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東条元首相 終戦前に手記 ポツダム宣言受諾を批判していた。

2008年08月13日 08時41分43秒 | ●YAMACHANの雑記帳
中日新聞:http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008081302000081.html
太平洋戦争開戦時の首相でA級戦犯となった東条英機元首相が、終戦が目前に迫った1945年8月10日から14日の間に、ポツダム宣言の受諾に批判的な心情などを手記に書き残していたことが分かった。手記は国立公文書館(東京)に所蔵されている。

 東条元首相は手記で、ポツダム宣言受諾当時の政府の姿勢を「新爆弾に脅(おび)え、ソ連の参戦に腰をぬかし」などと批判。「『敗戦者なり』との観念に立ちたる無条件降伏を応諾せりとの印象は軍将兵の志気を挫折せしめ…」と記すなど、軍人としての立場に固執する考えがうかがえる。

 終戦に向かう国内情勢について「屈辱和平否屈辱降伏の途に進みつつある」と分析。その背景について「敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるがごとき国政指導者及国民の無気魂なり」などとしている。

 一方で、終戦の判断を受け入れた心情について、昭和天皇が臨席した8月10日の重臣会議の様子に触れ「御裁断を経て外交上の手続を了せる以上別に所見を有せしも最早これを申し上げ、御聖明を乱すは恐懼(きょうく)に堪えざるをもって差し控うることとした」としている。

 また、首相時代の秘書官あてに「事ここに至りたる道徳上の責任は死をもっておわび申し上ぐる」「敵の法廷に立つごときことは日本人として採らざるところ」などと自決の覚悟も記している。

 東条元首相は45年9月、自殺を図ったが未遂に。東京裁判で絞首刑判決を受け、48年12月に刑死した。

 手記は、東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎弁護士が法務省に寄贈した裁判資料の中にあったもの。99年に公文書館に移管され、昨年秋から閲覧できるようになっている。

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