太平洋の潮騒が絶え間なく聞こえてきます。沖縄本島南部糸満市の「平和創造の森公園」。
丘の頂に、沖縄戦や南方方面で戦没した東京都関係者十万三千五百柱を慰霊する「東京之塔」があります。
黒御影石でできた塔の背後にはガジュマルやテリハボクが生い茂る崖が迫ります。四月下旬、沖縄戦遺骨収集ボランティア団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松(たかまつ)さん(68)が小柄な体でこの崖を下りていきました。琉球石灰岩に囲まれた中腹の窪地(くぼち)まで来ると、ヘッドランプをつけ地面を探ります。
「これが足の指、こちらはすねの骨ですね」。収集歴四十年の具志堅さんは、腐葉土の下から小石と区別がつかない数個のかけらをすぐに見つけ出しました。言うまでもない、沖縄戦の犠牲者とみられる遺骨です=写真。
◆迫撃砲弾がここで炸裂
はっきりと形が分かったのは、人の歯。「このすり減り方からすると高齢の住民でしょう」
次に拾って見せてくれた長さ七〜八センチの金属片の説明には身震いしました。「米軍の六〇ミリ迫撃砲の砲弾の羽根です」。ここで砲弾が炸裂(さくれつ)したのだ! 窪地は身を隠すのに適した場所だったけれど、米軍は見逃さなかった。骨や歯は砲弾に吹き飛ばされた兵士や住民のものかもしれません。
「鉄の暴風」と形容された米軍の激烈な砲撃を想像しました。
糸満市など本島南部は約三カ月に及んだ沖縄戦の後半、日本軍が司令部を置いた首里(那覇市)から撤退する道筋に当たり、住民を巻き込む激戦地となりました。沖縄戦跡国定公園に指定され、東京之塔以外にもひめゆりの塔や魂魄(こんぱく)之塔などの慰霊塔が多数あります。七十七年後の今、具志堅さんら多くの沖縄県民が強く抗議しているのが、一帯の鉱山開発による土砂を防衛省が名護市辺野古沿岸の米軍新基地建設現場で埋め立てに使おうとしていることです。具志堅さんが遺骨を拾って見せてくれたのは、その鉱山開発予定地に接した場所でした。一帯に散乱し、風化した遺骨を土砂から取り除くことなど不可能です。
「戦没者への冒涜(ぼうとく)」「死者を二度殺すことになる」
二〇二〇年に計画が明らかになって以来、具志堅さんら有志は沖縄や東京でハンストを行ったり、全国の地方議会に土砂の使用中止を求める意見書採択を求めたりしていますが、国側は本島南部の土砂を実際に使うか否かは未定として何も手を打とうとしません。
防衛省は当初、現在採掘している本島北部と県外から土砂を持ち込む計画でしたが、県が外来生物侵入を防ぐための土砂搬入規制条例を設けたため、ほぼ全量を県内から調達する方針に転換し、南部をその候補地としたのです。
一六年に施行された戦没者遺骨収集推進法が遺骨収集を「国の責務」としているにもかかわらず、地上戦の戦場となった沖縄への配慮はまったく感じられません。
南部の土砂使用には県も「(沖縄戦で)多くの犠牲者を出した県民の心を深く傷つける」(玉城デニー知事)と反対の立場です。 昨年五月、業者に対し採掘前に遺骨の有無を確認することなど自然公園法に基づく権限内で精いっぱいの措置命令を出しましたが、業者側は命令撤回を求めて国の公害等調整委員会に裁定を申請し、審理が行われています。
◆未完のままの平和の礎
辺野古埋め立て土砂は国の調達価格が割高なので、早く参入したいのが業者の本音でしょう。
沖縄平和市民連絡会員で、辺野古の軟弱地盤の問題をいち早く指摘した土木技術者の北上田毅(つよし)さん(76)は「このままでは県全土の乱開発に歯止めがかからなくなる」と危惧しています。
県内全域での土砂採掘に遺骨の有無などの調査を義務付ける条例制定を県側に働きかけているのも「戦場になったのは本島南部だけではない」との思いからです。
沖縄戦の組織的戦闘が終わった慰霊の日のきょう、県の式典が行われる糸満市の「平和の礎(いしじ)」には新たに判明した五十五人の戦没者の名前が石碑に刻まれ、刻銘者数は米兵らを含む沖縄県内外の二十四万一千六百八十六人に上ります。県保護・援護課によると、沖縄戦の日本人戦没者のうち、いまだ二千七百十九柱(暫定値)の遺骨が未収集といいます。すべての遺骨が収集され、平和の礎に名が刻まれるまで、沖縄の土が無造作に扱われることがあってはならない。崖に散らばる小さな骨はそう語りかけてきます。

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