「安保法制は違憲」と訴えた裁判で東京高裁は原告の求めを退けた。憲法判断もしなかった。日米首脳会談で「台湾有事」が語られる現在、戦争の危険性への想像力を欠いた判決には失望する。
二〇一四年七月。「法学的なクーデターが起きた」と高名な憲法学者は言った。集団的自衛権行使を安倍晋三内閣が「解釈改憲」で容認する閣議決定をしたからだ。
当時の閣議決定の根拠は、一九五九年の砂川判決である。最高裁が駐留米軍について「日本の指揮権なき外国軍隊は戦力に該当しない」と述べたものだ。判決の「自衛権」の言葉は個別的自衛権を指しているのに、「集団的自衛権の合憲性は砂川判決で担保されている」として解釈改憲に至った。
この論法は詐術と呼ぶべきである。当時、大半の憲法学者たちが「違憲だ」と各メディアで述べたのは当然といえる。
日本が攻撃されてもいないのに、他国どうしの武力紛争に自衛隊が介入するのが集団的自衛権の行使だ。「専守防衛」の枠をはみ出していよう。閣議決定をもとにつくられた安保法制に全国で訴訟が起きたが、大阪や札幌などの高裁に続き、東京でも原告の損害賠償請求の棄却に終わった。
ただ、原告が「憲法の番人」である司法府に求めているのは、安保法制についての憲法判断である。それに応答せず、門前払いのごとき文言で「原告敗訴」させることには大きな疑問を持つ。
元内閣法制局長官の「集団的自衛権の容認は憲法九条との関係で両立しない。一見明白に違憲」との証言がある。九条に反するばかりか、長年の政府解釈や国会での議論の蓄積にも反する。
憲法解釈を変更しての立法について、東京高裁は「国会の専権に委ねられている」と一般論で述べた。だが、国会も「憲法の枠内」でしか立法できないはずである。「具体的な危険が生じていない」というが、単に日本周辺で戦争が起きていないにすぎない。
日米首脳会談では「台湾有事」が持ち出された。政府が敵基地攻撃能力や防衛費倍増にも前のめりになっている今、むしろ戦争の現実味は高まっていよう。戦争が発生すれば国民の生命・財産に不可逆的で甚大な損害が発生する。その危険性を視野に入れず、安保法制の違憲性にも目をつぶるのは司法権の放棄に等しい。
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