長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

すてきな月曜日! 映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』 とかいろいろ~

2013年04月15日 23時52分00秒 | ふつうじゃない映画
 はいはいほほ~い! どうもこんばんは、そうだいでございます~。みなさま、今日も一日お疲れさまでした。

 本日はわたくし、平日のしょっぱな月曜日であるのにもかかわらず、久しぶりの丸一日休みをとりまして、東京で親友と会ってまいりました。いや~、今日の東京はホントに夏みたいな陽気でよう! こういう日に休みがもらえた私は運がいい。


 東京で今日会った親友は、大学時代に同じサークルに所属していたときからずっと懇意にさせていただいている方なのですが、あれからおよそ15年という歳月がすぎた今では立派な1児の母となり、同時に業界の第一線でバリバリ働いておられるという充実した日々を送っておられるようでした。今後も無理しない範囲でがんばっていただきたい! それにひきかえ俺といったらよう……まぁ気楽にがんばりましょう。

 そんな感じだったので、メールでのやりとりはしょっちゅうしているものの、だいたい半年ぶりくらいに会うことになった今回のスケジュールは、年度末~4月に超多忙だった彼女の予定を最優先して今日というはこびになったのですが、変わらずお元気で、魅力的で。大学時代とほとんど違いのない容姿なんだよな~。ほんとに会うたんびに不思議に思ってしまいます。おれはハゲたぜ~!!

 今日はだいたい予定として、お昼過ぎに集まって映画を観て、どこかでお茶とお買い物をしてから彼女のお子さんの通う保育園に行ってお子さんをむかえ、彼女の自宅にお邪魔して夕飯をごいっしょするという流れになりました。そのお子さんと会うのも半年ぶりくらいなんですが、まだ1歳台なので私のことを記憶していない感じなのがはなはだ不安でした……嫌われるのはいやだ!!


 さて、今回親友といっしょに観ることにした映画は彼女の要望でドキュメンタリーの『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』(監督・佐々木芽生)となり、映画館は恵比寿ガーデンプレイス内の東京都写真美術館ということになったのですが、実際にお昼1時前に現地集合する段になって大変な事態が……って、察しのいい方ならば、もうオチわかっちゃいましたかね?

 そ~なんですよ、東京都写真美術館は確かに映画は上映してるけど、あくまでも「美術館」なの! 美術館っていうことは必ず「休館日」があるの! そして、美術館の休館日はその特質上、「休日の翌日」であることが非常に多いの!
 したがって、東京都写真美術館は「毎週月曜日休館」なの~!! なんなんだ、この高等数学の方程式にも似た美しすぎる論法は!? 2人そろって、はいドボ~ン☆

 やられましたね……恵比寿ガーデンプレイスに映画を観に行くのはそうとう久しぶりだったので非常に楽しみにしていたのですが、まさかこんな結末が待っていようとは! でも、これで天気が悪かったら正真正銘の骨折り損だったのですが、絵に描いたような晴天にぽかぽか陽気の中、集まる時間までしばらくモダンな園内を散策できたのは良かったです。お昼休憩中のサラリーマン、OL のみなさま、ご苦労様でございます!

 ただ、集まってから気を取り直して調べてみたところ、現在東京では、写真美術館のほかに新宿ピカデリーでも『ハーブ&ドロシー』が上映されていることが判明! これ幸いと、近くの喫茶店でお茶したりして時間をつぶしながら新宿に向かうこととなりました。あ~よかった。

 そういうわけで急遽、恵比寿のおしゃれな喫茶店に行ってコーヒーをいただきつつ近況を語り合ったのですが、まぁ~いいひとときを楽しむことができました。お互いの仕事の話とか、趣味の話とか。ひとつひとつあげれば他愛もない内容の連続なのかもしれないのですが、トータルでそんな話題を持ちよってワイワイやることができているというつながりの温かみと、大学時代になんの気なしに「あ、こんにちは……」みたいな軽さで出会っていたこの人と、15年の時が経過した今現在もこうやって語り合うことができているという不思議な縁ね! しみじみ幸せな時間でしたね~。

 そんな中で、おおむねは楽しいトピックばかりだったのですが、私よりもはるかに情報通な彼女からもたらされたあるニュースに、あたしゃ心底ビックラこいちゃったね~。
 ニュース自体は先月末に報じられたものだったからご存知の方も多いかと思うんですが、私はなぜか知らなかったのよねぇ~、それ。


作家・殊能将之さんが死去 49歳 映画『ハサミ男』原作者
  (シネマトゥディ 2013年3月30日付け記事より)

 ミステリー作家の殊能将之(しゅのう まさゆき)さんが今年2月11日に死去していたことが明らかになった。49歳。
 学生時代から親交があったという書評家・翻訳家の大森望が30日、ツイッターで「ミステリ作家の殊能将之氏が今年2月11日に亡くなりました。享年49。ご遺族の意向で伏せられていたそうですが、殊能氏と縁の深い雑誌『メフィスト』の最新号に訃報と追悼記事が掲載されています」と明かした。同誌は4月3日に発売される。

 殊能さんは福井県出身。断片的な情報以外、一切の個人情報を明かさない覆面作家として、1999年に『ハサミ男』で第13回メフィスト賞を受賞してデビュー。その後は『美濃牛』(2000年)『鏡の中は日曜日』(2001年)といった作品を発表したが、長編小説は2004年の『キマイラの新しい城』を最後に発表が途絶えていた。2005年にはアメリカの SF小説家エイヴラム=デイヴィッドスン(1923~93年)の日本語訳短編集『どんがらがん』(河出書房新社刊)の編者を務めた。デビュー作『ハサミ男』は2004年に映画化されている。
 短編『キラキラコウモリ』の月刊文芸誌『ウフ.』2008年5月号への掲載(マガジンハウス刊『リレー短編集 9の扉』収録)以降は執筆活動をおこなっていなかったが、作品を発表しなくなってからもオフィシャルサイト(閉鎖)やツイッターで近況を報告。自身の死の3日前、2月8日には兄が脳出血で死去したことを明かしており、「バタバタに加え、パソコンの調子が悪いのでしばらくツイートできません」「んじゃまた」とツイートしていた。



 流れとしては、まず私がミステリー作家の今邑彩さんの哀しい訃報と、それをきっかけに今邑作品を読み直していると始めて、そうしたら彼女が「ミステリー作家といえば、殊能さんも……」と教えてくれたんですが。あら~そうだったの、という感じで。

 はっきり言ってしまえば、私は今現在とくに殊能さんのファンであるわけでもないし、殊能さんが奇しくも今邑さんと同じように2010年代に入ってから執筆活動をおこなっていなかったという事実も知らないくらいに近況にうとかったのですが、それでも悲しいとまではいかないものの、なんともいえない感慨深さは残りましたね。
 そういえば、私も彼女も同じようにミステリー小説を楽しんでいた大学時代、『ハサミ男』をひっさげてデビューした謎の覆面作家・殊能将之の存在は、私個人は結局そうならなかったと感じてはいるものの、今後の日本ミステリー界を変革し、牽引してくれる才能が登場したような期待感に包まれていたと思います。
 特に、第2作となった『美濃牛(みのぎゅう)』は「横溝正史の最新版アップグレード!」という印象で大いに期待しつつ読んだものでしたが、期待のハードルが高すぎたのか、そもそも私ののぞむ作家性と違う方だったのか、その結末に私は強い違和感をおぼえ、それ以降の殊能作品はいっさいチェックしていないまま現在にいたっていました。

 にしても、2人が少なからず体感した「時代のうねり」の旗手であった人なのは間違いがないわけなので、やはりその早すぎる死には驚きました。『美濃牛』も読み返してみるか……ほんとに結末まではよかったんだよなぁ~、結末までは。


 こんな話題のほかにも、趣味系としては『ファイブスター物語』のここ最近のドンガラガッシャン事件とか、去年彼女に勧められて観たアルモドバル映画『私が、生きる肌』がどうしてあんなに良かったのかとか、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版・Q』のカヲルくんの土壇場での神がかった頼りなさときたらどうだ!? といったあたりの話に大いに花を咲かせたのでしたが、月曜日の昼過ぎの喫茶店には私たちのほかに、出版関係の編集者さんらしい集まりと、ゲーム業界のクリエイターさんらしい集まりがそれぞれ打ち合わせをしているという、メガロポリス東京ならではの異常に濃すぎる客層だったために、こういった話題もなんの気兼ねもなく語り合うことができたのでした。千葉ではまったく考えられない環境だ……気分はもう、カルチャーおのぼりさん!

 さて、そうやって1~2時間たのしんだあと、私たちは新宿の映画館に向かいました。新宿ピカデリーはいつ行ってもおしゃれねぇ~。
 っていうか、平日の第1日目なのに、新宿は映画館でもデパートでも、どうしてあんなにお客さんでにぎわっているんだろうか!? しかも、み~んなおしゃれ!! まぁお店によるかとも思うんですが、うらやましかったねぇ~、あのにぎわいっぷり。わたしがついこないだ映画館で観た『ヒッチコック』のお客さんなんて、週末金曜日の夜なのに3人よ、3人! ここが東京・新宿のものすごさよねぇ。

 もちろん、私たちが観た映画『ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの』の客席もけっこうなにぎわいで、満員とまではいかないものの、若い大学生から老夫婦までの幅広い年代層で、だいたい100人くらいは来ていたと思います。平日の昼間にドキュメンタリー映画でこれって、やっぱりすごいですよね。

 それで観た『ふたりからの贈りもの』だったわけなんですが……まぁ~良かった良かった。

 なんともおもはゆい思いなんですが、この映画のよさを文字で説明するのは、ちょっとむずかしい。
 この映画は言うまでもなくドキュメンタリー映画なんでありまして、しかも、そのジャンルの中でもこの作品は、お客さんにとってとびっきり敷居の低いものになっていると感じました。つまり、事前に知っておくべき情報がほとんどないし、観終わった後に「あれはどういうことだったんだろう?」と考える必要もありません。極端な話、2010年の暮れに公開されていた前作『ハーブ&ドロシー』を見ておく必要もなかったのです。そりゃもちろん、前作も観ておいたほうがいいわけなんですが、前作と今回の『ふたりからの贈りもの』は、同じ老夫妻を画面の中心にすえていながらも、そこから広がる世界がまったく違うものとなっています。

 私は幸運にも、人に勧められて映画館で前作を観ていたのですが、そのときはヴォーゲル夫妻(ハーブ&ドロシー)のコレクターとしての恐るべき審美眼に驚き、つつましやかながらも半世紀の長きにわたってミニマルアート、コンセプチュアルアートの収集を続けてきた「異形すぎる偉業」に感服したわけだったのです。もちろん、この道のりに夫婦の固い絆が必要だったことは間違いないでしょう。そういった意味でも、私は前作を観て、一見どこにいてもおかしくない頑固そうなおじいちゃんと優しそうなおばあさんのカップルの中にたぎり続けている「鋼鉄の信念」に感動したわけだったのです。

 さて、そこから一転して今回の『ふたりからの贈りもの』は、ヴォーゲル夫妻の少なくとも2000点はある自宅アパートのコレクションがワシントンの美術館にまとめて無償で寄贈されることとなった、という前作の結末のその後をつづったものとなっているのですが、事態はまったく予想だにしない展開となっていました。なんと、あらためて数えてみたらコレクションの総数が4000点を超えちゃってんの! これはひとつの美術館じゃあ完全に容量オーバーですよ。ヴォーゲルコレクション、どんだけ~!?

 そういったわけで、この『ふたりからの贈りもの』はまさしくタイトルの通り、ヴォーゲルコレクションを50点ずつに分けて、アメリカの全50州にある美術館1館ずつに寄贈するという一大プロジェクト「ヴォーゲル 50×50」のもようと、寄贈した際の夫妻の多忙な日々を描くものとなっているのです。
 つまり、前作の「集める夫妻」というトピックから一転して、今回は「贈る夫妻」を中心にして、贈られた全米の美術館や、そこでの展示に触れた人々の反応、コレクションにおさめられた作品のアーティストとの再会などがフレームにおさめられていき、夫妻の続けてきた行為がどれだけ大きな規模の反響を呼ぶものだったのかをにぎやかにわかりやすく記録していくものとなっていたのです。

 もちろん、コレクションの対象はいわゆる「前衛芸術」というものなので、どこででも売っていそうなノートの切れっぱしに水彩絵の具のしみのようなものをつけただけが10枚くらい、という人類にはまだまだ早すぎる作品もあるわけで、インタビューに答える人々の中には少なからず「なにこれ?」「気分が悪いわね。」という批判的な声もあがるわけなのですが、それもこれもひっくるめて、現代アートに触れて作品に疑問を抱いたり、よきにしろあしきにしろ何かしら感情を揺さぶられる機会を与えてくれたヴォーゲルコレクションへの無数のリアクションは全米に広がってゆくのでした。

 今回の作品の中では、それなりに年もとっているのに、コレクションを寄贈してハイ終わりというわけでもなく、恐ろしいほどのバイタリティで全国の美術館を訪れ、自分たちのコレクションの展示状況をチェックするヴォーゲル夫妻の元気な姿も観られます。やっぱりこの2人は、コレクターではなく「コレクションという活動をするアーティスト」なんだなぁ、と再認識させてくれる勇姿でしたね。
 要するに、これほどの信念と審美眼をもって、50年もの長きにわたってアーティストの作品をなけなしの給料から捻出した金額で購入するかしないかという「闘争」を乗り越え続けてきた以上、もはや夫妻はアーティストと同じかそれ以上の情熱に身を燃やす存在になっていたのです。それが人々の感動の対象にならないはずが、ない!!

 そう考えると、前作で明らかになったヴォーゲル夫妻の常軌を逸した偉業が、それ相応の爆発力をもって全米に波及していく、その「感動のソニック・ブーム」のさまを描いた今回の『ふたりからの贈りもの』は、まったくもって夫妻の人生を賭けた「芸術」の完成の記録でもあったのではないのでしょうか。こういう一国サイズのコンセプチュアルアートだったわけなのね、ヴォーゲルさん!! こりゃあもう、クリストもびっくりのスケール……前作以上に感服つかまつりました。

 この映画は、そういったヴォーゲル夫妻のエネルギッシュな生命力も充分に魅力的なのですが、それに輪をかけて感動してしまうサイドエピソードも満載です。
 やっぱり、どこの州でも現代アートの展示を興味津々のまなざしで見つめる子どもたちの輝く視線には無条件で顔がほころんでしまいますし、今回の全州寄贈プロジェクトによって久しぶりにヴォーゲル夫妻に再会して長年のいさかいを氷解させることになったアーティストの笑顔にも、素直に心に響くものがありました。具体的ないさかいの内容ははっきりとは描写されていないのですが、とにかく時を経て和解する人たちを見るのはいいものですね、ホント……

 そして、終盤で訪れる夫妻の「わかれ」。自身のコレクションの行く末を見届けた上での旅立ちだったので悔いはなかったのかも知れませんが、やっぱり哀しいですね。
 でも、総計5000点におよぼうとしていたアパートのコレクションがほぼ全て寄贈に出されたあと、部屋の壁に残された1枚の絵には完全ノックアウトでしたね。なんという心憎い終幕! やっぱりヴォーゲル夫妻はアーティストだったんだ!!

 とてもいい映画です……最近、老夫婦にかんする別の映画を観て少なからずがっかりした直後の『ふたりからの贈りもの』だったので、なおさら心に響きましたねぇ。やっぱり「本物」には勝てねぇのか。

 もちのろんで、私と一緒に観た親友も大感動だったのですが、「わたしもああいうふうに好きなものにお金を使えるようになりたい。」とつぶやいた彼女の言葉が実に印象深かったですね。
 あることを半世紀もの間やり続けるというのは、いったいどういうことなんだろうか……しかも自分ひとりで自由にではなく、夫婦二人三脚で!
 おそらくそれは、「好き!」というエネルギーだけでは続けていけない道のりだったはずです。「なにやってんだろうか……」と思い悩む時期も二度や三度ではなかったのではないのでしょうか。別に全点展示できるはずもないごくふつうのアパートにダンボール箱だけがひたすら増えていくわけなんですから。
 逆に考えると、これは夫婦でやったから続けられたことだったのかも知れませんね。相手や家族がいるからこそ続けられることといったらやっぱり「仕事」だと思うんですが、もしかしたら夫妻にとってこの収集という行為は、なにかしら生きるために絶対に必要な「作業」だったのであって、「好きな趣味」という範疇のものではなかったのかもしれません。
 それがなにかしらの成果や報酬を生むわけでもないのに……それでもそれは、好きか嫌いかではなく「やり続けなければならない使命」だったのです。そしてそれは、全米の人々の笑顔という形で50年後にみごと昇華したわけで。

 人間、いったいなにが他人の心を揺さぶる個性とたたえられるのか、わかったもんじゃありませんなぁ! 自分だって自分のことがよくわからないっていうのがほとんどなんですからね。そういう世の中に、鋼鉄の信念を持った夫婦の愛と信念の物語、『ハーブ&ドロシー』2部作! 私たちは行けなかったけど、東京都写真美術館では前作の同時上映もやってるらしいから、み~ん~な~で~み~て~ね~。ふ~ふ~ふ~ふ~ふ~! それは別の映画ですか。しかも声がふるい。


 その後、私たちは新宿伊勢丹でお買い物をして、彼女のお子さんを保育園でむかえてご自宅に帰りました。

 ひそかに心配していたお子さんは……どうやらやっぱり私のことは忘れているようでしたが、比較的早めに慣れてくれてケラケラ笑っていました。よかった~!
 でもまぁ、1歳半にもなるともうやんちゃね! この前に会ったときよりも格段にお顔が旦那さまに似てきて、目のあたりに周囲の女の子を夢中にさせそうなデンジャラスさをたたえた色男になってきました。泣かせるようなことだけは、するなよ! 母ちゃんも泣かせるな!!


 そんなこんなで、ありがたくもお食事もいただいて帰った、本日月曜日のお休みだったのでありました~。親友サマ、忙しい中どうもありがとうございました!

 あ~暑かったのに夜はさみぃ……なんなんだ、この昼夜の寒暖の差は!? カゼはひきたくねぇ~!!
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やっぱりホプキンス、ちょっぴりふとめでもだいじょ~ぶ!!  映画『ヒッチコック』

2013年04月13日 23時24分15秒 | ホラー映画関係
 どわ~いっと! どうもこんばんは、そうだいでございます~。みなさま、土曜日の今日も働いてたよね、よね!? まぁ大きく考えれば、生きてるということそのものが、仕事とか遊びとかいう境界線なんかあんまり意味のない真剣勝負の連続なんですからね、お疲れさまでございました~。

 ということもへったくれもないんですけどね、やっぱり忙しいの、今月も! 明日ももちのろんでお仕事なのよ~。

 そんな中なんですが、昨日がお休みだったので、そうとう久しぶりに映画を観てきました。今回はそれについてちょちょっと。

 観てきたのは、これ!


映画『ヒッチコック』(2012年アメリカ 上映時間98分)

監督 …… サーシャ=ガヴァシ(46歳)『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』(2009年)
脚本 …… ジョン=マクラフリン 『ブラック・スワン』(2010年)
原作 …… スティーヴン=レベロ『アルフレッド=ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』(1990年 白夜書房刊)
音楽 …… ダニー=エルフマン(59歳) ティム=バートンの映画音楽とかいっぱい

おもな出演(役名の年齢は『サイコ』撮影当時のもの)
アルフレッド=ヒッチコック(60歳)…… アンソニー=ホプキンス(74歳)『世界最速のインディアン』(2005年)
アルマ=レヴィル(60歳)     …… ヘレン=ミレン(67歳)『クィーン』(2006年)
ジャネット=リー(32歳)     …… スカーレット=ヨハンソン(27歳)『ゴーストワールド』(2001年)
ヴェラ=マイルズ(30歳)     …… ジェシカ=ビール(30歳)『テキサス・チェーンソー』(2003年)
アンソニー=パーキンス(28歳)  …… ジェームズ=ダーシー(37歳)『クラウドアトラス』(2012年)
ウィットフィールド=クック    …… ダニー=ヒューストン(50歳)『タイタンの戦い』(2010年)
ペギー=ロバートソン       …… トニ=コレット(39歳)『ミュリエルの結婚』(1994年)
ルー=ワッサーマン(47歳)    …… マイケル=スタールバーグ(44歳)『シリアスマン』(2009年)
ジェフリー=シャーロック     …… カートウッド=スミス(69歳)『ロボコップ』(1987年)
バーニー=バラバン        …… リチャード=ポートナウ(65歳)
ジョセフ=ステファノ(38歳)   …… ラルフ=マッチオ(50歳)『ベスト・キッド』(1984年)の主演!
バーナード=ハーマン(48歳)   …… ポール=シャックマン(?歳)
ソウル=バス(40歳)       …… ウォレス=ランガム(47歳)←出てた? ぜんぜん気がつかなかった……
エド=ゲイン(53歳)       …… マイケル=ウィンコット(54歳)


 『ヒッチコック』は、サーシャ=ガヴァシが監督し、スティーヴン=レベロのノンフィクション作品『ヒッチコック&メイキング・オブ・サイコ』を原作とした2012年のアメリカ合衆国の映画である。2012年11月にアメリカで公開。日本では2013年4月5日の公開。上映時間98分。20世紀フォックスのインディペンデント系子会社「フォックス・サーチライト・ピクチャーズ」他の製作。
 アルフレッド=ヒッチコック監督による映画『サイコ』(1960年)の製作舞台裏を描く作品である。撮影期間は2012年4月13日~5月31日。
 音楽を担当したダニー=エルフマンは、ガス=ヴァン=サント監督によるリメイク版『サイコ』(1998年)でも、バーナード=ハーマンの作曲作品を再構成していた。

あらすじ(パンフレット本文より)
 世界で最も有名なフィルムメイカーで、没後30年を超えた今もなお、「サスペンスの神」と称えられるアルフレッド=ヒッチコック。彼を叱咤激励し、新作製作のたびに立ちはだかる幾多の逆境を共に乗り越えた女性がいる。優れた映画編集者にして、ひらめきに満ちた脚本家であり、常に厳しいアドバイザー、ヒッチコックが唯一人信頼するパートナーでもある、妻のアルマだ。ノークレジットで脚本を書き直すなど、ヒッチコックとアルマのコラボレーションを知るごく一部の関係者と評論家たちが、彼女なくしては数々の傑作は生まれなかったとまで断言する存在なのだ。神と、その神を創った妻と……二人の天才の知られざる物語が今、明かされる!
 1959年。それまでに46本の作品を世に出し、60歳になってもなお、ヒッチコックは唯一無二の映画を作りたかったが、作品の高評価とは裏腹にアカデミー賞には縁遠かった。そんな彼が次に目をつけたのは、実在の猟奇殺人犯エド=ゲインをヒントに書かれた小説『サイコ』。ところが、内容を知った映画会社には出資を断られ、アメリカ映画協会(MPAA )には殺人シーンの公開は許可できないと突っぱねられる。ヒッチコックは、自己資金で製作を開始するが、映画史上かつてないシーンの撮影にトラブルは山積み。最強の味方のはずのアルマは魅力的な脚本家クックとの共同執筆に熱中し、夫婦の絆まで揺らぎ始める。ヒッチコックは過労とプレッシャーから倒れ、アルマの助けで何とか撮影は完了するが、第1回の試写の評判は最悪。だが、互いの関係を見つめなおした二人の鮮やかな逆転劇が始まった!



 いや~、これはやっぱり観ないわけにはいきませんでしたねぇ、私といたしましては。

 映画『サイコ』とか、その周辺についてはいつだったか昔に我が『長岡京エイリアン』でも取りあげたことがあったのですが、この『ヒッチコック』はなんと、その『サイコ』の製作舞台裏を描く「ノンフィクション風味」のフィクション作品なのだそうで!
 まさか、映画監督ヒッチコックその人が作中の登場人物、しかも主人公となる映画が世に出るとは……いや、ヒッチコックさん本人の「出演」経験はいうまでもなく無数にあるわけなのですが、こうやって物語の渦中の人物として作品製作に苦心惨憺する姿は、本人の自己演出もあいまってほとんど映像化されることはなかったのです。そこに今スポットライトが!

 そんなワクワク感を胸に、若干ハードルを上めにしながら映画館に向かったのですが……作品が始まる前に、まずひとつビックリ。お客さんが少なすぎるよ!! 金曜日の夜の最終回に行ったら、私も含めてお客さん3名! それも私がたぶん最年少の、おじさん3人が座席にパラ、パラ……ちょっと待ってよ、グッバイやさしいこ~え~で~!!

 どうやら、今月4月の第2週までの時点での映画ランキングは春休み・新学期の勢いもあってかアニメ作品の伸びに著しいものがあり、『ドラゴンボールZ 神と神』、ディズニーの『シュガー・ラッシュ』、『ドラえもん のび太のひみつ道具ミュージアム』、『プリキュアオールスターズ・ニューステージ2 こころのともだち』といった顔ぶれがこぞってそれ以降の新作を押しのけて上位陣を守り続けているという異常事態になっているのです。いや、今現在の日本ならば、これが「常態」なのでありましょうか……
 実写作品をみても、同じくちょい前から始まった邦画の『プラチナデータ』と『相棒 Xデイ』が気を吐いているくらいで、洋画にいたっては『オズ はじまりの戦い』のみのベスト10入り。
 こんなわけで、『ヒッチコック』はなかなか地味目なスタートにあまんじているのでした……でも、アンソニー=ホプキンスとヘレン=ミレンの夫婦なのよ!? おもしろくないわけがないんだけどなぁ!

 そんじゃま、前置きはここまでにしておきまして単刀直入に、私が映画館に行って観てきた、『ヒッチコック』の感想をば。


出演陣、やっぱり「さすが」の豪華共演!! でも、脚本の創作部分がにんともかんとも凡庸……なぜ『サイコ』に集中しない!?


 こういうことでしたねぇ~、わたくしといたしましては。ともあれ、よく思った部分にしろよくないと思った部分にしろ、考えごとの材料を数多く提供してくれるとっても楽しい映画ですね。

 まず、なにはなくとも第一に語らなければならないのは、前代未聞の「主にふとってハゲるだけ」という、聞いただけでは恐ろしく夢のない特殊メイクをほどこされた主演のアンソニー=ホプキンスの存在感ですよね。このメイクは撮影前にできあがるまでに毎回90分かかっていたというのですが、相変わらずファンキーでセクシーながらもいちおう70代なかばの高齢者であるホプキンスへの肉体的負担を考慮して、可能なかぎり時間を短縮した成果なのだそうです。確かに、あれで2時間かからないっていうのはものすごいですね……

 ところが、映画本編をご覧になった方ならおわかりかと思うのですが、ホプキンスのヒッチコックは非常にリアルに肥満してはいるものの、どのアングルから彼をとらえてもヒッチコック本人に見える、という域には達していません。むしろ、多少ふとめではあっても、「どこからどう見てもホプキンス」な角度があらゆるシーンで満載になっているのです。
 ただし、どうやらこれは「単なるそっくりショーではなく、ホプキンスの演技をより強く活かすための助けにとどめたい」というサーシャ=ガヴァシ監督の演出意図があったため、上の時間短縮もさることながら、ホプキンスの表情を覆い隠すメイクはなるべく避けるという判断がとられた結果のようです。なるほど。

 そうした上でヒッチコックにふんしたホプキンスを観た私の印象なんですが、やっぱりアンソニー=ホプキンスはとにかく「眼」が個性的なんですよね~!! どんな役をやっていても、その瞳に浮かぶ「人生の説得力」がおそろしくかっこよくて魅力的。かなり反則的な強力さで、その眼がホプキンスの演じる役それぞれに生命力を持たせているのです。そりゃあもう、『世界最速のインディアン』を観ればよくおわかりでしょう。これさえあれば、どんな荒唐無稽な役柄をやっても大丈夫! ただし、ちょっとやそっとのヘンな役はホプキンスはなかなかやりませんけど。
 ハリウッドスター総出演で『おそ松くん』をやるとしたら、ホプキンスにはぜひとも「デカパン先生」をやってほしいなぁ。ぜったいに戦闘指揮経験のあるデカパン先生ですよ。バカボンはやっぱりマット=デイモンだろうなぁ。

 話を戻しますと、その眼力ゆえに、その目が見えるカットのホプキンスは、もれなくホプキンスその人にしか見えません。ところが、目のよく見えない後ろ向きとか横顔とか、暗がりでのカットはヒッチコックそのものなんですよね~。その特徴的な体型のシルエットがいろんなシーンで活用されたりもしてて。
 そういうわけで、冒頭にホプキンスが出てきてとうとうと語り始めたときに、私は瞬間的に思ったよりもホプキンスなヒッチコックに多少の違和感をおぼえてしまったのですが、これは時間を追うごとに氷解していき、「あぁ、これはホプキンスでいいんだ。ホプキンスを隠すなんて、キャビアを昨日のすき焼きにぶちこむようなもんだ。」という思いにいたったわけなのです。

 この『ヒッチコック』でのホプキンスの演技は、周囲の期待値のハードルが高すぎる中で、誰も予想することができない、いまだかつてないサスペンス映画『サイコ』を自費制作でつくりあげるという、とてつもないプレッシャーにさいなまれながらも奮闘するヒッチコックの姿を、「なるべく最小限の感情のゆれ」におさえつつ、非常に精巧に形にしているといった印象でした。
 ヒッチコックは、その当時1955~65年に自身が監修を務めていた TVのミステリードラマシリーズ『ヒッチコック劇場』のストーリーテラー(『世にも奇妙な物語』のタモリさんの超先輩)としても有名になっていたのですが、仕事中はパブリックでも舞台裏でも、必ずその巨体を特注スーツに首元までキュキュッと黒ネクタイ姿でビシッときめるというポリシーを、その持ち前のロンドンっ子魂で貫き通しており、それは今回の『ヒッチコック』でもおなじこと。つまり、どんなに精神的にギリギリの状態に追い詰められても、どんなに撮影スケジュールがのっぴきならないことになっても、どんなにまわりの偉い人たちから「こんな映画、公開できるか! ヒッチコックオワタ。」とののしられても、基本的にまったく動じていないていで表情ひとつ変えず、いつものスーツ姿で特製のでかいディレクターズチェアにふんぞりかえっているのです。

 そんな感じなので、ホプキンスの顔は劇中ではよっぽどのことがないかぎり、その叫びだしたい逆境地獄の苦しみを正直に吐露することはなく、むしろ冷徹無比な演出家としてスタッフや俳優たちの才能を見極める、その機械か爬虫類のような温度のない目の動きだけに演技を集中させているかのような省エネ感があります。でも、この視線がいかにもホプキンスの専売特許なんだよなぁ! ヒッチコックに似ていないのに、その存在に説得力がある。これぞまさしくアンソニー=ホプキンスの「乗っ取り芸」であります。

 乗っ取り芸! そうなのよ、ホプキンスは今までいろんな「先行イメージのある有名人物」の役を演じてきましたが、彼は物まねが天才的にうまいわけではないのです。ただ、本人に匹敵する「本物らしさ」を芯に持っているだけ。でも、これだけで最強なんですよね。
 ここでちょっと、ホプキンスの偉大なる経歴の「ほんの一端」をまとめてみましょう。


もはや「ひとり世界史」!! アンソニー=ホプキンスが演じたいろんなお偉いさん&名キャラクターたち

1968年『冬のライオン』(30歳、映画デビュー作)
イングランド国王リチャード1世獅子心王(1157~99年)

1976年『エンテベの勝利』(38歳)
イツハク=ラビン首相(1922~95年 イスラエルの指導者)

1977年『遠すぎた橋』(39歳)
ジョン=フロスト中佐(1912~93年 イギリス陸軍第1空挺師団第1空挺旅団第2大隊長)

1981年『地下壕 ヒトラー最期の日』(43歳 TV 映画)
アドルフ=ヒトラー(1889~1945年 ドイツ第三帝国総統)

1984年『バウンティ 愛と反乱の航海』(46歳)
ウィリアム=ブライ(1754~1817年 イギリス海軍中将)

1991年『羊たちの沈黙』(53歳 アカデミー主演男優賞受賞)
ハンニバル=レクター(1938年~? いわずと知れた人食い大先生)

1992年『ドラキュラ』(54歳)
エイブラハム=ヴァン=ヘルシング教授(60歳前後 泣く子もだまる吸血鬼ハンター)

1993年『永遠の愛に生きて』(55歳)
クライヴ=ステープルス=ルイス(1898~1963年 『ナルニア国物語』シリーズの作者)

1994年『ケロッグ博士』(56歳)
ジョン=ハーヴェイ=ケロッグ博士(1852~1943年 ケロッグコーンフレークの創始者)

1995年『ニクソン』(57歳)
リチャード=ニクソン(1913~94年 アメリカ合衆国第37代大統領)

1996年『サバイビング・ピカソ』(58歳)
パブロ=ピカソ(1881~1973年)

1997年『アミスタッド』(59歳)
ジョン=クィンシー=アダムズ(1767~1848年 アメリカ合衆国第6代大統領)

1998年『マスク・オブ・ゾロ』(60歳)
ドン=ディエゴ=デラベガ(初代ゾロ)

2004年『アレキサンダー』(66歳)
プトレマイオス1世(紀元前367~紀元前282年 プトレマイオス朝エジプト王国初代国王)


 う~ん、紀元前から現代まで! 世界最速で時をかけるファンキーじいちゃん、それがアンソニー=ホプキンス卿(大英帝国勲章第3位コマンダー)なんでありますなぁ~。ちなみに、アルフレッド=ヒッチコック卿はホプキンスの1階上の大英帝国勲章第2位ナイトコマンダーであらせられます。ヒッチコック卿の同位にはビル=ゲイツ、ホプキンス卿の同位には日本の蜷川幸雄がいるぞ! 見上げたもんだよ屋根屋のふんどし!!


 話を『ヒッチコック』に戻しますが、こういった最低限の動きしか見せない演技によって心憎いまでに効いてくるのが、後半にいくにつれてチラチラと漏れてくるヒッチコックの「本音」の爆発で、妻アルマとのうまくいかない関係や『サイコ』撮影中に次々と生じるトラブル、そしてそれらを乗り越えたクライマックスに訪れる世紀の大傑作映画の誕生……この流れの中でちょっとずつだけホプキンスが見せる「いかにもホプキンスらしいダイナミックな動き」が、ほんとに「待ってました!」という感じでいいんですよねぇ。抑制と爆発。これぞ、己の持ち味を熟知している者のみが生み出せる名人芸であります。
 クライマックス、怖いもの見たさの紳士淑女で満員御礼となった『サイコ』公開初日のロビーでホプキンスが見せた「狂喜乱舞のてい」は、単に成功を確信したヒッチコックが喜びました、という通りいっぺんの枠には当然おさまりきっておらず、不安と緊張にさいなまれ続けた日々が一瞬にしてチャラになる驚くべき芸術の奇跡と、そこに人生の全てを賭けるというヒッチコックの「業」を見事にホプキンスが体現してみせた、名優ならではの真骨頂だったと思います。ここでのホプキンスの身体のかろやかさといったら、もう!! これこそが、年齢も体力も容姿も性別も関係ない「まことの花」ですよね。


 さて、字数が例によってかさんできたので、映画『ヒッチコック』のほめどころは、ここまでにしておきましょうか……

 え? ホプキンスのことしか話してないって? そうなんですよ、それでいいんです。
 この映画、手ばなしでほめられるのはアンソニー=ホプキンスの演技だけなんです。

 まぁ、すべての元凶は脚本ですよね、やっぱ。

 この『ヒッチコック』は、物語を必要以上にわかりやすいものにしているというか、せっかくの天才夫婦のお話であるはずなのに、その2人に襲いかかる数多くのトラブルの中でも最大のものをなんと、「お互いの不倫疑惑」にしてしまっているのです。くだらねぇ~!
 しかも、その疑惑だって妻アルマと親友の脚本家クックとのくだりはどうやら原作ルポにもない映画オリジナルの創作であるらしいし、ヒッチコックと出演女優とのほうもまぁあるにはあったのかも知れないのだとしても、それを35年も連れ添っておいて今さら『サイコ』の撮影時にアルマがかぎつけて乙女のように憤慨するという必然性がどこにも説明されていないのです。そりゃまぁ、旦那とハリウッドの美人女優とが仲良く仕事をしているのを見ていい気分になる女房はいないと思いますが、それにしてもそのフラストレーションが爆発するきっかけになった創作エピソードがあまりにも貧弱、貧弱ゥウ!!
 要するに、『ヒッチコック』は原作のとおりに『サイコ』の撮影舞台裏の精確な記録ドキュメントにしておいたほうがよっぽどましだったんじゃなかろうかと思わせるほど、フィクション作品としての脚本の創作部分がいちいちヒッチコックとアルマの天才性を否定するものであり、邪魔で邪魔でしかたがないんです。
 あれですか、製作サイドは熟年夫婦の客層を獲得するために、こんなくだらないレベルの夫婦ゲンカを天下のヒッチコック監督とアルマにさせようとしたんですかね。脚本家はどっかのド田舎の全寮制の女子中学校の文芸部員か!? あんなことで夫婦の関係に亀裂の入る還暦カップルがいるかァア!!

 この『ヒッチコック』は、ホプキンスは言うまでもなく、主要なキャストのほとんどが非常にいいお仕事をしています。アルマ役のヘレン=ミレンの頼りがいのある賢妻ぶりもりりしいですし、若い美人女優ながらも同時に母親でもあり、さっぱりした性格で年上のヒッチコックに的確なアドヴァイスを送るジャネット=リー役のスカーレット=ヨハンソンも非常にいい味を出しています。他にはヒッチコックに愛憎半ばする視線を送る専属契約女優のヴェラ=マイルズ役のジェシカ=ビールや、有能な秘書でありプライヴェートでも陰ながらヒッチコックとアルマとの関係を気づかうペギー役のトニ=コレットも良かったですねぇ。でも、私としてはやっぱり、その演技を見たホプキンスが笑いすぎて椅子からころげ落ちたという、神がかったくりそつっぷりを発揮したアンソニー=パーキンス役のジェームズ=ダーシーの「名人芸」が最高でしたね。これはもう、物まねでいいだろ! ほんとに似てんのよ、パーキンスに!! この人がスクリーンに出てくるたびに、もうおもしろくっておもしろくって。残念なのはダーシーさんが30代中盤なので『サイコ』のパーキンスほど若い青年には見えないという点なのですが、まぁ~似てる似てる。この人がガス=ヴァン=サント版の『サイコ』に出たらよかったんじゃね!?

 ところが、非常に悲しいことに、『ヒッチコック』は驚くほどに『サイコ』撮影スタジオのシーンが少ないため、これらの輝ける個性がまったく効いてこないのです。これほどおもしろいのに『サイコ』役者陣は残念すぎる出番の少なさだし、例の「シャワーシーン」の1週間以上にわたったという執念の撮影風景だって、ほんのちょっとしか再現されません。ある程度ヒッチコックのテンパリ具合を説明するためのワンシーンとして利用されるくらいのあつかいで、気がつけば「撮影終了いたしました~、撤収で~す。」といった感じ。要するに、あれほどまでに前半にあおられた『サイコ』の難産ぐあいが、後半にメインにすえられた不倫疑惑うんぬんの創作部分に押しのけられてちゃんと描写されないままでクライマックスにひた走ってしまうのです。もったいないにもほどがあるよ!!
 結局、このアホらしい低次元脚本のとばっちりをくってしまった最大の被害者はアカデミー女優のヘレン=ミレンさんで、どんなに彼女ががんばってアルマ役を演じてみても、なんだか『サイコ』の製作とあまりにも関係のない擬似ロマンスなエピソードが多すぎて、なに考えてんだかよくわかんない「自分勝手なよろめきおばさん」に見えちゃうんですよね。いや、あんな旦那に愛想を尽かしたくなる気持ちもわからんことはないんですけど、だからといってあんな方向に逃避しますかね……いちおう、映画監督のサポートにかけては世界第一級のプロフェッショナルなんですからね。

 あと、こんなブログなんでこれだけは言っておかなくてはならないかと思うんですが、あのエド=ゲインのあつかい、なにアレ。

 映画を観たあとで、脚本を書いた人があの『ブラック・スワン』の共同脚本にもかかわっていたという事実を知って納得がいきました。ここでのエド=ゲインみたいな役は、『ブラック・スワン』みたいな変態監督が撮影するから成立するんであって、今回のガヴァシ監督みたいな、フィクションの映画に関してはほぼ新人みたいな元気ハツラツなルーキーが撮ったってダメだって! じぇんじぇん怖くないし、じぇんっじぇん笑えないし!! のこのこ出てくる意味も価値もないごみくずでしたね。あんなんで心の闇が説明されるほど、ヒッチコックは単細胞じゃな~いの!!


 映画を観ている途中から、私の中にはこういう確信に似た想いが強くわだかまっていました。

「あぁ、この映画にティム=バートンの『エド・ウッド』(1994年)の100分の1ほどでも、作り手の作品に対する愛が込められていれば!!」


 今回の『ヒッチコック』と『エド・ウッド』は、主人公が映画監督とそのパートナーであること、だいたいそれぞれの活躍した時代が近いこと(厳密には『エド・ウッド』のほうが『ヒッチコック』よりも約5年ほど古い)、事実の記録に脚本の創作部分がいくつか足されて作品になっていることなどで共通するポイントがある映画だと私は見ているのですが、とにかく違うのは、やっぱり「この物語を1人でも多くの人に知ってほしい」という作り手側の想いの強さだと思うんです。それはやっぱり、生み出す者が生まれる者にかける、自然界ではあってごく当たり前の「愛」ですよね。

 それが『ヒッチコック』には、なかった。あんなくだらない話をガヴァシ監督が本当に撮影したかったのかどうかに、まずものすごく疑問が残るし、そもそもガヴァシ監督がヒッチコックのことを愛しているのかどうかにさえ「?」がついてしまう出来になっていると言わざるをえません。もちろん、こんな映画でガヴァシ監督の才能をおしはかることは不可能です。

 『エド・ウッド』の、おそらく現実にはなかったと思われる脚本創作シーンの中でも特に強烈なものに、あまりにも厳しい現実の連続に絶望し、いったん映画の制作を放棄しかけたエドが、押しかけたバーで偶然に、あの「世界最高の映画監督」ともたたえられるオーソン=ウェルズに出くわすというくだりがありました。


「エド。夢のためなら、闘え。」


 このオーソンの熱すぎる一言によってエドは再び立ち上がるわけなのですが、『ヒッチコック』の脚本創作部分に、このやりとりの千分の一ほどでも作品の展開に有機的につながる要素があったかね!?

 『ヒッチコック』と『エド・ウッド』は、どちらもそれぞれの新作映画の公開初日、上映終了後の映画館前での監督とパートナーとの笑顔で物語が締めくくられます。もちろんどちらのお2人の表情もステキなのですが、後世の人物評や作られた映画の評価などはまったく関係ないものとして、果たしてどちらのほうが観る者に深い感動をもたらす祝福性をたたえているのか……そりゃあもう、歴然としてるよねぇ。そのいかんともしがたい差こそが、映画の「格の違い」というものだと思うんです。


 『ヒッチコック』。非常に残念な作品です。老人が若者を搾取する世の中もあってはいけませんが、若者たち(製作スタッフ)が老人の才能をムダ使いする映画だってあっちゃあなんねぇだろう!! 若手ったってそんなに若くもねぇんだから、がんばってきましょうや!

 アンソニー=ホプキンスさん、さっさと気を取り直して次なる傑作を世に出していってくださいね~。大いに期待しております!!
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全国城めぐり宣言 第20回 鬼の棲み家からいよいよ入城できるか!? 「備中国 鬼ノ城」!

2013年04月10日 23時19分23秒 | 全国城めぐり宣言
《前回までのあらすじ》
 備中国鬼ノ城探訪までにそうだいが要した歩行距離は当初の予想を大きく上回り、思わぬ尖兵となったお隣の経山城探訪もあわせて「およそ7km 」におよんでしまった!
 ……というのもほんの一瞬のぬか喜び。鬼ノ城駐車場の手前には、鬼ノ城とはまるで別の方向を指し示す「岩屋三十三観音みちコース 1周6.5km 」という恐るべき看板と入り口が!!

 まぁその~、せっかくここまで来たんだし、行ってみるっきゃないわな!

 立派なおっさんに成長した身体から盛大に鳴り響く「やめときなはれ! やめとくんなはれ!!」という警告アラームも無視し、そうだいの脳からは「勇気をもって岩屋も踏破! 進軍開始!!」という指令が下されたわけだったのだが……



 ……目前に迫っていた鬼ノ城をみすみす見逃して、そこからどんどん離れることになる謎の登山を開始する感覚。こりゃあ~もう、なんとも言いようのない感覚でした。まぁ頭おかしいですよね。好きじゃなきゃやってられません。
 もちろん、この岩屋33観音めぐりコースの途上には城郭はないわけなのですが、コース案内の大きな看板を見てみますと、「皇(おう)の墓」「鬼の差上岩(さしあげいわ)」「岩屋寺」などといった妙に気になるポイントが点在していました。

「これはひょっとしたら、温羅伝説でいう『鬼の棲み家』は鬼ノ城よりも、むしろ裏手に当たるこっちのほうなんじゃなかろうか?」

 こんな感じで、『鬼の』というキーワードがある以上、こっちもチェックしなければ意味はないと私は感じたわけだったのです。あと、高い山岳の上にある寺院は当然ながら、古来より伝統のある神社仏閣は、そのまんま軍事要塞の機能も兼ねられる堅固度を誇っているものが多いという印象もありましたし(京の本能寺とか比叡山延暦寺とか)、城だけ見て寺はスルーという考え方は、私の中ではかなりの見落としを産みやすい危険なものになるという確信があったのです。

 とはいうものの……できたら行きたくねぇ~!! 脚が大変なことになりそう。

 ちなみに、案内板にはこのコース名の由来ともなっている、途上6.5キロの路傍にまんべんなくまつられていた「石造りの33体の観音像(千手観音や如意輪観音など)」の写真がわかりやすく紹介されているのですが、よくよく見るとそのうち17体の観音像には四角いくくりがつけられており、それらには「現在、穴観音所在地にまつられております。」というただし書きが。「穴観音」というのは、鬼城山の東のふもとにある奥坂地区にある観音堂ですね。

 貴重な文化財の保存のためとはいえ、半分以上が行ってももうないのね……いやいや、信仰は像のみに宿るのではない、像を取り巻く周囲の森羅万象にも宿るのだ! したがって、行って損はない。本体ないけど。

 ともかく、四の五の言わずに午前9時半ごろ、勇気をもってレッツラスタートという運びになったのですが、最初に登ることとなった犬墓山(いぬはかやま 標高443m )は、そのネーミングこそものすごい不吉さに満ち満ちているものの、そのときにいよいよ本格的になってきたポカポカ陽気もあいまって、非常におだやかな登山コースになっていました。山頂への木製の階段も整備されていて、序盤でもあったしヒョイヒョイと景気よく駆け登って気持ちよく汗をかくといった感じでしたね。さっそく見つかった石の観音像は、後光もあわせて高さ30cm ほどの非常にかわいらしい観音さまでした。なんかポケモンみたいなファンシー感があります。

 犬墓山は鬼城山の西、経山&新山の北という位置にあるのですが、山頂が木々に覆われてそれほど開けていないため、山頂よりもむしろ、そこに行く手前で鬼城山側が一望できる東向きの一角が絶好のスポットになっていました。
 ここは視線をちょっとだけ見下ろした先に、経山城主郭からとはまた違ったアングルの鬼ノ城が楽しめるいい場所になっているのですが、ちょうどそこには、「ここに座ってお休みくださいワン」と言わんばかりに、直径2メートルほどの非常にまんまるの形をしたクリーム色の奇岩が10個ほど、登山道から山肌を下へ、つらなるように存在していました。
 その1コ1コはお菓子の「タマゴボーロ」か、手っ取り早くおなかいっぱいになりたい人に大人気の「山崎パン 薄皮ミニパンシリーズ(126円)」のように、微妙につぶれた丸い形状で、それが精確に一直線というわけでもなく、くねるようにつながっているさまは、ファミコン時代のあの「巨大な蛇型キャラのせいいっぱいな表現」をほうふつとさせないこともありません。って言って、どのくらいの方が「あぁ~、あれ。」って納得がいくんでしょうか。ドラゴンボールの神龍でしたっけ。

 何の根拠もない私の勝手な推論としては、このヘンな巨石こそが山の名前の由来となった「犬墓」なんじゃなかろうかと思うんですが、自然にできた現象なのかなぁ、コレ……人的にやる意図がよくわかりませんもんねぇ。昔の人も、「別に何の役にもたたねぇし、犬の墓ってことでいんじゃね?」という解釈に落ち着いたのではないのでしょうか。『桃太郎』のイヌがここで殉職したって伝説もないみたいですし。っていうか、温羅伝説の原型にイヌ・サル・キジは出てこないみたいです。お互いに部下は巻き込まない、温羅と吉備津彦命のタイマン勝負ですね。

 ともあれ、奇妙ながらもとってもかわいらしい奇岩でしたので、こんなぜいたくなシチュエーションも滅多に味わえないだろうという観点から、特に急いでいるわけでもないのに、そのひとつに腰掛けて鬼ノ城を眺めながら、関東地方に電話をかけて仕事の打ち合わせをさせていただくことにしました。あら、いつもはあんなに無味乾燥だったビジネストークが、環境が変わっただけでこんなに爽快なコミュニケーションに!

 へへへ、電話先のお人は知らないだろうなぁ。私が現在、岡山県の標高400メートルの山に登って、眼下に城郭をのぞみながら会話をしているということに! いぃ~っひっひっひ☆

 現時点では別にやましいことはありませんが、こういうことに快楽を見いだす考え方は、多くの変態的行為に共通する病巣を有しています。気をつけようね、そうだい。


 さて、犬墓山に登ったあと、コースはその北に隣接する「岩屋山(標高477m )」を目指すこととなります。そしていよいよ、ここが鬼にまつわる「謎の巨石群」が集中している、いわゆる「鬼の棲み家」となるわけなのです。異常に古いネタになりますが、岡江久美子さんはいらっしゃいません。

 そういえば、私が入山した月曜日の午前中は、平日だったこともあってかすれ違う登山客の方の数が極端に少なく、最初の鬼ノ城駐車場の手前から入る登山口で、向こうから帰ってきた老夫婦と挨拶を交わして以来はまったく誰とも出会わないという状況が続いていました。この、時代感覚さえも揺らいでしまう山中の寂寥感……いいね!!

 犬墓山から岩屋山へは、ゆるやかな尾根のような林道を時間をかけて歩き向かうことになるのですが、そのほぼ中間地点にはちょっとした広場のようなひらけた空間があり、その中央にいかにも意味ありげに安置されているのが、次なるチェックポイントの「皇(おう)の墓」ですね。

 皇の墓(岡山県指定文化財)は、基壇もあわせて高さ119cm の石(花崗岩)造りの塔。その一番上の段が、卵を逆さに立てたような上広がりの電球型になっていることからも、この塔が地位の高い僧、つまりこの場合は岩屋山にかつてあったという寺院「岩屋寺(いわやでら)」の開山僧の墓標を指し示す無縫塔(むほうとう 別名・卵塔)であることは間違いなさそうです。

 伝説によると、かつてこの岩屋山に存在し、平安時代には南の新山寺とあわせて三十八坊もの伽藍を有する山岳仏教の聖地、別名「西の比叡山」を構成する権威ある寺院として大いに栄えたという岩屋寺。その開祖は、第42代文武天皇(もんむてんのう 683~707年)の皇子だった「善通大師(ぜんつうだいし)」という人物で、開山は彼がわずか7歳だったときと伝わっています。文武帝の皇子ということは、奈良の大仏さまで有名なあの第45代聖武天皇(しょうむてんのう 701~56年)の兄弟ということになるのでしょうか……
 実は、「岩屋寺の善通大師となった皇子」にあたる人物は正史ではその存在が確認できず、文武帝の皇子は聖武帝も含めて3名いたものの、聖武帝の「母違いの兄弟」にあたる2人の皇子は、聖武帝の母方の祖父だった時の権力者・藤原不比等(ふじわらのふひと)による「藤原家超ゴリ押し作戦」によって、強引に母方の実家である「石川」の姓を名乗る中級貴族に降格させられてしまいました。『万葉集』にその名を残す、「石川広成(ひろなり)」という人物とその弟・広世がその悲劇の2皇子だったのです。今このあたりの時代をドラマ化するのだったら、不比等の娘で文武帝の第一夫人(皇后)、そして聖武帝の実母となった藤原宮子(みやこ)の役は剛力彩芽さんがやるのが一番ピッタリだと思います。人の世っつうもんは、千年たとうが変わらんもんは変わらんもんで。

 このような感じで、にわかにその実在があやしくなる「善通大師さま」なのですが、そもそもその「善通」という名前も、あの真言宗の創始者である日本仏教界のスーパースター弘法大師空海(774~835年)の父・佐伯田公(たぎみ 生没年不詳)の法名「善通」といっしょという符合があり、言うまでもなく、そこにちなんで創設された四国の大寺院・善通寺(香川県善通寺市)をどこかで意識した引用である可能性が高いような気がします。そういえば、岩屋の「三十三観音めぐり」という信仰のありかたも、四国にしっかりと存在していますね。規模は四国のほうがケタ違いに大きいですが。

 まぁともかく、この「皇の墓」が指し示す具体的な岩屋寺の開祖が誰なのかはいまひとつはっきりしないものの、確かに実在するこの立派な石塔と、その「皇の墓」という名前こそが、善通大師という人物の「オーラ」を力強く今に残しているわけなのです。こうなるともはや「卵が先か、鶏が先か」という禅問答になってしまいそうなのですが、この石塔のいたるところに積み重ねられているお賽銭の数が、なにやら伝説と史実との境界線をあいまいにする不思議な霊域の存在を証明しているようで、思わず神妙な気分になってしまいました。もちろん、私もお金を置いてったヨ。なんちゅうか、歴史の流れに参加するライヴ感覚ですよね。なにほざいてんでしょうか。

 ところで、この石塔自体は古くとも14世紀の製造であると推定されており、つまりそれは、実際の意味での「岩屋寺開祖の墓」ではなく、「岩屋寺の権威をアピールするための一大モニュメント」として「皇の墓」がつくられたことを指しているはずです。確かに、この地下に本当に開祖さまがお眠りになられている、という空気はじぇんじぇんありませんね。単に石塔があるだけの森の中の広場です。
 開祖は8世紀の人物であるはずなのですから、この「皇の墓」は500年以上「新しすぎる」ものの、それでもこれは岡山県に現存する最古の石塔であるとされています。

 これまた私の勝手な推測ですが、14世紀当時の岩屋寺は、当時嵐のように本州全土を駆け巡る大フィーバーとなっていた「王政復古からの南北朝動乱」に乗るかたちで、開山の経緯と皇族との関係をことさらに神話化することで寺院の存続をねらったのではないのでしょうか。
 でも、この岩屋寺の大伽藍も時代の奔流には逆らうことができなかったのか、前回に触れた新山寺と同じように戦国時代までには消滅の憂き目にあっちゃうのよね……げにシビアなるは世の浮き沈みかな。

 そんな深い感慨と、「『西の比叡山』って、比叡山の時点で山形出身の私からしたら充分すぎるほどに『西』なんですけど……」という若干のフニオチを胸に抱きつつ「皇の墓」を過ぎると、いよいよ「魔境の真髄」たる岩屋山へと入っていくことになります。

 ちょっとその前に、「皇の墓」から岩屋山に向かうその途上で「岩切観音(いわきりかんのん)」という、巨石3つの積み重ね(全てで高さ7~8メートルほど!)の壁面に彫り込まれた観音像に出会うのですが、この石製の大型スクリーンのような岩石の異様さが、これから踏み入れる魔境の性質をみごとに象徴してくれているような気がしました。ちょうど、スクリーンにうすらぼんやりと観音さまの出ている番組が映っているといったあんばいです。う~ん、っていうか、観音さまの彫り込みが絶妙に淡いので、むしろ夜のネオン街を眼下にのぞむ壁一面のガラス窓に、リビングに立ちつくしてわけもなく外をながめているバスタオル姿の観音さまがボーっと写っているというニュアンスでしょうか。観音さまにそんな OFFモードがあったっていいと思う。


 「鬼の棲み家」の驚愕の正体。それは、徹底した「インテリア、オール石化」!!


 なにはなくとも、岩屋山のいちばんの中心地点になるのは、その中腹に位置する「岩屋寺」というポイントです。
 ここはその名の通り、かつてあった大寺院「岩屋寺」の栄光を今に伝える伽藍……かと思ってたどり着いたのですが、そこにあったのは完全なる「無人のお堂(観音堂)」。申し訳程度に賽銭箱が置いてあるだけで、正面の扉もがっちり閉ざされた、何の変哲もない昭和製っぽい修復の目立つ建物です。「寺」ですか? これ……そこにいくまでの石段とか石垣はけっこう雰囲気があるんですけどね。
 正面わきにある高さ5メートルほどの弘法大師をたたえるいかめしい石塔もいいんですが、さらにその脇にこぢんまりとひかえている「よーお参りんさった 岩屋寺」という手書きの立て札が、なんとも言いようのない哀感をかきたてます。哀感っていうか……徒労感?

 資料によると、この観音堂はかつての岩屋寺をしのんで、江戸時代に地元の人々が築いたものであるのだそうで、そもそも平安時代に栄えた山岳仏教の聖地の岩屋寺とは直結していないものなのだそうです。う~ん無念。

 しかし! この地の「ほんとうの」中心地は、この岩屋寺観音堂の裏手にあった!
 裏手にはさらに石段があり、そこを登りきった正面には、観音堂とは打って変わって年季の入った古めかしい毘沙門堂があるのですが、そのお堂のはしっこには、チラッチラ見切れて自己アピールしている、なんとも隠しようのない強大なオーラが!!


「鬼の差上岩(さしあげいわ)」と、それを天井とする洞窟「鬼の岩屋」!! こっち! こっちがものすごいんだ。


 ドドォオ~ンン……15m ×5m ×5m 。こんな巨大すぎる大岩が天井になっている! この「鬼の差上岩」をいくつかの岩石が下でささえており、そこをぬって中に入ることができる空間ができあがっているのです。この、だいたい高さ10m 、横幅15m ほどの岩石のかたまりのことを「鬼の岩屋」というわけです。

 ものすごい威圧感です。私は日中の天気のいい時間帯に来たのでしみじみとそのオーラを味わうことができましたが、曇天だったり夜だったりしたら、ちょっと怖くて岩屋の中にまで入る勇気はわかなかったかも……
 もちろん、こんな構造物が当時の人工的な技術で構築できるはずもないので、これらは自然の奇跡の産物であるはずなのですが、どう見ても人類の常識を超えた「なにか」が、偶然でなく意図的にそこに作り上げたとしか思えない意志! そんなものをこの岩石群からは感じてしまうんですねぇ~、石だけに。ハイッ、ストーンとおちたっ☆

 ともかく、その空間に人間が私ひとりしかいないというのもミョ~に不安になりだしてきて、今にも岩屋の奥底から、身長10m ほどの大鬼が「ハ~イ、どなたぁ?」と出てくるかのような、現代の人間社会の通念を超えた空間が、いまだにここには、ある!! これはものすごい発見でした。

 さて、まわりをしげしげとうかがってから恐る恐る岩屋の中に入ってみたのですが、岩屋の中はだいたい縦横2m もないくらいの案外せまいスペースで、その入り口には、壁に彫られた毘沙門天像をまつる木製のほこらも作られていました。これはちょっと、鬼の王様が寝床にするにはちょっと庶民チックすぎる気がするんですが……
 実はこの「鬼の差上岩」には、その名前の由来となった「鬼が岩屋の天井にするためにこの岩を差し上げた時についた手形」というものがついていて、それは確かに、岩屋の中に入って顔を見上げると、その天井部分にはっきりと確認できます。だいたい1m 四方くらいの、ちょっと細長いくぼみができているんですね。確かにくぼみには微妙に段差ができていて、うすらぼんやりと「指のある手のひら」に見えなくもないんですが……その「1m くらいの大きさの手のひら」というニュアンスが非常に魅力的なので、「なにかの自然現象でできた単なるへこみ」という解釈にいくのだけはやめておきましょう! ロマン、ロマン。

 さて、これで念願の「鬼王・温羅のプライベートルーム」に来訪することができたわけなのですが、忘れてはいけません。ここは「鬼の棲み家」! ただ寝室があっただけ、ではお話にならないのです!!

 見よ! この、岩屋山を中心とする鬼どものスウィート鬼ホームのステキな「鬼インテリアデザイン」を!!


鬼の岩屋のすぐ上(岩屋山の頂上に向かうラインと頂上部分)
「鯉岩」         …… 文字通り、鯉の形をした巨石(のはずだが、ただの横長な巨石にしか見えない)。温羅が変身したという鯉と関係がある?
「鬼の餅つき岩」     …… 文字通り、かつて鬼どもが餅をついたという恐怖の巨石。
「八畳岩」        …… 文字通り、というか八畳以上に広い巨大な1個の岩(ざっと見10m 四方はある)。
「屏風岩」        …… 文字通り、屏風のように垂直に立ち上がっている巨石。どちらかというと軍艦の船首のように見える。
「方位岩」        …… 巨大な岩の上に常に北をさす小さな岩が乗っているという奇岩。
「汐差岩(しおさしいわ)」…… 岩の頂上部に常に水たまりができているという奇岩。汐の満ち引きにあわせて水位が変わるという。
※鬼の岩屋からだいたい距離300m ほどの圏内に「鯉岩&餅つき岩」、「八畳岩」、「屏風岩」、「方位岩&汐差岩」が点在しているという感じ

岩屋山から隣の実僧坊山(標高471m )に行くまでのふもと
「鬼の昼寝岩」      …… 文字通り、かつて鬼がその上で横になって昼寝をしたという惨劇の岩。

登龍山(実僧坊山のさらに北 標高461m )の山頂
「鬼の酒盛り岩」     …… 文字通り、かつて鬼どもが大挙して集合し大宴会をひらいたというゆかいな巨石群。


 ギエ~、遠い! いちいち遠い!!
 一体どんだけ歩かせる気なんですか……そりゃ鬼は人間よりでかいから歩数も少なくていいかもしれませんけれども!

 鬼の岩屋から昼寝岩までの段階で20分くらいかかるんですよ? そんなに遠くで寝なくたっていいでしょうが! 鬼さん、どんだけ繊細なハートの持ち主なの!?
 酒盛りだって、すぐ上の八畳岩でやったらいいのに、広いんだし! なんで2つも向こうの山の頂上でやんの!?


 そんなこんなで、私の肉体と精神は磨耗していくばかりなのでありました……大丈夫? こんなんで鬼ノ城に行けるのか!?

 次回! 次回こそ、本当に鬼ノ城に入城するぞ~!! ほんとヨ。
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全国城めぐり宣言 第19回 「備中国 鬼ノ城」と思ったら……スウィート鬼ホームへようこそ!

2013年04月06日 23時19分05秒 | 全国城めぐり宣言
《前回までのあらすじ》
 勢い込んで鬼ノ城の徒歩探訪に乗り出したそうだいだったが、多少は予想していたけどそんなにキツいとは思わなかった急角度の坂道と、まったく聞いていなかった鬼ノ城のお隣さんの城・経山城との遭遇に、おもしろいように出鼻をくじかれてしまった。
 しかし、小兵ながらも典型的な戦国時代の山城としての遺構を今に残していた経山城はなかなか見ごたえのある城跡で、山頂にたどり着いたころには天候も、春先にふさわしい陽気をたたえる快晴に転じた。
 やった! 私は運がいい。もうこの時点で足はけっこうキてるんだけど、この流れに乗じてちゃっちゃとメインの鬼ノ城もクリアして下山しよう。あとは岡山の市街地でいくらでも休んでればいいんだし。
 そういった甘い考えをいだくそうだいだったのだが……果たして目指す「鬼の本拠地」は、そんなにやすやすと制覇されてしまうようなヤワい土地なのだろうか!?


 確かに経山城の主郭に登ったときの、ちょっとだけ近い感じになったお天道さまからさんさんと降り注ぐ陽光のあたたかみは格別のものがあったのですが、実は同時に、北の吉備高原の山々から吹きすさぶ風の勢いのハンパなものではなく、ついさっきまで急激な坂道のために汗だくになってなっていたことがウソのように、たったの10分程度頂上にいただけで汗は乾き、むしろ涼しく感じるくらいにまで体温は降下。
 うむ、確かに天気はいいのですが、この、場所によっての温度の乱高下は注意しなければなりませんね。それに、「山の天気は変わりやすい」っていうし……まぁいいや、とにかく先を急ぐことにしましょう!

 さっそく、経山城でのメモを終えてから来た道をまた戻っていったのですが、このぐらいの時間帯から鬼城山を下山する最後のときまで、私はしきりに未舗装の山道で、私が歩くたびに地面のほうぼうから聞こえる「かさかさっ」という音と、目にもとまらぬ速さで道から草むらの中へ疾走していく体長10~20センチほどの細長い物体に出遭うことになります。
 Oh, イッツァ、かなへび!! とかげなのにかなへび! 西日本だからニホントカゲかもしれないけど。
 なつかしいなぁ~……かなへびを見るのなんて、もしかしたら小学生時代以来かも。ぽかぽか陽気になってきたので山道でひなたぼっこをしているんですねぇ~。ここでは完全に人間のほうがよそ者なんですねぇ~。

 さくさくっと軽快にくだって、最初の登城口から鬼ノ城駐車場へのアスファルト道に戻りました。さぁ、駐車場までもう1キロもありません。はりきってがんばりましょ~。

 このぐらいになると傾斜はだいぶゆるくなるのですが、道は大きく右に曲がりながら鬼城山を西から北へ、つまりは鬼城山の裏にまわりこんでいくというかたちになります。
 そして、道沿いにはとんとご無沙汰だった人家と田んぼが。家はまばらで多くはないのですが、一軒一軒がかなり重厚な瓦葺きの日本家屋で、かなり昔から住んでおられる歴史を感じさせます。
 同時に田んぼも、山と山との間を川が流れ、そこにできたわずかな土地を有効に活用して耕作地にする「棚田(たなだ)」が段々に連なっているという、今となってはかなりめずらしくなっている風景を間近に見ることができ、のんびりした陽気もあいまってかなりステキな徒歩ルートになっていました。たぶん、夏ごろに田んぼに放して雑草を食べさせるために農家の方が飼っているらしい大量のカルガモが柵の中にスタンバッていたのですが、そこが私が来たタイミングでいっせいにガーガーやかましくなったお約束の反応も含めて、実にいいひとときでしたねぇ~。実際に住むとなったら大変なんだろうけどね~。
 ただ、鬼ノ城の駐車場まで1キロ近くえんえんと続いていた棚田の土地も、実際に現在も耕作されているのは農家に近い田んぼ数枚分ほどだけのようで、あとはうっそうと雑草が生い茂る「もと棚田」という状況になっていました。まぁ、棚田を必要としなくてもいいほどに日本が豊かになった、と解釈すれば聞こえはいいんですが……無責任な立場から「寂しい」って言うのは簡単なんですけどね!

 棚田にも目を取られたのですが、もうひとつ私が気になったこととして、経山城に引き続いて、この一帯の農家の敷地や棚田の段差などでも、ちょっと驚くくらいの大盤振る舞いモードで石垣が多用されているのが見逃せませんでした。しかも、見た目はかなり歴史のある風合いになっていて、最近取り付けられたコンクリート製の模造石垣とは明らかに次元の違う重厚な雰囲気をはなっています。
 ここでもこんなに石垣が……この地域は良質な石材がそんなに手に入りやすいのだろうか!? 私の興味のボルテージはいやがうえにも上がっていきます。こだなの、山形じゃあちぃっと考えられねぇこんだずぁ……

 そんな中、鬼ノ城に向かう前にチェックしなければいけない「第2関門」として私の前に立ちはだかったものは人家のすぐ近くに鎮座ましましていました。唐突に道ばたにあるもんだからビックリ!


総社市指定工芸文化財「鬼の釜」!! なんちゅうストレートなネーミング!

 これは、経山城登城口と鬼ノ城駐車場とのちょうど真ん中あたり、道の左手にある「あずまや」というにはちょっと重厚な瓦葺きの屋根つき建屋の中におさまっているのですが、口の直径185cm 、深さ105cm という文字通り規格外な巨大さを誇る鉄製の大釜であります。ふつうの大人でも、立った姿勢だったら軽く10人は入ることができるサイズ!

 今でこそ全体的にサビに覆われていて、底にも大きな穴があいている状態になっているのですが、なんでもこの大釜は、付近の新山(にいやま)の谷で江戸時代の享保七(1722)年十月に出土したものなのだそうで、以来、新山の人々はこの大釜のことを、

「古い言い伝えにある、その昔この一帯にはびこっていたという鬼の王『ウラ』が、捕まえた人間たちを煮て食うために使っていた大釜なのではなかろうか。」

 と解釈して畏れていたのだとか。
 うをを!! さっそく鬼の実在を証明する超貴重な遺物が!? こんなの、宇宙人の話だったら矢追さんと東スポがだまっちゃいませんぞ!!

 さぁここで、この地方に今現在も伝わっている、「鬼の王」ことウラの伝説についてサッとさらってみましょう。


温羅(うら)伝説

 温羅伝説とは、吉備地方に残る、昔話『桃太郎』のモチーフとなったといわれる伝説である。
 古代、吉備国(主に現在の岡山県と広島県東部を指す)には温羅という鬼の王が住んでおり、鬼ノ城を拠点にこの地方を支配していた。吉備の人々はヤマトの都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく第10代崇神天皇(すじんてんのう 3世紀から4世紀前期のあいだに実在?)は、第7代孝霊天皇の第3皇子で四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人・吉備津彦命(きびつひこのみこと 3世紀初頭から中期に活躍? 第8代孝元天皇の異母弟)を派遣した。命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。命は温羅に対して矢を射たが、温羅の投げる岩に当たってさまたげられた。そこで命は次の矢を2本同時に射て、投げた岩に当たらなかったほうの矢が温羅の左眼を射抜いた。負傷した温羅がキジに化けて逃げたので命はタカに化けて追った。さらに温羅は鯉に化けて逃げたので吉備津彦命は鵜に化けて追い、ついに温羅を捕らえ、首をはねたという。
 温羅は、製鉄技術をもたらして吉備国を治めた豪族がモデルではないかとされている。また、血吸川の水質・土壌の赤さは鉄分によるものであると推測され、吉備地方は古くから鉄の産地として知られていた。

伝説の伝承地

・鬼の岩屋&鬼の差し上げ岩(岩屋寺の裏に存在する洞窟)…… 鬼王・温羅の住居とされる

・鬼の釜(鬼ノ城への登山道脇に所在)…… 温羅が生け贄を茹でたとされる鉄製の巨大な釜

・吉備津神社(岡山市北区吉備津)  …… 備中国の一宮。吉備津彦命が温羅討伐のための本陣を置いた地とされ、命を祀る
 矢置岩(吉備津神社境内)     …… 吉備津彦命が準備した射る矢を置いたとされる
 吉備津神社御釜殿(吉備津神社境内)…… 討ち取られた温羅の首がうなり続けるため首村(後述)から移し、土中に埋められたとされる。温羅伝説にまつわる特殊神事「鳴釜神事」が金曜日以外の毎日行われている

・吉備津彦神社 (岡山市北区一宮)…… 備前国の一宮。吉備津彦命を祀る

・楯築遺跡(倉敷市矢部)…… 弥生時代の墳丘墓。吉備津彦命が石楯を築き防戦準備をしたとされる。頂上の5つの平らな岩が石の楯とされる

・矢喰宮(やぐいのみや 岡山市北区高塚)…… 温羅が投げた岩石が吉備津彦命の放った矢と当たって落ちた地

・血吸川(総社市~岡山市)…… 鬼城山の北から東に流れ、南流して足守川に合流する川。吉備津彦命が2本同時に放った矢のうちの1本が温羅の左目に突き刺さり、血が激しく噴出して川となったとされる

・赤浜(矢喰宮の南1キロほど)…… 土地名。温羅の血により一帯が真っ赤に染まったことに由来する

・鯉喰神社(こいくいじんじゃ 倉敷市矢部)…… 鯉に化けて逃げた温羅を、鵜に化けた吉備津彦命が捕まえた地

・白山神社(岡山市北区首部) …… 温羅が首をはねられた地。首が串に刺されてさらされ、村名「首(こうべ)村」の由来になった

・中山茶臼山古墳(現在の岡山市北区吉備津)…… 吉備津彦命の陵墓


 ね! すごいでしょ!? この鬼王・温羅に関する広範囲な伝承地の数々!! その中にちゃんと、くだんの「鬼の釜」もエントリーされているわけなんです。
 この、『桃太郎』の起源になったという、「温羅 VS 吉備津彦命」の一大決戦……スゴいですねぇ。大迫力ですねぇ。3つの市を股にかけちゃってますねぇ。
 岡山市の吉備津神社にいた吉備津彦命が、総社市の岩屋にいる温羅に矢を射るってあんた、10km くらい離れてるんですけど!? 吉備津彦命の矢はミサイルかポジトロンスナイパーライフルか!? 古代の話なのに想像するとミョ~に近代戦チックになってしまうのが素晴らしいですね!

 話はそれますが、1980年代後半の『週刊少年ジャンプ』につかった私は、「2本の矢」のくだりを読むと、この辺の設定もかなりしっかりとストーリーに組み込んでいた、にわのまこと大先生の名作プロレスギャグマンガ『ザ・モモタロウ』を思い出さずにはいられません。今をときめく小畑健先生のお師匠にあたるお方ですよね。この作品は桃太郎にかぎらず『浦島太郎』『かぐや姫』『牛若丸』などといった日本の伝承・伝説を本当にうまく調理した傑作でした。適度にエロかったしねぇ~。

 蛇足ですが、この「温羅伝説」ではフォローされていない桃太郎の「鬼ヶ島」という孤島の要素は、どうやら鬼ノ城のすぐ近く、瀬戸内海の女木島(めぎしま 香川県高松市)の鬼伝説がモデルになっているようです。ともあれ、この付近が桃太郎伝説の起源になっているらしいことは間違いないんですね。

 鬼王・温羅は確かにいたのだろうか……吉備津彦命がいたとされる時代は、たとえば時の大王(天皇)の寿命が100歳を超えるのは当たり前だったり(吉備津彦命の享年は「281歳」)して、日本の神話と史実とがいい感じにないまぜになった実に神秘的なゾーンであり、今なお解明されていない謎も多いのですが、吉備津彦命に温羅討伐を命じたという崇神天皇が3世紀中盤~4世紀前半に崩御した実在の人物であるらしいことは確からしく、そうなると、温羅の鬼王国は3世紀ごろに吉備津彦命の討伐によって崩壊した、ということになるわけです。
 3世紀っちゅうたら日本は弥生時代よね……でも、そんな時代に大陸からあの「三国志」あたりのスーパー技術をたずさえた集団が移住してきたとしたのならば、確かに当時の住民は「人じゃない奴らが来た!」と理解するかも知れません。そして、ヤマト地方の王権もその存在を非常に危険視するだろうし、同時にそのへんのテクノロジーをなんとか自分のものに吸収したいとも思うでしょう。
 現実味を帯びさせたいと思ったら、いくらでも想像の羽根を広げられる自由な世界なんですなぁ~。まさにロマン!


 ところが、そんなモヤ~ンを頭上に展開させている私を鼻で笑い飛ばすかのように、「鬼の釜」の解説板はこんな現実的解釈を補足していました。

「近隣の新山寺で使用されていた湯釜が廃棄されたものと思われる。」

 ウヒョ~大人!! ハードボイルドにもほどがあるわ! もうちょっと夢を見させてほしかった。

 この鬼の釜は鉄板を鋳あわせた工法で製作されているのですが、この地区の裏手にある新山(標高406m 経山の北、鬼城山の西)のどこかに存在していた「新山寺」という寺院で使用されていた入浴用の湯釜か、もしくは鎌倉時代にこの新山寺を訪れて伽藍を修築したあの俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん 1121~1206年)が新山の人々に下げ渡した炊き出し用の大釜なのではないかとも伝わっているようです。
 いずれにせよ新山寺という寺院は、前回の解説文でも触れられていたように、鬼ノ城一帯で繁栄していた山岳仏教の聖地のひとつとして存在していたものだったらしいのですが、平安時代にはすでにそうとう有名な寺院としてその名が広まってはいたものの、数多くの戦乱に巻き込まれて戦国時代までには消滅してしまっていたようです。だからこそ、江戸時代の時点ですでに鬼の釜は「なんだかよくわからないでっかい釜」になってしまっていたんですね。

 なんだ、3世紀にいた鬼の王が「ガハハハ! 灰汁はちゃんとすくえよ!! 弱火でコトコト!!」とか言って大笑いしながら使った大釜じゃなかったんだ……いやいやそれにしても、歴史の奥深さを証明する貴重なアイテムであることに間違いはないんですな。ありがてぇありがてぇ。

 さぁ、この鬼の釜を過ぎてしばらく歩くと、いよいよついに鬼ノ城の駐車場に到着であります。
 ここまで坂道を徒歩、5.5km! プラス経山城よりみち(たぶん往復で1.5km くらい)!!
 実に感慨深い到着であるはずだったのですが、そこにあったのは、当たり前ながらも単なる駐車場と、道の駅よりもちょっと小さいサイズの休憩所。この休憩所は「鬼城山ビジターセンター」という資料館を兼ねている施設で、中には鬼ノ城に関する解説資料が展示されているようです。うん、ふつうよね。まだ観光客の人影はおひとりも見当たりません。

 実はこの駐車場からも、もうちょっと坂道を登っていって鬼ノ城の城域に入らなければならないわけなのですが、ま、とにかく、出発点にはたどり着くことができたわけなのです。
 よしっ、それじゃあ鬼ノ城へ潜入するぞ! と勇躍、敷地に入ろうとした私ではあったのですが……

 右手に鬼ノ城へと続く駐車場があったのですが、あれ、左手にもどこかへの入り口があるぞ。入り口の前には、なにやら大きな案内板が。

 ……なにか、非常に嫌な予感がする……あの案内板は見ないほうがいいんじゃないのだろうか。あの入り口はないことにすればいいんじゃないだろうか……いや、でも、見るだけは見というたほうがいいんじゃ……アレだ、あんまり興味をくすぐらないルートだったら行かなきゃいい話なんだから! うん……

 外国の古いことわざに「猫の死因は『好奇心』」というものがあるそうなんですが、私そうだいの死因も好奇心だ!
 おそるおそる、おそるおそるその、左手の案内板をのぞくと、そこには……


「総社ふるさと自然のみち 岩屋三十三観音みちコース 徒歩距離6.5km(所要時間3時間半ほど)」


 ……膝からカックン。
 なんていうか、「ゴールの1マス手前で別のすごろくコースにすっ飛ばし」ですよね、これ。こんな超絶トラップが現実に存在していたとは。

 無視など……できるはずにはない! 鬼城山から見て北西の方角にある山々を「いくつかまたいで」ぐるっと一回りしてまた戻ってくるという、恐怖の円環コースの途上には、「鬼の岩屋」「岩屋寺」「皇(おう)の墓」などといった実に興味深いネーミングの数々が……なんと、鬼の「真のマイホーム」は鬼ノ城ではなく、この裏手の山々であったのか!! これぞ「秘境」。

 行かいでか、行かいでか、行かいでかァア!!

 え~っと、今が午前9時半すぎだろ……じゃあ、まぁ時間的には無理なことはないよな。でも、問題はタイムスケジュールよりも体力なんですけど。

 いや、もうこれは逡巡してるだけ時間の無駄ですよ。

「やらずに後悔するよりも やって後悔したほうがいい」(山本よしふみ『トライアルかおる!』より いちいち古い)

 この精神で突撃だ!! 迷わず左の登山口へ GO~。


 はぁ~。鬼ノ城はまたおあずけかいな。いやでも、すぐにでもまた戻ってくるぞ、わしゃあ!! うぇいた、みにっつ!

 6.5km て……今までヒ~ヒ~言ってきた距離を、鬼ノ城探訪の前にもう一回ってことっすか!? まいったねコリャ。

 え~っと、まわらなきゃいけない山々はというと……全部で4つですか。名前は?


「犬墓山」「岩屋山」「実僧坊山」「登龍山」


 ……ネーミングがもう、私を呼んでるよね。バッター1番、犬墓。
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今年の9月10日、スケジュールおさえましたぁ~!!

2013年04月04日 23時44分54秒 | すきなひとたち
℃-ute、日本武道館決定で矢島リーダー「信じられないけど夢じゃない」
 (最新音楽ニュース・ナタリー 2013年4月4日付け記事より)

 ℃-uteが昨日4月3日、東京・池袋サンシャインシティ噴水広場にて最新21stシングル『Crazy 完全な大人』のリリースイベントを開催。このイベント内で、9月10日に初の日本武道館ワンマンコンサートを行うことを発表した。

 会場にはイベント開始前から多くのファンが集結。メンバーは1曲目『悲しきヘブン』(2012年)から会場を大いに盛り上げた。
 MC ではメンバーが新曲のカップリング曲をそれぞれ解説する。中島早貴は「『ザ☆トレジャーボックス』は聴いた瞬間にびっくりすると思います。ロックで盛り上がる曲なのでぜひコンサートで歌いたいですね。」とコメント。そして萩原舞は「『私は天才』という曲を私と中島早貴ちゃんと歌ってます。題名を見てびっくりしました。歌詞に『端っこ扱いするのやめて』とあるんですけど、つんく♂さんが私たちのことを思って書いてくれたんです。それがすごくうれしかった。」と告白した。さらにリーダーの矢島舞美は「私と鈴木愛理、岡井千聖で『地球からの三重奏』という曲を歌ってます。前向きなメッセージが込められているので皆さんもこの曲を聴いてポジティブになってもらいたいです。」と曲の聴きどころをアピールした。
 続けてメンバーは『愛はいつもいつも』(2012年)を披露し、16thシングルの『桃色スパークリング』(2011年)で会場のテンションを上げる。そして定番曲の『Danceでバコーン!』(2010年)のイントロが流れると会場の熱気は最高潮に。激しいダンスを展開し、会場に集まったファンと一体となった。

 曲が終わると再び MCコーナーに。矢島リーダーが「4月20日から春ツアーが始まります。意気込みはどうですか?」とメンバーに聞くと萩原は「早くやりたい!」と意欲をアピールした。ここで新曲の『Crazy 完全な大人』を披露するためにメンバーがポジションに着くと、つんく♂バージョンの『Crazy 完全な大人』が会場に流れてメンバーが困惑。続いてつんく♂から「℃-uteもハロー!プロジェクト・キッズとして2002年に加入してから丸10年以上。2005年に℃-uteを結成して7年以上が経ちました。」といったコメントが流れると、メンバーは「え、誰か卒業するの!?」とますます困惑した姿を見せる。

 そして、つんく♂から「6月29日のツアーファイナル、パシフィコ横浜公演もファンクラブ会員の皆様の受付の段階ですでにキャパオーバーしてしまいました。そんな状況を踏まえまして、2013年9月10日、℃-uteの日に日本武道館での単独コンサートを行います!」という衝撃的な発表が行われた。直後、メンバーは驚きの表情を見せ、さらに会場からは大きな歓声が起こった。
 さらにつんく♂の話は続き、「もちろんここがゴールではなく、さらなる飛躍をしてもらいたいという思いも込めて、その過程の1つとして、℃-ute初の海外単独イベント『℃-ute Cutie Circuit・Voyage a Paris』が決定しました。」と、2つ目のサプライズであるフランス公演の開催を発表した。

 これを受けて岡井千聖は、「なんといってもBOφWYさんの『ライブハウス武道館へようこそ!』が言えると思うとうれしい。BOφWYさんのアルバムも1位を獲ったので、私たちの新曲も1位を獲れるようにがんばりたい。あと8キロ痩せます!」と宣言。そして矢島リーダーは「本当に信じられないけど夢じゃない。メジャーデビューしてから単独ライブができなかったときもあって、いつかは武道館に立ちたいって言い続けていました。ファンの方々もずっと支えてくださって、皆さんを武道館へ連れていくことができて本当にうれしいです。どうもありがとうございます!」と応援してきてくれたすべてのファンに感謝の言葉を伝えた。
 最後はメンバーが円陣を組み、会場に集まったファンと一緒に「チーム℃-ute全員そろって、はじけるぞい!」と大きな声を上げ、新曲『Crazy 完全な大人』を披露。大歓声に包まれながらリリースイベントを終えた。



 いや~……しみじみ、めでたい。℃-uteのみなさん、ファンのみなさん、まことにおめでとうございます。

 っていうか、「パシフィコ横浜公演がファンクラブ予約だけでソールドアウト」って! そりゃあなた、横浜に駆けつけることができるファンクラブ会員が最低5千人はいるってことなんでないの!!
 「チーム℃-ute」とは、かくもガチンコな動員兵力であったのか……そういえば、先月の『さくらん少女』観劇のときも、客席はとてつもない「濃度」に満ちた空間に変貌していた。これは、2013年9月10日(火)の九段下は、矢島リーダーの雨女伝説もあいまって大変なことになるぞ!!

 もちのろんで、私もその日に五体満足で生きていれば行くつもりであります。半年後か……それまでは、這ってでも生き抜いてやるわ!!

 っていうか、まずその前に私は5月21日にも日本武道館に行く算段でいるんですよ! そちらもそちらで大変なコンサートになりそうで。また、いい席がゲットできればいいんだけどなぁ~。でも、そればっかりは日頃の善行の積み重ね次第だからなぁ! 精進、精進。
 あ、5月21日も火曜日なんですか。なんか、5月21日も9月10日も翌日の出勤がキツそうですね……


 それにしても、全員感涙は当たり前のこととして、素直に喜ぶメンバーもいれば、実直に集客の課題を考慮して気を引き締めなおすメンバーもいるし、いちはやくファンに感謝の言葉をのべるリーダーもいる。

 ℃-uteはやっぱり、いいグループだなぁ~!!
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