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国立天文台など、超巨大ブラックホール 成長の過程解明

2023-11-04 16:58:46 | 科学技術・宇宙・量子・物理化学・生命・医学・生物学・脳科学・意識・人類史

国立天文台などの国際研究グループは、銀河の中心にある超巨大ブラックホールが成長する仕組みを解明した。ブラックホール周辺を高い解像度で観察し、引き寄せられるガスの動きを明らかにした。成果は米科学誌サイエンスに掲載された。

 


研究グループが観察したコンパス座銀河の中心部分=ALMA (ESO/NAOJ/NRAO), T. Izumi et al.

 

ブラックホールには大きな恒星が変化し、質量が太陽の10倍以下の恒星質量ブラックホールなどがあるが、銀河中心の超巨大ブラックホールは質量が太陽の100万倍以上ある。ブラックホールの周囲にはガス状の物質が円盤のように集まり、徐々にブラックホールに近づいていて吸収されるとみられる。

超巨大ブラックホールは銀河の形成などにも関わるとされているが、どのようにしてできたか分かっていなかった。研究グループは南米チリにある電波望遠鏡「アルマ望遠鏡」を使い、コンパス座銀河の中心にある超巨大ブラックホールを観察した。

約1光年の長さの高い解像度でブラックホールの周りにあるガスの動きを調べた。これまでは10光年単位での観察しかなかったという。

観察によりガスがブラックホール中心に引き寄せられていく流れが分かった。引き寄せられたガスの97%はブラックホールに吸収されず、ブラックホール近傍から外に噴出されていた。噴出されたガスの多くはブラックホールに再び引き寄せられる。今後さらに性能の高い電波望遠鏡を使い、より高い解像度でのブラックホールの観察を目指すという。

 

 

日経記事 2023.11.03より引用

 

 

 


自然界に「未知の力」存在か 米実験で新素粒子の可能性

2023-11-04 16:24:00 | 科学技術・宇宙・量子・物理化学・生命・医学・生物学・脳科学・意識・人類史

現代の物理学で説明できない現象がまた見つかった。米フェルミ国立加速器研究所が8月に報告した実験で、物質の構成や力の伝達などに関わる「素粒子」に「未知の力」を媒介する新たな仲間がいる可能性を見いだした。教科書が書き換わる日も遠くないかもしれない。


 

身の回りには様々な力があふれている。地上で物質が落ちるのは「重力」の影響で、磁石がくっつくのは「磁力」があることによる。そもそも物質を構成する原子も、原子同士をくっつける力がなければばらばらに崩れてしまう。

物理学では、原子の成り立ちなどに関わるそうした力を大きく4つに分類している。「電磁気力」「強い力」「弱い力」「重力」があり、これらで身の回りの自然現象は起きていると考えられている。

こうした力が生じるのはなぜか。それを説明するのが物理学の「標準理論」だ。1970年代半ばに完成し、現代物理学の金字塔とも言われる。物質の最小単位である素粒子を定め、自然界で起こる現象や宇宙の成り立ちなどを説明しようとしてきた。

 

 

標準理論では素粒子は17種類ある。物質を構成する素粒子としてはクォークのほか、電子、ミューオン、タウなどがある。力を媒介する素粒子は4つあり、物理学で分類される「電磁気力」「強い力」「弱い力」と関わっている。重力は確認されている素粒子でうまく説明することなどができず、標準理論では扱っていない。

残る3つの力のうち電磁気力に関わる素粒子が「光子」だ。原子核と電子を結びつけたり、原子同士を結びつけて分子にしたりする。「強い力」に関わる素粒子が「グルーオン」で、陽子や中性子を構成するクォーク同士を結びつける。

「弱い力」に関わるのが「Wボソン」と「Zボソン」になる。「弱い力」は電磁気力に近いが、質量のない光子と異なり、この2つの素粒子には質量があり区別されている。標準理論は4つの素粒子で自然現象で起こる力を説明してきた。







2023年8月に米研究所が実験で示したのは標準理論の枠にない現象だった。標準理論にある素粒子の磁力の大きさを測る実験結果を解析すると、標準理論で予想される値よりも大きかった。「未知の力を媒介する新素粒子が関与している可能性がある」(同研究所)。さらにデータを増やした実験の最終報告は25年ごろになる見通しだ。

実は今回の標準理論を越える現象を説明する学説は1990年ごろに出ていた。ただ素粒子の性質を説明するために新しい素粒子を仮定する論文は無数に出ており、その論文もその1つとして埋もれていた。

このとき提唱された理論に合うのかなど新素粒子の性質はほとんど分かっていない。東京大学の浜口幸一准教授は未知の力について「『弱い力』に近いのではないか。電子には関与しないが、ミューオンとタウに力を伝える可能性がある」と解説する。「弱い力」を媒介するZボソンに似た新素粒子が存在し、未知の力として働いているのかもしれない。

証明されればノーベル賞級の成果だが、曲折もありそうだ。実験結果と照合する理論計算を修正する可能性が残っている。スーパーコンピューターの性能向上によって、理論に沿って細かく計算できるようになり、実験結果に近い計算値が報告されている。これが正しければ新素粒子は存在しなくなる。

 

 

日本の実験でも検証が進むかもしれない。高エネルギー加速器研究機構(KEK、つくば市)などの国際研究チームによる、加速器を使った「ベル2実験」が期待を集める。電子と陽電子を光速に近い速さまで加速してから衝突させて、生じた様々な粒子を測ることで、新素粒子があるかどうかが分かる。KEKの石川明正准教授は「新素粒子は(宇宙に充満する)暗黒物質などの発見につながる可能性もある」と指摘する。

実験は2019年から始まり一時休止していたが、24年1月に再開する予定で35年ごろまで続く。石川准教授は「実験終了までのどこかで、もしかすると今日にも見つかるかもしれない。楽しみだ」と話す。(福井健人)


素粒子の理論

宇宙の起源解明や自然現象を説明するための理論。標準理論には17種類の素粒子があるが説明できない現象も多く、未知の素粒子を仮定して理論を構築してきた。代表的なのは重力をつかさどる「重力子」だ。重力は標準理論で扱っておらず、研究者は重力子の存在を仮定するなどしている。宇宙に広く存在する「暗黒物質」や「ダークエネルギー」も標準理論ではきちんと扱えていない。
未知の現象を説明しようと様々な理論が提唱されている。新たな素粒子を仮定する「超対称性理論」や、物質の最小単位が粒ではなく「ひも」でできているとする「超ひも理論」などがある。



 
 
 
 
 

ロスチャイルド財閥ー235 エルサレムの安息日と祭り

2023-11-04 10:17:29 | 国際政治・財閥

エルサレムの住民は、その宗教によって大きく三つのコミュニティに大別されます。 

 

①ユダヤ教徒には、金曜日の日没から土曜日の日没まで、
②キリスト教徒には、日曜日、
③イスラム教徒には、金曜日(集団礼拝日)、


がそれぞれ一週間の安息の日に当たります。 七日目ごとに休息する習慣は、もともと旧約聖書の教えに由来し、ユダヤ教に始まり、紀元後二世紀ころから、ローマ世界を経て世界に広まっていきました。 日本で土日が祝日なのも、これが由来です。

民間企業のみならず、政府系機関でもユダヤ教徒は、金曜日の日没から土曜日の日没までは、仕事をすることが出来ないので、絶対にアポイントなど取らないように気を付けましょう。

 

紀元前六世紀のバビロニア捕囚時代、捕囚民は古代イスラエルの宗教的掟(おきて)、律法(トーラー)を収集し、これを基に、異郷のバビロニアにおいて、民族共同体形成の努力を積み重ね律法を定期的に学習する制度を発達させました。

これがシナゴーク(ギリシア語のシナゴーケ「集会所」に由来)と呼ばれるユダヤ教独自の集会所、会堂の始まりです。

以来、シナゴークに於いて律法の学習と併せてコミュニティでのトーラーの読経が行われるようになりました。 第二神殿時代の制度の中で後に大きな影響を及ぼしたものがシナゴークでした。

シナゴーク組織の発達に伴い、日常生活の背後にある安息日(シャバット、本来の意味は「仕事を中断するの意」)は、バビロニア捕囚時代に捕囚民にとって重要な意義を持つようになりました。

 

こうして、ユダヤ人は祖国を2000年も失いますが、ユダヤ人としてのネオワークと教義を守り、後に成功者を多く輩出していきました。 ロスチャイルド財閥は、その成功者の代表例でしょう。

 

 

 

紀元前13世紀のエジプト脱出を記念する過ぎ越しの祭り(春の収穫を祝う農耕祭でもある、現行歴の3月~4月)、

シナイ山における十戒授与を記念する七週(しちしゅう)の祭り(春の麦の収穫祭、5月~6月)、

エジプト脱出後40年間荒野放浪の受難を回想する仮庵(かりいお)の祭り(秋の収穫祭、9月~10月)は、

ユダヤ教の三大季節祭りです。

ちなみに、1995~1956年には、イスラエルはダビデによるエルサレム建都三千年祭を盛大に祝っています。

 

 

 

クリスマスを祝う習慣は初期キリスト教会にはありませんでしたが、キリスト教会がこれを12月25日と決めたのは、四世紀以降の話です。

キリストがこの日に生まれたという記録はありません。 元々は、エジプトのBC.3000年のエジプト神話の太陽神・ホルス神がモデルで、紀元前一世紀から紀元後5世紀まで、地中海・ローマ帝国で流行っていたミトラス教の

太陽神・ミトラスが12月25日に生まれ、日曜日が祝日だったのを継続したものであるとされています。ローマ帝国は反乱がおきないよう、植民地の祭りは認めていました。 

 

すなわち、BC.3000年の古代エジプトの太陽、信仰の太陽神・ホルス神がモデルとなり、それに影響を受けた太陽神・ホルス神、そして同じく影響を受けた太陽神・イエスキリストの物語を、ローマ帝国とキリスト教会が紀元後四、世紀につくったものです。

 

キリスト教とは、天文学の基づき、太陽を擬人化したイエスキリストをモデルにしたものです。 地球の北半球では、太陽の力が最も弱くなるの(夜が長くなる)が12月21日頃の冬至の日です。 そして約3日間、その位置で止まり、3日後に太陽は再び登り暖かくなってきます。

これが太陽神・イエス(ホルス神・ミトラス神)が死に、3日後に蘇るというこということです。です。星座に詳しくない方でも冬の大星座オリオン座はすぐに見つけることが出来ます。 オリオン座の中に3つの星が並んでいます。  これは古代エジプトでは、三博士、三人の王と呼んでいました。

 

そしてこの3つの星の延長上に、太陽の次に明るい星シリウスがあります。 これが、クリスマスツリーで頂上にある大きな星、シリウスであり、キリスト教ではベツレヘムの星です。

三博士が、ベツレヘムの星に引かれてイエスキリストの誕生を祝福しますが、この3つの星とシリウスが一直線に並ぶのが2月24日の夜で、その線をさらに延長すると地平線と交わる場所から、2月25日に太陽は登ります。

これが太陽神イエス・キリストの誕生です。12人の弟子がいたというのは,太陽の黄道12星座の事です。

 

 

 

詳しくはこちら。

 

 




太陽神・イエスキリストと天文学
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/329148ff2f4f762b3a7d203f7c5d0ffe

 

・zeitgeist(時代精神) 日本語字幕 2/15
https://www.youtube.com/watch?v=0HlnI-dNg44

・zeitgeist(時代精神) 日本語字幕 3/15
https://www.youtube.com/watch?v=demGXvUgT14

・zeitgeist(時代精神) 日本語字幕 4/15
https://www.youtube.com/watch?v=BpiPmt_KO2I

・zeitgeist(時代精神) 日本語字幕 5/15
https://www.youtube.com/watch?v=1LvSumf1fAE

 

 

 

 

キリスト教における、クリスマスと祭りに話を戻しますと、クリスマス(「キリスト礼拝」の意)はそれぞれの宗派の教会によって異なります。

・   12月 25日(西方系教会)
・  1月 7日(東方系教会)
・  1月  19日(アルメニア正教)

と一年に3度やってきます。

 

教会歴の中で最も古い祝日、復活節(イースター)も教派歴によっても異なります。 イースターは現代ギリシア語では「パスカ」、これは過ぎ越しの祭りを指すヘブライ語の「ペサハ」に由来しています。

 

 

 

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ロスチャイルド財閥-234 イスラエル国歌HATIKVAH・HOPE(ハティクヴァ・希望)

2023-11-04 04:14:18 | 国際政治・財閥

Hatikvah - National Israeli Anthem
https://www.youtube.com/watch?v=eR-xRwPvU6I

 

 


イスラエル国歌-美しいバージョン (HD)
https://www.youtube.com/watch?v=lMwSlp7I7IQ 

   

 

Barbra Streisand Sings Hatikvah
https://www.youtube.com/watch?v=RHy29bn4zeE

 

 

 

スラエル国歌 歌詞の意味・和訳
https://www.worldfolksong.com/national-anthem/israel.html


イスラエル国歌『Hatikvah ハティクヴァ(希望)』は、1897年にスイスのバーゼルで開催された第1回シオニズム会議における賛歌として採用されたもの。

国連決議に基づきイギリス委任統治領パレスチナから1948年に独立を果たしたイスラエル国において、『Hatikvah ハティクヴァ』は非公式のイスラエル国歌として採用された。

なお、『Hatikvah ハティクヴァ』が公式にイスラエル国歌として制定されたのは、建国から50年以上経過した2004年のこと。

 

メロディのルーツはイタリア歌曲?

イスラエル国歌のメロディのルーツは、一説によれば16世紀イタリアのとある歌曲にまでさかのぼれるという。

イタリアからルネッサンス期のヨーロッパ中に広まり、ルーマニアやモルドヴァの民謡として定着し、現在の『Hatikvah ハティクヴァ』までつながっているとされている。

更には、ドイツ民謡『こぎつね』や、クラシック音楽のスメタナ『モルダウ』との関係性まで見いだされるというから面白い。

 

詳細については、『イスラエル民謡 有名な曲・音楽』内で紹介されているページ『ハティクヴァ Hatikvah』で。

 

歌詞の作詞者は?

イスラエル国歌『Hatikvah ハティクヴァ』の歌詞は、ユダヤの詩人ナフタリ・ヘルツ・インベル(Naftali Herz Imber/1856-1909)によって1877年に書かれた詩「Tikvateinu」が元になっている。

「Tikvateinu」の意味は、「Tikva ティクヴァ(希望)」、「teinu(我らの)」、つなげて「我らの希望(our hope)」を表す。

 

原詩は9節 修正されたリフレイン

詩人インベルによる原詩は全部で9節あるが、イスラエル国歌として採用されたのは第1節とリフレイン(繰り返し・コーラス)部分のみ。

また、リフレイン部分は最初の一行以外は修正が加えられた。英語の歌詞は次のとおり。『Hatikvah ハティクヴァ』での英語歌詞と比較してみると違いが分かるだろう。

 

インベル「Tikvateinu」 リフレイン部分(英語訳)

Our hope is not yet lost,
The ancient hope,
To return to the land of our fathers,
The city where David encamped.


いにしえの希望は 未だ失われず
祖国への帰還 ダヴィデの居た町へ

(注:ダヴィデ(ダビデ)は古代イスラエルの王。エルサレムに都を置いた。)

 

 

 

(関連情報)

ロスチャイルド財閥ー233 ハコーテル・ Hakotel(嘆きの壁・The Wailing Wall)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/29e6dc69c5dc71e44574b139c1eb3604

 

 訪れた人々が壁に触れて祈りをささげるため、人の背の高さの壁部分が黒ずんでいる
  嘆きの壁

嘆きの壁の歴史は、紀元前20年頃ヘロデ大王が改築した神殿の西壁として始まる。

現在広く使われている英語の名称「Wailing Wall」は、1917年にイギリス人によってつけられたとされ、これは19世紀のヨーロッパの旅行者が、この壁を「ユダヤ人が嘆く場所」[3]と呼んだことに由来する。

AD.70年にユダヤ人による反乱(ユダヤ戦争)があり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧される。
この際、エルサレムは炎上し、神殿は破壊され西壁のみが残った(エルサレム攻囲戦)。
バル・コクバの乱により、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されていたが、ミラノ勅令により4世紀以降、1年に1日の立ち入りが許可されるようになる。 1967年の第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒はエルサレムへの立ち入りが許されるようになる。  wiki



Ofra Haza - The Wailing Wall (HaKotel)
https://www.youtube.com/watch?v=TCPfa86whTQ