春の干潟の魚たちの紹介なのである。
3年前の4月下旬に採集したコショウダイの稚魚である。
観察ケースへ入れて写真を撮ろうとすると、
体を曲げたまま底で固まったり、水中を漂ったりするのだ。
まるで枯れ葉のように。
「枯れ葉なんです。食べられないんです。海へ放ってください。」と言ってるに違いない。
それは、シマイサキの幼魚と似た行動なのだと思う。
けれど、シマイサキと決定的に違うのは「親の体色・形」なのである。
シマイサキは「ああ、親子だねえ!」と納得いくのであるが、
コショウダイの場合、似ても似つかぬのである。
残念ながら親の写真は撮ったことがないのだ。
著作権などのカラミもあり、人様の写真を勝手に流用もできない。
なので、もしどうしても「コショウダイの成魚がどんなもんか知りたいぞ!」という方は
ぜひ自分で検索してみてほしい。(まあ、あまりおらんわな)
コイツも河口干潟をゆりかごにしてスクスク育ち、成長とともに海原へと旅立つのである。
しつこく毎回書こうと思うのだが、干潟があるから多くの魚たちの生活サイクルは保たれているのだ。
その生産性はきわめて高いはずなのだ。
「埋め立てて利用したほうが生産性があがる」とか
「干潟は汚くて役に立たない」というのは理屈に反していると思うのであった。
3年前の4月下旬に採集したコショウダイの稚魚である。
観察ケースへ入れて写真を撮ろうとすると、
体を曲げたまま底で固まったり、水中を漂ったりするのだ。
まるで枯れ葉のように。
「枯れ葉なんです。食べられないんです。海へ放ってください。」と言ってるに違いない。
それは、シマイサキの幼魚と似た行動なのだと思う。
けれど、シマイサキと決定的に違うのは「親の体色・形」なのである。
シマイサキは「ああ、親子だねえ!」と納得いくのであるが、
コショウダイの場合、似ても似つかぬのである。
残念ながら親の写真は撮ったことがないのだ。
著作権などのカラミもあり、人様の写真を勝手に流用もできない。
なので、もしどうしても「コショウダイの成魚がどんなもんか知りたいぞ!」という方は
ぜひ自分で検索してみてほしい。(まあ、あまりおらんわな)
コイツも河口干潟をゆりかごにしてスクスク育ち、成長とともに海原へと旅立つのである。
しつこく毎回書こうと思うのだが、干潟があるから多くの魚たちの生活サイクルは保たれているのだ。
その生産性はきわめて高いはずなのだ。
「埋め立てて利用したほうが生産性があがる」とか
「干潟は汚くて役に立たない」というのは理屈に反していると思うのであった。