最期というものはご本人でもなかなか思い通りにはいかないとは知りつつも、このご最期はあまりにも哀しいですよねぇ。決して無名ではない、日本ミステリー界にその名を残す大作家さんなのですから。

 私が今邑さんの小説を初めて読んだのは確か、1冊でも多くのミステリー小説を読んでやろうと意味なくいきまいていた大学時代のことだったはずなのですが、もう15年も前のことになるんですよね……ぜんぜん記憶にない! さいわい、今邑さんの代表的な諸作はここ数年のあいだに中央公論新社から文庫版のかたちで再版されているようですので、ちょっとまた買い集めてみようかなぁ。

 小説から話がずれてしまうのですが、私にとって印象が強いのは今邑さんの小説よりもむしろ、今邑さんの小説を TVドラマ化した、テレビ朝日のおなじみ『土曜ワイド劇場』の1作『そして誰もいなくなる』(1994年10月29日放送、主演・渋谷琴乃、石黒賢)のほうです。これはよく憶えてるんだ。

 なぜよく憶えてるのかといいますと、この『そして誰もいなくなる』が、私が自力で VHSビデオデッキをガチャガチャいじくりまわして録画した最初のミステリー映像作品だったからなのです! なんと個人的な。
 それともうひとつ大きかったのは、「結末を知らずに観た最初のミステリー映像作品」でもあったということでして、実はそれ以前にも、私は NHK……っていうかイギリスのグラナダTV 版の『シャーロック・ホームズの冒険』シリーズ(日本では1985~95年に放送)やロンドン・ウィークエンドTV 版の『名探偵ポワロ』シリーズ(日本では1990年~現在まで放送)、TBS の『古谷金田一シリーズ』などはちょいちょい観ていたのですが、それらはだいたいすでに原作小説を読んだあとでの鑑賞だったために、結末にはそれほどの衝撃を受けずに楽しんでいたのです。
 ちなみに、ほんとのほんとに私が映像化されたミステリー作品に初めて接したのは、同じく NHKで放送されていたアメリカの海外ミステリードラマ『ジェシカおばさんの事件簿』(1988年ごろ?)でした。「主演・アンジェラ=ランズベリー(吹き替え・森光子)」ですって、なつかし~!! ずいぶんとまぁ、梅ぼしみたいにしわくちゃなラズベリーだな! 長生きしろよ!!(言うまでもなくご健在だそうです)

 ともかく、結末をまったく知らない状態で観る『そして誰もいなくなる』は、初体験のガキンチョにとっては本当にスリリングな刺激に満ちたもので、「意外な犯人」という点でも、この作品は十二分に当時のそうだい少年の度肝を抜くに足るクオリティを持っていました。それにずいぶんと哀しい味わいの残るラストでね……のちにわかったことなのですが、そういうしっかりしたミステリーとしての骨格と、単なる大団円に終わらない後味こそが今邑ワールドの真骨頂だったんですよね。
 そのころの私はまだ本家のアガサ=クリスティ『そして誰もいなくなった』は読んでいなかったのですが、「有名なミステリー作品を舞台化しようとする高校演劇部で発生する連続殺人事件」という内容もかなり斬新に見えてハラハラドキドキしてしまいました。まだピュアだったのね~。

 余談ですが、今回のための調べもので初めて、主演の女子高生を演じた女優さんが渋谷琴乃さんという方だったことを知りました……そうだったのか、かなり日本人離れした目鼻立ちの美少女だったから、翌年の映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』でブレイクした藤谷文子さん(言わずと知れた世界的名優スティーヴン=セガールのご令嬢)とごっちゃにしてましたわ。しっかり一目ぼれしてたのに人違いとは、これまたなんと失礼な。

 そういえば、『土曜ワイド劇場』定番の「終盤まで視聴者の注意をひきつける、異常に容疑者っぽい怪しげな登場人物」、この作品では当時『古畑任三郎』の第1シリーズが放送されたばかりでブレイク直前の西村雅彦さんだったよなぁ、たしか。怪しかったねぇ~。


 作家さんってやっぱり、プライベートで親しくしていた方でない限りは、やっぱり作品を読むことがいちばんの供養になるんじゃないんでしょうか。それに、今邑さんの場合は何度でも読み返すに足る素晴らしい作品ばかりでもあるわけだし。

 今邑彩さん。いろんな思い出を引っぱりだしてくれるとってもいいお名前です。忘れることのないように、さっそく書店で作品を探してみ~ようっと。
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巨星おつかれさまでした

2013年03月12日 23時45分54秒 | アニメらへん
さらば銭形警部 名声優・納谷悟朗さん、慢性呼吸不全で死去
 (スポーツ報知 2013年3月12日の記事などより)


 劇団テアトル・エコーの看板俳優として活躍し、アニメ『ルパン三世』の銭形幸一警部、洋画吹き替えではクラーク=ゲーブル、チャールトン=ヘストンといった名優の声を担当した納谷悟朗さんが5日、慢性呼吸不全のため千葉市内の自宅で死去した。83歳。告別式は近親者で行った。後日、お別れ会を行う。『ルパン三世』で共演した声優たちは納谷さんを失った悲しみや、故人の思い出を語った。

 よく響く独特のだみ声でクラーク=ゲーブルを始め、数々のハリウッドスターの吹き替え担当をしてきた納谷さん。劇団関係者によると、80歳を過ぎて体力が少しずつ低下し、内臓だけでなく呼吸器も影響を受けていた。そんな中でも仕事への気力を持ち続け、最後の仕事は昨年5月に吹き替えを行った映画『インセプション』(昨年2012年の6月にテレビ朝日『日曜洋画劇場』で放映)だった。
 1951年に俳優としてデビューし、1959年以降に洋画の吹き替えで人気を博した。しかし、「あくまで自分は俳優」というポリシーを貫き、「声優という肩書を許さない」とまで言っている。

 酒とたばこと野球を愛し、熱狂的な阪神ファンとしても知られた。1985年以降は胃潰瘍、胃がんなどの手術を経験。体力的に無理のない範囲で仕事を続けてきた。東京都から千葉県に転居後は、喪主を務めた妻で女優の火野カチ子(本名・納谷捷子)さんと穏やかな日々を過ごしていたそうだ。2人に子供はいなかった。

 納谷さんは洋画の吹き替え以外にも特撮ドラマ『仮面ライダー』のショッカー大首領、『ウルトラマンA(エース)』のウルトラマンA 、アニメ『宇宙戦艦ヤマト』の沖田十三艦長など当たり役が多いが、最も知られたキャラクターは『ルパン三世』の「とっつぁん」こと銭形幸一警部だろう。石川五ェ門役として共演した井上真樹夫(72歳)は今回の訃報に、「ショックで号泣した。本当に男気のある人でしたから。」と声を詰まらせた。また、「銭形と納谷さん自身が重なるところは全くない。普段は大変シャイで静かな方。納谷さんがあのキャラクターをすべて作り上げた。演技に没入する姿にはいつも圧倒された。」と振り返った。
 峰不二子役を演じた増山江威子(76歳)も、「(ルパン役の)山田康雄さんも納谷さんもいなくなって悲しくて仕方がない。一緒に連れて行ってとも言えず、置いてけぼりになったよう。」「私にとって児童劇団時からの憧れの王子様のような存在。以前は家が近所で打ち上げ後は納谷さんを送り届ける係が私でした。」と振り返った。
 次元大介役の小林清志(80歳)は、「昔はその日の台本をもらってすぐに本番ということも珍しくなく、より高い集中力が求められた。どの役にも納谷さんの味わいがあり、ふだんは優しい親分肌という印象だった。亡くなったことが信じられません。」と語った。洋画の吹き替えが一緒に取り組んだ最後の仕事になったという。
 ルパン三世役を故・山田康雄さんから引き継いだタレントの栗田貫一(55歳)は、「声優の経験もない自分。たくさんのプレッシャーがある中、『お前でいいんだ。』と温かく包み込み、様々な雑音から優しく守って下さいました。そのお陰で今があります。」とコメントした。
 劇中ではルパン一味として、銭形警部に追われ、逃げ回った面々も、アフレコを終えれば厚い信頼関係で結ばれていた。

納谷 悟朗(なや ごろう)
 1929年11月17日、北海道・函館市生まれ。20代から劇団で活動し、1959年、熊倉一雄さんに誘われて劇団テアトル・エコーへ。1960年代ごろからアメリカの TVシリーズ『コンバット』を筆頭に海外俳優の吹き替え、アニメ『風の谷のナウシカ』のユパ役など数多くの声を担当。弟は俳優の納谷六朗。



 いや~。
 いつか必ずやってくるものとは知りつつも……この別れはつらいものがありますね。

 確か、私がこの悲報に初めて接したのは10日の日曜日の携帯電話アプリニュースだったのですが、実はこのときちょうど外出中で、埼玉県富士見市の劇場・富士見市民文化会館キラリ☆ふじみにて、そこの芸術監督でもある多田淳之介さんの演出によるシェイクスピアの『ハムレット』公演を観に行く予定だったのです。

 ところが……関東地方に現在お住まいで記憶力に自信のある方ならば、「2013年3月10日の埼玉県」と聞いてだいたい察しがつくのではないのでしょうか。
 ソ~ナンス! 意気揚々と地下鉄有楽町線に乗って埼玉に向かったらばさぁ、地上に出た時点で窓の外には異様な光景が大展開。

 まっきっき、真っ黄っ黄。空いちめんがもうもうたる砂嵐で『北斗の拳』みたいな世紀末テイストになっちゃってんの。
 確かお昼に千葉を出たころには、確かに風は強めではあったもののよく晴れた好天だったはずなのですが、私が地下鉄に乗っていたうちに、地上ではものすごい突風とともに街中に砂嵐が舞い上がる世にも稀なる「煙霧」現象が大発生してしまっていたのです!! ひえ~。

 そんなわけで結局、和光市駅からキラリ☆ふじみの最寄り駅である鶴瀬駅へと乗っていけたはずだった東武東上線の電車は完全に不通となり、結果的に夕方の4時ころには再開したらしいのですが、午後2時からの開演だった『ハムレット』に間に合う手段は完全に絶たれてしまい、しかたなく和光市駅からすごすごとまた有楽町線に乗って帰っていったのでありました。悔しい、悔しい! あまりにも悔しすぎたから、飯田橋駅の連絡通路にあるユニクロで季節はずれのヒートテックロングシャツを4着買っちゃったよ、コノヤロー♪

 ともかく、私にとっての3月10日はそんなさんざんな一日だったのですが、芝居観劇に遅刻するもなにも、そもそも劇場に着く以前の段階で天から門前払いを食らうという生まれてはじめての体験に、私の心の中では言い知れぬ「不吉な予感」がよぎったのでした。


むむ、今回「キラリ☆ふじみに行けなかった」ということは異常事態中の異常事態。しかも、「ふじみに至ることがかなわなかった」といふことはすなはち、誰かしら私や社会にとつて最重要な大人物の「寿命が尽きた」といふことを意味するのではなからうかしら!?


 そして、心なしか震えの止まらない私の指が操作した携帯電話のアプリの画面には、はたして「納谷悟朗氏卒す」の文字がおどっていたのでありました……またしても、私の狂気すれすれの予感が的中してしまった。ってか、ただ単に芝居を観に行けなかった運の悪さをなんとか意味のあるものにしたいだけなのでは!? ほんとに観られなくて残念だったんですよ……


 それにしても、なんでこうも毎月毎月、どなたかの訃報に接しなければならんのかしらね。哀しいもへったくれもないっすよ。

 私にとっての納谷さんは、こう言うとなんなんですがリアルタイムな感覚でもすでに「大御所」という風格のおつきになられていたお方で、だいたいのお仕事は TVの再放送で拝見するものがほとんど、新作は毎年1回の TVスペシャル版『ルパン三世』だけ、という「伝説上の存在」となられていた印象でした。
 なので、私が「心の祖父」とお慕い申し上げた青野武老師にくらべるとだいぶ客観的な感覚になってしまうのですが、それでも空いてしまった穴は巨大すぎますよね。

 あまりにもベッタベタな意見になってしまい恐縮なのですが、やっぱり私にとっての俳優・納谷悟朗さんのベストワークはなんといっても、


劇場版『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年12月公開 監督&脚本・宮崎 駿)


 っていうことになっちゃのよねェ~!! どうしても。

 さらに勝手なことを申せば、個人的には『ルパン三世』シリーズと俳優・山田康雄さんの美学の最高傑作は断然、その前年の劇場版『ルパン三世 ルパン VS 複製人間』(1978年12月公開 監督・吉川 惣司、脚本・大和屋 竺)だと考えているのですが、山田さんの一風変わった「中年ルパン」像のかっこよさもさることながら、TVシリーズとはまるで別人となったかのように有能なルパンハンターぶりを発揮する、『カリオストロの城』でのちょっと日焼けした銭形幸一警部のダンディズムといったらないですよ。ほんとに男として惚れちゃう! そりゃあね、こういう上司といっしょに仕事ができるんだったらアンタ、埼玉県警の所属だろうがなんだろうがおかまいなしでヨーロッパの要塞に突入しちゃいますよ。『カリオストロの城』の警察モブがただのモブでなくなってるのは、これはもう TVシリーズではなかなか披露されなかった納谷悟郎さんの人徳がしみわたっているからに違いないのです。

 子どものころ、ベータビデオが擦り切れるくらいに親父が録画してくれた『カリオストロの城』をボケラッチョとながめていた私は、物語の中盤に知らされた銭形警部一行到着の報に、次元大介が明らかに動揺した(……それでいて、どこか嬉しそうなのが実に楽しい!)声で「なにっ!?」と反応していることに、少なからぬ違和感を持っていました。

「なしてそんなにビックリしてるんだべ……いづもの TVシリーズみでぇに役に立だねぇダメ刑事なんだべがら、ほっといでもいいんでねぇが?」

 甘い……そうじゃないんです。『カリオストロの城』の銭形警部はスペックが違うんですよ。TVシリーズのほうがよっぽどゆがんだ偏見に満ちた銭形像なのであって、世界中でルパン一味を追い詰める「インターポールの銭形」の正体は、『カリオストロの城』に出てきたような「ロングコートをベルトでちゃんと締めた」日本男子でなければならなかったのです!!

 そういえば、『カリオストロの城』はところどころで、ダミ声でなく地声に近い澄んだ納谷さんの演技が聞けるんですよね。う~ん、さすがは名優・納谷悟朗。ちゃんと己の実力のみせどころを見極めておられていたということですか。感服以外に言葉がありません。


 ところで、やっぱり納谷悟郎さんといえば、伝説「日本語吹き替え版モンティ・パイソン」メンバーでもあったことを看過することはできないかと思われましたので、最後にそこらへんの資料をまとめておしまいにしたいと思います。イッツ!! か~ん。



『空飛ぶモンティ・パイソン』(1969年10月~74年12月放送 全4シーズン45回 イギリス BBC)
世界に冠たる栄光のパイソンズ
グレアム=チャップマン(1941~89年 放映時は28~33歳)
 狂気ボケ、医学ボケ、暴力ボケ、「ガンビー」担当。インスピレーション重視の天才肌だったらしい
ジョン=クリーズ(1939年~現在73歳 放映時は30~32歳、第4シーズンには出演せず)
 身長196cm の存在感ボケ、弁舌ボケ、「デニス・ムーア」「バカ歩き省のエリート官僚」担当。多くのコント脚本を執筆したパイソンズのブレーン
エリック=アイドル(1943年~現在69歳 放映時は26~31歳)
 常識人ツッコミ、言葉遊びボケ、「ちょんちょんの人」担当。作曲の才能もものすごい
マイケル=ペイリン(1943年~現在69歳 放映時は26~31歳)
 「イッツマン」「おかまの木こり」「ブラックメールショーの司会者」「スペイン宗教裁判官」担当。ツッコミもボケもできる貴重なミッドフィルダー
テリー=ジョーンズ(1942年~現在71歳 放映時は27~32歳)
 女装おばさんボケ、全裸ボケ、低音ツッコミ、小太り担当。常に冷めた視線が魅力的
テリー=ギリアム(1940年~現在72歳 放映時は28~34歳)
 本作独特のスケッチ・アニメーションを担当、たまにコントにも出演。古い写真を多用したコラージュ世界がまさしく狂気


日本での吹き替え放送
すべて東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放映されていた
『チャンネル泥棒!快感ギャグ番組!空飛ぶモンティ・パイソン』(1976年4~9月 全25回 毎週金曜22時~22時54分)
 オリジナル版の内容の合間に、日本独自の出演者(映画評論家の今野雄二、女優の前田美波里、俳優の二瓶正也、タレントの秋川リサ、歌手の天地総子)がグラスを傾けながらトークをする「モンティパイソン・パーティ」というスタジオ収録部分が組み込まれたり、タモリのテレビ初出演作として「4ヶ国語マージャン」などの芸を披露するミニコーナーも挿入された。他にチャンバラトリオも出演。
 オリジナルの『空飛ぶモンティ・パイソン』は30分番組であったため、実質上約半分の時間が日本オリジナル分である。
『日曜ビッグスペシャル第2部 地上最強のギャグ!モンティ・パイソン★爆笑決定版』(1976年9月12日 21時~21時50分)
 スペシャル放送枠。
『爆笑!チャンネル泥棒 モンティ・パイソン2』(1977年1~3月 全11回 毎週日曜22時~22時30分)
 放送時間枠が30分間になったために「モンティパイソン・パーティ」を含む日本独自の企画コーナーはすべてカット。BBCオリジナルの色々な放送回でのスケッチを放送。番組中には今野雄二の出演する、コントやパイソン・メンバーを解説するスタジオ収録部分が挿入されていた。
『特番!爆笑パニック モンティ・パイソン 痛快ギャグ・傑作コント大特集』(1977年3月21日 11時~11時54分)
 BBCオリジナルの色々な放送回でのコントを編集放送。番組中には今野雄二の出演する、コントやパイソン・メンバーを解説するスタジオ収録部分が挿入されていた。

日本が誇る珠玉のパイソンズ吹き替え陣(1976年4月~77年3月放送 全38回 テレビ東京)
山田 康雄  …… グレアム=チャップマン(1932~95年 放映時は43~44歳)
納谷 悟朗  …… ジョン=クリーズ(1929~2013年 放映時は46~47歳)
広川 太一郎 …… エリック=アイドル(1939年~2008年 放映時は37~38歳)
青野 武   …… マイケル=ペイリン(1936~2012年 放映時は39~40歳)
飯塚 昭三  …… テリー=ジョーンズ(1933年~現在79歳 放映時は42~43歳)
古川 登志夫 …… テリー=ギリアム(1946年~現在66歳 放映時は29~30歳)


そのほか、『空飛ぶモンティ・パイソン』は1996~2000年に NHK総合や NHK衛星第2でも放映されていたが、内容は第2~3シーズンの新訳字幕スーパー版となっていた。



 ……本家パイソンズにくらべても日本チームのほうが天界の住人率が高くなっているのは、もともと平均年齢が一世代くらい高かったからだったのね。若いな、本家パイソンズ!


 そんな感じで明るく送り出しましょう。納谷さ~ん!、ほんとうにおつかれさまでした~!!


 ……私の大大大好きな青野さんはもう亡くなられちゃったわけだけど、同じように子どものころのアニメ体験の中での「心の父」だったあの方とか、「心の兄」だったあの方がいなくなったりしたら、もうどうなっちゃうんだろうなぁ……
 「喪に服す」っていう行為って、ほんとにその必要があるから現代にその習慣が残ってるんですねぇ。おれもがんばって生きよう!!
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忙しいからいいじゃないか……  メモだけ公開!! 恐怖のそうだい大河ドラマ 『洛炎戦国記』 第1クール

2013年03月09日 23時51分00秒 | 日本史みたいな
仮タイトル 『洛炎戦国記(らくえんせんごくき)』

・コンセプト …… 戦国時代の歴史を、荒廃した中でもしたたかに生き抜いた京の都に視点を置いてつづる「ありそでなかった戦国ドラマ」

・キャッチコピー …… 「『天下』におどらされた男たち、百年の物語」

・本音 …… 「おまえらエセ時代小説家ども、いいかげんに三好家の偉大さも評価しやがれ!!」

・原作 …… 今谷 明 『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』(1985年 洋泉社)

・舞台となる時代 …… 永正四(1507)年六月 ~ 寛永八(1631)年十二月 (永正の錯乱から大坂夏の陣終結後の江戸時代初期まで)

・主人公 …… 大きく四部構成とし、主人公は四名

 第一部「都をめぐる人々」   主人公 …… 細川 高国  ウラ主人公 …… 細川 晴元

 第二部「戦国の世」      主人公 …… 三好 長慶  ウラ主人公 …… 松永 久秀

 第三部「ああ栄光の室町幕府」 主人公 …… 足利 義昭  ウラ主人公 …… 細川 藤孝(幽斎)

 第四部「太平の世」      主人公 …… 三好 政勝  ウラ主人公 …… 内藤(松永)如庵


第1回(第一部初回)『半将軍暗殺』
おもなトピック …… 永正の錯乱、細川澄之(すみゆき)室町幕府第15代管領を名乗る ※永正四(1507)年六~七月
おもな登場人物
 香西 元長(こうざい もとなが 30歳)…… 室町幕府管領・細川政元(まさもと)の元養子・細川澄之派の細川家重臣
 三好 之長(みよし ゆきなが 50歳) …… 管領・細川政元の現養子・細川澄元(すみもと)の執事。三好長慶の曽祖父に当たる
 細川 澄之(19歳)          …… 管領・細川政元の元養子。細川政元独裁体制の崩壊をもくろむ香西元長に利用される
 細川 政元(42歳)          …… 室町幕府第14代管領。異称「半将軍」。室町幕府の復権に燃えるが、度を越した魔法好きが高じて政権の崩壊を招く

第2回『天下人の資格』
おもなトピック …… 管領・細川澄之自害、細川澄元(すみもと)室町幕府第16代管領に就任 ※永正四(1507)年八月
おもな登場人物
 細川 澄元(19歳)     …… 管領・細川政元の現養子。義父を暗殺した香西元長・細川澄之一派への復讐に燃える
 三好 喜雲(きうん)    …… 細川澄元の執事・之長。出家して喜雲を名乗る
 細川 高国(たかくに 24歳)…… 管領・細川政元の第2養子。義兄・澄元よりも年上だが澄元の重臣として活躍する
 細川 澄之         …… 現管領。永正の錯乱に乗じて政権のトップに立つが、実質1ヶ月間の天下で澄元軍に撃破される

第3回『よみがえる征夷大将軍』
おもなトピック …… 前将軍・足利義尹(よしただ)の上洛、室町幕府征夷大将軍復位 ※永正四(1507)年十二月~永正五(1508)年七月
おもな登場人物
 足利 義尹(42歳)     …… 室町幕府の前将軍。将軍位を剥奪されて亡命していたが、西国大名・大内義興の威を借りて復権をもくろむ
 大内 義興(よしおき 31歳)…… 中国地方・北九州を手中におさめる大大名。国際貿易の莫大な利権を背景に天下人の野望に燃える
 細川 高国         …… 管領・細川澄元の重臣。幕府内での影響を強めるが、大内家との前面衝突を避けて一時撤退を進言する
 細川 澄元         …… 現管領。上洛する足利義尹・大内軍の脅威におびえる

第4回『運命の子』
おもなトピック …… 前将軍・足利義澄(よしずみ)の長男・亀王丸誕生、細川澄元阿波国に入国 ※永正六(1509)年六月
おもな登場人物
 足利 義澄(30歳) …… 室町幕府の前将軍。義尹に政権を追われ、誕生した長男・亀王丸(のちの足利義賢~義維)を義尹の養子に差し出して近江国に亡命する
 細川 高国     …… 細川澄元の大使として大内家と交渉するが、いちはやく足利義尹に寝返り澄元を排撃。義尹のもとで室町幕府第17代管領に就任する
 細川澄元・三好喜雲 …… 足利義尹と大内軍に決戦をいどむが敗北し、三好喜雲の領国である阿波国に入国して虎視眈々と捲土重来をはかる

第5回『都の夢』
おもなトピック …… 前将軍・足利義澄の次男・亀王丸(兄の亀王丸とは別人)誕生、足利義澄死去 ※永正八(1511)年三~八月
おもな登場人物
 足利 義澄(32歳)…… 誕生した次男に足利将軍家当主の希望を託しつつ、亡命先の近江国蒲生(がもう)の里で病死する
 足利 義尹(46歳)…… 現将軍。管領・細川高国と大内義興の軍勢に擁されて政権を維持するが、前将軍・義澄のはなつ暗殺手に悩まされる
 細川 高国(28歳)…… 現管領。足利義尹を擁して政権を維持するが、各地での足利義澄・細川澄元派の根強い抵抗に悩まされる
 細川 澄元(23歳)…… 前管領。前将軍・足利義澄を擁して執事・三好喜雲とともに足利義尹政権を追い詰めるが、土壇場での義澄の急死により撤退する

第6回『風雲ふたたび』
おもなトピック …… 将軍・足利義尹「義稙(よしたね)」に改名し政権運営に意欲、細川澄元ひきいる三好軍摂津国に上陸 ※永正十(1513)年三月~永正十六(1519)年十一月
おもな登場人物
 足利 義稙(旧名・義尹)…… 畿内地方を制し室町幕府復権に燃えるが、強大化する管領・細川高国の存在をうとましく感じる
 細川 高国       …… 足利義稙のパトロンだった大内義興の撤退によって独裁体制の樹立をもくろむが、前管領・細川澄元の再挙兵をまねく
 大内 義興       …… 足利義稙をあやつり室町幕府の掌握を目指すが、管領・高国と結託した中国地方の有力大名・尼子経久(あまご つねひさ)の策動により領国への撤退を余儀なくされる
 細川 澄元       …… 大内義興の撤退を好機ととらえ、ふたたび執事・三好喜雲とともに挙兵し摂津国に侵攻する

第7回『三好家の失墜』
おもなトピック …… 公家・山科言継の元服、細川澄元の死去 ※永正十七(1520)年正~六月
おもな登場人物
 三好 喜雲(63歳)          …… 主君の細川澄元とともに政権を奪回するが、細川高国の率いる5万の大軍に等持院合戦で敗れ、三好家の後事を孫の三好元長に託しつつも捕らえられ処刑される
 細川 澄元(32歳)          …… 三好喜雲の軍勢により政権を奪回するが、細川高国の再上洛に敗れ阿波国に亡命、そのまま病死する
 細川 高国(37歳)          …… 細川澄元の上洛を避けて一時京を放棄するが、5万の大軍を率いて三好軍を撃破し政権に返り咲く
 山科 言継(やましな ときつぐ 14歳)…… 京の公家の跡取りとして元服する。決して地位の高い公卿ではなかったが、その豊富な薬学知識と有職故実、全国を駆け巡る超人的フットワーク、そして時の帝から戦国大名、庶民までという人的ネットワークの幅広さから、戦国の世をのちに伝える貴重な時代の証人となる

第8回『都合のいい将軍』
おもなトピック …… 将軍・足利義稙の和泉国亡命、足利義晴の室町幕府第12代征夷大将軍就任 ※永正十八・大永元(1521)年三~十二月
おもな登場人物
 足利 義稙         …… 権力を取り戻した管領・細川高国との対立が決定的なものとなり、和泉国をへて阿波国に亡命し再起を図るが、兵力がととのわないまま沼島に潜伏する
 細川 高国         …… 対立する将軍・足利義稙を追放し、前将軍・足利義澄の次男・義晴を擁立して自身の独裁体制を強化する
 足利 義晴(11歳)     …… 管領・細川高国に擁立されて第12代将軍に就任するが、幼少のため実質的な政務は高国に一任する
 足利 義賢(よしかた 13歳)…… 前将軍・足利義澄の長男で次期将軍にもっとも近い存在であるはずだったが、将軍・足利義稙の養子になっていたために義稙とともに京を去って将軍就任のチャンスをのがす

第9回『父と子』
おもなトピック …… 三好元長の嫡男・千熊丸(せんくままる のちの長慶)誕生、管領・細川高国の嫡男・稙国(たねくに)急死 ※大永二(1522)年二月~大永五(1525)年十月
おもな登場人物
 細川 高国(出家して道永 40歳)…… 前将軍・足利義稙の死去を受けて管領職を嫡男・稙国に譲り出家するが、稙国の急死のために再び政務を執る
 足利 義稙(58歳)       …… 権力の奪取をはかり数度にわたって管領・細川高国を攻めるが敗戦が重なり、失意のうちに阿波国撫養(むや)で死没する
 三好 元長(22歳)       …… 亡き祖父・三好喜雲の遺志を継いで阿波国を治めながら前管領・細川澄元の遺児・六郎(のちの細川晴元)を守るが、前将軍・足利義稙の亡命をうけて京の幕府権力への野心を燃やす
 細川 稙国(18歳)       …… 父・高国の隠居を受けて室町幕府第18代管領に就任するが、着任後わずか半年で謎の急死をとげる。

第10回『戦雲を継ぐ者』
おもなトピック …… 管領・細川道永による武将・香西元盛の誅殺、細川晴元挙兵 ※大永六(1526)年七~十月
おもな登場人物
 細川 尹賢(ただかた 38歳) …… 管領・細川道永の従弟。道永政権内での有力武将・波多野三兄弟の影響力拡大を危惧して策謀をめぐらせるが、それがかえって道永政権崩壊の引き金となってしまう
 波多野 稙通(たねみち 31歳)…… 道永政権の軍事面を支える丹波国の有力武将だったが、細川尹賢の陰謀によって末弟・香西元盛が誅殺されてしまったため、次弟の柳本賢治(かたはる)とともに道永政権に反旗を翻す
 細川 六郎(13歳)      …… 父・細川澄元の死去後当主となり阿波国に潜伏していたが、京の道永政権の内紛をみて執事・三好元長とともに初挙兵する ※細川六郎は父の死後すぐに七歳で元服して「晴元(はるもと)」という本名を持っていたが、対立する京の道永政権の象徴である将軍・足利義晴から形式上拝領した名前であったため、この当時は「六郎」の名を常用している
 三好 政長(まさなが 19歳) …… 三好家当主である三好元長の大叔父にあたる分家筋の武将だったが、細川六郎・三好軍の先鋒として阿波国から本州の和泉国に上陸し、道永軍と交戦する

第11回『元長上陸』
おもなトピック …… 波多野稙通の上洛、足利義賢元服(義維改名) ※大永七(1527)年二~七月
おもな登場人物
 波多野 稙通   …… 領国の丹波国から京に進撃し、細川六郎の先鋒である三好政長軍と合流して二月の桂川原(かつらがわら)合戦で道永軍を撃破したのちに京を実効支配する
 細川 道永    …… 北からの波多野軍と西からの三好軍の侵攻に耐え切れず、桂川原合戦の大敗後は将軍・足利義晴を奉じて東の近江国坂本に亡命する
 三好 元長(27歳)…… 桂川原合戦大勝の報を受け、細川六郎と足利義賢を擁して和泉国堺に上陸し、将軍不在の京にかわる新政権「堺幕府」の樹立を目指す
 足利 義賢(19歳)…… 和泉国堺にいながらにして京の朝廷から「次期将軍」の確約を受け、七月に元服して「義維(よしつな)」に改名する

第12回『都の混乱』
おもなトピック …… 三好元長と細川道永の京争奪戦 ※大永七(1527)年九~十二月
おもな登場人物
 三好 元長         …… 足利義維・細川六郎政権の樹立のために奔走し、いったんは道永の上洛を許すものの、執拗な猛攻を京の道永政権に繰り返す
 細川 道永         …… 将軍・足利義晴を奉じて挙兵し、近江国の六角家と越前国の朝倉家の援軍をうけて上洛を果たすが、堺幕府軍の度重なる侵攻に次第に苦境に立たされる
 柳本賢治(かたはる 26歳) …… 波多野稙通の弟。堺幕府軍の有力武将として京を攻撃するが、堺幕府の主導権を握る三好元長に不満を持つようになる
 朝倉 教景(のりかげ 51歳)…… 越前国の守護大名・朝倉家の重臣。細川道永の要請を受けて軍を率いて上洛に加勢するが、次第に道永政権を見限り協力に消極的になる ※教景は翌年の京撤退後に第一線を引退し、出家して「宗滴(そうてき)」と名乗る

第13回『元長天下』
おもなトピック …… 三好元長の畿内地方制圧 ※大永八・享禄元(1528)年正~七月
おもな登場人物
 三好 元長(28歳)…… 内部分裂を起こした道永政権を京から駆逐してついに畿内地方を制圧し、山城国守護代に就任して堺幕府の中枢をになう
 細川 六郎(15歳)…… 堺幕府の形式上の盟主となっていたが実質的な権力を握る三好元長に不信感をいだき、重臣・柳本賢治の讒言(ざんげん)を聞き入れて元長をうとましく感じるようになる
 柳本 賢治(27歳)…… 権力の増大した三好元長を堺幕府から追放するべく、主君・細川六郎に陰謀を持ちかける
 足利 義晴(18歳)…… 三好元長の圧力によって京を退去した際についに道永を見限り、亡命する道永とたもとを分かって近江国朽木谷(現在の滋賀県高島市)の幕府重臣・朽木稙綱(くつき たねつな 31歳)のもと、興聖寺(こうしょうじ)を御所として潜伏する


《第一部の進行についての補足》
 以上のように、おおむね畿内地方の動静についての描写を物語の本筋とするが、その過程で各所にインタールードとして、京の西岡(現在の京都市西京区)の出身者である少年「かがち」(のちの松永久秀 1510年生まれ)と、同じ西岡出身の武士・西村新左衛門尉(しんざえもんのじょう 美濃国守護土岐家の重臣・長井家の家臣)を父にもつ西村左近大夫正利(さこんのだいぶ まさとし のちの斎藤道三 1494年生まれ)との、交流と成長の物語を挿入する。
 戦災孤児だった久秀は、商人の小間使いや寺の小姓などの経験を通じて京の世情に通じる知識と栄達の野望を身につけていき、西村左近大夫正利も、単なる地方武士の家柄に甘んじることに不満をおぼえ、美濃国守護の土岐頼武(よりたけ)と頼芸(よりあき)の兄弟抗争に暗躍して影響力を強めていくこととなる。左近大夫正利の父・新左衛門尉はそんな息子の野心の行く末に不安をおぼえながらも死没する。



 一体いつまで続くんだ、このメモは!?

 雄大なる一大叙事詩(のメモ)、以下次号!!
 何年か前にひかえといたメモをうつすだけだから、こりゃあラクチンだわ……って、字数がハンパなく膨大だよ、これ!?
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全国城めぐり宣言 第14回「備中国 高松城」 歩いて実証・秀吉の水攻め大作戦

2013年03月06日 10時39分14秒 | 全国城めぐり宣言
《前回までのあらすじ》
 先だっての1月、岡山市で上演されるダンス公演を鑑賞するために岡山県を訪れたそうだいは、そのついでにと同じ岡山市に残る戦国時代の名城・備中高松城(びっちゅうたかまつじょう)跡の探訪におもむいた。
 ところが、備中高松城のある岡山市北区高松の地は、同じ北区でも、あの JR岡山駅を玄関とする岡山城下の町なみとはまるで違うおもむきを持った異郷の地で……?
 っていうか、この記事の更新をしているうちにも近づきつつある、今月3月に岡山で上演される演劇公演もまた観に行く予定があるから、ちゃっちゃとこっちの備中高松城のお話は終わりにしなきゃいかんわけで~! だって、またそのときにも別のお城に行くんだからよう!!


 いや~……午前8時なんですけどね。お天気は抜群の快晴なのに、まだまだ寒いんですよ、寒すぎるんですよ!
 でもまぁ、歩いていくうちに身体も温まるでしょうし、日が高くなれば自然に気温も上がることでありましょう。ここは雄々しくスタートだ!

 無人の JR備中高松駅を出てからパッとうしろを向き直りますと、線路の向こうにはなにはなくとも真っ先に目立つ、赤銅色の巨大な大鳥居がそびえ立っています。なんだ、あれは!? ともかく、私の進行方向もそっちになっているので、まずはあの大鳥居を目指して歩いていくことにいたしましょう。
 備中高松駅のまん前を通る国道180号線を左に歩いていきますと、200m も進まないうちに高松を南北に通過する県道241号線に交差します。ここでさらに左に曲がる、つまり北の山間部を目指して歩いていくと、これまた200m ほどで、この県道を余裕でまたいでいるくだんの大鳥居の下を通ることになるのです。この大鳥居の大きさたるや、高さ27.5m 、柱の直径4.6m ! とにかくでっかいんですよ~。

 この大鳥居は1972年に建立された鉄筋コンクリート製のものなのですが、この地域を代表する大寺院となっている「最上(さいじょう)稲荷山妙教寺」の鳥居としてこの地に立っているのでした。通称としては「最上稲荷」で通っているらしいのですが、神社じゃなくてお寺さんですからね!? ただし、日本伝統の玉虫色のオーバードライブ「神仏習合」のおかげで稲荷信仰もしっかりミックスされている仏教なので気をつけよう。
 この最上稲荷は、なんと奈良時代の天平勝宝四(752)年の創建ということでそうとうな歴史を持っている寺院なのですが、平安時代以降は天台宗として栄えていたものの、戦国時代に他ならぬ羽柴秀吉軍の侵攻に巻き込まれていったん信仰は途絶。その後、関ヶ原合戦を経て徳川体制下でこの高松地方の領主となった花房職秀(はなぶさ もとひで 1549~1616年)の肝いりで1601年に約20年ぶりに「法華宗」の寺院として復活し、現在にいたるのでした。え、法華宗!?
 近所のお寺さんが復活したら別の宗旨になっていたなんて、昨今のコンビニ事情みたいなものすごい話なんですが、これはたぶん、天台宗にしろ法華宗にしろ、それと同時に在地の稲荷信仰も取りまとめているという部分は変わらなかったからこそ許されたアクロバットだったのではないのでしょうか。この高松ならではの特殊なお話だったんですね。
 そんな最上稲荷への参道の入り口を示す大鳥居だったので、私もできれば稲荷山に詣でてみたかったのですが、よくよく調べてみると稲荷山妙教寺そのものは、大鳥居を超えて県道241号線を北に「2~3km 」いったところにあるということでしたので、ひとまず今回はやめておくことにいたしました……鳥居から本堂まで2~3km の距離があるとは! スケールが違うぜ。

 高さ約30m の大鳥居は昭和製ではあるものの、それでも築40年という歳月の生み出す味わいはなかなか無視しがたいものがあり、朱色とも赤錆色ともつかない絶妙な色彩をはなって田んぼの中に屹立していました。
 それを横目で眺め、「あぁ~、あのてっぺんから肩と首が出てるくらいがウルトラマンの身長なのかぁ。思ったよりもちっちゃいけど、リアルだなぁ~。」などと妄想しながら、そこを少し通り過ぎたところで右手の農道に入り、右に川を見ながらしばらく歩きます。

 ここで2点留意しておきたいことがあるのですが、この2つはどちらも「水」が関係しています。備中高松城ですからねェ!

 まず1点目は、私が今通り過ぎた最上稲荷の大鳥居のあった区域が「水越(みずこし)」という地名を持っていたことです。
 資料によると、この大鳥居付近から南の吉備線の線路あたりまでの約200m 区間(現在の県道241号線上)には、江戸時代から大正時代にかけて最上稲荷の参道として石畳が敷かれていたのですが、ここは大雨が西の高松盆地(備中高松城もそこにあり)に氾濫した際に、その水を通して東南の庭瀬地方を経由して瀬戸内海に排水させるポイントという重要な役割を持っていました。大寺院に続く参道であるのと同時に、水はけをよくする意味も含めての石畳であることは間違いないでしょうが、この南北数百メートルの地点が、西の高松盆地の水害対策の生命線となる低地になっていたという事実はちょっと見逃すわけにはいきません。大事よ~!!
 続く2点目は、私が現在歩いている農道の右手を流れているさほど大きくはない川が、西の備中高松城の沼地を水源としているということです。川の名前はわからなかったのですが、ここにもまた、高松盆地の水流が東のこのポイントに集中しているという事実があるわけなんですね。こいつも大事なヒントだ!
 高松盆地の「水」にまつわるこれらの留意点。心の片隅に置いときながら、最初の目的地を目指すことといたしましょう。

 さてさて、そんなことをぶつぶつ考えつつ私が最初に探訪した地点は、農道をこれまた200m ほど歩いた場所にある、農閑期の田んぼに囲まれて背後に小高い山のある、何の変哲もない6~70m 四方のひなびた公園でした。時間帯も朝8時すぎですからね~、公園にはもちろん誰もいないし、あたりを見回しても犬の散歩をしているスウェット姿のおじさんくらいしかいません。足元を見れば、しっかりと霜の降りた芝生が……さみぃ~!!
 公園っつったって、だだっぴろい広場がそこにあるだけで、すべり台とかブランコとかいう遊具のたぐいはありませんからね。ここは単なる公園じゃあないんです。

 そう! この公園の名は、「高松城水攻め史跡公園」!! うおお~。

 この史跡公園は、北西の高松城そのものからはおよそ1km も離れた場所にあるのですが、そんな所にどうして「高松城」の名前を冠した公園があるのかといいますと、かの羽柴秀吉による水攻め大作戦のおりに、この公園付近に築かれたという「水攻め築堤(ちくてい)」こそが、高松城の命運、ひいては織田・毛利両軍の趨勢を決める重大なポイントとなっていたからだったのでありました。

 この史跡公園は、秀吉軍が水攻め時に突貫工事で造り上げたという築堤(土塁の堤防)の様子を今に残そうという目的でつくられているのだそうで、築堤そのものは復元されてはいないものの、発掘調査によって出土した築堤の基礎部分や、背後の山から出っぱっている、築堤の様式をかろうじて今に残している丘陵部「蛙ヶ鼻(かわずがはな)築堤」を保存している施設になっています。

 公園に保存されている築堤の基礎部分を見てみますと、戦国時代のこの一帯の地表は、現在の地面の約1m 地下に埋没してしまっているのですが、そこから発見された築堤の基底部の杭の列や、内部に並べられた土俵(つちだわら)といった構造がわかりやすく公開されていました。発掘調査によると、戦国時代のこの付近の土地はかなりの湿地帯だったものの、羽柴軍は近隣の丘陵地から大量の土砂を運び込んでそこに築堤を建設したようです。

 公園の奥のほうに行ってみますと、そこには北の低い山地(立田地区)から、高さ8.4m ほどの小高い丘が20m くらいピヨっと細長く飛び出ており、そこが国指定史跡の蛙ヶ鼻築堤です。
 築堤とはいうのですが、21世紀の現在にはためから見てみますと、そこは










《途中で~す》
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