最近、アーレントの本を読み始めた。彼女の本は、読みづらいところがあるのだが、その指摘は面白いところが多い。
本を読み出して、全体主義や悪について考えているのだが、全体主義が悪を生み出すのか、悪が全体主義を生み出すのか。アーレントは、ナチスとレーニン、スターリン時代のソ連について分析をしているのだが、日本はどうなのかと思う。日本が、全体主義の脈略で語られることは少ない。軍国主義として、全体主義が捉えられることが多いのだが、軍国主義を生み出す背景には何があったのかと思う。ナチスにはヒトラー、ソ連にはスターリン、日本には東条だろうが、東条が自国民を積極的に壊滅させるべき螺子を回していたようには思えない。結果は、壊滅したけど。
日本における全体主義の進展は、強力なイデオロギーというよりも、より目に見えにくい雰囲気、協調という名の強制、空気、誰も責任を負うことなく物事が進んでいくシステム、ここに全体主義が、全ての個人を全体として1人かのように均質化していく全体主義が潜んでいるように思う。
現代の日本においても、誰が責任を負うのかという質問に対して、面と向かって回答があることはない。トップである私の責任ですという人はいるが、そのトップはどのような責任も実際には負わない。辞めてお終いということが多い。その責任の追求のしようのなさから、無責任と放置、個人という自覚が失われ、集団性という全体に還元されていくのではないかと思う。
日本における全体主義の芽は、つまれてはいないし、むしろいつその方向性へと暴走していくことも考えられる。
身近に全体主義はあるのだと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます